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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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第4章 動き始める思惑 3

 拠点で軍議用のテーブルを前に頭を悩ませるのは、羽瀬川 まゆり(はせがわ・まゆり)であった。普段はライターとして活躍している彼女であるが、今回はまた毛色が違った。
 無論――まあ、普段のライター業や冒険の突撃取材でもノリノリの『楽しければいいじゃん』発想なのだが。今回はそんな普段の姿からは想像できないほど、真剣な眼差しだ。
 テーブルの上にごちゃごちゃと並ぶのは数々の収集された情報群であった。砦の写真から潜入ルートと距離、周囲の獣の情報、街の位置。はてはどこにトイレがあるのかまで。無数の情報がこうしてまゆりの目の前に散らばっている。いや……正確には、散らばっているように見えるものの、まゆりにとっては最も理解しやすいように配置がなされているのである。
 戦いはいわば情報戦と言っても過言ではない。記者として培った情報管理収集能力を生かして、まゆりはそれらを随時発信できる状態にしておくことが重要であると考えていた。
「まゆり、こっちの準備はできておるぞ」
 拠点の入り口から覗きこんだシニィ・ファブレ(しにぃ・ふぁぶれ)はバサバサと羽音を鳴らす剛雁を腕に乗せていた。
 伝書剛雁が。本来は鳩を使うのがポピュラーな方法であるが、今回は距離も地形的にも鳩は分が悪い。ドルイドの仲間が連れてきた剛雁は、遠き主人の命令を守り、従順で大人しくシニィからの支持を待っていた。
「了解。じゃあ、これをお願いね」
「うむ」
 まゆりが手渡したのは、彼女が自ら纏め上げた文書の一つだ。それを丸めたものを、紐で縛っている。
 シニィは拠点から外に出ると、腕の剛雁の首もとに、文書をくくりつけた。後は、こいつが頑張ってくれることを祈るのみ。
 まゆりも最初の剛雁を見届けるべく、シニィの傍へとやって来た。
「いよいよね」
「そうじゃな……」
「シリアスって大変ね」
「……じゃな」
 二人の顔は真剣そのものだ。
 剛雁はシニィの腕が軽く振るわれるとともに飛び立った。
 ――あくまでシリアス、に。



 ニヌアの地はさすがは南カナンの首都というだけあって、荒野となりながらも人々の賑わいが途絶えぬ地であった。中央の領主居城を中心として、周辺を囲む街はいわば城下町と言えよう。わずかに採れる作物が市場に並び、こんな不遇の時代にあっても生きようとする人々の活気が満ちている。
 しかし、領主が動き出したことを知っている民たちの間にはどこかそわそわとした空気が漂っていた。もしかすれば戦争になるかもしれない。男たちはそれを覚悟して、自分たちの領地のために兵に志願する者もいるほどだ。
 しかし――女や子どもにそれを求めるのは酷であろう。まして、子どもはまだはっきりと戦いという概念を理解していない。抵抗戦やネルガルの謀叛を経験したことのある者は、子ども心ながらに気づいているものの、認めたくないのが現実だ。そして、女たちは己の身を守ろうとするので精いっぱいである。
 それでも……彼女らは民であった。
「ねぇ、こっち薄いよー! もっと資材もらえないかな?」
「はい、御苦労さま。休憩に食べていって下さいね」
「お、みんな食い物が来たぞ!」
「へへっ、待ってました」
 左目を眼帯で隠した娘――水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)の指示のもとに、街の周囲を防護柵を作っていた兵士たちは、女性たちの作ってきた食べ物を見ると目を輝かせて飛びついていった。
 たとえ兵でなくとも、手伝えることはいくらでもある。それを証明するかのような光景に、岩の上に腰を据える天津 麻羅(あまつ・まら)も微笑ましい笑みを浮かべていた。
 すると、そんな彼女の視界に映ったのは、鳥の影であった。空を飛んで滑空してくるそれは、一目で剛雁だと分かった。そう、麻羅を主人として認めている剛雁だ。
「戻ったか……」
 仲間のもとに残してきたが、こうしてやってきたところをみると、向こうも情報がまとまり始めたということだろう。やがて、ニヌアの街に降りてきた剛雁は、麻羅の腕に止まった。ばさっと羽が羽ばたかれる。剛雁の胸元には、伝書鳩のようにくくりつけられた文書の束があった。
「うむうむ。やはり鳩よりは丈夫じゃのう。どれ……」
 文書を引き抜いて広げる麻羅。そこには、砦のことだけでなく、天候のことまで様々な情報が記載されいた。それも――暗号化された上でだ。事前に、これを送ってくれたあのはっちゃけ記者とは暗号を考えていたのである。
 麻羅は新たな紙を取り出すと、それを今度は写すようにして、ニヌア周辺の街の情報を付け加えた上で記した。無論――暗号化された文面だ。万が一敵の手に渡ったとしても、一応は安心だろう。
「では、頼むぞ。これにわしらの運命がかかっていると言っても過言ではないのじゃ。……よし、行け!」
 新たな文書をくくりつけられて、剛雁は麻羅の腕一振りで飛び立った。
「麻羅ー、何してるのー?」
「おお、緋雨。どうじゃ、順調か?」
「ふっふー、もちろんよ」
 緋雨は胸を張ると、兵士たちの作る順調な防護柵の様子を指し示した。
「ふむ。しかし、分かっておるじゃろうが……」
「もちろんよ。カナンを救うのはシャンバラからの来訪者じゃないわ、その地に住むカナンの民よ! 私たち冒険屋は、その手助けをする為にやってきたの。その証拠に、ちゃーんと住民の皆さんにも手伝ってもらってるわ。自分たちも戦ってるんだ! っていう意思が出てくるはずだしね」
 そう、ある意味で、緋雨たちにとって本当の目的はそれかもしれない。街を守るための防護強化もであるが、それによって民の意識は前進するはずだ。
「ところで……一条さんは?」
「……さて、どこじゃろうか? またどこかふらついておるんじゃなかろうか?」
「えー、またぁ?」
 緋雨の顔は、面倒くさそうに歪んだ。



 一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)。シャンバラ教導団所属。地球人。趣味、研究開発、又は技術探求。興味の対象、動物と機械。夢中になると周りが見えなくなる困った体質。現在の興味の対象――厨房。
「あ、あの〜、一条さん?」
「はい?」
「じっと見られているとなにかとやりづらいのですが……」
「あ、ですか? では、ちょっとさがって」
 ロベルダがことことと煮込んでいたスープをじっと見つめていたアリーセは、文字通りちょっとだけ下がった。とはいえ……じっと見つめる視線は変わらぬわけで。それは別に距離の問題でないわけだが……これ以上はロベルダもなにも言わなかった。
「ロベルダさん、これ、なんですか?」
「これですか? 砂漠で獲れたサンドウルフをメインにしたスープですよ。引き締まったお肉でとても美味しいのです」
「なるほど、サンドウルフ。砂漠の狼ですね?」
「ですね。あとは、わずかに採れる山菜なんかを入れております。ここから東に行けば、砂の影響の少ない山がありますからね」
 ロベルダの丁寧な説明に、アリーセはふむふむと頷いていた。どこか、子どもを相手にしているような印象を受けるのは、アリーセが興味に対して一途だからだろう。
 そして、そんな彼女の気になることは他にもあるようだった。しばらくはロベルダの手伝いをしながら他愛ない話をしていた彼女だが、やがて、話題はロベルダのことになってゆく。
「ロベルダさんは、ニヌア家に仕えて長いんですよね?」
「長いなんてものじゃありません。私の一生はニヌア家とともにあったようなものです。前領主――シグラット様の代から、私は50年以上の時間をニヌア家とともに過ごしてきました」
「前の……領主様ですか?」
「もうお亡くなりになられてしまいましたけど……ね。あの方は政治力はもちろんですが、民からもよく慕われ、何よりカナンの全てを愛しておられました。この南カナンが軍事力を高めはじめたのも、もしものときに美しきカナンを守れるようにするためとシグラット様がはじめた方針なのです。民を守るため、カナンを守るため、騎士団“漆黒の翼”を率いて、勇敢な姿も我々に見せてくれました」
 ロベルダの目は、遠くを見ていた。まるで、シグラットが生きていた時を思い起こすように。アリーセでなくとも分かる。ロベルダは、本当にシグラットのことを慕っていたのだと。
「素晴らしい、方だったんですね」
「ええ。それはもう……。領主としてだけでなく、シャムス様とその妹のエンヘドゥ様。二人の子どもを愛する姿は、良き父親でもありました。シャムス様も、そんな父上のことを尊敬し、追いつこうと必死であります」
 そう言いながら、ロベルダは苦笑していた。まるで、何か気がかりなことがあるかのように。それを見透かしたようなアリーセの視線に、彼は自然と口を開いていた。
「ただ……私は願わくば、シャムス様にはシャムス様なりの生き方をしてほしいのでございます。父親の背中を追いかけるのではない、生き方を」
「シャムスさんのことを心配しているんですね。ロベルダさんは、子どもは……?」
「息子が一人おります。ただ、息子はもう私から離れていってしまいましたのでね。もちろん、そうでなくともですが……シャムス様とエンヘドゥ様は私の子どものようなものです。生まれたときから、ずっと二人を見てきていたのですから」
 気づけば、ロベルダもアリーセも、調理を作る手が止まっていた。ぐつぐつと煮込まれるスープの音が、静寂の中で響く。
「残念ながら、私が仕えていたシグラット様、そしてその奥さまのウルク様は亡くなられてしまいましたが、いまはシャムス様が私の使える主人でございます。そして、エンヘドゥ様も。お二人のために、尽力を尽くす限りでございますよ」
 最後にそう言うと、ロベルダはアリーセに笑ってみせた。その奥にあるのは、家族か、あるいはそれ以上のものを越えた愛である気がした。アリーセは再び質問を口にしようとするが……。
「そろそろ戻らないと、水心子さんに怒られるかもしれませんよ?」
「……うーん、ですか?」
「一条さーん!」
 案の定というべきか、緋雨の声が厨房まで届いてきた。どうやら、探しに来たようだ。
「じゃあ、ロベルダさん。また機会があったら……」
「ええ」
 ロベルダと別れて、アリーセはとぼとぼと厨房を出ていった。廊下の向こう側で、緋雨がアリーセをくどくどと叱っている声が聞こえてくる。
 やがてそれが遠くに消えると、ロベルダは宙に向けて呟いた。
「シグラット様……私は心配でなりません。時代は変わろうとしています。それが良き方向なのか悪き方向なのか。風の吹きつける先が闇でないことを祈るばかりです。願わくば、貴方様の――」
 その先は何を言おうと思ったのだろう。
 老紳士の心は遠く、深い何かを見ていた。二人の子どもの行く末である何かを。