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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)

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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第3回/全3回)
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リアクション


■第36章 世界樹セフィロト

 警報音は、かすかではあったが神殿の入り口の外階段まで届いていた。内部で次々と爆発が起きているような振動音は、それよりもっとはっきりと。
 にわかに騒がしくなった神殿内部に、参道にいた神官戦士たちも、門を警備をする一部の兵を除いた大多数がそれぞれの武器を手にばたばた内部へ駆け込んでいく。
「今なのだ」
 あっという間にほとんどひと気のなくなった階段に立ち、リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)は隠れていたユリ・アンジートレイニー(ゆり・あんじーとれいにー)ララ サーズデイ(らら・さーずでい)ロゼ・『薔薇の封印書』断章(ろぜ・ばらのふういんしょだんしょう)に合図を送った。
 4人は参道でうろたえている女神官を当て身で気絶させ、すばやくローブを奪ってはおるや神殿内部に突入する。
「これってわたしたちも行くべき?」
 4人を見て、アンジェリカ・スターク(あんじぇりか・すたーく)が振り返った。
「いいえ、いけません」グロリア・クレイン(ぐろりあ・くれいん)が首を振って止めた。「ルカルカさんからの合図はありません。きっとまだ石化は解けてないんですわ」
 レイラ・リンジー(れいら・りんじー)も賛成と、こくこく頷く。
「でも、何かあったのよ。神官戦士たちがあんなに――」
「だとしても、救援要請の合図もないのに勝手に突入しては、反対に彼らの足を引っ張ることになるやもしれません。ここは彼らを信じてもう少し待ちましょう。それでも何もなければ、突入です」
2人に反対され、アンジェリカはほうっと諦めの息をついて神殿を見上げた。
(みんな……どうか無事で…)



 リリたちの目的は世界樹セフィロトからイナゴをはがすことにあった。駆除できるとまでは考えていない。たった4人でどうにかなるようなことではないだろう。ただ、そうすることで少しでもイナンナの力を強化できれば、救出部隊を援護することもできるのではないかという思いからだった。
 拝殿に入ると、振動は顕著になった。少しずつ移動しているようだ。
「やはりだれかが暴れているようだな」
 音の出所に向かってばたばた走っていく神官戦士の背を見ながらララがつぶやく。
「あれが奥の神殿への通路か。あちらに向かうのか?」
「向こうなのだ」
 リリは神官戦士の向かった先とは別の通路を指差した。
 内部構造は全く分からないが、イナンナの御所だった神殿は最奥と聞いている。そしてセフィロトがあるのはその中庭。
 大半は逃げてきていたが、あきらかに一部の女神官たちは奥へ向かっていた。パニックを起こしてというのではなく、意識的な動きだ。
 戦うことも外に逃げることもせず進む方向には、きっと何かがある。逃げるよりも大切なもの……あるいは、心の拠り所としてすがる存在が。
「ここから先は、口をきいたり目立ったりしてはいけないのだ」
 リリたちはフードを一段と深くかぶると、周囲の者たちに速度を合わせて移動した。まだるっこしいが、人目をひくわけにはいかない。
 やがて女神官たちは、礼拝堂らしき部屋に入って行った。おそらくはここからセフィロトに向かって祈りを捧げるのだろう。
(ネルガルがいくら信仰心を捨てさせようとしても無駄なのだ。かたちなきものには、どんな力も役には立たない。想う心は常に自由なのだから)
 しかしリリたちの目的地はここではない。
「リリ」
 ララが、声にならない声でそっと注意を自分に向けさせた。指した手の先に、神官戦士2人が見張りに立つ入り口がある。
「ユリ」
「はい」
 ユリは彼らに向け、小さく悲しみの歌を口ずさんだ。
「……う?」
 突然不調を感じ始めた自身にとまどう神官戦士たちを、走り込んだララのエペが一瞬で斬り伏せる。
 入り口をくぐったその先――回廊に取り巻かれた、光あふれる中庭には。
 巨大な黒木があった。



 存在すること自体が信じがたい大きさだった。
 巨大な――それこそ天とつながっているのではないかと思えるほどに伸びた世界樹セフィロト。そこに、びっしりと黒いイナゴがはりついている。イナゴの上にイナゴが乗り、それが何重にも渡っていて、下の樹皮が全く見えない。世界樹の周囲でもそれは同じで、中庭じゅう、まるで黒い絨毯が敷かれているようだ。回廊にまで一部上がり込んでいる。
「予想以上のすさまじさだな…」
 そうつぶやく自身の声すらも耳に聞こえない。ララはごくりと唾を飲んだ。
 あまりに巨大、あまりに過酷。
 これをどうにかできる者が、はたしているのか? いたとして、それは人間なのか?
「少なくとも、それは今のわれわれではないな」
 肩に乗ってきたイナゴを指で弾き落とし、リリはユリに合図を送った。
 ユリはこくりと頷いて、決然と前に進む。
 イナゴたちのギチギチ鳴く声と羽音が太鼓のように大音響で響く中、ユリは懸命に悲しみの歌、恐れの歌を交互に歌った。そうしてイナゴを不活性化するのだ。
 歌声は4人の耳には聞こえなかったがイナゴの耳には聞こえたようで、ユリの正面の一部だけ、あきらかに羽音と鳴き声がおさまった。
 それを見て、ロゼは用意してきたイナゴの死骸をすばやく身にまとった。自分のにおいをできるだけ消し、隠れ身を使ってそっとイナゴの中にわけ入る。
 イナゴで埋め尽くされた庭は、まるで黒い沼だ。ずぶずぶと容赦なくロゼの足を膝近くまで埋めてしまう。服の下までもぐり込み、足を伝うその感触のおぞましさは、到底筆舌に尽くせるものではない。
 一歩前に踏み出すたび、足の裏では踏み潰されたイナゴを感じる。抑えようもなく鳥肌が立つ。それでもロゼは怖気を振り払い、果敢に前に進んだ。リリのトート・タロットの小アルカナ56枚を設置するために。
 その間、回廊で胡座を組んだリリは精神統一で目を閉じ、イナゴが体につくのも無視して幾段にも別れた複雑な術式を消化していく。
「――やれやれ。ようやっと終わったのじゃ。わらわにこのような肉体労働をさせるとはな。リリ、これは高くつくぞ」
 小アルカナを全部設置して戻ってきたロゼは、だれにも聞こえないことを承知の上で、自身にむらがったイナゴごと偽装を剥がしながら軽口をたたいた。しかし隠しようもないほどその肌は青ざめ、表情は全く冴えない。セフィロトとの間を往復しただけで、すっかり疲れきってしまっていた。
「よし、ころあいなのだ」
 ぱっちりと目を開き、立ち上がって前へ進み出る。
「世界樹セフィロトとは生命の木そのもの。そしてタロットは、大アルカナ・小アルカナともに生命の木の各部位に対応しているのだよ。すなわち」
 手の中の大アルカナ22枚を宙に放り投げる。ひらひらとただ舞い散っているかに見えたカードは、やがてケテルを天頂とし、コクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティフェレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクトとなる。その全てがセフィラ――生命の木。
「原初の海に生命をもたらした雷の力を――サンダーブラスト!」
 隠された11番目のセフィラ、ダアトを通って白き光が宙を裂き走る。
「これは生命の賛歌なのだ。目覚めるのだよ、セフィロト!!」
 サンダーブラストは設置された56枚の小アルカナと呼応し、増幅されたかに見えた。小アルカナで構成された結界内のイナゴを一瞬で消滅させ、吹き飛ばす。
 間近で炸裂したサンダーブラストの白光と風の余波、そして飛ばされてくるイナゴから身を庇うべく、柱の影に逃げ込む3人。
 やがて光と音の消えたあと、リリの元へ戻ったララたちは「おお」と声を漏らした。
 イナゴが消えて、円形に樹皮が見えている。
 が。
「……うーむ。大仰な呪文の割にはショボイ結果じゃの。セフィロト表面の1%といったところかのう」
「セフィロトが大きすぎるのだ!」
 ムッとするリリ。
「ああっ、そう言う間にもまた覆われ始めてるじゃないか。これでは1分と持ちそうも――おっと」
 SPを完全に使い切り、疲れきってよろめいたユリの背中をララが抱き止めた。
「話はあとにして、撤退した方がいい。気づかれたようだ」
 神官たちが駆けつける足音が入り口の方からしていた。あれだけ派手な光と音をたてたのだから当然だが。
「逃げるのだ」
 ピーッと空に向かい、口笛を鳴らす。
 セフィロトと神殿との隙間から、上空に待機していたワイルドペガサスのヴァンドール、フライングポニーのポニさんが現れた。
「急げ」
 ポニさんにリリとロゼ、そしてヴァンドールにララとユリが騎乗する。
 神官たちがバニッシュを放ってくる中、2頭は宙に駆け上がった。
「それで、今回の作戦は成功したのか?」
「分からないのだ」
「なっ!?」
「イナゴが剥がれていた間、イナンナとセフィロトの結び付きが強くなったはずなのだ……と、思うのだよ。
 まあ、そういう可能性もあるということなのだ」
「なんとまあ、いい加減な話じゃの」
 ポニさんがセフィロトと神殿の隙間から、空に飛び出す。
 ロゼが肩をすくめて見せたとき。
 まるで太陽から落ちてきたかのようなランスが、無防備なロゼを貫いた。
「ロゼ!!」
 驚くリリの腕をすり抜け、落下していくロゼ。
「リリ! 上だ!!」
「――はっ」
 ララからの忠告にあわてて振り仰いだリリに見えたのは、ワイバーン――そしてそれにまたがったドラゴンライダーの姿だった。
 だがそれも一瞬のこと。強烈な痛みがリリの腹部で爆発し、彼女の意識を粉みじんに吹き飛ばす。
 リリのしびれた手から、手綱がはずれた。
「リリーーーーっ!!」
「ララ……前…」
 血の凍る思いで神殿の屋根に落ちた血まみれのリリとロゼの姿を見つめるララの耳を、ユリの恐怖に震える声が打った。
 振り仰ぎ、そちらを見て愕然となる。
 その数、数十におよぶワイバーン――キシュの空挺部隊だ。
「……ララ……怖い…」
 ユリの小さな手が、ぎゅっとララの胸元を握り締める。せめてユリだけでも逃がすことができたら――だがこれだけの敵を前に、何をすることができるだろう?
「……目を閉じていろ、ユリ」
 ユリを胸に抱き寄せたララの視界は、やがてワイバーンの吐き出す炎に埋め尽くされた。