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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●クールに行こう

 食材はまだまだ残っており、肉も尽きないとはいえ、そろそろ満腹を感じる者もではじめていた。
 まだまだがっつがつ食べているものもあるとはいえ、開始当初の猛烈な勢いは沈静化し、ほうぼうでは食事より、会話を楽しむ者たちが見られるようになっている。
「ふぅ」
 と悩ましい吐息を漏らしたのはイングリット・ネルソンである。
 結局、普段から決めている一日の摂取カロリーを大きく超えるくらい食べてしまい、イングリットは川辺で一息ついていた。
 胃が重い。
 血液が消化器官に集中しているのだろう、頭もぼんやりと、霞がかかったように眠くなってきた。
 ただし、楽しかったし美味しかったのは事実だ。みなでわいわいやる食事が、これほど心地良いものだとは。
 ウェイトトレーニングはまた明日からだ。今日はゆっくりとその余韻にひたりたい。
「いいかな?」
 そのときするりと、黒猫のようにイングリットの横に滑り込む女性の姿があった。
 黒とプラチナ、ツートンカラーの髪。
 黒いロングヘアの、約半分をプラチナに染めたのだろうか。それとも逆だろうか。
「イングリットくん、また逢えたね」
 あどけない笑顔、玉の肌、小柄なその姿は、中学生程度と見えた。
 しかし彼女が見せるのは、少女には似ぬ艶冶とした物腰に、危険なほど色っぽい語尾の甘さだ。
 ブルーガーネットの瞳は謎めいた光を放っている。夢見る乙女のようでもあり、恋の傷を知る大人の女性のようでもあった。
 彼女はアトゥ・ブランノワール(あとぅ・ぶらんのわーる)、空京大学生である。
 イングリットには、かつて彼女と拳を交えた記憶があった。
 時間にして三分にも満たない短い間であったが、たしかにあのとき、イングリットは試しの手合わせであることを忘れ、本気で彼女に挑みかかっていた。
 ぞくぞくする戦いだった。
 掌底ではなく正拳で顔面を狙い合い、
 腱を千切るをためらわず間接技を取り合い、
 激突した箇所から火が出るほどの蹴りを放ち合った。
 終了の合図がかかり止められてしまったが、あれがなければ、どうなっていたかわからない。ひょっとしたらいずれか――おそらくは自分――は、格闘家を続けられないほどの怪我を負っていた可能性があった。
 仮にそうなっていたとしても、彼女は後悔しなかったろう。
 今でも、あのときの戦いを思い出すだけで、イングリットは身体の芯が疼くような想いに駆られる。
 多少下卑た表現になるが、双つの乳首の先端が、痛い程に張ってくるのだ。かあっ、と血潮が沸騰するのだ。
 あの人とまた手合いたい。身につけたバリツ技のすべてを叩きつけたい。首筋に食らいつき、互いのすべてを求め合いたい……そんな、狂おしいほどの興奮に襲われるのである。
 それは、恋にも似た熱病のような感覚であった。
 このとき、アトゥを見てイングリットは、流れるように無意識的に構えを取っていた。
 しかし、
「よしたまえ、今日は話に来ただけだよ、キミ」
 アトゥの言葉が、イングリットの中に張りつめていたものを、ふっ、と切った。
「お久しうございますわ」
 構えを解くと、彼女は両手を合わせて一礼する。
「楽しんでいるかい?」
「ええ」
 でもわたくしは、あなたと再会できたことが一番嬉しい……その言葉を、イングリットは自身の胸にしまっておいた。
 見た目の若さとは正反対の、落ち着いた物腰でアトゥは言う。
「いいね、こういう機会があるってのは。屋外で食事というだけでこんなに盛り上がれるのは若さの特権かな」
「アトゥさんだって、お若いではありませんか」
 はは、と彼女は笑った。
「前に実年齢を教えただろう。私はおばさんだよ、キミ。若人の中にこんなおばさんが交じるというのには多少抵抗があるけれど、来てみるとそれなりに楽しいものだね」
「そんなことはないです。お若いです。私の同級生くらいに見えます」
「そうおだてないでくれないか。面映ゆいよ」
 そう言ってアトゥは、花のようにはにかむのだった。
 ところで今日は何を食べた、とアトゥが聞くので、イングリットは正直に答えた。
「ふむ、こういう場だけど、ちゃんと肉ばかりではなく野菜もたっぷり食べたようだね。まあ、少々食べ過ぎかもしれないが、たまにははめをはずさないと」
 よろしい、とアトゥが褒めてくれたので、イングリットの頬は笑み崩れた。童心に返り、母親に頭をなでてもらったような気がした。
 このとき、もう、「この前の続きをしませんか?」と誘う気持ちはイングリットからは消えていた。
 実際、ここで闘(や)りあったとして、勝てる気はしなかった。
 自分より二十数センチも身長が低い小柄で、ウェイトもなさそうなアトゥなのに、こうして無防備に立っているだけで、圧倒されるような迫力を感じる。あの小さなからだには、虎でも隠れているのではあるまいか。
 まだダメだ。
 まだ、自分はこの人の足元にも及ぶまい。
 それが悔しくもあり、半面、目標とする人間がいるということに不思議な喜びも感じるイングリットである。
「こうして立ち話もなんだ。デザートにアイスクリームでも食べようか」
 内部の靱(つよ)さをまるで表にせず、気楽にアトゥは呼びかけた。
「で、でもウェイトが……それに、もう空腹では……」
「なに、昔から言うだろう。別腹だよ、キミ。別腹だ」
 さあ行こう、どうしてもというならイングリットくん、キミの分も私が食べるよ……と言って小走りになるアトゥの背を、「待って下さい」とイングリットは追った。

 さすが天然お嬢様、泉 美緒(いずみ・みお)は立っているだけで、その場の明るさが増すようである。
 いうなればカンテラや電灯に加えて、もうひとつ、美緒という光源が出現したような。
 その美緒と、冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)は会話を楽しんでいた。
 川辺に敷いたレジャーシート、素足を冷たい水にひたして。
 お腹もくちくなったので、会話のほうに熱が籠もっていた。
 同席の如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は同じレジャーシートの上だが、会話にはくわわらず、ぼんやりと参加客を眺めている。知っている顔、知らない顔、知っていて腹が立つカップル、知らないけどやっぱり腹が立つカップル……ていうかカップル全員、腹が立つ。
(「七夕だからって皆イチャイチャしやがって……爆発すればいいのに……」)
 ちらりと二輪の花を見た。
 長い脚を清流にさらし、くすくすと笑う美緒。オレンジ色のタンクトップを着ており、ホットパンツを穿いている。胸元だけでもデンジャラス、加えて、おしげもなく披露されている太股、長くて白くてすべすべの脚、青少年正悟には刺激の強すぎる光景なのである。
 それに小夜子、元々楚々たる美人なのだが、薄い浴衣のせいもあり、むしゃぶりたくなるほど色香がある。いわゆるお姉さん座りをしているのだが、その危険な角度に眼が吸い寄せられそうになって仕方がなかった。やはり青少年正悟にはハードモードの光景である。
 というわけで、同行者二人を見るとのぼせそうで大変、かといって、眼を逸らすと今度は、カップルばかり眼についてやはり神経が大変……ともかく正悟は困っていた。
「ふと思ってるのですけど、美緒さんの好きなタイプってどんな人でしょう?」
 小夜子は何気なく問うた。
「好きなタイプ? 恋人にしたいような、という意味ですか……どうしたんですの、急に?」
 はじらうように美緒が身をゆらすと、タンクトップからはみだしそうな胸がゆさゆさと揺れた。
「ほら、私も年頃の女の子ですし。そういう話も好きなのですよ」
「そうですか……恥ずかしいので、小夜子さんが教えてくれたら教えます」
「私、ですか? 母性本能をくすぐったり、頼り甲斐のある人が好きですねぇ……」
「似ているかもしれませんね」美緒は照れくさげに告げた。「私も、信念があって頼れる人が好きです。もちろん、お世話を焼いて差し上げたくなるタイプも」
 くすくす笑う少女たちに加わりたいが、そうもいかないロンリネス正悟は、ごろん、とシートの上に寝転がって星空を見上げた。
(「……美緒さんは七夕祭りじゃなくこっちに来た……ということは、短冊に書くような願いがないのだろうか。……俺は……また『リア充死ね』とか書きそうな気がする……」)
 本当はリア充、つまり、恋人や伴侶がいてリアルに充実している人たちが憎らしいのではなく、羨ましいだけなのに。
 虚しくなってきた彼は、いつの間にか想いが、言葉となって口から漏れているのに気づかなかった。
「今後、俺もどうなるか分からないしな……生きてるかもどうかも」
 駄目だ、暗くなっては、と自分を鼓舞すべく正悟は言った。
「俺も来年までには七夕に関係するような恋人を作りたいモンだ」
 いま短冊を渡されたら正悟は、そんなことを書いてしまうかもしれない。