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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

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紫陽花の咲く頃に(第2回/全2回)

リアクション



第一章 本番、数日前。


 ──暑い。
 ジェイク・ガーランド(じぇいく・がーらんど)は心の中で吐息をついた。
 照明に照らされた舞台は、観客席よりも温度が高く、狭い舞台に人間が行き交う。が、それだけではなく、舞台に携わる者の緊張と熱意がそう思わせるのだ。更に着ているのは白馬の着ぐるみときている。おまけに下の人たるパートナー、ソレイユ・ヴリュンカディス(それいゆ・ぶりゅんかでぃす)は、馬じゃ練習することもないだろうって、西園寺碧に会いにどこかに行ってしまって、余計に腰が重い。
「暑いなぁ」
 呟きに応えたのは、役者を志願しながら、今まではふざけているように見えた姫野香苗(ひめの・かなえ)だった。
「勿論暑いよぉ? でもほら見てよ」
 指さしたその先には他の部員、協力者たちがいる。彼らも真剣な表情で演技に取り組んでいた。現在、実際に舞台を使った稽古の真っ最中である。
「みんな一生懸命なんだよね。あづさなんて、イジメがあるのにも負けないで、舞台に立とうとしてて……。香苗も頑張らなきゃ」
「この前はそんなことこれっぽっちも言ってなかったぜ。どういう心境の変化があったんだか」
「それは、ひみちゅ」
 言ってから、横目であづさの、流れる汗で体に張り付く体操着を心ゆくまで堪能する。暑いのもいいものだ。実はこっそり頼んでみたご褒美の“ちゅー”は断られちゃったけど、
「おいよだれ……」
「おおっと、いけないいけない」
 指摘にあわててタオルで拭う。あづさの隣には香苗と同じ王子の従者役のメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)や小人役の真崎加奈(まざき・かな)がいる。二人ともこの機会にと演劇部に入部して、指導を受けている。メイベルのふくよかな胸にうずく両手を理性で押さえながら、
「いいなぁ、私も行っちゃおうかなぁ」
「行ってくればいいと思うよ〜?」
 香苗の横にいた王子の家来役──つまりは白雪姫の棺を運ぶ役だ──ルーシー・トランブル(るーしー・とらんぶる)がのんびりと、どこか含むような声音で言う。先ほどからあづさを見ているのは彼女と一緒だが、ルーシーは別によこしまな欲望を抱えているわけではない。イジメを警戒しつつ、でも、疑っていた。つまりはこの間起こった、あづさの台本のすり替えの一件を。すり替えのチャンスが他人にそうそうなかったなら、それは……自作自演ではないかと。
 ま、あくまで想像に過ぎないですからね、と自分に言い聞かせ、再び稽古に集中する。
「でもよ、従者役なんだからここは聞くべき人間が他にいるだろー」
 ジェイクは馬の下半身を引きずるように、方向転換。馬の頭の方向には王子役のイルマがいる。
 多分、馬役が暇?なせいもあるだろう。本当なら、イルマに西園寺の怪我を見てないかとか、イルマを今も対区間の入り口で遠巻きに見ているファンクラブに、イジメは止めろとか色々言いたいところだが、ソレイユには止められている。何でもそーゆーのは、「内輪で解決しないと意味無い」んだそうだ。
 そもそも『白雪姫』っていう劇がいけない。王妃が悪い奴で、ハッピーエンドじゃない。
「あのさー、喋る白馬ってことにして台詞追加してもいいか? ヒヒーンとか鳴き声だけってのもさぁ」
「……ああ、君か。悪いがそれは困るな。台詞以外の演技を入れて貰うならいいが」
 ワンテンポ遅れて、イルマは返事する。相変わらず、というより、この前の台本の一件があってから、あづさの方を年中気にしているようだ。事故とか怪我とか、ジェイクも彼女のことを気をつけてはいるが、王子様然とした彼女が平静でないと、余計取り乱しているように見える。
 そのあづさは逆に演技指導に集中しきっていた。
 演劇部員としても年齢としても、少しだけ先輩のあづさの言葉に、メイベルは熱心に耳を傾ける。そして逆に質問する。
「演劇で苦労したこととか、どうやってそれを乗り越えたかとか、聞いてもいいですかぁ?」
「僕も知りたいな」
 加奈が頷く。
「まだまだ新入部員だし、……その、下手、だと思う。けど、みんなのアドバイス聞いて一生懸命練習したら、それで成功させられたらいいなって思ってるよ」
 そうしたら、楽しいし。舞台が成功したら、あづさが主役に相応しくないなんてイジメてる人たちも思わなくなるかもしれない。
「私が演技を始めたときなんかよりずっと上手ですよ」
 あづさは息を整えながら笑みを浮かべた。
「でも、そうですね……苦労したことというか、今も苦労していることというと、どうやって見た人の印象に残るか、ですね」
「印象ですかぁ?」
「演技を見るのは観客ですから。そのためには勉強ですね。役の性格や背景を理解しないと、その役を演じることができないですから。たとえば白雪姫はお姫様ですよね。お姫様と村娘だと、仕草も言葉遣いも全く違いますよね。台詞は決まっているけど、少しずつ変えたり、言い方を工夫したり、そうやって役を台本だけじゃなくて、自分のものにしていくんです。だから毎日練習で勉強です」
「そうだね、伝わるのが大事だよね。僕は初心者だから、分かりやすくすることを心がけるよ」
 加奈は元気よく頷いて、さっそく白雪姫発見のシーンを演じてみせる。
「誰か、わしのフォークを使った者がいるぞ!」
 フォークを摘む仕草も、大げさなくらいの身振り手振りをしてみる。舞台に立ってみて分かったのは、現実と同じ表情や動作では、なかなか観客に分からないところだ。自分の考えるびっくりと、他人の考えるびっくりした時の動きが一致しなければ、それは伝わらないと言うこと。たとえばパラミタ人には、車の運転の演技をして見せても、分からない人が大半だろう。彼らには車というものの知識がないからだ。
 連日夜遅くまで残って練習をしてきた甲斐があって、小人役もかなり体になじんできていた。
「私も負けていられないですね」
 メイベルも演技を見て貰っていると、
「──通し稽古の前に、一旦休憩しましょう」
 碧の声が舞台に響き、ぱんぱんと手を叩く音がした。
雑用係に志願したセシリア・ライト(せしりあ・らいと)が、タオルとペットボトルが入ったケースを抱えて舞台に上がった。真っ先に駆け寄ったのはパートナーのメイベルとあづさの二人にだ。
 悪気はないけれど、パートナーがあづさと仲良くしていたら、劇場の入り口で見ているファンクラブの人たちからまとめてイジメられてしまうかもしれない。勿論、友達が少ないメイベルに友人ができたら嬉しくはあるが、メイベルの姉代わりを自認するセシリアにしてみたら心配だ。
「我ながら過保護な気もするけどね」
 心配の種はイジメなんて気にしないで、にこにこと受け取ったタオルを首に掛けると、スポーツドリンクの蓋を開けている。
 さて、せっかくの休憩だとさっきから舞台袖で碧を見ていたのはソレイユである。彼は西園寺碧に、一対一で話せる場所をここのところ探していたが、上手くいかない。碧は裏方を見回ったり、打ち合わせ、残って他の部員と演技の稽古をしたりとただでさえ話しかける暇もなさそうだ。休憩とか言っておきながら、他の生徒にはかどっているかなど聞いている。彼女が一人になる可能性が高い場所──女子トイレに入れればいいのだが、男の自分にはそうもいかない。仕方なく劇場の入り口でたむろっているファンクラブの間を通るとき、わざとらしく呟いてみる。
「陰湿なことを平気でするヤツってのは、異性どころか同性にも嫌われるぜ?」
 ファンクラブの視線が自分に集中するのが分かる。何なのこの小娘もとい小息子、みたいな、いかにも女らしい嫉妬と軽蔑と怒りの入り交じった視線だ。他校から来た男子生徒が憧れのお姉様と共演してるのが気にくわないんだろう。馬でいいんならいくらでも譲ってやるんだが。
「早くシャバの空気が吸いたいぜ……」
 いつも百合園を遠巻きに見ている男子生徒が聞いたら怒りそうな台詞を呟いて、ソレイユは外に出て、まだ明けない梅雨空を見上げた。

 一方大道具部屋では、熊が歩いている。より正確に言うなら、かわいい熊の着ぐるみを着たクマの名を持つ男──力仕事を担当しているベア・ヘルロット(べあ・へるろっと)が歩いている。この間やりたいと言っていた“森の熊さん”役を舞台ではなく裏方でやっているということになるのだろうか。
「あんたもよく追い出されなかったよな」
 ベアに手伝って貰いながら、イルミンスールから運んだ大道具をひっくり返して手入れをしていた緋桜ケイ(ひおう・けい)が半ば呆れたように言った。彼は今日も女装している。
「スタッフとして登録されているからな。この前の女装よりは違和感がないだろう。みんなに笑顔を運ぶぜ!」
「いや、違和感ありまくりだろ……笑顔って言うか笑うかもしれないけどな……別な意味で」
 言いながら手は休まない。綺麗に拭いた椅子がぐらつかないか、釘などが飛び出ていないか確認して、座ってみたり、ささくれた部分を削ったり、今では新品同様に見えるまでになっていた。これも毎日万全の手入れを心がけているおかげだ。念を入れるのは悪意のある人物に細工をされないようにとの心配からだ。既に舞台に運んでのリハーサルで具合は見てるので、直前までは大道具部屋で管理することになっている。
「そうか? どうだマナ、似合ってないか?」
「まぁ女装よりはましですね」
 ベアのパートナー、マナ・ファクトリ(まな・ふぁくとり)はチラ見してそっけなく応える。彼女はお手製のクッキーやらお茶菓子を紙皿に盛って、スタッフに配っている。
「皆さんお仕事お疲れ様です〜。休憩しましょう」
「お茶も用意したよ〜!」
 蒼空学園からお手伝いで飛び入り参加の朝野未沙(あさの・みさ)朝野未羅(あさの・みら)の“姉妹”が、衣装制作を手伝う傍ら、こちらにも顔を出す。お茶といっても作業も佳境、ペットボトルに紙コップだ。それでも烏龍茶が、蒸し暑い室内では喉に滑り落ちるように心地良い。
「ありがたいのう」
 赤い目をこすりこすり、白鏡風雪(しろかがみ・ふうせつ)も紙コップを受け取り、部屋の隅っこのパイプ椅子に座った。
「白ちゃん……大丈夫……?」
「ここんとこ泊まりがけだもんねぇ、俺もアキもへとへとー」
 風雪の横に座った春告晶(はるつげ・あきら)永倉七海(ながくら・ななみ)が話しかける。その反対には水無月良華(みなづき・りょうか)クロエ・ウンディ(くろえ・うんでぃ)も座る。
 五人とも、大道具作成の他に、夜間に交代で見張りをしていた。危惧は勿論、大道具が細工されないためだ。夜間の見張りに毎日のケイのチェックで、今のところ問題は起こっていないが、上演まで気は抜けない。
「のう、風雪ちゃんは、犯人は彼女じゃないかと思うんじゃがのう」
「この前言ってた、西園寺さんの件ですね」
 良華が思い出したように小声で頷く。
「そうじゃ。紫陽花の花言葉を考えると、仲違いしているからじゃないかとな。あづさちゃんの抜擢は、イルマちゃんが碧ちゃんに劇の情熱を取りもどせってことなのかもとなぁ。碧ちゃんはあづさちゃんに嫉妬してるのかもしれんし、足の捻挫は自演じゃいかと、な」
「捻挫については、私も気になって、目撃者を捜したんです。残念ながら見つかりませんでしたけど、西園寺さん自ら、足をくじいたと言っていたのかと言う点については部員から証言が取れましたわ。そう、もし本当に怪我なら、怪我くらいで役者を交代するでしょうか」
「……良華さん、納得していませんか?」
 クロエに問われ、頷く良華。
「……すべては、西園寺さんの怪我が始まりでしたね」
 西園寺碧の怪我──そこからこのイジメから続く部の混乱を引き起こしてしまっているのだ。
「……ナナ、行こう。白ちゃん……みーちゃん、行って、来る……」
 晶は中身を空にした紙コップを置くと、立ち上がった。
「大道具の……見張り、よろしく、ね。ボクたちいっちゃんとこ、行ってくる……」
 いっちゃん──イルマのことだ。晶には誰にでもあだ名を付ける癖があるらしい。
 作業場に割り当てられた塔を出て、てくてくと彼女が歩いていった先は、役者達が練習している舞台だ。こちらも丁度休憩中だったのだろう、皆思い思いの場所に座っている。
 イルマは寄ってきたファンクラブに、邪魔になるから近寄らないようにと追い払っているところだった。
「俺がイルマちゃんに聞いてくるから、アキは待ってて」
 ファンクラブが不服そうに散ったのを見届けて、七海がイルマに駆け寄る。
「最近、イルマちゃんに紫陽花が届いたかな? 今日も届きそう?」
「……え、紫陽花? もうそんなに話が広まってるのか。まぁ、数日に一度って感じかな」
 頬をぽりぽりかきながら答えるイルマ。それから晶は女子更衣室、七海は舞台袖と手分けして、紫陽花の届け主を見極めようと見張ることにしたが。晶は男の子故に更衣室の中に入ることはできず、周りが無人になる度覗いてみたが、舞台袖も含めて、紫陽花は発見できなかった。

 小道具部屋の方では、荒巻さけ(あらまき・さけ)ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)、蒼空から手伝いにやって来て人数が少ないからという理由で割り振られた高月芳樹(たかつき・よしき)とそのパートナーアメリア・ストークス(あめりあ・すとーくす)が、出来上がった小道具のチェックをしていた。特にさけは慎重で、楽屋に置かれた小物にも細工がされないように、碧に見張りの許可まで取っている。
 演劇部に入部したロザリンドは細工の方のチェックは主に他の人たちに任せて、演劇部員としてのチェックを行っている。実際に舞台に小道具を持って行って不具合を聞いたり、遠目に見ておかしいところを直したり、やることは山ほどあった。
「ちょっとここ、てかりすぎでしょうか? もうちょっと濃くした方が栄えそうですね」
「君の言ったとおりにやるぜ」
「じゃあ、こっちの王子の剣はあなたにお願いしますね。そのスプレーを使ってください。白雪姫の道具は私がやりますから」
 夜遅くまで残って作業をしているせいか、徐々に演劇部も板に付いてきたようだ。
 白雪姫の手に取る物……スプーンにフォーク、お椀。市販の櫛に硝子を付けたもの。気をつけているのだ、そうそう細工もされないだろう。リンゴだけは囓るので本物を使うため、まだ用意はしていないのだが。
 準備をするうちにあわただしく日は過ぎ、『白雪姫』はじきに公演日を迎えようとしていた……。