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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 3

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■2−5

 本の中へ入って早々。

「『マッチ売りの少女』っていうからには、きっと少女がマッチ売ってるんだよね?」
 という芦原 郁乃(あはら・いくの)からの確認の言葉に

「でしょうね。まさかそのタイトルでライターを売る筋肉隆々の男ではないでしょう。そもそもそんな相手から物を買う勇気もありませんし」
 蒼天の書 マビノギオン(そうてんのしょ・まびのぎおん)はそう即答したものだったが。
 今となっては、その確証が持てなかった。

 だって、ライター売りがいる。(さすがに筋肉隆々ではなかったけど!)
 そして、少女がいっぱいいる。

「少女って、少女って、複数だったの? でもあのタイトル『少女たち』じゃなかったよね!?」
 このとき、郁乃は軽くパニクっていた。

「まぁ、マッチを売り歩いている少女が1人と限定されていたわけではありませんし。こういうのもありかもしれませんね」
 マビノギオンは順応が早い。
「でもっ……これ、全員助けないと駄目なの!?」
 いやいや、さすがにそれは無理でしょ。
「大丈夫。リストレイターはたくさんいらっしゃいますから。それはほかのリストレイターの方々にお任せして、私たちは私たちにできる範囲でリストラしましょう」
 徹頭徹尾、一貫して崩れない笑顔でマビノギオンはにこっと笑うと、建物の影で身を縮ませ、がたがた震えている少女を指差した。
 少女ははだしで、まるで真夏かというようなミニスカートの薄着姿で雪風に吹かれて立っている。寒さに歯の根が合わないのか、出る声もか細くて、だれの耳にも届かない。

 人々はただ、少女の前を通りすぎていくだけ…。


「あ〜っ! あんなんじゃ売れるものも売れないよっ!」
 見てらんないよ、もう!


 郁乃は駆け寄ると、少女の氷のような両手を握り締めた。
「あ、あの…?」
「私は芦原 郁乃! こっちはマビノギオン! よろしくね!
 さあさあ元気出して! 大丈夫だよ、マッチは全部売れるからね! 私たちも手伝うから、あっという間だよ! でもその前に、ちょっと一緒に準備しようっ!!」
「えっ? あ、あの……ちょっと……?」

 話の展開にまるでついていけないでいる少女の手を引っ掴み、ほとんど強引に連れ込んだ宿屋の一室で。
 郁乃はクリエイター権限で作った服に少女を着せ替えていた。

「ここに手を通して……うん、そう。
 さあできたっ!」
 自分のしたコーディネートを満足そうに見る郁乃の横で、マビノギオンが初めてとまどった表情を見せる。
「……温かい格好を、と言ったのですが……それがなんでゴスロリなんでしょうか?」

 頭の先からつま先まで黒いサテンと黒いレースで埋まった少女の姿に、マビノギオンは本気で動揺していた。
 なにしろ、かごまで黒。
 マッチ箱の隣には、ジグザグに縫われた眼帯ウサギが押し込まれている。

「えー? だーって、メイド服よりはこっちの方が断然いいじゃん! それにこの格好なら絶対だれも無視なんかできないでしょ!」
 不思議そうな表情であちこち引っ張って見ている少女を前に、郁乃は自信満々胸を張る。

  ――メイド服かゴスロリしか選択肢ないんですかっ!? 狭ッ! 他にもあるでしょう……えーと。何か! もうちょっと何か!


「似合ってるよね!」
「……えー…」
 少女が純真無垢な目で、じーっとマビノギオンを見上げている。
「似合ってます。かわいいですよ、もちろん」
 マビノギオンの言葉に、少女はうれしそうにほほを染めて笑顔になった。
「こんな、きれいなお洋服、初めて…。これ、あたしの?」
「そうだよ! これは全部きみのもの!」
「うわあ…。ありがとう、おねえちゃん」
 そういう問題じゃないと思うのだが。
 ぺこっと頭を下げる少女を見ると、もうマビノギオンには何も言えなかった。

(まぁ、喉も耳も手足も覆われて、先までの服装より全然温かそうですし……血色も大分良くなってきてますから…)
 自分で自分を納得させているマビノギオンの前。

「おねえちゃん、もう戻らなきゃ。マッチ売らないと、お父さんが…」
「よーし! じゃあ下の食堂でごはん食べて、おなかいっぱいになってから行こうね! おなかがいっぱいになったら元気になって、大きな声も出るから!」

「ああっ! 主!」

 郁乃はまたもや少女の手をとり、ぱぴゅんっと部屋を飛び出していった。




 朝からずっと雪の降る曇天で、太陽はちらとも見えず分かりにくかったが、すでに夕暮れが近付いていた。
 降り積もった雪からじわじわとくる冷気に、少女はとうとう座り込んでしまう。
 はーっとかじかむ指先に何度息を吐きかけても、感覚は戻ってこなかった。

「……おうち、帰りたい……」
 手の中にこぼれた言葉。
 ぽつっとはだしの親指に涙のしずくがこぼれる。
 足先へ落ちた視線の先に人影が入って、少女はあわてて涙をこすり取った。

「いらっしゃいませ! お客さん、マッチがご入り用ですか?」
「あなた、大丈夫?」
 雪住 六花(ゆきすみ・ろっか)は手に持っていたマフラーを、ふわりと青白い少女の首にかけた。
「泣いていたようだけれど」
「あ……は、はいっ。あの、大丈夫ですっ。あの……あの……っ」
 きれいな女性だった。
 自分みたいに泥とかしみとかどこにもついていない、きれいな人。上流階級のお嬢さま。
 少女はマフラーを掴みかけた手を、あわてて背中に隠した。さっき指を曲げた際、あかぎれが割れてしまった。触ったら血をつけてしまう。
 こんなきれいなマフラーなのに…。
「大丈夫です……だから、あの……これ…」
「もうじき日が暮れるわ。子どもはおうちに帰る時間じゃない?」
「はい……そう、ですね…」
 少女も帰りたかった。マッチは売れないし、おなかはからっぽ、体の芯まで寒くてたまらない。

(でも、1個も売れてないのに、戻ったりしたらお父さんまた…!)
 ぎゅっと目をつぶる。
 母が死んでから、父は変わってしまった。ずっと酒びたりで、出てくるときも酒瓶を抱えて机に突っ伏していた。もしまだあの状態だったら…。

「帰りたくないの?」
「……マッチ、売らなきゃ…」
 青ざめ、身を固くして震える少女に何ごとかを感じて、六花は手を伸ばして肩を抱き締める。2人の前に、そのとき、すっと1枚の紙が差し出された。

「お話は……聞かせていただきました。よかったら、これをどうぞ〜」
 いつの間に近づいていたのか。白い髪の細身の男性が、かがみ込むように2人の横に立っていた。彼もリストレイターだ。名前は――たしか、非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)といったか。
 片手で紙の束を抱えている。差し出しているのはそのうちの1枚らしい。
「……ありがとうございます」
 警戒している少女のかわりに六花が受け取った。
「これは、何です?」
「教会の、救済施設の案内です〜。本来、大人のホームレスを収容するためのものですが……浮浪児たちにも、年末年始だけでも暖かい場所ですごしてもらおうと、チラシを配っているんです」
「そうですか」

 六花はチラシを見た。施設はそう遠くはなさそうだ。これなら行けるかもしれない。
 そう思って、ポケットからハンカチを取り出した。
「あっ……おねえちゃん……!」
 少女が驚いている隙に、するりとハンカチを右の足の甲に巻きつけた。
「暖かくはないかもしれないけれど、素足よりはいいと思うわ」
 そして左足には、首からはずしたスカーフを。
「だ、駄目です、そんなことしたら、せっかくのきれいな――」
「いいのよ。あなたはそんなこと、気にしなくていいの」
 そっと頭に触れて、そこにうっすら積もっていた雪を払う。

「行き道で靴屋さんがあったら、そこであなたにぴったりの靴を買いましょうね。馬車を避けても脱げないような」
「そんな……で、でも…っ! い、いただけませんっ」
 あわてて足のスカーフもほどこうとする少女の手を掴みとめ、六花はやんわりと首を振る。
「大丈夫よ。靴代は、そのマッチが売り切れれば手に入るわ」
「で、でも………………全然……売れなくて…」
「大丈夫!」
 恥じ入ってうつむいてしまった少女のほおを、力づけるように両手で包む。あなたは1人じゃないと、伝わるように。
「私も一緒に売るわ。売り切れるまでそばを離れたりしない。だから心配しないで」
 目が、驚きに見開かれた。
 そばにいると……こんな優しい言葉を最後に聞いたのは、いつだろう? ほおに触れた手は今ではぼんやりとした影になってしまった母のぬくもりを思い出させて、少女の目に涙がにじんだ。
「さぁ、行きましょう」

「そちらへ向かわれる前に、こちらを食していくというのはどうでございましょうか」

 ほかほかと湯気の上がる椀が突き出された。
 椀の先には手があって、手の先ではアルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)がにこにことほほ笑んでいる。

「これ…」
「救世軍でございます。年の瀬の炊き出しにまいりました。よければこれなどもいかがでございますか?」
 背中に回してあった手を前に出す。そこには、温かそうなセーターが乗っていた。
「え、でも…」
「リサイクルでございますよ。信徒の方々に不用品を寄付していただき、こうして配付しているのでございます。
 ほら」
 と、視線で後ろの通りを指す。
 そこには、ほかのマッチ売りの少女たちに防寒具や服を配るユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)の姿があった。

「ほかにも、こういうものがあるぞ」
 近遠の後ろから現れたイグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)が、別の紙を六花に手渡す。
 文盲の少女では読めないと、彼女はもう分かっていた。
「救済施設は年越しにはいいかもしれないが、年末年始の臨時受け入れで、あくまで一時しのぎでしかない。その子どもにはこちらがいいだろう」

「おねえちゃん、何?」
「孤児院よ。子どもがたくさんいる所」
 少女に文字が読めないのは分かっていたが、施設や子どもの絵がついていたので見せてあげた。
「うわあ…」

「申請書はこちらになります〜」
 近遠が六花に数枚の紙を渡した。
「こちらは記入方法を記したものです。
 説得はあなたにお任せします。もし入ることを希望されるのでしたら、あなたが記入してあげてください〜」
「分かったわ。ありがとう」



「どうにかできて、何よりですわ」
 戻ってきた3人を迎えて、ユーリカが満足そうにうなずいた。

「少女たち全員に手渡してくださいましたか?」
「一応な。向かうかどうかは分からぬが」
 イグナは近遠からチラシを受け取り、自分の書類とまとめて両手に持つ。役割を終えた紙の束は、まるで結合していた組織がほどけるように空中に霧散していった。
 難しい顔をしているイグナの肩を、近遠の手がぽんと叩く。
「仕方ありませんよ〜。セラは孤児ではありません。娘として、父親を慕うのは当然ですから〜」

 近遠も一緒に見ていたから、何がイグナの胸を重くふさぎ、苦しめているか、分かっていた。
 救済施設の話をしても、孤児院の話をしても、少女は心から喜んではいなかった。おいしい食事が手に入る、温かな寝床で休めると喜んだすぐあとに、どの少女も表情をくもらせた。
 父はあの貧しい家にいるのに、自分だけがそんないい思いをするのは間違っている、そう考えている目だった。

「あの子たちは……行かぬだろうな…」
「ボクたちは道を提示することしかできません。のどの渇いた馬を水辺に連れて行くことはできますが、それを飲むかどうかは馬が決めることなのです。また、そうでなくてはならないと、思いますよ〜」

 他人の運命を決めるような傲慢さは持ってはならない。
 たとえこの手の中にあったとしても、それは使ってはならない力なのだ。

「そうだな…。
 近遠、我は強くあらねばと思ってきたが、まだまだのようだな」
「え? なぜですか?」
 きょとんと近遠はイグナを見返す。
「イグナさんは十分お強いですよ〜。ただ、過保護なんです。わりとね」
 特に子どもには。

「さて。ユーリカさん、アルティアさん、お2人とも終わりましたか?」
 くるりと振り返った近遠に
「お鍋はもうすっかりカラでございますよ」
「お洋服も、皆さんに行き渡ったと思いますわ」
 2人がそれぞれ、鍋の底とたたみ終えたダンボールを見せて答える。

「それでは、遅くなりましたけれど……買い物に行きましょうか。19世紀のデンマークの本屋には、どんな書物があるか……考えるだけでわくわくしますね〜」
「すっかり遅くなったのですわ。空をご覧くださいな。吹雪になりそうですわよ?」
 ユーリカの言葉に、全員が空を仰ぐ。
 空は灰色の暗い雲に覆われて、太陽も星も月も見えない。ただ雪だけだ。
「本当なのでございます。それでは急いで買い物を済ませて、帰るのでございます」
「うん。そうしましょう」

「あの少女たち……父親も含めて、皆生きててくれると良いのであるが…」
 大通りの端で、イグナは一度だけ振り返った。