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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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第五章 幕間

 役者と裏方の努力の甲斐があり、舞台は呆然とする観客を正気に戻しつつ、舞台は白雪姫と小人たちの平和な時間を演じ、女王が再び自分の美しさを鏡に確認して白雪姫の存在に気付く場面まで進み、幕間を迎えた。
 ここで十五分のトイレ休憩である。
 王子の従者役のため、今まで楽屋で待機していたニーナ・レイトン(にーな・れいとん)ルディア・メイデン(るでぃあ・めいでん)と共に、出番を待っていた。幕間の休憩で化粧を直しに戻ってきたあづさは、予想外の出来事の連続に若干疲れを見せている。
「あづあづも一緒にアメちゃんなめよ!」
 衣装のポケットから飴を取り出して、あづさの手のひらに載せる。
「ありがとうございます」
「えへへ。もうすぐ舞台も佳境だよ、無事終わるといいねぇ」
 ルディアは話す二人を一歩下がって眺めながら、あんなことやこんなことを妄想している。
 王妃役の碧は生レバーを戻しに女子トイレに行き、王子役のイルマは、衣装等のチェックを済ませ、早めの準備のため楽屋を出ようとしている。そのイルマが儀式用の如く装飾された剣を取ろうとしたとき、その横に置かれている紫陽花と、タイム鉢植えを見付けた。丁度花の咲く時期で、小さな淡い白の花を沢山付けている。
 衣装係のナトレア・アトレア(なとれあ・あとれあ)が、入手した物だった。
 今回の劇では衣装作成をメインで担当した、パートナーの高潮津波(たかしお・つなみ)には黙ってやったことだ。
 津波は、イジメに関しては演劇部の問題だから、外部の者がデリケートな事件に首を突っ込むのには反対だった。そういうのは、演劇部自身で何とかしないと意味がない。衣装を無事に作り上げることが自分の役目だとしていた。
 一方ナトレアには納得がいかない。たとえ明確な悪意が事件に介在していなくても、このままではことが大きくなるだけだと思っていた。だから、できることは、部員に解決する勇気を持ってもらうこと──タイムの語源には、ギリシャ語で「香り」という説と「勇気」という説があるのだった。
「いい香りだね、誰が置いたんだい?」
「わたくしですわ。今度ハーブティをいれようと思って」
「是非ご一緒したいね」
 イルマは、語源には気付いていないようだ。
 その様子を、空井雫(うつろい・しずく)が楽屋の隅に身体をもたせかけて眺めている。演劇部の問題を解決したいと情報収集に当たっていた彼女に立ちはだかった謎は、三つ。
 井下あづさへのイジメ、イルマへの紫陽花、碧が足を挫いた原因。このうち紫陽花については自分では判断が付かない──目の前のナトレアの意図を計りながら、別のことを考える。
 足を挫いたことに関しては、こちらは以前の情報収集で目処が付いている。一人の時挫いて、恐らく戸締まりをしたイルマに関係あるのではないかということ。
「でも、何て言えば……」
 イジメに関してだってそうだ。本当のことが分かったからといって、糾弾して、それで済むのだろうか?
「やっぱり百合園は繊細すぎて性に合わない……パラ実なら拳と拳で解決なんだけどなぁ」
「まだ迷ってるの?」
 パートナーのアルル・アイオン(あるる・あいおん)が、雫には羨ましいくらいの悩みのなさそうな顔で訊いてくる。
「碧さんが足を挫いたのも嫌がらせの可能性があるんだし。はっきり訊いちゃえば? っていうか雫が訊かないなら私が」
 迷っている間に、イルマは楽屋を出発する。背中を追って、廊下で思い切って声をかけようとする。
「──イルマさん」
 声をかけたのは、だが、雫ではなかった。
 蒼空学園から犯人の追及のために来た、日奈森優菜(ひなもり・ゆうな)だった。
 彼女たちは自己紹介をすると、世間話を始めた。ファンクラブまでいるなんて人気者なんですね、舞台頑張ってください。
「ああ、悪いけどもうすぐ行かないといけないんだ。ゆっくり観ていってくれると嬉しい」
「そういえば、イルマさんにはまだパートナーがいらっしゃらないそうですね? これだけの人気があればすぐ見つかりそうですけれど……」
 イルマの表情がこわばる。やった、と優菜は心中で思った。
 優菜のパートナー、柊カナン(ひいらぎ・かなん)は周囲を通る女の子に愛想を振りまきながら、周囲の人間の注意を逸らそうとしている。ただでさえ女にしか見えない上に念のため女装しているので、正々堂々とナンパもできず、百合に見えるのが難点だが……可愛い妹のためだ。
「西園寺さんの怪我……貴方がやったものですか?」
 イルマは固まった。彼女の後ろで話を聞いている雫とアルルも、不審に思って出てきた津波とナトレアも、同じ心境だった。
 イルマは長い長い息を吐くと、諦めたように首を一度振る。そして、
「紫陽花の花はどの部分か知ってるかい?」
「え?」
「紫陽花を愛でるときに見ている、色づいた部分、これは花じゃない、萼なんだ。中央の、一見して花芯に見えるところが、本当の花なんだよ。だから紫陽花が好きだ……自分と似ているから、本当は華やかなんかじゃない、ただの臆病者だから」
「やはり怪我は貴方が?」
「そうだよ。碧が遅くまで練習しているのは当然知っていた。戸締まりをしている日もそうだった。相手役だから、彼女の練習に付き合った。そして、演技に夢中になった私が小道具を踏みつけて、転びそうになって……私を支えた彼女が、足を挫いた」
 自分のせいなのに、碧はイルマを庇って部員達に真相を言わなかったと、イルマは話す。
「碧は黙っていれば分からないと言った。後釜には演技力に優れた一年生のあづさを推すつもりだとも。その時、もし私が怪我をさせたと知れたら、憶測で部はばらばらになってしまうだろう、と。……私には、勇気がなかったから……私は黙ることにした」
「そうですか」
 優菜は頷いた。声音に含まれているのは肯定でも否定でもなかった。
「その勇気で、あづささんを、助けてあげてくださいね」
 彼女はそう言って、観客席に戻っていった。
 うなだれるイルマの耳に、開演のベルが届く。イルマは、舞台へと走っていった。