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サマーオールナイトクルーズ

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サマーオールナイトクルーズ
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リアクション

 
3.恋しい人
 
 
 ノックの音に、ニキータは部屋のドアを開けた。
 ドアの外にいたのは、見知らぬ少女だ。
 トレイに食事を載せ、無言でずい、と差し出す。
「ありがとう。でも貴女、ここの給仕じゃないわよね?」
 船の使用人の着ている服とは明らかに違う。首を傾げると、無言でメモを差し出された。
「この部屋に、食事を届けて欲しいの」
 と、タマーラに渡された部屋の番号のメモだ。
「うわ……悪いわね、こんなことさせちゃって。何かお詫びをしないとね」
 首を横に振って、少女は立ち去ろうとする。
「あら、待って?」
 ふと気付いたことがあり、くい、と少女の顎を取って上向けた。
 咄嗟に引き気味に怯える少女に笑う。
「やぁだ。可愛い“女の子”を取って食いやしないわよ。
 それより貴女すっぴんね。
 気にすることないくらい綺麗な肌だけど、折角のパーティーくらいおめかししてみたら? 興味はない?」
 ニキータは知らなかったが、今迄は、その必要はなかったのだ。
 これまで、彼女の世界は、水の中だったから。
 首を傾げる少女を、ニキータはぐいぐいと部屋の中に引っ張る。
「ちょっと試してみなさいな。気に入ったら念入りにしてあげる」
 椅子に座らせて、とりあえず似合いそうな色のルージュを唇に引き、手鏡を渡した。
「どう? 口紅だけでも結構印象が変わるものでしょ」
 少女は、食い入るように鏡を見つめている。うふふ、とニキータは少女の長い髪に触れた。
「どお? 髪もアップにしてみるとか」
 勿論、髪を結う習慣もなかったのだ。何しろ彼女の世界は、水の中だったから。

◇ ◇ ◇



 舞台の上では、オーケストラが華やかな音楽を演奏している。
 遠野 歌菜(とおの・かな)と、名実共にパートナーである月崎 羽純(つきざき・はすみ)は、ひとしきりダンスを楽しんだ後、ご馳走の数々に舌鼓を打った。
「船上パーティー、素敵♪」
 楽しく船旅を満喫しながら、歌菜はふと、こっそりと影からパーティーの様子を見つめている少女の姿を見つけた。
 ドレスはシンプルで女中と間違えそうだが、髪を可愛らしく結い上げている。
 視線を追ってみると、この船旅のホストと紹介されたエイリークが、イルヴリーヒと語らっていた。
 最も大事なゲストと判断しているのか、それとも女性客の注目を集め続けているイルヴリーヒの近くにいれば、自分も彼女らの視界に入る、という算段だろうか、客の相手をする時以外は、極力彼と一緒にいるようだ。
 少女の視線は、彼等に注がれている。
 他の女性客達のものよりも、その視線は真摯に感じられて、歌菜は気になった。
 視線の先では、イルヴリーヒが、暫く一人で佇んでいる様子の客を気にしているのに気付き、気が利くアピールか、エイリークがすかさず先回りをして、その女性客にダンスを申し込んでいる。
「こんにちは」
 急に声を掛けられて、少女はびっくりして振り向いた。
「びっくりさせちゃってごめんなさい。
 このケーキ、とても美味しいですよ。よかったら一緒に食べません?」


 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は、ハルカも誘ってこの船旅に参加していた。
 船上からの景色を楽しみ、ご馳走を食べたりして楽しんでいると、ダンスもご馳走にも目もくれずに立っている少女を見かける。
「どうしたんだろ、あの子? 話しかけてみようか」
 美羽の言葉に、ハルカも頷く。
「一人でつまらないなら、一緒に楽しむのです」
と、歩み寄ろうとしたところで、歌菜に声を掛けられている。
 流れのまま、美羽達も歌菜達の後を追った。


 また一方で、ネーブル・スノーレイン(ねーぶる・すのーれいん)も一人、パーティーを楽しんでいた。
 実際に来てみたら、自分には少し場違いのような気がしていたが、折角来たのだから、楽しまなくては損だ、と思うことにして、船内をあちこち散策する。
 そうしてふと、その少女の姿を見かけたのだった。


「あなたが、とても悲しそうな瞳をしているから、気になって……。
 よかったら、気晴らしに私達とお話しませんか?」
 ぱちぱち、と少女は瞬く。
「私、遠野歌菜って言います。
 隣は私の旦那様で、月崎羽純くん」
 よろしく、と羽純も言った。
「私は美羽だよ」
 美羽達も便乗して自己紹介する。だが少女は黙ったままだ。
「あ……もしかして、声が出せない?」
 こく、と少女は頷いた。
「じゃあ、私の言ってることに、イエスなら頷く、ノーなら首を振ってくれますか?」
 歌菜はそう提案してから、訊ねる。
「エイリークさんのことをじっと見てたけど……もしかして、好きだったりする?」
 少女は目を丸くして、ブンブンと首を横に振った。
「顔が真っ赤だよ」
 と、美羽が笑う。
「よしっ、ここは私達が一肌脱いであげようよ!
 私達が代わりに、エイリークに伝えてきてあげる!」
 どんと胸を叩いた美羽に、少女は驚いて腕を掴んだ。
 真っ赤になって、フルフルと首を振る。
「大丈夫! 心配しないで任せてよ」
「美羽、いきなり告白は、やっぱりちょっと早計なんじゃないかな……」
 美羽の思いやりや優しい気持ちは解るが、コハクはそう留めた。
 的確に、この少女の考えていることを察せられているのか、という心配がある。
「そうかなあ」
「でも、想いを伝える、ということには賛成です。
 恋は見てるだけじゃ駄目なんです」
 歌菜が言った。
「私も勇気を出して好きって伝えたから、今、羽純くんと一緒にいられるんだ。
 例え相手に好きな人がいても、自分の気持ち、絶対に伝えるべきですよ。
 何もせず終わるより、想いをぶつけるべきです!」
 少女は、じっと歌菜を見て、その言葉を聞いている。
「俺も歌菜の意見に賛成だ。
 何もせずに後悔するよりいい。
 それに、玉砕すると決まったわけじゃない。
 向こうは、君の気持ちを知らないんだろう?」
 気付いて貰えるまで待つというのはやめた方がいい。羽純もそう説得した。
 少女は、ぎゅ、と両手を合わせて握り締める。
 決意した様子のその表情を見て、歌菜達は頷いた。
「筆談で話したらどうかな」
 コハクが、メモ用紙とペンを少女に差し出す。
 受け取りながら、少女は困った顔をした。

「その子、文字が書けないのよ」
 声を掛けられて振り向いた。
 通りがかった見知らぬ女性は、少女と同じ屋敷に勤める女中だという。
 この人も、少女同様、主人であるエイリークにこの船旅に招待されたのだ。
「エイリーク様に拾われてから、ぼちぼち習っているのだけど、まだ自分の名前も書けないの。
 私達はアリーと呼んでいるのだけど」
「そうだったんだ。ごめんね」
 コハクはアリーからペンを受け取る。
「アリーって呼ばれてるんだね。私達もそう呼んでいい?」
 美羽の言葉に、アリーはこくりと頷いた。

 アリーの恋を成就させる為に、エイリークに探りを入れることにする。
 待っててね、と、美羽達は何故か引きとめようとするアリーに笑ってエイリークに向かう。


「えっと……えっとね」
 少し後ろで、一通り会話が終わるのを待っていたネーブルが、最後にアリーに話しかけた。
「もし、告白したいんだったら……砂浜がいいと……思うなあ」
 この島の浜辺には観光客等いないと言うし、シチュエーションとしては最高だと思う。
 アリーは解っていないのか、不思議そうに首を傾げた。
 他の皆が、すぐにでも、という意気込みだったのに対して、時間を置くようなことを言っているからだろうか。
 確かに、船旅は何日か続くから、砂浜で待ち合わせとなると、告白できるのは数日後、となるだろうが、それまでに心の準備をしておけばいいと思う。
「……うん、上手くいくかは分からない……けど、案ずるより……産むが易し……って、言うし、王子様を誘い出すのが恥ずかしいなら……私が伝えておくよ?」
 だから、頑張ってね、とネーブルはおっとりと笑った。



「よろしければ、一曲如何ですか」
 空になった飲み物の杯を、近くの給仕に渡していた綾小路 憂理(あやのこうじ・ゆうり)に声を掛けて来たのは、エイリークだった。
 一人でいたのを気遣われたようだ。
 一人でいたのは人と話すのが苦手だからだが、舞踏会の方にも参加したいと思っていたので、
「喜んで」
 と、憂理は差し出された手を取った。

 舞台音楽は、人数を減らした楽器音楽と、三人の歌姫によるものに代わっている。
「シャンバラの方ですか」
 問いに頷いた。
「正式な社交デビューをしていないので、失礼をしていなければいいのですが」
 面倒だなぁと思いつつも、猫を被って敬語を使ってみたりする。
「シャンバラの社交界も、素晴らしいものなのでしょうね」
 エイリークは興味を示した。
「その折には是非、エスコートさせていただければと思います」
 そう微笑みながら、シャンバラの社交界と誼を結ぼうとする。
「嬉しいです。その時が来ましたら、是非」
 憂理はにこやかにそれに応じた。


 下心有りとはいえ、あんな少女にも声を掛けるくらいなら、アリーも脈有りなのではないか、と、ダンスが終わって別れるエイリークと憂理を見ながら、羽純と歌菜は思った。
 近くで踊っていたので、会話が聞こえていた。
 羽純は、イルヴリーヒの近くに戻ろうとしているエイリークに声を掛ける。
「若い女性が好みで?」
 エイリークが振り返る。
「失礼。少し会話が聞こえてしまいまして。
 貴方には意中の方がいると噂を聞いていたものですから」
「そうでしたか」
 エイリークは苦笑した。
「恥ずかしながら、振られてしまいまして」
「そうなの?」
 歌菜が驚く。
「このパーティーに招待したのですが、来て頂けなかったのです」
 それで、他の女性客に声を掛けまくっているわけか、と羽純は納得する。
「やはり、若い方を?」
「そうですね……。
 年齢は、ともかく……美しい女性であれば嬉しいですが」
 一目ぼれをするくらいだから、やはり見た目が重視なのだろう。
「じゃあ……、例えば、アリーみたいな子は? 好みとして」
 美羽が訊ねた。
「アリー?」
「さっき、友達になったから」
「そうでしたか。
 アリーは妹のように可愛いと思いますが……」
 エイリークは少し肩を竦めた。
「……少し、気の強いところが……可愛いと思いますが、私はもう少し、楚々とした方が……」
「気の強い子は駄目なんだぁ……」
 美羽が大袈裟にしょげ返る。
「じゃあ私も、よく気が強いって言われるから駄目かな……」
 コハクが、何か言いたげに美羽を見るが、口は開かない。
「いえ、勿論、それも魅力のひとつだと思いますよ」
「じゃ、脈有りだ!」
 しゃん、と美羽は元気に立ち直った。
「もしもその時が来たら、ちゃんと真剣に考えてね!」
 やはり本人が伝えるべきという歌菜達の意向で、ギリギリのところまでで伝えなかったが、美羽はそう念を押した。


「あの……ね」
 歌菜達が去った後、おず、と、残ったネーブルが声をひそめた。
「あなたの意中の姫君が……この船旅の後、砂浜にいるかも……」
 ネーブルの言葉に、エイリークは驚いた。
「それは本当ですか?」
 こくりと頷く。嘘ではない。
 もしも実際に居るのが、今エイリークが想像した人物ではなかったとしても、ネーブルは「いるかも」と言ったのだから。
「そうか……私の勘違いだったのか……」
 プロポーズは公の場で大々的にすべきと考えていたのだが、かの姫君は、奥ゆかしい性格なのかもしれない。
 招待には応じてくれなかったが、逢瀬の伝言を託してくるなど、健気かつ情熱的だ。
 エイリークは俄然元気になった。
 何故か、パーティー参加の女性客に声を掛ける頻度は減らなかったが。