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夏の海と、地祇の島 後編

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夏の海と、地祇の島 後編

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 あやつらは一体、なにをやっておるのだ。クジラを近くまで引きつけてくる、と息巻いて行ったから、任せたというのに。
 これは遊びではない。れっきとした救助活動なのだぞ。
 
 どう見たって、追いかけっこに興じているようにしか見えないパートナーたちの様子に、林田 樹(はやしだ・いつき)は呆れの色濃いため息を、浜辺で吐き出して肩を竦める。
 巨大な、……とてつもなく巨大なクジラ。その鼻づらの先を、二機のホエールアヴァターラ・クラフトが競うようにして掠めては離れていく。
 
 それは件の、樹のパートナーたち。緒方 章(おがた・あきら)と、緒方 太壱(おがた・たいち)のふたりである。
 いや。誘導そのものは緩慢で少しずつではあったけれど、たしかに出来てはいるのだ。いささか、真面目さからは遠きに視点が置かれすぎているきらいがあるものの。
 鼻の先をいったりきたりするふたりの姿を見つけて、おとなしくも人懐っこいというクジラはたしかに、章と太壱へとじゃれつこうとその巨体を動かして追っている。
 誘導を行っているように一見して見えないのは偏に、両者の間に、体躯の差がありすぎるがゆえに、である。
 
 なにしろ、いかに浅瀬へ近づいてきているとはいえまだ十分に陸とは距離があるにもかかわらず──パラミタコロサスホエールのその巨体の全長は、樹たちの立つ白い浜辺の、それより遥かに長いのだ。まさしく、水平線と錯覚してしまいそうなほど。双眼鏡越しですら、その巨大さがよくわかろうというものだった。
 
 コロサス……巨像とは、よくいったものだ。ここまで大きいとは。
 
「どうでしょう? なにか、変わりはありませんか?」
「卜部先生」
 水着の上からパーカーを羽織った教師が、樹のもとに近づいてくる。
 蒼空学園の、卜部 泪(うらべ・るい)先生だ。彼女の通報で、樹たち救助チームがこの島にやってきたのだが。
「今のところは、浅瀬に誘導しないと、といったところですね。内部との交信も先ほどから途絶したままですし」
「そう、ですか」
「誘導が完了し次第、最も救助が簡易と思われるルート……つまりあのクジラの口腔部から救助活動に入りたいと考えてはいますが」
 クジラに呑み込まれた面々には、彼女の教え子たちも多い。尤も、身内が巻き込まれたという点では樹とて同じことではある。知人が約二名、フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)がおそらくかなりの高い確率であのクジラの中にいる。
「──と。貴様らは多少なりと真面目にやらんかっ!!」
「うわっ!?」
 いい加減、遊び過ぎだ。クジラにも、競争にいそしむふたりにも直撃をせぬよう的確に狙いをつけながら、拳銃を引き抜き海原へと威嚇に発砲する。
「わかった、わーかった! やるから! ちゃんとまじめにやるから!」
 今だって、やってるだろ!? と海の上から抗議と反省が返ってくる。
 そりゃあ誘導はしているだろうが、やっぱり真面目ではなかったんじゃないか。
 愛用の拳銃をホルスターに収めつつ、憤懣を湛えた表情を樹は隠さない。
 
 ──と、そのとき。
 
『──……れ、かっ……外の……か……っ』
 
 胸ポケットに収めた通信機から、ノイズだらけの声が、漏れ聞こえる。
 何度か通信を試みている、フレンディスたちの声ではない。けれどたしかに、それは要救助者からの、クジラの中からの通信。
「私だ!! 姓名を名乗れ! 今、近くに誰が何人いるのかも! 聞こえたら、返せ!」
 とっさ、樹は通信機をひっぱりだし、その声に対し言葉をぶつけ返していく。電波状態が多少悪くとも、伝えなければならないし、伝わらなくてはならない。
 いつでも救助活動に入れるよう準備をしていた林田 コタロー(はやしだ・こたろう)が、状況の変化に気付いてか、通信機に向かい怒鳴る彼女の傍で、その顔を覗き込んでいた。
 
「大丈夫ですよ。きっと、好転しますから」
 
 やさしい、クジラさんの中に皆はいるんですから。
 言って、泪先生は小さなゆる族をそっと、両腕に抱いたのだった。
 

 
「こっちは今ふたり! 場所は……わからない! とにかく、クジラの中のどこかとしか!」
 
 コウモリに、追われていた。
 
 パートナーのリリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)の手を取り、通信機に向かって怒鳴りながら、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)はコウモリの群れから走り、逃げ惑う。
 自分はいい。男だし、どうにでもなる。けれどリリアは、着衣を狙ってくるこのコウモリたちにやらせるわけにはいかない。
 彼女に追いすがるコウモリは、いまのところはリリア自身のスキルによって悉く撃ち落され、無力化されてはいるけれども。
「口腔の側!? そっちに皆を誘導すればいいんだね? 了解した、やってみる!」
 ひどい音質とノイズではあったけれど、辛うじて言葉のやり取りはできた。聞かされたのは、外にいる救助隊の計画と、それに求められる内部からの協力。
 もともと、出口は探すつもりだった。そしてまず思いついたのは鼻の孔──つまり、潮吹きの穴か、大きな口か。どちらかを目指すべきだと当たりもつけてあった。
 これで、どちらを目指すかの判断基準がはっきりとしたのだ。ちょうどいい。他の皆を、かき集めなくては。
 
「──っと!?」
「わわわっ!?」
 
 そうして、曲がり角を全速力のまま曲がって。
 そこで、向かい側から走ってきていた影と思わず、ぶつかりそうになった。
「ご、ごめんっ!!」
「いや、こっちこそ……って!」
「わっ!?」
 その、ぶつかりそうになった相手には見覚えがあった。
 ライフセーバーのバイトをしていた……そう。芦原 郁乃(あはら・いくの)。立ち止まっている間にも接近するコウモリたちをやりすごすべく、リリアとともに彼女と手を掴んで、横道に引っ張り込む。
 三人の入り込んだ横道に気付かず、コウモリの一団は飛び去っていく。
「……どうにか、やりすごせたみたいね」
 リリアが、ほっと息を吐く。エースが手を離すと、巻いたロープを肩からかけた郁乃も、安堵の表情を浮かべる。
「ごめん、助かった」
「いや。……他の人たちは?」
「オーナー……んぐ、蒼の月さんと何人かは、もっと向こう。あとの人たちはちょっとわかんないなぁ」
 でもって、私はライフセーバーとして救助活動の真っ最中。
「脱出ルートも確保しないとだし。とりあえず、鼻からこのロープ使って出られないかなって」
「ふむ」
 
 出口……出口、ね。
 
「じゃ、私行かないと」
「あ、ちょっと待って」
 鼻は、ダメだ。口を開かせるために、もうじき塞がれる。だったら。
 そのロープは──もっと別のことに使わなくては。
「やってきたここまでのルート、どういう状態だった?」
「え?」
「出るなら、口からだ。行こう、ばらばらに分かれて動くより、まとまっていたほうがいい」
 

 
 そしてここでも、出口を探す者たちが目的地を、定めていて。
「救助隊が動いてるなら、一番出入りのしやすい口からくるはずだ。そうじゃなくても、広い上に開閉する機会は多いだろう」
 時折、コウモリを撃ち落とし。走りながら、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は言う。
 後ろに続くのは、白姫岳の精 白姫(しろひめだけのせい・しろひめ)。一路、ふたりはクジラの口腔部を目指す。
「──にしたって、ほんっとしつこいコウモリたちね!」
 その頭を、コウモリがかすめていく。それを女性の掌が叩き落とす。
 エヴァルトたちと合流することとなった、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)
 前からくるコウモリをエヴァルトが迎え撃ち、そこを抜けてきた個体を更にセレンフィリティが撃退する。そして最後尾を、セレンフィリティのパートナー、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が固める。ちょうど、体格的に劣る白姫を三人がカバーするかたちだ。
 
「このまままっすぐ、喉のあたりまで行ければいいのだけれど」
「そりゃ、そうね」
 
 セレアナのぼやきに、愉快そうなセレンフィリティの苦笑。
 ほんとうに、彼女らの言うとおりにすんなり行けば僥倖なのに。
 
「お、っと」
 開けた場所に、出る。先頭のエヴァルトが一行を制し、皆がその場に立ち止まる。
「ちっ。また泳ぎか」
 そこは、大きな潮だまりになっていた。クジラの胎内には違いないが、その光景はまるでだだっ広い鍾乳洞の中の地底湖のようですらある。
 一体、いくつめだろうか。セレンフィリティの武器がオートマッピングしているこれまでの道筋に、既にもう何度も同じような構造と光景が記録されているというのに。まだあとどれだけあるというのだろう。
「ま、ぼやいても仕方ないでしょ。コウモリたちが来る前に、とっとと泳ぎきっちゃいましょ」
「まあ、な」
 うんざりした表情を見せたエヴァルトに、セレンフィリティが言う。
 たしかに、言っていてもはじまらない。とにかく今は、前に進むしかないのだから。
 
「待って」
「?」
 
 そんな両者のやりとりを尻目に、薄暗い水面をじっと、セレアナと白姫が見つめている。
「どうしたの?」
「あそこ」
「なにか、いる」
 ふたりに言われ、セレンフィリティとエヴァルトは目を凝らす。
 暗い中に、なるほど──水面に。なにかが、浮いている。
 浮き輪と、そして。
「あいつは」
 
 その真ん中に、小柄な影がひとつ。
 
「──む?」
 ぷかぷか、浮いている。その影がこちらの気配に気付き、振り返る。
「そこに誰か、おるのか? どうやら眼鏡がどこぞに流されたらしくての。……ここは、どこなのじゃ?」
 浮き輪に身を任せたその姿は、レキのはぐれたパートナー。ミア・マハその人に他ならず。
「ひとまず、陸地に引き上げてもらえんかのう?」
 エヴァルトとセレンフィリティは顔を見合わせる。当然、異論などない。
 OKわかった、と、両者ともに水の中に飛び込もうとして──……、
 
「ストップ。行くのはセレンと私」
「んあ? なんでだよ?」
「いいから。あなたたちはここで待ってるの」
「?」
 ほら、行くわよ。セレン。
 はーい。ふたりはそう言いあって、飛び込んでいく。
「なんなんだ?」
 この時点で、そうやって男であるエヴァルトをその場に留めた理由は、言いだしたセレアナしか知らない。
 泳ぎ、浮き輪のもとに向かいながら「なんで?」とパートナーから訊かれ、セレアナはこう応えた。
 
「だって。あの子、裸なんだもの。……たぶん、コウモリに全部持って行かれたのね」