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第7章


 廊下を走る一組の影。
 嵩代 紫苑(たかしろ・しおん)はご多分に漏れずガスに感染した柊 さくら(ひいらぎ・さくら)を背負ったまま走っていた。
 背中から首筋を噛まれるのはくすぐったいが仕方ない。
「はむはむ……なんというおいしさ」
 さくは紫苑の首に噛みつき、ひたすら甘噛みを続けて至福の表情を浮かべていた。
 正直言えば、さくらとしてはこのまま紫苑の首に噛みついていたので、事件など解決しなくてもいいのだが、このままでは紫苑が困るそうなので手伝うことにした。

 紫苑はといえば、自身もガスに感染しているのでさくらに噛みつきたい気持ちでいっぱいなのだが、そんなことをしたらロリコンのそしりを受けることは免れない。
 紫苑とさくらは幼馴染なのだが、さくは強化人間化の影響で外見年齢が11歳程度で止まっている。

 確かに、16歳とはいえ180cm以上の長身である紫苑と、外見11歳140?程度のさくらが互いに首や頬を噛み合っている絵面は危険な香りがすることだろう。

 そんなわけで、紫苑は自身の耐久力が限界に来る前に事件を解決すべくダイエット研究会に向かっているのだった。


 その横に、もう一人の男が現れた。夜月 鴉(やづき・からす)だ。

 同じくダイエット研究会に向かっているのだろう、紫苑と平行して走る。紫苑と同じように噛みつかれながら走っているのかと思えば、どうやら少し事情が違うようだ。
 結論から言うと、噛みつかれている数が違った。

 まず、横腹に白羽 凪(しろばね・なぎ)が噛みついている。振りほどくと泣くので仕方なく噛まれるままにしていた。
 次に、頭にはユベール トゥーナ(ゆべーる・とぅーな)が。引き剥がすと強烈な叫び声を上げるので仕方なく噛みつくに任せている。
 そして、右肩にはアグリ・アイフェス(あぐり・あいふぇす)の姿があった。やめさせようとすると『もやしっ子のくせに』とか『あなたの秘密を一つ残らず暴露しますよ』とか『残る一生をネコ耳メイドとして生きるがいい』などと物騒な事を口走るので、したいようにさせている。

 つまるところ三人の女性に噛まれているわけで、ガスの効果を考えていると少なくとも彼女ら全員から好意を受けていることになるのだが、まるで羨ましくないのは何故だろうか。
 ともあれ鴉は、この三人に噛まれつつも捜査を行なっていた。
 三人をほぼ引きずるようにして歩き、その度に三人の歯が食い込むのでとても痛い。

 言葉を失った紫苑は、鴉に目で語った。
『大変だな』
 と。

 鴉の目は語っていた。
『お前もな』
 と。


 奇妙な連帯感に目覚めた二人は、鴉のペースに合わせて遅めに走りつつもダイエット研究会に向かうが、ふと前方に数人の人影が並んでいるのに気付いた。
「――何だ?」
 立ち止まる二人。廊下を塞ぐようにして5〜6人ほどの男子生徒が立っている。問題はそのいずれもが目出し帽などで顔を隠していることだ。

「何だ……おまえらは」
 紫苑は男達を睨んだ。もともと目つきの悪い紫苑が睨みを利かせると、それだけで迫力がある。
 だが、その鋭い視線をものともせずに、男達は名乗った。


「我々は、『独身貴族評議会』の者だ!!」


「……はい?」
 拍子抜けした声を出す紫苑と鴉。男達は続けた。
「我々は日々を一人寂しく過ごす者達のために活動する地下組織だ。貴様らのようなモテ男どもに制裁を加えるために我々は立ち上がったのだ!! 目下のところ怪しいとされているダイエット研究会には行かせない!!」
「誰がモテ男だ!」
「まったくだ……風評被害も甚だしい」

 だが、立ちはだかる男たちは全く耳を貸そうともしない。
「うるさい!! ガスの影響で女子に噛みつかれているということは、それだけ貴様らがモテているということではないか! 特にそっちの貴様! 同時に三人も相手にするとは何といかがわしい! こちらの男はまだ年端もいかぬ少女を手にかけるとは! このロリコンめ!!」

 ぶちりと、紫苑の中で何かが切れた。それは紫苑にとって言ってはいけない単語だったのだ。

 ロリコンとそしられることが頭に来たのもあるが、さくらの外見のことに言及すれば、その原因である強化人間の実験のことを思い出させてしまうかもしれない。紫苑にとってみれば大事な幼馴染がモルモットとして扱われた、忌まわしい記憶なのだ。

 例えさくら本人がそのことを表に出さなくても――いや、だからこそ紫苑はそれを許すわけにはいかなかった。

「なあ、お前さん先に行きな――ここは俺とさくらの二人で充分だから」
 紫苑はすらりとバスタードソードを抜く。さすがに斬るつもりはないが、目の前の迷惑野郎共には痛い目を見てもらう必要があった。
 鴉が横目でその様子を見ると、荒削りではあるが修練を積んでいるようではあった。そして長身に伴った肉体は意外に引き締まり、鍛えられている。

「――分かった。恩に着るぜ」
 鴉が頷くと、紫苑は評議会のメンバーに向かってさくらと共に突撃していく。

「だあぁっ!!」
 男達の中心に向かって轟雷閃を放つと、さくらがサイコキネシスでさらに追い打ちをかける。その隙をぬって鴉はバーストダッシュで突貫し、男達の間を抜けた。

「ぬぅ、二手に分かれろ! 逃がすな!!」
 男達の叫びを背中で聞きながらも、鴉は跳ぶ。
 その振動に振り落とされないようにと、鴉に噛みついた三人の歯がより一層食い込んだ。

「あだだだだだ!!!」
 その痛みを全身で感じながら鴉は思った。


 ――ああ、今日はとにかく運が悪いな、と。


                              ☆


 その頃、秋月 葵(あきづき・あおい)はパートナーのイングリット・ローゼンベルグ(いんぐりっと・ろーぜんべるぐ)と共に校長室を訪れていた。
 イングリットが蒼空学園のサッカー部に練習試合を申し込みたいと言うので、とりあえず山葉 涼司に会いに来たというわけだ。

「やっほー。山葉いるー?」

 仮にも校長に会いに来たというのにこの軽さであるが、もはやいつものことなので葵はまるで気にしていない。
 そして涼司も気にしていなかった。

 正確には、今日はそんなことを気にしている暇はない、と言うのが正しいのだが。

「……山葉……何してるの……昼間っから……」
 葵は顔を赤らめた。涼司は花音・アームルートを初めとして数人の男女に噛みつかれている。時間が経つにつれてその数は増える一方であった。
「何と……言われてもな……」
 既に諦め顔の涼司である。

 目を丸くしたイングリットはごそごそと携帯を取り出した。途端にパシャパシャと写真を撮り始める。
「ヤマハがエッチなことしてるにゃー! これは証拠を押さえて部のみんなに教えなくっちゃにゃー!」

「エッチとか言うな、エッチとか」
 その言葉により一層顔を赤らめる葵。
「だってエッチじゃない……しかも集団でなんて……爆発しろだよ、このリア充め」
 ここら辺で訂正しておかないとえらいことになるな、と涼司は思った。
「――そろそろ事情を説明してもいいか?」
「あ、どうぞどうぞ」

 というわけで、とりあえずの説明をして自らの名誉を守った涼司であった。葵とイングリットに助力を仰ぐ。
「ふむふむ、するとそのダイエット研究会とやらが怪しいのだにゃー?」
「今のところ噂の段階だがな。他にも何人かが解決のために動いてくれているが……妨害の動きもあるようだ、気をつけてくれ」
 涼司の心配をよそに、葵は胸を張って答えた。

「まかせて! 愛と正義の突撃魔法少女、リリカルあおいがバッチリ解決しちゃうよ!!」
 キリリと魔法少女に変身した葵、魔法少女コスチュームが可愛くも勇ましい。


 と、その葵の後頭部にカプリとかぶりつくイングリット・ローゼンベルグ。


「えっと……グリちゃん? 何してるのかなぁ?」
 あおいちゃんにそっと教えて? と首を傾げると、イングリットは呟いた。
「にゃんだか葵がとってもおいしそうに見えるのにゃ〜」
「……おい……しい?」
「おいしいにゃ〜」
 と、ひたすら葵の後頭部を味わい尽くすイングリット。


 魔法少女パートナー、いま堂々の感染。


「と、とにかく行って来るね! このリリカルあおいにかかればこんな事件はスピード解決だよ!!」
 何かをごまかすように、イングリットを後頭部に噛みつかせたまま光る箒にまたがった葵は校長室を後にした。


「大丈夫か、ありゃあ」
 と、自身もひたすら噛みつかれている涼司の呟きを後にして。


                              ☆


 一方、爆発ケーキの記念すべき被害者第一号であるセルマ・アリスは廊下の片隅で気を失っていた。
 誰かが、その頬を舐める。パートナーのメリシェルだ。
「ああ……メリー、置いていってごめんな……」
 気付いたセルマにやさしく頬ずりするメリシェルをそっと抱き締める。

「めー?」
 何かぎゅーってされためー? 

 セルマはそのまま感染の症状でメリシェルをかぷかぷと噛んだ。
「めーめー!」
 かぷかぷされちゃっためー!! 嬉しいめー!!

 メリシェルもセルマの頬をかぷかぷと噛み、二人でそのまましばらくかぷかぷし合うのだった。
 嬉しそうなメリシェルの鳴き声が、いつまでも廊下に響いていた。


「めーめめー♪ めーめめー♪」