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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

リアクション


■■第三


「どうしまショ、ウサギさんを見失ってしまったワ」
 丁度五両目の車両では、人形であるアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が右往左往していた。
 そこへ前方から、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)が走ってくる。
 中央にあるといえるこの車両の多くは、まだ石化の被害も少なく氷ゾンビ化の被害に至ってはほとんど無いと行って良かった。
「次の車両へ行ってみましょうカ」
 小さなアリスがそう呟いたのを、走っていたエヴァルトが聴き止めて、思わず足を止めた。幼女を通り越し、ごくごく小さなアリスの肢体に、比較的背が高い彼は視線を落とす。
「止めとけ! あっちはゾンビだらけだ」
「でもウサギさんガ」
「兎々ってさっきからそればっかり聴くけどな、止めておけ! これはロリコンじゃない俺からの忠告だ!」
 そこへ前方から、走る方向を変えた様子のパラミタウサギが、チェックの衣を揺らしながら戻ってくる。
「あら、ウサギさんが戻ってきたワ」
「よォォし、向かう先は後部車両だ。兎に角逃げろ」


 エヴァルトのそんな声に、近隣の席で楽器を携えていたテスラが、首を傾げた。
「何かあったんですか?」
 高名な音楽家であるテスラの姿に、エヴァルトが顔を向けて深々と頷いた。
「此処の車両は未だ平穏だけどな、前から凍り付いたゾンビが、そう、氷ゾンビが押し寄せてきているんだ。俺はもう凍るのは嫌なんだ!」
「もう? では、以前に凍ったことがあるのでしょうか」
「論点はそこじゃないだろ。おまえも逃げた方が良い」
 テスラの声に顔を背けながらも、エヴァルトがそう続けた。
「ですが私には愛用している多くの楽器が」
 サングラスをかけ直した視力が弱い様子の彼女に対し、エヴァルトが背後を一瞥しながら大きく頷いた。
「分かった。ここも氷ゾンビに飲まれるのは時間の問題だ」
 根が情に厚いエヴァルトは、ついテスラを手伝う決意をしたのだった。
 まだ四両目は先頭の最中である様子である。
「コレとコレを俺が持つから、そっちは運んでくれ」
 比較的大柄な楽器に手をかけたエヴァルトに対して、テスラは頷いたのだった。
「有難うございます」
 実際テスラが乗車している五両目は、既にゾンビからの避難民が訪れている最中だった為、その他の幾人かも手を貸した。その中で、ウサギもきょとんとするように、動きを止めている。
 アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が、チョッキを着たそのウサギに背後から歩み寄ろうとした時、だが、意を決するようにウサギは、再び前列へと向かって走り出したのだった。


 ウサギが向かう前列の、更に一つ前の車両、三両目では。
「あたしたちの道なんだから、あたしたちで決めればいいんだよ!」
 そう口にしながら恍惚とした表情でミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)が赤い瞳を揺らしていた。同色の長い髪が揺れている。だが、現在ではその色合いが協調されると共に、皮膚の色自体は蒼く変化していた。
「ウサギ……兎……」
 呟いたミルディアは、視線を周囲へと走らせる。
 そうして未だゾンビ化していない二人連れの旅行客を見つけ、彼女は牙を剥いた。
「あれ? 何かどーでもよく……あはははは仲間を増やすよ〜♪」
 いつしか意識が変容していった彼女は、そんな気分で旅行客二人の肩へとかぶりついたのだった。
――ウサギを探す、その為にも仲間を増やさなければ。
 そんな思考に支配された体は、自身に統制権を持たせない。
 続いて彼女の牙は、車両を進み四両目へと向かう。
 するとそこで、後方の車両から様子を見る為にやってきていた朝倉 リッチェンス(あさくら・りっちぇんす)を発見した。
 リッチェンスのパートナーである朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)イルマ・レスト(いるま・れすと)は五両目にてテスラの避難をエヴァルト共に手伝っている。リッチェンスは、腰痛故に手伝うことが出来なかった。その最中、千歳が有事に備えて車掌の元へ行くと決断した為、先に前部の車両へと様子を見に向かったリッチェンスは、ミルディアと遭遇したのだった。
 痛む腰をさすりながら始めは異変に気がつかず、リッチェンスが声をかける。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
 応えたミルディアはしかし、すでに氷ゾンビと化していたのだった。
「だから……仲間になって」
 小声で口にした後ミルディアは、早急にリッチェンスとの間を詰めて、彼女の腕をひいた。
「え、私にはダーリンが……っ……!」
 だが噛まれたリッチェンスは、瞠目した後、俯いた。
「そう、ウサギ……」
 呟いた彼女と共に、ミルディアが五両目へと続く扉を開ける。


「ああ、戻ったのか……!?」
 リッチェンスの肌の色を見て、応えた後千歳が息を飲んだ。
「ああ幻視が現実となってしまいました」
 傍らでヒルデガルト・フォンビンゲン(ひるでがるど・ふぉんびんげん)が、悲愴をあらわに嘆息する。
「くそ、ここにまでゾンビが!」
 エヴァルトが楽器を運びながら叫んだ。
「あゆみ達はうさぎを追いかけて後ろへ行くから、千歳さんとイルマさんは前をお願い」
 本当はリッチェンスにも頼みたかった月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)だったが、走っていくパラミタうさぎと追いかけるアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)を一瞥しつつ、リッチェンスの姿を見てそう口にした。
「なにかあったら携帯で連絡を。あゆみ達もなにか分かったら連絡入れるから協力して解決しよ」
 あゆみのその声に、千歳は頷いたのだった。
「ダーリン……なんで、逃げるのですかぁ?」
 頷きながらも後ずさる千歳に対し、ダーリンと呼びながらリッチェンスは歩み寄った。
 氷ゾンビと化しているにもかかわらず、ごく通常通りで、とても暢気、緊張感に欠ける彼女の声に、千歳は思わず唇を噛んだ。
 それはリッチェンスの元々の性格で、見目以外はほとんど変化がないように思える。
「一緒にウサギを探すのですよ」
 リッチェンスのその声に、千歳とイルマが顔を見合わせる。
「断る」
 しかしテスラを逃しながら、きっぱりと応えたエヴァルトに対して、男性が苦手なリッチェンスが目を瞠った。
「ダ、ダーリンとイルイルに言っているのですぅ」
 千歳との契約で姓を『朝倉』に改めた程、千歳に傾倒しているリッチェンスは慌ててそう返答した。
「リツ……活のいいゾンビ……」
 イルマは呟きながら、生前(?)のリッチェンスの事を思った。
 そもそもイルマが千歳に見回りを提案したのは、パートナーが猫に毒される前に引き離すのに、ちょうどいい口実だと思ったゆえである。
――それが……リツまでゾンビにされてしまうなんて……流石に、ほんの数分前まで隣に座っていたリツが、ゾンビになった姿を見るのは忍びないですね。
「確かに、生前リツとは色々ありました。腰痛ですぐ動けなくなるし、騒がしいし、何かと絡んでくるし、何度注意してもイルイルと呼ぶし……」
 しかし考えている内に、イルマの胸中は複雑なものへと代わっていった。
「……」
 イルマは穏やかに微笑みながら千歳を見る。
「撃ってもいいですわよね?」
「え、いや、それは――……」
「それにリツ。ゾンビ化した方が普段より動きがいいってどういうことですの?」
 狼狽える千歳をよそに、イルマがハンドガンを構えたのだった。