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一会→十会 —終わりの無い輪舞曲—

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【仮面舞踏会・9】


 彼の踊りは乱暴でも、恐ろしいスピードでもなく、ひたすらに優しく導くようだった。だから沸き上がっていた怒りや恐怖や混乱は静まり、インニェイェルドは今、フィッツに手を引かれてテラスへ足を運んでいた。
「こちらへどうぞ」
 長椅子を薦められ腰をかけたインニェイェルドは、フィッツの横顔を見上げる。彼の身長は低く、顔はどちらかと言えば可愛いの部類に入る――つまり幼いものだったが、分厚い生地がふんだんに使われたかつての皇帝のような衣装を、洗練された振る舞いで見事に着こなしている。
 それを見たインニェイェルドの胸はどきりと高鳴り、ともすれば夢見心地になってしまいそうな瞬間に、首をふるふると振る事で気持ちを抑え付けた。
 彼が唯斗の踊りから助けてくれたのも、単なる偶然だ。契約者とは彼女が敬愛するヴァルデマールにたてつく、愚かな種族であるのだからそうに違いないと、頭の中で繰り返すのにインニェイェルドは躍起になっていた。
「レディ、今日のパーティーではあなたが一番です」
「え!?」
 またも跳ね上がる様に反応してしまい、インニェイェルドはどぎまぎとしながら首を横に振った。荒廃した魔法世界の、それも相手を出し抜きのし上がろうとする出世欲に塗れたヴァルデマールに近しい者たちの中で生きてきた彼女は、優しさや温かい言葉に対して軽く返せ無い程純粋だ。
 それにフィッツも、――はじめこそ招待状が怪しいと、アッシュへの相談を考えてはいたが――今は心からパーティーを楽しんでいる。それは彼が踊った幾人ものレディの中で、この紫のドレスの彼女が最高だと思えたからだ。
「そんな事ないわそんな事ないわ! マデリエネの方が私よりずっと素敵だもの」
「マデリエネ?」
「あの……さっき私と一緒に居たでしょう? 赤いドレスで、私と同じ容姿をした双子の――」
「失礼ですが、お二人は似てないですよ。
 身のこなしも、優雅さも、涼やかな声も、なんといいますかトータルの雰囲気も」
 仮面の下でフィッツの黒い双眸がにこりと微笑むのに、マデリエネは彼の目を見ている事が出来なくなって視線を反らす。
「そうよね、そうよね……。そうなの、マデリエネは私とは全然似ていないの。
 勇気があって、格好良くて、何時でも言い事を口に出して行動出来る。何時も彼女の真似っこばかりの私とは大違い」
 沈んでいく音に、フィッツが気遣わしげにインニェイェルドの隣に腰掛けた。
「それでも、皆は私達を二人で一つの存在のように扱うの。両親でさえもよ。
 私とマデリエネが違うなんて言ってくれた人……、初めてだわ」
 それにこんな風に褒められた事も初めてだ。インニェイェルドの頬は、薄明かりの中で密かに赤く染まっていた。
「フィッツ・ビンゲンです」
「インニェイェルド・ビョルケンヘイムよ」
 立ち上がり仮面を外して改めて挨拶したフィッツに、インニェイェルドは仮面をそっと下へずらした。それからヘーゼルの瞳の横を人差し指で示すと、恥ずかしそうに「実はマデリエネと私は一つ違うところがあるの」と打ち明ける。
「ここにね、薄いほくろがあるでしょ。
 これだけが私達双子の見た目の違うところで、私の小さな自慢なのよ」
 それからすぐに仮面を戻して、インニェイェルドは後ろを向いた。抑えようとしていた鼓動はもう鳴り止まない程大きくなり、彼女は自分の中に生まれ始めた思いを自覚しようとしている。
(不思議……契約者って酷い人達ばかりだと思ってたのに、こんな方もいるのね。
 …………もしかするとヴァルデマール様の言っている事は間違いだったのかしら)
 ふとそんな考えが頭をよぎった。インニェイェルドは、ビョルケンヘイムの姉妹はヴァルデマールを信奉する両親のもとに生まれ、彼こそが正しいと信じてきたが、世界は『ヴァルデマールが全て』では無いのかもしれない、と。
「――インニェイェルド?」
 腕にそっと触れてきたフィッツの手に、インニェイェルドは動揺する。この温もりも、何もかもが自分達と変わらない。それなのに契約者とは魔法世界の人間よりも遥かに劣る愚かな生き物で、正しい支配を受けなければやがて滅びるというヴァルデマールの言葉は、本当なのだろうか。
 はじめからの計画通り、彼等を此処で殺めてしまっていいのだろうか。
(私…………フィッツを殺せるのかしら?)
 それがヴァルデマールの命令であったら――。
 インニェイェルドが振り返る。
「…………フィッツ、あの…………私!」
 言いかけて真っ直ぐ前を見れば、そこには首を傾げたフィッツの姿があった。
(分からない…………でも……、私はこの人を)
 ――殺せない。
 胸に落ちた確信に困った様な笑顔で首を振ると、フィッツが微かに頷いてインニェイェルドへ手を差し出した。
「美しいインニェイェルド。
 もう一曲、踊って頂けますか?」
「ええ、よろこんで」
 そう言ってインニェイェルドがフィッツの手を取った時、まるで止まっていた時が動き出したように、彼女の耳へホールから声が飛び込んできた。
「いい加減にしてッ!」
 怒気を孕んだその声は、マデリエネのものだ。
「マデリエネ? ごめんなさいフィッツ、私行かないと!」
「――え?」
「約束よ、約束よフィッツ。またあとで一緒に踊ってね」
 掴んだばかりの温かさを手離して、紫のドレスのレディは慌ただしくその場から消えてしまう。
 フィッツはまるで永遠に続く夢の中に取り残された様に、茫然とテラスで佇むのだった。



 紋付袴に白扇、といういでたちの大久保 泰輔(おおくぼ・たいすけ)に対し、恋人の讃岐院 顕仁(さぬきいん・あきひと)は、噺家みたいだなどとは勿論思わず、凛々しい姿だと惚れ惚れする。
 惚れた欲目というものだろうか。泰輔の関西風の物腰が、他の者達と自分の彼への視点が違う一因なのかもしれないが、
(床の中での寝乱れた姿を知るのは、だが我だけじゃ)
と、顕仁はうっそりと目を細める。
「ふむ、どうやら……邪な気配はする舞踏会ではあるな。が、我らにとって危険かというと「そうではない」と我のカンは囁く。
 楽しめば、よいであろう。戯れ事、余興よな、舞踏会などと。
 あそびの他に、この世にあって楽しむことになにがあろう?」
 くすくすと、顕仁は笑う。
「マスカレード(仮面舞踏会)かー。ヴェルディの歌劇なんかが有名だね」
「そういうことではありません」
 フランツ・シューベルト(ふらんつ・しゅーべると)の楽しそうな声に、レイチェル・ロートランド(れいちぇる・ろーとらんと)が言った。
「まあ、楽しいことは、思う存分楽しまないとね」
 そう言ってフランツは、レイチェルの装いに、満足そうに微笑む。
「こういう場所は、苦手なのですが……」
 中世ウィーンの社交界で見られたような上品なドレスを、レイチェルは美しく着こなしていた。瞳と同じ色の紅玉をあしらったティアラも、首飾りも腕飾りも、全てが似合うとフランツは思った。
 彼女の姿は、彼女を慕うフランツの願望の現われだ。

「舞踏会ちゅーと、踊るんか、とりあえず、踊るか?
 んー、けどなんか、ダンス・ミュージックが違うなぁ」
 泰輔がそう思うと、会場に流れる音楽が一転、日本の民謡に変わった。
 何処から流れるのか、手を止めた楽団の者達も狼狽して周囲を見渡す。それまでダンスを踊っていた者達も、ダンスホールで立ち竦んだ。
「おぉ、これこれ」
「驚いたね、こんなことまで、希望通りかい?」
 フランツが苦笑する。音楽家として少し、楽団の者達に同情した。
「構うかい、おもろいやん、マスカレードの無礼講なんやろ?」
 泰輔は上機嫌で、ダンスホールの真ん中に出て行くと、一さし舞い始める。
 だが、上機嫌なのは泰輔だけで、突然流れる和風の音楽に、双子達はぎょっとした。
「これは何。これは何なの、インニェイェルド? こんなの舞踏会の音楽とは言えないわ!」
「何かしら、何なのかしらマデリエネ。此処は“私達の空間”よ。私達の実現力が最も強いはず」
「元に戻すわよ、インニェイェルド」
「戻しましょう、マデリエネ」
 二人は、舞踏会場の音楽を洋風のものに戻そうと苦心するが、泰輔が満足して踊りをやめるまで、会場全体を固まらせたその民謡は流れ続けたのだった。

 そうして存分に踊り終えて、お腹空いたなぁと思いながら、泰輔は立食コーナーに向かう。
「たこ焼き食べたい……」
と呟いたら、本当にそれがテーブルの上にあった。
「何やコレ、ウケる!」
 たこ焼きを食べながら笑う泰輔の前歯に青海苔が貼り付いているが、そんな彼も可愛い、と思う顕仁は完全にやられている。
「欲しいモンが出るみたいやね、不自然だけど、まあええやん」
「欲しいもの……」
 フランツは、ふと、欲しい物を思い浮かべた。欲しいもの……
「って、あれは誰の『欲しいモン』や!?」
 泰輔の叫び声にはっとした。
 中央のテーブルにあるのは何と、女体盛り。
 全裸の女性の人形に、フルーツやスイーツが盛り付けられている。
「わぁ!」
 ざあっと青ざめて、フランツは恐る恐る、横を見た。
 仮面を着けているので、その女性と女体盛りの人形が同じと解る客はいなかったが、彼女を知る人には、その人形が、レイチェル・ロートランドを忠実に再現していると、一目瞭然で解ったからだ。

 一方双子は、衆目の的となった女体盛りに愕然としていた。
「何て何て、下品なの!?
 契約者は、パーティーの場に、料理を盛り付けた裸の女性を晒す変態なの!?」
「酷い、酷いわ、舞踏会が滅茶苦茶よ!」
 それは、契約者に限った性癖ではないし、契約者全員が持つ性癖でもない……などとフォローする者などあるわけもなく。

「ほう、面白いものが出てきたな。フランツ、そなたか?」
 顕仁は、笑み含みの表情でフランツを見る。
 その視線の先で、フランツは、わなわなと震えるレイチェルに睨みつけられていた。
 羞恥と怒りで、仮面の下のレイチェルの表情は壮絶なものになっている。
「あなたと……あなたという人はっ……!」
 平手一発。
 レイチェルの本気の一撃に、フランツはあえなく床に沈み、レイチェルは休憩室に続く扉の方へ走って行く。
「まあ、平手打ちで済んで、良かったと思え」
 完全に面白がっている顕仁は笑い、
「これって、平手打ちのレベルでしょうかね……」
 と、床に沈んだままフランツは、乾いた笑いでそれに答えた。