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【真相に至る深層】後日談 過去からの解放

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【過去からの結末――蒼族】



 その頃の、蒼の塔最地下。

「まったく……最後まで私にいろいろ押し付けて先に死ぬとか、あり得ないでしょ」

 呆れ半分の声と共に、ごちんという耳に痛い音が響いた。
「ってぇ、ちょっと、そんな殴ったら禿げちゃうでしょっ」
 機能が停止し、正しく遺跡の形へと姿の戻ったその場所で、藍色の騎士団長ビディシエは、団員であるはすのリディアからお見舞いされた拳骨に頭を撫でた。手加減は一応されているにしても、普段より強めだったような気がする、とビディシエは頭をさすりながら思う。とは言え、自分が彼女に託してさっさと死んでしまった自覚はあるせいか、強くは反論できないようだ。
「残り数日でどうやって禿げるのよ。ほら、お礼言いに行くわよ」
 対して、リディアの方は幼馴染という間柄、付き合いの長さで恨めしげなビディシエの視線を「いつものこと」とスルーして、そのまま腕を引いて階段を上っていく。封印から都市が解放され、その記憶が解かれて、塔と龍の接続は失われいる。そのため、かつて自分たちが過ごしたとは思えないほど、殆どは廃墟と化しているその姿に、リディアの心に複雑なものが過ぎった。
 そこへ――
「あっ」
 ばったりと出くわしたのは、正に今、会いに向かおうとした相手だ。小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とリディアは、お互いに軽く目を瞬かせると、すぐに破顔した。
「何だか」
「はじめましてって気がしないね」
 そう言って微笑み合わせて、リディアがまず頭を下げた。
「ずっと、見てた。本当にありがとう」
「そんなこと」
 美羽が慌てたように首を振る中、リディアの手が伸びて美羽の手を取った。ぎゅっと握り締める力の暖かさも真摯さも真っ直ぐで、美羽は目を細める。あの時受け取った、彼女の無念は果たしたのだ。その感謝の気持ち、そしてそれを受け取って欲しいと願うリディアの気持ちは、思いを繋げた美羽には良く判った。故にあえて反論せずにいると、やがて照れくさくなったのか、頬をかいたリディアは、その横で突っ立っていたビディシエを振り返った。
「ほら、ビディシエの方がよっぽど謝らなきゃでしょ」
 べしんと頭を叩くリディアに、判ってるよぉとビディシエが口を尖らすのに、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は軽く目を瞬かせた。美羽から聞いていた彼女たちは、戦いながらも役目を果たせず、無念の中に非業の死を遂げた悲劇の存在だったのだが、目の前の二人は仲も良さそうで、とてもそういった負を背負った人間には見えない。意外そうなコハクの視線に気付いて、リディアはクスッと笑った。
「確かに私たちは、あんな死に様だったけど、後悔はしてないの」
「ボクらは、あんな形でも役目を全うした。キミたちが邪龍を倒してくれたことで、懸念も消えたしね」
 リディアは最後までビディシエについてくという決意を果たせたこと自体は満足していたし、ビディシエもまた戦士として、仲間と共に最後を終えたことそのものは、寧ろ幸福だとも思っていたぐらいだ。邪龍を倒せず、都市を守ることの出来なかった無念さは勿論あったが、それは美羽たちが晴らしてくれたのだ。リディアが微笑む中、ビディシエは深々と頭を下げた。
「今は……何だろうな、晴れやかな気持ちだよ。本当に……キミたちのおかげだ。ありがとう」
 自分たちの無念と、ツケを支払わせて、と。感謝と共に僅かな苦さが見え隠れするその声に、美羽は「こちらこそ」と明るく言った。
「残してくれた想いとか、力が……邪龍を倒す力になったんだよ。だから、一緒に戦ったようなものだよ」
 その言葉に、軽く面食らったようにしたリディアとビディシエが嬉しそうに笑ったので、美羽もコハクも思わず顔をほころばせた。
「これから……どうするの?」
 目的も果たした以上、後は彼女らの時間だ。残された時間は僅かだが、望みがあるか、あるなら助力しようかと思っての問いだったが、二人は少し顔を見合わせると「そうだねぇ」とビディシエは目を細めた。
「まだ少し時間も残ってるし、折角だからコーセイも連れて色々見て回るつもりさ」
 そう言って、湿っぽさのない短い別れの挨拶と共に、二人は本当にただの日常の延長のような気楽さで、都市の方へとその足を進めていく。その背中は本人たちが言うように後悔はなく、全てを果たした後の残る時間を気負うことなく、当たり前のように受け入れて歩いていく姿に、美羽はコハクと顔を見合わせて微笑みあうと、かつてもそうだったのだろう、楽しげな後ろ姿を見送ったのだった。




 
 光があれば影があるように、当然、幸福なる死があるなら不幸な死もある。
 満足を得られぬままに非業の死を遂げた蒼族の存在も確かに、あった。
「は……ッ、まだいたのかよ」
  テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)に憑依するマーツェカ・ヴェーツ(まーつぇか・う゛ぇーつ)に接触してきていた魂は、間違いなくその一人だ。邪龍が倒され、全てが解決したと思われた今になっても、まだ離れていかない気配に、マーツェカは小さく舌打ちを漏らした。
「あの御方の気配を感じるだぁ? 我にそこまで行けってのかよ。ざけんな、いい加減出ていきやがれ!」
 そう威圧してみたが、死者に対してそれは余り効果はなかったようで、マーツェカの中から出て行く気配もなければ、逆にマーツェカの内側から違う声が邪魔をしてくる始末だ。更に深々と舌打ちしたものの、諦めたように「……ったく、しゃーねぇなぁ」とマーツェカはため息を吐き出した。本来なら無視してやりたいところだが、一つには体の本来の持ち主が強く望んでいること、そして幾らか――自分へ繋がった者の最後ぐらいは、手を貸してやろうかという気まぐれに従って、その足は「彼女」の案内に従ってその足を進めた。

 そうしてたどり着いたのは、先の戦いの折にも訪れた蒼族の長の屋敷だ。
 再現されていた時と違って、殆どが崩壊して面影は殆ど残っておらず、辛うじてその敷地や建物だったと思われる跡がある程度だ。それでも、そこに確かに残っている記憶の欠片に「彼女」が心を揺らしているのを察して、マーツェカは再び息を吐き出した。
 「彼女」は、マーツェカにとって「とんだ甘ちゃん」だ。幼い頃より暗殺者として裏の世界を渡り、自分の中にある感情を知らず、ビディリードへの想いも、その義妹として、多少ひねくれたところはあっても自分の意思で自由に振舞うことの出来るパッセルへの羨望という名の嫉妬も、自覚することは出来ずにいた「彼女」。それ故に「自分の中にある違和感」としか認識できないでいたものに振り回されて、道を踏み外したのだ。マーツェカに言わせれば、感情は知ってこそコントロールの可能なものであり、制御できないものを抱くものは、冷徹さを要する暗殺者としては二流である。だが、同じ暗殺者としては対極にある「彼女」のことを、そうして切ってしまうことも何故か、マーツェカには出来なかった。
「――行ってこいや。精々悔いの残らねぇように、な」
 
 その声に押されるようにして「彼女」がゆっくりと踏み入れた屋敷の中は、やはり荒れたい放題に荒れていた。
 一万年もの長い間を海の中にあったため、当然といえば当然だ。もしかしたらそのうちのいくつかは、戦いの中でそうなってしまったものかもしれない。そんなことを思いながら「彼女」……マヤールは屋敷の主へと思いをはせた。
「ビディリード様……使命を果たす事が出来ず、無念の極みです……」
 そう言って、かつてそうしたように膝を折ったマヤールの傍に、不意に近づく気配があった。正にその思う存在、彼女の主であるビディリードであると悟って、マヤールはそのまま深く頭を下げた。
「……申し訳ありません」
 一振りの刃でありたかった。その望みを叶える事こそが自分の存在意義だった。その手を代わりに染め、足となって動き、目となって探る。そうして動き、その意を果たすことに、いつしか無上の喜びを得るようになっていたが、それと同時に、違和感を覚えるようになった。
 その正体を自覚したのは、いや、自覚のきっかけをたらしたのはパッセルだ。真っ白な布に落ちた一滴の黒い染みのような感覚。次第に布を浸食するように広がって心を苛むものの、その正体を知ったとき、マヤールは愕然とした。刃は刃、道具は道具。道具に心はあるべきではなく、特に恋慕などは持ってのほかだと自分に戒め、
振り払おうとしたが、ままならなかった。
「私は……貴方を、慕ってしまった……どうしても、これだけは偽る事が出来ませんでした」
 姿を、名を、思想を。ずっと偽ってきた。暗殺者としてはそれが当然だが、全てを隠さなければならない身でありながら、どうしても伝えたいものがあった。他ならぬビディリードであるからこそ、偽りを口にしたくは無かったのだ。
 その告白を聞きながら、ビディリードは軽いため息を吐き出すと、マヤールの肩を軽く抱いた。勿論、それは女性としてというよりも部下を宥める上司としての顔であり、腕だ。アンリリューズという恋人がいる以上、その態度も当然だが、最後あれほどの激昂を見せた主人のその、呪縛から解き放たれたといわんばかりの顔に、マヤールはそれだけで満足だとばかり、目を細めた。
「……ビディリード様……」
 自分でも気付かないうちに泣きそうな声になっていたその頭を、ビディリードの手は思いのほか優しく撫でて行ったのだった。