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【蒼空ジャンボリー】 春のSSシナリオ

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【蒼空ジャンボリー】 春のSSシナリオ
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リアクション



とある教育実習生の一日


 ジリリリリリ……。
 部屋に鳴り響くアラーム。肌触りの良いシーツの上を彷徨う手は、携帯電話を掴み上げると、ルーチンワークでそれを切った。
 そのままぱたりと、腕がベッドに落ちる。
 当初彼女には上質すぎて、柔らか過ぎるかと感じられたベッドは、今は重い四肢をすっかり埋もれさせて、もうベッドと一体化してしまいたいくらいで──、
「……駄目駄目」
 呟いてゆっくりと起き上がると、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は部屋に備え付けられた、清潔で豪華なシャワールームへと足を運んだ。
 シャワーを顔に浴びて眠気を覚ますと、備え付けのアメニティから洗顔料を手に取る。勿論旅行鞄には入っているけれど、これまで嗅いだこともないようないい香りは、この部屋を割り当てられてから気に入って使用していた。
 祥子は寝汗を流すと髪をドライヤーで乾かし、化粧をして、スチームアイロンを当てたグレーのスーツに身を包む。
 それから、黒い鞄の中身に、さっと目を通して不備がないか確認する。
 手帳と筆記用具、前日に纏めたレポート、教科書、参考書、今日コピーして配布する資料、それに化粧ポーチなどなど……。
「よし」
 全て確認を終えると、スリッパから黒いローヒールの革靴に履き替えた。鏡の前に立って自身の姿を見渡してから、足元を見て、靴に付いた埃に気付く。
 まだ新しい、けれど戦友のような気分のそれから埃を拭って、彼女は部屋を、建物を出る。
 歩くこと数分。目の前にあるのはヴァイシャリー、百合園女学院の高等部本校舎だった。
「ごきげんよう、宇都宮先生」
 廊下を通り過ぎる乙女たちが彼女に汚れのない微笑みを向ける。
「ごきげんよう」
 答えて祥子は微笑み返す。
 彼女はそう、今は一人の空京大学生ではなく、百合園女学院の教師──教育実習生だった。


「ごきげんよう、皆さん。
 それでは前回の続き、26ページから始めましょう。参考書は5ページを開いてください。……宜しいでしょうか? その間に、本日のプリントを配ります」
 背筋を伸ばし、何度も頭の中で繰り返していた流れを口にする。
 教壇に立った祥子に注がれるのは、三十人以上の生徒と、そして教室後方で椅子に腰掛けている指導教諭の視線。
 上質な木材でつくられた教壇や机、椅子。飾られている百合の花瓶。柔らかそうな髪と肌の無垢な乙女たち。目に入った窓の外の景色すら、上品なカーテンと窓枠に縁どられた絵画のようだった。
(ああ……慣れてると思ったんだけど)
 祥子は、度々ヴァイシャリーや百合園を訪れている。百合園に通う友人もいる。自身の出身国である日本の色を濃く残す学校でもある。
 けれど。模範となるべく、一挙一動はおろか一挙手一投足まで気を遣うなんて……それも、お嬢様たちに対して。
 昔ながらの白チョークでカツカツと板書しながら、彼女は良く通る声でテキストの朗読を指示し、自身も読みながら線を引かせ、解説する。
 一通りの解説を終えたところで既に時間は三十分ほど過ぎていた。
「ではプリントを見てください。この時期のポイントは──」
 手製のプリントは地図やイラスト、写真を織り交ぜたもので、一目で歴史の流れが多角的に分かるようになっていた。
 祥子は手際よく解説を進めながら、時折こぼれ話や予備知識的なものも入れていく。年代や単語を覚えたりするだけでは味気ないし、頭にもすっと入らない。
 いや……それだけではない。歴史は、人が作るものだ。
 息遣いも手触りも、この1ページ、一文の中に、本当は込められている筈だ。
 契約者としてシャンバラの建国を見てきた彼女は、それを嫌というほど知っている。
 多くの人がどれだけ泣き、笑い、血を流し。
 大切な人が、ただ「古代王国滅亡」と「シャンバラ建国」という口にしたら二単語にしか過ぎないそれに、どれほど翻弄されてきたか。
(……?)
 祥子はふと、廊下へ続く扉の窓から、その大切な友人の、波打つ銀の髪が見えたような気がした。が。
(まさか、こんなところにいる訳……ないわよね)
 とはいえ、余談は余談。時計と見えぬ格闘をしながら、一通りの授業を終えて鐘が鳴れば、それはまた次の教室への移動の合図だった。
 ……こうして午前の授業を終えて、彼女が教育実習室でお弁当を広げ、同じく庶民派の教育実習生と雑談を交わし──学食の値段は全体的にお高めで、お財布がすぐ空になってしまいそうだったから──また口をつぐんで次の授業の準備やレポートを作成する。
 そうこうしている間に午後の授業は始まり、分厚いサンドイッチをぎゅっと押し固めたような一日は、あっと言う間に過ぎてしまった。


 実習室の、これまた無意味に豪華な布張りの椅子に腰を降ろした時には、身体はくたくただった。
 それでもめげずに鞄からレポートを取り出して、日誌に今日の授業レポートを記入して、提出。
 その後、先に他の実習生が帰り、誰もいなくなった実習室で、もう少し明日の予習をここでやっていこうとテキストを広げ始める。寮に帰ったら、ベッドの誘惑に克てない気がしたからだ。
 眠る時間もろくに取れなかったし、教わる側から、教える側になったし。それから、生徒に貴賤をつけるつもりはないけれど、やっぱり何か「世界」が違う──。
「はぁ……」
 思わずため息を吐いた彼女だが、その時、意外な声が耳に飛び込んできた。
「──お疲れのようですわね」
 祥子は顔を上げ背筋を伸ばすと、がたんと椅子の音を立てて立ち上がった。
「え、ちょっと、……見間違いじゃ……」
「見間違いとは失礼ですわね」
 狼狽する祥子を映す、微笑んでいる赤い瞳。長くウェーブした銀の髪には、青薔薇が咲いている。
 見間違いようもなく、友人のティセラ・リーブラ(てぃせら・りーぶら)だった。
「ティセラさんなんでヴァイシャリーにいるんですかっていうかひょっとして授業みてました?」
 祥子は思わず“さん付け”してしまい。顔を隠そうとして参考書で勢いよく鼻先をぶつける。
「……不覚でした」
 力なく参考書を机に置き、椅子に埋もれて赤い顔で俯く祥子に、ティセラは微笑みながら、教育実習室の茶器でお茶の支度を始めた。
「百合園女学院には、パッフェルに会いに参りましたのよ」
 ティセラは親友・パッフェル・シャウラ(ぱっふぇる・しゃうら)の名を挙げる。
「彼女から教育実習生の噂を耳にしましたの。せっかくの機会ですから拝見させていただきましたわ」
 その言葉に祥子は、何で気付かなかったんだろう、と。自身の見間違いなんて思った判断を振り返って余計に恥ずかしくなる。
(見られてたらもっと張り切ってたのに……いえ、慌てて逆に失敗したかしら)
 でも恥ずかしい中で、何だかほっとして。じんわりと温かい気持ちが緊張ごと心をほぐしてくれるのを感じていた。
(ああ……明日も頑張ろう。きっと頑張れる)
 そして、力が抜けて机にもたれかかりそうになる祥子の前に、ティセラはティーカップをそっと置いた。
「……いい香りだわ」
 祥子は両手でカップを持ち上げ、まだ少し赤い顔でお茶を口にした。
「そうですわね」
 ティセラは頷き、ゆっくりと彼女が紅茶を飲み干すまで、そっと、少しずつ大人になっていく親友の横顔を見守っていた。