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リアクション
浮遊島群全島で祭りは開催されている。それはもちろん、弐ノ島も例外ではなかった。
雲海の魔物の襲撃、世界樹の非加護ということから、数千年という長い間過酷な状況下にあった弐ノ島は、たとえ雲海が晴れ、魔物の脅威がなくなったといえども、すぐさま裕福になるわけではない。土地は相変わらず痩せているし、水や食料は不足気味。市場に並んだ商品は、祭りの日ですら貧相だ。
2カ月前、この地を訪れた地上人たちのおかげで硬い岩盤が砕けてその下に眠っていた機晶石が掘り出されたことで機晶石貿易が始まったが、その恩恵、富が人々の手に行き渡るには、まだまだ長い月日が必要だろう。
しかし人々は、自分たちにできる最高の――そしてささやかな贅沢で、浮遊島群の新しい出発を祝い、祈っていた。
刻一刻と暗さを増していく通りを歩きながら、コア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)は左右の家々の光景に目を向ける。カーテンのない窓越しに見えた、とある家の部屋のなかでは、子どもが星やハートの形に切り抜いた色紙を壁に貼りつけていた。天井からは細い短冊状にした色紙を輪にしてつなげたものが下がっている。そこに母親が何か料理を運んできて、部屋の中央のテーブルに置いた。それが何かまでは分からなかったけれど、子どもの表情がパッと輝いたところから見て、子どもの好物か、あるいは特別な料理なのだろう、と見当をつけた。
ほかの島々と比べて地味だとか、人が少なくて活気が劣るとか、そんなことは関係ない。
人々が笑顔ですごしていることが何より大事なことなのだと、コアはあらためて思う。
そして彼らがそうやって笑顔で今日という日をすごす手助けを、ほんのちょっぴりでもできたことが誇らしかった。
「あー、ハーティオン。そんなとこに突っ立って、何ニヤニヤしてんのよ」
弐ノ島の町の様子に興味津々、きょろきょろ目を配っていたラブ・リトル(らぶ・りとる)が、立ち止まったきり動かないコアの様子に気づいて声を上げた。
ひょいと目元を覆った翼の形をしたマスクをはずし、目を眇めて注視する。
「思い出し笑い? きっもー!」
「こら!」
すぐさま高天原 鈿女(たかまがはら・うずめ)の叱責が飛ぶ。
「お祭りだからって浮かれすぎよ、ラブ」
眼鏡の下からジロリとにらむも、ラブには通じない。
「ふっふーん。あっ、あそこ! なんかお菓子売ってる! 何よあれ!? 見たことなーい! でもきっとおいしいに決まってる!
浮遊島群の味、ぜひともゲットしなくちゃー!」
言葉を挟む余地のない、怒涛の勢いで叫ぶと、ぱぴゅーんと効果音が入りそうなスピードでラブは屋台めがけてまっしぐらに飛んで行った。
「本当、あの子はどこへ行ってもあの調子ね。きっと、前来たときもあんなふうだったんでしょ」
鈿女の指摘に「ははは」とごまかすように笑って、ふうと息をつく。
「それで、あなたはどうですか? 博士。初めての浮遊島群は。私が話していたのとは少し違――」
「そうね。あなたから聞いていたとおりの場所ね、ハーティオン」
否定の言葉を言い切る前に肯定されてしまって、コアは思わず話すのを止める。
「そう、ですか?」
ナオシに無理やり連れて行かれた場所の過酷度具合は、こんなものではなかったのだが……まあ、彼女がそう思うならそれもいいかもしれない、と思い直した。
「素朴で質素、堅実。なんとなく懐かしい感じの町並みね。この様子だと、生活レベルは中の下というところかしら。見た感じ、栄養状態もいいとは言えない人が多いわ。でも、貧しくても人々には笑顔がある。楽しむことを知っている。
つまり、未来に希望を持っているということよ。これはとても重要ね」
「さすが博士です」
鈿女の検眼に、コアは満足げにうなずく。そんなコアをちらと横目で見上げて、鈿女が切り込んだ。
「ねえ。私は全然こっちの事件に関わってなかったから、当然何があったかは知らないわ。あなたやラブから聞いたことだけよ。だけど、あなたは詳しく話してくれず、何か隠しているふうだし……。
本当は、私に話していないことで、いろいろあったんじゃないの? ハーティオン?」
「いいえ。話したことが全部です、博士」
本当に? となおも視線を送るが、コアの笑みは崩れず、見返す視線がはずれることもないことに、鈿女はまるで、それで納得しておいてあげるとでも言うように、両肩を竦めて見せた。
「まあもっとも、私はそちらより、あなたが見たタケミカヅチとかいうガンシップの方に興味があるんだけど。7000年前の技術なんでしょ? ぜひとも触れてみたいわ。どこかで見ることができるかしら?」
「港の観光局の人に聞いてみました。参ノ島に博物館があって、そこに1機展示されているそうです。明日、見に行きますか?」
「そうね。シャンバラへ帰る前に、ぜひ見ておきたいわ」
「分かりました」
2人がちょうど会話を終えたころ。屋台を覗き込んでいるふうだったラブが、くるりとこちらを向いた。
「ハーティオーーーン! おサイフ! お金! 早く早く!」
「もう、あの子ったら、あんな大声で!」
駆けつけようとする鈿女を制して、代わりにコアが前に出た。
「ははは。私が行きます。博士はあとからどうぞ」
そしてラブの待つ屋台へ駈け出そうとしたときだった。
「スミスミ〜。
こーんな空気でふくらましただけのカルメラ菓子なんぞに、なぁんで金なんぞ払わなきゃいけねーんだよ」
先んじて屋台についた忍者超人 オクトパスマン(にんじゃちょうじん・おくとぱすまん)が、屋台の店主に因縁をふっかけだした。
「え……え? いや、しかし、お客さん……」
2メートルを超える長身、顔をタコマスクでおおった(?)異様な筋骨隆々男に覆いかぶさるように不満をぶつけられて、店主は恐怖に引きつった顔で、まともに返答も返せない。
「かさ増しの極地だろーがこんなもん。砂糖焦がしただけのものに、値段なんかつくわけねぇよなぁ?
ああ?」
「は、はい……ど、どうぞ、お持ちになってください……」
震えながら10個入りの紙袋を差し出してくる店主の手から「おっ、悪いな」とひったくったとき。
「きさま! 何をしているかーーッ!!」
コアの咆哮が轟き渡った。
「おう、ハーティオン。きさまも食うか?」
「ふざけるな! 今すぐお返ししろ!」
激怒しているコアの姿にオクトパスマンはニヤリと笑って、これみよがしに袋から取り出した菓子にかぶりつき、「あめぇ」と吐き捨てる。
「なんてことを……!」
「ケッ、俺様を引っ張ってきたのはおまえだろうが、ハーティオン」
「それは事件に最後まで関わったんだから、おまえにも思うところがあるだろうと思ってのこと!」
「俺様が平和に祭り楽しむように見えんのか、バカがーっ!」
「とにかく、彼に非礼を謝罪しろ! そして代金を支払うのだ!」
「うるせェ! 俺様のすることに口出しするな!
やらせたかったらやらせてみろ! きさまにできるものならな!」
「よろしい! この蒼空戦士ハーティオンがきさまの相手だ! 正々堂々きさまを倒し、地面に這いつくばらせて彼に謝罪させてみせよう!」
「スミスミスミ〜!」
オクトパスマンにとって、むしろこれが目的だったのだろう。コアの挑発に成功し、怒髪天になったコアとオクトパスマンが真正面からぶつかりあう。
「んもー! 何やってんのよ、ハーティオン! ばかでっかい男2人が通りでやりあったりしたら、通行人のめーわくでしょー!」
ラブが怒鳴るが、こぶしとこぶしで応酬しあっている2人の耳に入っている様子はない。
その後ろでは鈿女が屋台の店主に謝罪し、代金を倍額で支払っていた。
「こ、こんなにもらえないよ」
「いいんです。ご迷惑をおかけしたのはこちらですから。
あのバカにはきっちり自分の行いの報いを受けさせて、土下座謝罪させますので少々お待ちください」
「は、はあ……」
しかしコアとオクトパスマンの戦いは思いのほか長引いた。
「もう! あたし知らないからねッ!!」
いくら説得してもやめない2人にとうとうラブもぶち切れて、くるっと180度回転すると、別の路地へ続く入口のような場所で弾き語りをしている青年の方へ行ってしまった。
「ちょっと、そこのあなた! いい声してるじゃなーいっ。あたしにも歌わせてよ〜!」
強引に飛び入り参加して、即興で歌い出すラブの姿に、鈿女は腰に手をあてて息をつく。
結局コアとオクトパスマン、2人の肉弾戦は長時間に渡って続き、しかし最後にはコアが勝利して、宣言どおり地に這いつくばらせたあげく、騒ぎを聞きつけて集まってきていた大勢の見物人が見守るなか、屋台店主に土下座謝罪をさせたのだった。
その光景に、彼らを囲った人々から拍手が沸き起こる。
「ちょっとちょっとー! あたしのお客、とらないでよハーティオン!」
ラブだけがちょっとこの展開にご立腹だったらしい。
人々の集う太守の館からかなりの距離をとった荒野の入口。ここに、今、フードマントをはおった者がいる。
夜ということもあり、深くかぶったフードの下は暗く陰り、ほぼ真上から差し込む月明かりにわずかに鼻先が見えるくらいだ。
夜の冷たい風に吹き流されるマントの裾からは、焦げ跡のある狩衣が覗いている。
それだけを見れば肆ノ島の者、さらに憶測を深めれば、2カ月前の戦いで敗走した敗残者との推察が成り立つ。
もしそうであるならば。キンシに追われる身でありながら、発見される危険を冒してまで、こんな場所からどうして太守の館を見つめているのだろうか?
館で開催されているパーティーの喧騒は微塵も届かず、ただ室内のあかりが見えるだけで、そこにいる人影も分からない。
耳をすましたところで感じ取れるのはただ、草木を揺らして走る夜風と虫の音のみだ。
フードマントの人物は、それでもしばらくの間、そこに立って館の方を見つめていたが、やがて背を向けてその場を立ち去った。
フードマントの者が次に現れたのは、夜が明ける直前の港だった。
窓口へ行き、朝一番で出る船の切符を求める。どこ行きかは興味がない。切符に記された船の名前と埠頭番号を見て、そちらへ向かう。隠れ身を用いているので、周囲のほかの客たちは彼に意識を向けない――はずだった。
「待って、シュウ」
後ろから飛んできたその言葉は、あきらかに彼に向けてのものだった。
人違いとして振り切ることもできたと、一瞬遅れて気づいた。が、もう遅い。反応してしまった。
高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は観念するように小さく息を吐き、ティアン・メイ(てぃあん・めい)の気配のする方へ振り返る。
「きみか、ティア」
淡々とした声だった。
2カ月ぶりに顔を合わせたのに、再会を喜ぶフリもしてくれない。こっちはずっと行方を捜していたのに……。
(でも……そうね。会えたことを喜ぶのなら、黙って姿を消したりしないわね)
そのことを知ったとき、ティアンは傷ついた。
なぜ姿を消したか、理解はしている。あのとき、彼女もそばにいたから。
だけど、理解できたからといってあっさり切り捨てられたことに傷つかないはずがないし、またそうされたことで腹を立ててもいた。
「彼はいないのね」
つくり笑いを浮かべて痛む胸を押し隠し、ティアンは言う。「彼」とは式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)のことだ。広目天王は玄秀に犬のように忠実で有能。いつも影のようにそばにいた。今度もまた、広目天王だけは例外的にそばに連れていてもおかしくはない。
しかし玄秀は問いの意味が分からなかったようで、目を眇める。
「彼?」
「広目天よ」
「やつならナラカかザナドゥにいるんじゃないか?」
では広目天王もまた、呼び出されてはいないのだ。
「そう」
そのことにわずかに溜飲を下げて、ティアンは引きつった笑いをどうにか浮かべることができた。
「用はそれだけか?」
なら、というように、玄秀は再び背を向けた。
「待ってシュウ! 独りでどこに行くつもり!?」
しかし今度は玄秀は振り返らなかった。返答もしない。ティアンの声など聞こえないというように、いくら呼んでも玄秀の足は止まらず、遠ざかるばかりだ。
「待ってって言ってるでしょ!」
カッときて、ティアンは走り、彼の進行方向に強引に回り込んだ。そのままの勢いで、フードの下の顔を引っぱたこうとする。
だが、さすがにそれを許す玄秀ではなかった。
手首を掴み止め、それ以上先へ進ませない。ティアンは手にこめられた力に痛みを感じて一瞬顔をゆがめたが、すぐに怒りをさらに掻き立てて玄秀をにらみつけた。
「答えて、シュウ」
「……言わないと分からないのか」
抑揚のない声に、このとき初めていら立ちという感情をにじませて、玄秀は見せつけるように、ふうとため息をついた。
「とっくに悟れていると思っていたが、存外きみもにぶいな。
きみのためだ。ここで別れよう。僕ときみでは生き方が違いすぎる」
「嘘ね。あなたの考えが判らないほど、付き合いが浅いと思って?」
「嘘じゃない。きみが正気を取り戻してからずっと思っていたことだ。
僕では君を幸せにはできない。
今までのことを、そしてこれを許してくれとは言わない。だから……行かせてくれないか」
しゃべっているうちに、風がフードを肩向こうへ落とした。
あらわとなったティアンを見つめる瞳、表情は、その言葉が真実であることを語っている。
ティアンはその言葉をすべて自分の内側へ吸い込むように、一度目を閉じる。開いたとき、潮が引くように、彼女の面からは怒りが消えていた。
「それって何? あなた独自の優しさのつもり? おあいにくね、それは優しさなんかじゃないわ。ただの逃避よ。
あなたは変わることを恐れている。今とは違う、別の生き方ができると本当は気付いているのに認めたくなくて、そこから逃げているのよ」
「きみは僕に今までと違う生き方をしろと……。いや、できると思っているのか?」
「思ってるんじゃない、知ってるの。
私が大事なら逃げないで。一緒にいて、幸せにしなさい。……置いていくなんて、許さないんだから」
言い終えるのを待たず、ふいにティアンの声が震えた。ついに限界にきたか、背に腕を回し、力いっぱい抱き締めた。
いつしか溜まっていた涙があふれて、玄秀のマントを濡らす。そのことに、反射的、押し返そうとしていた玄秀の手から力が抜けて、結局ティアンにされるまま、抱き締められる。
そして玄秀も気づいた。自分の目線が下を向いている。
ティアンはこんなに小さかったろうか?
そう、疑問に思うと同時にひらめいた。
ああそうか。もう身長でティアを追い抜いたのか。
一体いつの間に。そんなことにも気づけないほど長い間一緒にいたのかと、あらためて思っていると、ティアンが顔を上げた。
「ここから……やり直しましょう。今度は、ふたりで」
涙に濡れそぼった目が、昇る朝日を横に受けてきらきらと輝く。
強い意志を秘めて自分を映す瞳を見返し、勝てないな、とため息をつくと、玄秀は「分かった」とつぶやいた。
おもむろに刀をうなじに回して一気に後ろ髪を切り落とし、握り締めたそれを前に回して息を止めて驚くティアンに見せる。
「過去を消すことはできない。消すことを望んでもいない。
だがティアが望むなら、これからの人生はきみとともに生きよう」
輝かしい朝日を受けながら、2つの人型の影がどちらからともなく重なる。
そのとき、出港時刻を知らせる蒸気の汽笛音がボーッと港に響き渡った。
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