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【金の怒り、銀の祈り】決意。

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【金の怒り、銀の祈り】決意。

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*喪われた記憶*





 教導団の管理している病院でリハビリを受けているという吸血鬼の女性、ランドネア・アルディーンのところへ見舞いに来たのは、毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)アルテミシア・ワームウッド(あるてみしあ・わーむうっど)だった。
 花束を持った毒島 大佐が病室の扉を開けると、そこにいたのは伏見 明子(ふしみ・めいこ)だった。一瞬驚いたような顔をしたのは、きっと瓜二つなパートナーの顔を見たからだろう。幸いなことに、毒島 大佐はいつもどおりの下ろしたままのロングヘアだったが、アルテミシア・ワームウッドは後ろで三つ編みにしていた。

「おや、伏見」
「毒島さん……あなたも彼女に用なの?」
「容態が安定したと聞いてね」

 そういって毒島 大佐は花束と一緒に持ってきた花瓶に、病室内の洗面所で水を入れると、手際よく生けていく。そこまで眺めて、ランドネア・アルディーンは声をかけた。

「あ、あの」
「ああ。ええっと、覚えているかな?」

 ベッドに臆することなく腰掛けると、ランドネア・アルディーンは布団を引っ張って顔を隠した。おどおどした様子からは、彼女自身の性格よりも、どちらかといえばおびえが見える。

「は、はい……斬られる直前を、覚えてますから……」
「あの時は悪かった。あの時、君を助けるためにはあれしかなかったんだ」

 毒島 大佐の瞳が氷のような冷たさを放っているのを見て、伏見 明子がわずかに顔をしかめた。本心はそこにないのが、なんとなくだが理解できた。それをランドネアも察したのか、睫を伏せた。

「すみません……正直なところ、死んでいればよかったなと思います……」
「たとえあそこで死んでいたとしても、既にアルディーンが仕込んだあとだった可能性もあるわ。言ってもしょうがないわよ」

 二人の言葉に、毒島 大佐は苦笑して、二人の頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと撫で回す。

「すまない。表情が険しかったか……ルーノが今大変だから、つい顔に出てしまったんだな。そんなつもりはない」

 と、毒島 大佐は嘘をついた。ついてきたアルテミシア・ワームウッドには理解できた。視線が合って、ようやく彼女も自己紹介が出来た。

「アルテミシア・ワームウッドよ」
「初めまして、ランドネア・アルディーンです」

 握手のため手を伸ばすと、にっこりと笑って手を握り返した。ランドネアの表情を注意深く見つめるが、彼女は自然に微笑んでいた。

「……あんたの中にいたっていう、アルディーンの事を聞きに着たんだけど……大丈夫なのかしら?」
「はい……もう、アルディーンの声が聞こえないから、多分彼女は本当に消えてしまったのだと思います……」

 わずかながら哀しげにうつむいたランドネアの肩を叩いたのは、伏見 明子だった。

「……あなたの知るアルディーンを、教えてくれない?」

 小さく頷いた彼女の口から音が洩れる前に、病室の扉が開いた。それを察して、毒島 大佐は立ち上がった。

「お客さんが増えたようだ。お茶を飲みながら聞くとしようか」

 扉を開いたイシュベルタ・アルザスは、先客たちに目を丸くしながらも軽く会釈をした。
 ヴァーナー・ヴォネガットはどこから取り出したのか、お菓子を振舞い始める。リーン・リリィーシアがお茶の支度をしていると、カチュア・ニムロッドがベッドにおくためのテーブルを設置した。

「さて、聴衆が増えてしまったけれど教えてもらってもいいかな?」
「はい……」

 すこし困ったような表情で、頬を掻いたランドネアはゆっくりと口を開いた。

「アルディーンは……初めてわたしの中に入ってきたとき……彼女は私の身体をのっとりました……。そして、一人の女性を殺しました」
「……誰を?」
「アルディーンの、本体です」

 その言葉に、イシュベルタは目を丸くして立ち上がった。だが、彼の手をヴァーナー・ヴォネガットがきゅっと握って心配そうに見つめあげてきたので、平静を取り戻して「続けてくれ」と口にした。

「はい……彼女は、とても嬉しそうに話してくれました。『これで忌むべき私は消えた。これからは私がアルディーンだ』と……ですが、私がなかなか消えないことに、彼女は苛立っていたようでした」
「あなたの体なんだから、そんなの当たり前じゃない」
「まるでそんなこと、信じられないみたいでした……自分の体になるのが当たり前だと……何の根拠もなくそういったんですよ」

 吸血鬼特有の青白い顔が、より一層青ざめていった。その手を、伏見 明子がさすった。

「でも知識は豊富で、どうしてそんな恐ろしいことが思いつくのかが不思議でした。ただ、時折おかしなことを言うんです。あの博士達の言うことはどんな理不尽、ありえないことでも『真実』だというんです。あんなに頭がいいのに何故? そう思い始めた頃、エレアノールちゃんや、イシュベルタ君と出会いました。そのときも、変だったんですよ。『イシュベルタは私の弟なのに、何であんな女を姉と慕っているのか』なんて言うんです」
「自分を、自分で消したんじゃないのか?」
「……微妙な違和感が増えていく頃には、私は私の身体を自由に使えなくなっていきました。特に、イシュベルタ君たちと暮らすようになってからは、入れ代わりが激しくって……」
「え?」

 その言葉に、目を丸くしたのはリーン・リリィーシアだった。

「まって。イシュベルタさんは、正体をばらされるまで知らなかったのよね?」
「ああ。そう、だな。なぜだ?」

 自分でも信じられないと言いたげに、イシュベルタ・アルザスはその問いかけを改めてランドネアに向けた。

「……ある日、私に彼女は言いました。『私は、あの女に捨てられたんだ』と……『あの女は、弟と平和に暮らしたいがために、知識と心の一部を切り離して捨てたんだ』と」
「そんなことが可能なのですか!?」

 エメ・シェンノートが驚いたように声を上げた。だが、ランドネアは首を横に振った。

「私が作った装置ではないので、なんとも……彼女は研究資料も厳重に保管していたので、私が目にすることはありませんでした……ただ、言えることは……アルディーン本人と、私の中にいたアルディーンは別と考えていい気がします。人には、そのときそのときで、違う一面があります。まるで仮面を使い分けるように……その中でも、何らかの憎しみの気持ち、誰かを妬む一面と、組織に利用されている知識を一緒に取り除くことが出来たら、組織から抜けることが出来る。そんなことを考えたんじゃないでしょうか」
「……姉さんは」

 小さく、イシュベルタ・アルザスが声を漏らした。頭を抱え込んで、うめくように言葉を続けた。

「あの日、これからは、ずっと一緒だよと言った……。もう怖い人も追いかけてこない。二人で静かに暮らそう……そう、言ったんだ」
「アルザス?」
「俺は、それがずっとエレアノール姉さんが言ってくれた言葉だと想っていた。だから、俺はエレアノール姉さんにこれ以上迷惑をかけないように……魔術の勉強をしたんだ」

 一滴の涙が流れたのを見て、ヴァーナー・ヴォネガットはそっとレースのハンカチを取り出してその目元をぬぐうと、イシュベルタ・アルザスの頭を抱きしめた。強がりな彼は、その好意に甘えてしばらく身を動かさなかった。
 毒島 大佐が、顎に手を添えてふむ、と唸ってランドネアの顔を見つめた。

「件の記憶装置のせいだとしても、そんなに簡単に人の身体に記憶を植えつけることが出来るとはね」
「それは……知識は恐らくアルディーンのものであることは間違いないと思います。ただ、別人格とはいえ人を殺すまでの衝動に駆られたのは、その奥にあったあの記憶のせいだと思います」
「記憶?」
「私は機晶姫技師です。それなのに、機晶姫にあんなひどいことを……あの動画の光景を頭の中で何度もリピートされました。そして、そこで生まれたやり場のない怒りを誰かに向けたくなった……そういう仕様なんじゃないかな、と今では思っています」
「一種の洗脳のようなものだったって言うこと?」
「可能性の話ですよ。専門ではないですから、なんともいえませんが……」

 アルテミシア・ワームウッドの言葉に苦笑するランドネアに、今度はエメ・シェンノートが口を開いた。

「あの、貴女の見解で構いません。ルーノさんたちの兵器化を止める術について何か思い当たることはないでしょうか?」
「……一技術者としての見解でよければ、ですが……私は兵器を作ったつもりはないのでよくわかりませんというのが、率直な意見です。そして、もしそんな恐ろしいものを作ったら、それを解除できる何かも一緒に作るはずです。特に、あの周到な博士達なら用意すると思います」

 絶対に兵器化を止める何かがある。そう、ランドネアはきっぱりと言い放つとにっこり微笑んでお茶を口にした。

「はぁ、あ、そうだイシュベルタ君」
「なんだ?」

 ようやく落ち着いたらしいイシュベルタ・アルザスは、顔を上げてランドネアを睨みつけた。その目が赤くなっていないところを見ると、泣くのを何とか堪えたようだった。

「思い出してくれてありがとう。きっと、本物のアルディーンも喜んでるよ」
「………いくぞ。時間が無い。まだ調べるところもあるんだ」

 立ち上がって、そのまま部屋を出ようとするイシュベルタ・アルザスの服をつかんで引き止めたのは、伏見 明子だった。

「もう一個聞きたいの。あなたとアルディーンがそっくりだって言うのはわかったわ。でも、それは何で? 名前まで家名とはいえ一緒だなんて、おかしいでしょ」
「……私が、アルディーンの本体であると、お疑いなのですか?」
「ううん違うの。他人の空似にしてはよく似ている……イシュベルタ。本当に、アルディーンはこんな容姿だったの?」
「髪の色は黒、肌の色も同じだが……だが……」
「……アルディーンは、私とアルディーンは似ているって言ってたけど、私の記憶の片隅にあるアルディーンの亡骸は、顔立ちは私と似てなかった」

 頭を抱えるイシュベルタ・アルザスに、ランドネアは小さく呟いた。その言葉に、伏見 明子は「やっぱりね」と呟いた。

「ありがとう。ランドネアさん」
「伏見、これでないが分かるんだ?」
「あなたの記憶が当てにならないってことよ」

 眼鏡の奥で、伏見 明子は悪戯っぽく笑った。
 一同が部屋を出る最後、毒島 大佐が最後にランドネアの手をとった。

「全てが終わったら、君も茶会に来るといい。君がいなければと思いはしたけれど、でも……これからできることするのがルーノたちだからね。きっと、彼女たちは元気な君に逢ったら喜ぶ」

 その言葉に、ランドネアはぽろぽろと泣き出してしまった。それを簡単に慰めて、部屋を後にした。









 ヒラニプラのアルディーンの研究所はいまだに手付かずの状態で残されていた。
 誇りまみれのその部屋を、改めて全員で家捜しした。記憶装置に関することではなく、可能な限りイシュベルタ・アルザス、アルディーン・アルザス、ランドねエア・アルディーン、エレアノールに関する何かを探していた。

「あった」
「こっちもだ」
「政敏、これはイシュベルタさんに関するものです」
「こっちはアルさん。なんだか、資料がありすぎる気がするんだけど……」

 カチュア・ニムロッドとリーン・リリィーシアが集めてきた資料に順次目を通すイシュベルタ・アルザスもため息交じりに同意した。

「あいつは、ここのことを知らないようだった」
「どういうことだ?」

 手分けして緋山 政敏も目を通していると、イシュベルタ・アルザスはアルディーン・アルザスに関する資料を差し出した。

「ここは、エレアノールが、アンナ・ネモ、ニフレディルを名乗っていたときに集めていたようだ。ファイルのラベルが全部姉さんの文字だ」

 差し出されたファイルの背表紙は、確かに中に掻かれているものよりも丁寧に書かれている印象を受ける。念のため確認しても、やはりそれはエレアノールその人の筆跡のようだった。

「エレアノールさんはこのこと……」
「いや、大方あの博士達にいわれてやったんだろう……本人の意思じゃないから、記憶に残っていなかったんだろうな」
「こうして考えると、イシュベルタさんはずいぶんお姉さんたちにかわいがられているのね」

 リーン・リリィーシアがしみじみとした様子で呟いた。そして、にっこりとヴァーナー・ヴォネガットが微笑む。

「優しいお姉ちゃんに囲まれて、イシュベルタおにいちゃんも優しくなったです!」
「今はかわいげがないがな」

 ぐうの音も出ない様子のイシュベルタ・アルザスに、エメ・シェンノートがとあるファイルを広げて見せた。

「これは、あの記憶装置に関する記述じゃありませんか?」
「あ? これは……この筆跡は姉さんでも、博士でもなさそうだ……」
「ってことは!」
「アルディーンくんの筆跡かな?」

 適当なところに腰掛けていた毒島 大佐が、手にしていた革張りの本を小脇に抱えて駆け込んでいく。

「そのようだな……ふむ……」
「こちらは、君のお姉さんの日記のようだよ。生前の」

 差し出した革張りの本の中には、イシュベルタという弟とのやり取りが書かれていた。中身をかわるがわる眺めて、イシュベルタ・アルザス本人以外の手をわたってそして、最終的に哀れむような目で見つめられることとなった。

「ずいぶんやんちゃをしたんだな」
「何でそんなに哀れむ目で見るんだ?」

 苛立ちを隠せない様子で、吸血鬼の男はその革張りの本をひったくる。中には、若干恥ずかしいようなことまで書かれていた。
 早いうちに両親を亡くした姉弟は、姉のたくましさのおかげで何とか生きながらえていた。もともと頭がよく、才能があったアルディーン・アルザスは、ある組織に拾われることになる。
 この段階で、アルディーン・アルザスはイシュベルタ・アルザスを別の場所に住まわせて、かくまっていた。その組織である、鏖殺寺院の一派はイシュベルタ・アルザスすらも実験に使いかねなかったからだ。

 だが、あるとき家にいないアルディーンを、幼いイシュベルタが責めたてる。

 そのときには、既に大きな計画になくてはならない存在となっていた。そして、その計画の一端でもある記憶を移し変える装置を使って、自分たち姉弟を見逃してもらうよう頼んだ。
 許可をもらえた。明日はまた生まれ故郷に帰ることを約束した。

 イシュベルタの笑い顔を見たのはいつ振りだろう。明日が楽しみだ。

 そこで、日記は終わっていた。