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蒼空学園の長くて短い一日

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蒼空学園の長くて短い一日
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リアクション

 リュートを爪弾く音に、柔らかな歌声が重なる。
 ルネサンスを思わせる調弦の兄の演奏と友人の歌声にフレンディスは長い睫毛を伏せていた。
「で。なんでブラコンとシスコンが同時に現れんだよ」
 音楽室に入った所で会ったのは、予定通りのグラキエスとベルテハイトの兄弟と、意外な事に彼らと雑談していたアレクだった。
 厄介ごとが増えた予感に不機嫌なベルクに、グラキエスは説明する。
「移動中に会った。俺はドラゴンのスティリアとヒュドラのアマダスを連れていたから暴風も蒸し暑さも問題無かったが、彼は大変だろうと思った。だから一緒に行こうと誘って――」
「そいつは己の変態力とシスコンパワーでそんなもんどうにでもなる」
 要らぬ事を言って振り向かれた瞬間には何らかのダメージを覚悟したのだが、飛んで来たのは
演奏を聞いて何となく高尚な気分で姿勢を正すポチの助を抱いて穏やかに背中を撫でていたアレクの微笑で、ベルクは暴力や暴言を受けるよりも酷く戦慄した。
「この暴風雷雨の原因って、気持ち悪ぃ性格になったアレクにあるんじゃねぇか?」
「ベルク、失礼な言いがかりは辞めてくれ。
 『気持ち悪い』ではない、『正しい』のはこちらのほうだったんだ。
 俺は間違っていた。
 今は先生達のお陰で解放された気分だよ」
 悪い宗教はまった人間のような言い回しをするのは皮肉なのだろうか。その笑顔も言葉もどうせ作り物だということくらいベルクには分かっている。
 ――暴風雷雨についてはただの言いがかりだが。



「この演奏を愛しい弟――グラキエスに捧ごう」
 演奏が終了して当然のようにグラキエスの手を取るベルテハイトに何時もの事だと諦めて、ベルクはジゼルに視線を移して少々驚いた。
 てっきりあのバカ兄貴ならば「俺の可愛いヴィーラ」と妹を抱きしめて「天上の旋律」だとか気が狂ったような褒め方でもするかと思ったのだが、歌い終えたジゼルを囲むのはフレンディスとポチの助、それから廊下から彼女の歌声を聞きつけやってきていた、山葉 加夜(やまは・かや)だけなのだ。
「アレ君らしくないね」
 横でそう言うのは、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)だった。学園を訪れては時々こうしてジゼルと二人音を合わせていた彼女は、今日も何となく音楽室へ辿り着いていたのだ。
「ジゼル君の歌にも反応しないなんて……遂に――いえ、また気が狂ったのかしら」
 リカインはさらりと毒を吐き出し、ジゼルへ振り向いた。
 彼女は珍しく目元を歪ませて、絞り出す様な苦々しい声を出す。
「――最近変よ」
「何がですか?」聞き返すフレンディスに、ジゼルは「アレクのこと!」と乱暴な声で答えた。
「? ジゼルさん、アレックスさんに変化は見受けられませんが……?」
 意味が分からず逆に悩み始めたフレンディスに、ジゼルは説明する。
「だってここにきてくれないわ。前までは私が歌えば何時だって嫌になるくらい抱きしめて褒めてくれたのに」――ベルクの偏見塗れの予想は大体当たっていたらしい。あの変態シスコンめ。まあ今回は違ったようだが。
「皆様に囲まれているからではないのでしょうか。
 高等部では大人の殿方が珍しい故、大人気ですね」
 リカインと話しているベルクと、グラキエスと二人の世界を作っているベルテハイトと違い、一人離れた位置に居たアレクは高等部の少女たちに囲まれていた。フレンディスの言う通り、毎日毎日同じ事が繰り返される学園生活は、女子高生たちにとって年上の男性が現れただけで妙に華やぐものなのだろう。しかもマスコット犬まで抱いているし。
「だってあんな高そうな服着てたら女の子が集まってくるに決まってるじゃない」
 ジゼルの指摘に益々頭を横に倒していくフレンディスに、加夜は耳打ちするように助け舟を出す。
「とても綺麗なラインですし、生地もかなり――上質って言えばいいのかしら。兎に角大体の女の子ならぱっと見ただけで、分かるって事ですよ」
「金持ってそうだから女が寄って来るって意味だ」
「そうね。超金持ってそうな顔もしてるし」
 ベルクもリカインもこぞって良い服が似合うスタイルだからとか、育ちが良さそうな顔立ちだとか、そういった言葉を敢えて避けて『金』の部分を強調するのは、奴を褒めるような真似をしたら負けだという無意識がなせるものだった。
 ワンポイントしか無い無地のシンプルなシャツと、パンツスタイルだったが、そのワンポイントこそ庶民では手が出ないブランドの証だった。
 このところは兄お仕着せのエレガントなワンピースを着ていても、未だに貧乏時代を引き摺っているジゼルにはブランドなぞ全く分からないが、加夜の言う通り一応年頃の女の子なのだからあれがいいものだということくらい分かっていた。
 そもそも(――何らかの餌を貰って)それを選んで買って来たのはあのおしゃれにうるさいキアラ・アルジェントだ。
「どーせあれ超高いデパートの超高いブランドの服なんでしょ!
 あんなの着てたら『見ての通り僕は貴族の王子様です』って言ってるようなものじゃない!
 何それ! お兄ちゃんは何時も良く分かんない微妙な葉っぱとか土みたいな色の服着てればいいのよ!」
 酷い言い草だったが、確かに『最近』になるまでアレクはON DUTYだろうがそうでなかろうがベースレイヤーにカーゴパンツとタクティカルブーツという投げやりな『見たまんま俺は軍人です』スタイルだった筈だ。
 それが何時の間にか髪型からしっかりと身綺麗に纏め、何があろうと変わらない(――割りに変な所で変な笑顔だけ見せる)能面も、ダラダラしている癖に歩くときの怖いぐらいのスピードも無くして、大人の男性らしい余裕のある動きと柔らかい表情で少女たちを魅了している。
 一体全体どうしたというのだろう。
 アレクの『どうしようもない所をどうにかしよう』と無償で世話したあの優秀なセネシャル――椎名 真(しいな・まこと)は、その職務に相応しく本当に貴族の王子様を作り上げてしまったらしい。
「大体なんであんなに女の子に優しくするのかしら。
 そういう女の子は嫌いだってトーヴァは言ってたのに」
 以前ジゼルはトーヴァ・スヴェンソンに、過去にアレクが女性にしつこく媚びられ纏わり付かれた結果、口にするのも憚られる言葉――つまりFワードの後に「your self!」と激昂したと爆笑しながら話していた。
 酔っぱらいが話してくれたそのエピソードが正しいなら、女性嫌いでも女性が苦手でも無い兄がそこまで怒ったのは、相手の女性の媚びるような態度が不快だったからということになるが。
 ――目の前の女の子は『金』に媚びまくっているじゃないか。
「なんでニコニコするのかしら。
 何時もみたいに無表情だって私にはちゃんと意味が分かってるのに」
「ジゼルちゃんはアレクさんが他の女の人と親しくしていたらイヤ?」
 加夜に指摘された瞬間、ジゼルは目を丸くして、直後に破顔するとヒステリックな位高い声で笑い出した。
 深い付き合いの加夜や親友のフレンディスでさえ見た事の無かったジゼルの異様な雰囲気に、彼女の友人達は絶句している。
「あははははは! 何言ってるの加夜! アレクは私のお兄ちゃん、私はアレクの妹よ!
 お兄ちゃんに恋人が出来て幸せになるなら、妹にとってそれが一番だわ。それに彼女と過ごす様になったらきっと妹離れしてくれると思うし、変態さんみたいなこともしなくなるし――良い事尽くめじゃない!」
 笑顔は動かないが、彼女のストレス値が限界なのは誰の目にも明らかだった。リカインはそんなジゼルの肩をぽんぽん叩くと、サムズアップして白い歯を見せ、そしてアレクの元へと向かって行った。



「やあアレ君。ご機嫌いかが?
 今日も元気にお兄『様』をやっているようで何より」
「上々だよ。しかしリカイン……今日の貴女は『お姉さん』か、忙しいな」
 互いに口から出されたのは明らかな皮肉である。
 リカインもアレクも、その時同時に頭に浮かんでいるのは相手が『何か企んでいるに違いない』という疑いだ。
 少女達の手前二人とも穏やかな表情は変わらないが、演技力ならば女優であるリカインの方が上手のはずなのだ。両手を大げさに広げながら、リカインは懐かしい家族を出迎えるような素晴らしい笑顔をアレクへ向けた。
「そうねアレ君、今日から私――リカイン・フェルマータを、姉だと思ってくれて構わないわ」
「わかった」あっさりと答えたアレクに、これまたあっさりとリカインは続ける。
「という訳で早速、何か悩みがあるならがあるなら相談に乗るよ」
 それにしてもごくごく自然に不自然な台詞を吐くものだと、アレクは内心笑うと、抱いたままのポチの助の肉球を彼女へ向けた。
 この兄妹、妹も(無自覚に)あざとければ、兄もまたあざといのである。
「リカインお姉さん、俺には悩みなんて無いよ。
 今も可愛い女の子達に囲まれて、とても幸せさ」
 黄色い悲鳴が上がり、少女達はもの凄い勢いでアレクに群がり出した。リカインの前に少女の壁が出来上がり、アレクとの距離が開いて行く。
 『作戦通り』。
 『民心獲得』は優秀な軍人ならば誰でも出来る『工作技術』だ。甘いものが苦手なアレクがレーション用のポーチにロリポップを常備しているのも、無駄に様々な言語を身につけているのも偏(ひとえ)にそれの為である。つまり――実はその工作技術のスペシャリストである彼は、雑な笑顔と甘い言葉、それに持って生まれたいかにも育ちの良さそうな整った外見と、金の力を見せつけるというある意味最低な手法で、周囲の少女を軽く味方につけてリカインの演技力に対抗したのだ。
「ふふふ。誤摩化しても無駄。私はお姉さんだから全部お見通しよ」
 それでもそうやって笑ってみせるリカインが言っているのは何もハッタリやカマ掛けでは無い。
 彼女はこうして話している間も、ソウルヴィジュアライズの能力によって相手の――アレクの心を読み取ろうとしているのだ。
 だが――
「(これは……?)」
 何にでも限界があるように、如何に英雄と称えられるワールドメーカーの能力と言えども本心を固く閉ざした人間の心は見破る事は出来ないのだ。
 笑顔の下に隠された真実の表情といえば、相変わらずの無表情の方だった。
 表情が動かないのは長く軍役していたからその弊害かと思っていたが、どうやらそれだけではなく彼の心を覗くにはもっと心を開いてもらう必要がありそうだ。
 リカインが内心舌打ちした時だった。
「前から不思議だったんだが……」
 ふいにアレクが少女達の間からパーソナルスペースを越えて来たかと思うと、ポチの助の耳を塞ぎながらリカインにしか聞こえない声でこう囁いたのだ。
「あんたのような優れた能力者には、人の隠した本物の表情が見えるらしいな。
 という事はだ、俺があんたでエロい妄想してたら締まりのない表情がバレてしまうというわけか。困ったな、もうこの綺麗なお姉さんをオチオチおかずに出来ないじゃないか」
「んなッ!?」
 下らな過ぎるセクハラ攻撃で彼女を煙に巻いて、アレクは顔を赤白青に様変わりさせているリカインから離れて行く。

 ところで残念な事にリカインは『何かある』と疑ってかかっていったというのに、アレクには大して隠している様な事は無かったのだ。
 かつてのパートナーのリュシアンは、アレクの日々の行動を具(つぶさ)に記憶、記録し、冷蔵庫の中身から就寝時間に至る迄調べていた所謂ストーカーだったし、
 実の妹のミリツァは、「お兄ちゃんと私以外の世界の全てが滅べばきっと素敵ね」と微笑むような娘だった。
 あの二人との関係は異常だったという自覚はあるが、如何せんそれが基準なのだからアレクはパートナーであり妹であるジゼルに対するまともな接し方が分からない。
 そしてアレクなりに妹への真摯な愛を伝えようとした(彼女を貞操の危機に陥れる様な)行動は、危険なセクハラだと評価されてしまったのだ。
 だから近頃は周囲に言われるままに『まともな兄』らしく、ジゼルが不快にならないように、愛する妹に嫌われてしまわないように繊細に接しようと心掛けていただけなのだ。
 そうして新しいパートナーで妹の彼女に忠実に接する事で、自分が何もしてやれずに(――妹と男相手に果たして何が出来たかと言われれば、アレク自身にもさっぱりなのだが)藍色の石と金の輪だけをアレクの左耳に残して死んだ二人に報いようとしている気持ちも、幾らか混じっていたかもしれなかったが――。
 まあ余り色々深い事は考えていないアレクは、自分の行動がジゼルの不安や怒りを買っているとは夢にも思わずに、ただ彼女の理想の兄であろうと大人しく過ごしていただけに過ぎなかったのである。

* * *

「ありがとうベルテハイト、俺の願いを聞入れてくれて。
 やはり俺は自分で演奏するよりもそのリュートの奏でる音を聞いている方が好きだし、ジゼルとの演奏も思った通り――いや、それ以上に素晴らしかった」
「愛しい弟の頼みを断る理由があるものか。
 それにいつもは独奏会になってしまうからね、ジゼル嬢の美しい唄声に合わせる事が出来てこのリュートも喜んでいることだろう」
 指先でグラキエスの燃える様に赤い髪を弄びながらベルテハイトは金の瞳の眼差しをひと時も逃すまいと弟を見つめている。
 それを見せつけられて短く息を吐いたベルクに、アレクは追い打ちをかけるような情報を与えた。
「さっきはもっと凄かった」
「何が?」聞きたく無いが聞き返した。
「『グラキエス、足下が悪い。訓練で疲れてもいるだろう。抱いて行くからこちらにおいで』」
 状況は説明して貰わなくても、アレクの妙に似ていたモノマネで想像がついた。アレクとここまで来る間中ずっと、ベルテハイトはグラキエスを――恐らく姫君にするように横抱きに――抱いて歩いてきたのだろう。
「流石の俺もちょっと戦慄した。
 俺が人前でそんな風に意味無く抱っこして歩けるのはモフの助くらいだなぁ」
 異常なシスコンにここまで言われるとは、ベルテハイトの兄力は一体どのくらいのものなのだろうか。
「貴公はしないのか?」
 当然の事のようにそう問いかけるベルテハイトに、アレクは逡巡して両手をジゼルに向かって差し出した。
 しないのかと問われればつまりそれは一般基準で『妹は抱っこしてもいいもいいのよ』という事だろう。やったね。
「ジゼル、おいで。お兄ちゃんが抱っこしてあげるよ」
「いやよ」
「何故」
「ジゼルは分かってるの。お兄ちゃんがそう言って変なところ触るつもりなのは」
「髪と胸と尻と腰くらいは触ると思うが、人前でそれ以上はしない!
 あ、ごめんやっぱ眼球は入れて良い!?」
「お兄ちゃんのえっち! 変態!」
 妹からの罵りを兄は甘んじて受けた。
 というか「ありがとうございます」と返事をしている辺り、折角作り上げた『理想の兄』像は早々に崩壊しかけていた。
「その返しがより一層気持ち悪いわ近寄らないで!」
 ジゼルが自分の後ろに飛んで来た理由を一人良く分かっていないフレンディスを除いて皆が頭を抱える中、ベルテハイトだけは優雅に両手を叩いている。
「素晴らしいなアレク。貴公とジゼル嬢はとても息のあった兄妹ではないか!」
 何を褒め称えているのか全く訳が分からなかったが、グラキエスのみ理解しているようで頷いていた。誠に息があっているのはこちらの兄弟の方だ。
 そのうち新たな演奏の相談を始めた兄弟とジゼル達の傍からアレクが離れて行ったのに気づいて、フレンディスが追いかけて来る。
「アレックスさん、もう行かれるのですか?」
「ジゼルは暫くここで遊んでいるみたいだし、皆がいるならこの天気に興奮して飛び出して行くようなバカな真似はしないだろ。
 俺も用事があるから――」
「そうですか、残念です。
 アレックスさんの歌声も是非聞いてみたかったのですが……」
「俺の?」
 歌う事が嫌いなのだろうか不愉快そうな顔を浮かべて、それからふと思い立った様にアレクの口から出て来た歌は、軍の訓練時に唱和される歌――ミリタリーケイデンスである。
「恥ずかしながら英語の歌詞が分からなかったのですが、どのような意味なのでしょう?」
 期待の眼差しを向けるフレンディスに、アレクは頷いて翻訳を始めた。
 ここで脚注しておきたいのは、ミリタリーケイデンスの歌詞の幾つかは、余り品の良いものとは言え無い、ということだろう。
 格好だけは取り繕っても己の出自をとうに忘れかけているような無作法で下品な男の口から「爆撃」と「ぶっ殺せ」とマシンガンの名称がポンポン飛び出して、最終的に精液と女性器の隠語が出そうになった瞬間、慌てて飛んで来たベルクはその口を抑える事に成功した。
「お――お前はっフレイにっ……何を教える気だッッ!!」
「ベルク。俺は愛していると囁けばそれだけで幾らでもヤれる無垢な美女が近くに居ながら、毎晩胃を痛めるだけで聖職者のように何も出来ない哀れなお前を思ってだな――」
「いいから出てけ!!」
 こうしてアレクはベルクに蹴り出され、音楽室を後にした。