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夏祭りの魔法

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「ねえ藍……勝手に入って大丈夫なの?」
 パートナーに促されて客間の一つの扉を開けた三井 静(みつい・せい)は、本当に大丈夫なの、と念を押すように振り向いた。
「大丈夫、ののに許可は取ってあるから」
 静の後ろに立つ三井 藍(みつい・あお)は、事前に借りておいた鍵を示して先に個室へ入ってしまう。
 そういうことなら、と静も続くが、まだ落ち着かない様子だ。
 しかし藍はお構いなしに部屋の中を進んで、奥に置かれた一抱えほどある紙袋を手に取って静の元へと戻る。
「……それは?」
「開けてみてのお楽しみ」
 興味半分、部屋のものを勝手に触っていいのかという不安半分で袋の中を覗き込む静に、藍はふっと笑顔を浮かべてその中身を取り出した。
 丁寧に畳まれた紙包みの中に、布製のものが入っている。
「これって、浴衣?」
「正解」
 畳紙に包まれて入っていたのは、白地に藍染めが施された浴衣。藍が今日の為に手配したもので、レンタル業者とののに頼んでこの部屋に届けておいて貰ったのだ。
「で、でも僕、着方知らないよ?」
「大丈夫、陽先輩に聞いておいたから」
 着せてあげる、といいながら藍は畳紙から浴衣を取り出して広げる。男物ではあるが、白地に淡い藍色で、繊細にりんどうの染め付けが施されている。柄だけ見れば女性もののようにも見える。
「はい、脱いで」
「あ……うん」
 着付けのためと何の気なしに言ってしまってから、ちょっと恥ずかしい表現であったことに気付いた。が、他に言いようも無い。藍は、ほんのり頬を赤くして洋服を脱いでいる静の方を極力見ないようにして、浴衣を広げてみたり、畳紙を畳んでみたりする。
「袖……通して」
 静が服を脱ぎ終わると、極力気にしないようにと自分に言い聞かせながら浴衣を着せかける。
 サイズもピッタリで、白い生地は静の白い肌に良く合った。
 袷の方向を間違えないよう気をつけながら前を合わせて、帯を当てる。
 帯を後ろに回そうとすると自然、体が密着する形になって、静が息を詰めるのが解った。
 着替えなど、今更意識するようなことではないと思って居たのに、いつの間にかやけに意識している自分がいて、藍はそんな自分の変化を少しの驚きと共に受け止めた。
 静の腰に回した帯を前に持ってきて、貝の口に結んでやる。初めてにしては上出来だろう。
「はい、できあがり」
 ぽん、とでき上がった帯の結び目を叩いてやると、静は頬を染めながら自分が着ている浴衣をあれこれ検分しはじめた。部屋に鏡が無いのが惜しい。
「うん、似合う」
 そんな静の姿を見ながら、藍は自分の選択は間違って居なかった、と心の中で自画自賛。
「その……ありがとう、藍……ちょっとびっくりしたけど」
 とっても嬉しい、と顔をほころばせる静に、藍は満足そうな笑顔で答えた。
「あ、藍、リボンが乱れてる」
 と、藍の方を見ていた静がふと距離を詰めてくる。
 藍がぴた、とその場に制止すると、静は手を伸ばして藍の胸元に結ばれたリボンをしゅるりと一度解く。細い指先が、くるくると動いて、数分と掛からずに藍の胸元には再び、美しい蝶結びが現れた。
「ありがとう、静」
「着付けてくれた、お礼」
 ふふ、と、ちょっと照れくさそうに笑うと、それを誤魔化すように藍の手を取る。
「行こう、藍」
 それからくいくいと引っ張られて、藍は素直に従う。
 以前は転ばないように、はぐれないようにと繋いでいた手が、今は別の意味を持っている。
 それがなんだか嬉しくて、藍は口元だけで小さく笑う。
「待って、静」
 早く早くと先を急ごうとする静を呼び止めて、改めて手を繋ぎなおした。指と指を絡めて、少しでも沢山触れていられるように。
 これでいい、と笑うと、静は嬉しさ半分、恥ずかしさ半分という様子で頷く。
 それからふたりは手を繋いだまま、客間を後にするのだった。


「あ、静くんたち」
 藍に着付けを教えた立役者、皆川 陽(みなかわ・よう)は、一人でふらふらと屋台を見て回っていた。
 そこへ丁度通りがかった藍と静を見つけ、おおいと手を振ろうとしたが、しっかりと繋がれた二人の手を見て止めておく。今声を掛けるのは野暮だろう。静がきっちりと浴衣を着ているのを見て、藍のサプライズが成功したことを察し、心の中で祝うに留める。
「いやー、かっこいいし可愛いし、いいねぇ」
 可愛い後輩達の前途に幸あれと祈りながら、陽は目指していたりんごあめの屋台へ向かって再び歩き出した。

 ……そんな陽の様子を窓越しに見守っているのは、陽のパートナーであり「嫁」でもあるテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)だ。本当は陽と屋台を楽しんでいたのだが、ちょっと来て、と休憩所となっているダイニングホールへ引っ張ってこられた。
 その、引っ張ってきた張本人が、陽のもう一人のパートナー、ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)だ。
 ユウはホールに用意されている飲み物を持ってきて、テディの正面に座って居る。
「聞いてる、テディちゃん?」
「うん、聞いてる聞いてる。仕事だっけ?」
 テディはユウの言葉に生返事を返しながら、視線を庭からユウへと向ける。
「そう、仕事。アンタも将来自分のしたいこととか考えなさいよね。 嫁だろうが、学校卒業したら仕事するのよ!」
「自分のしたいこと、かぁ」
 何故かオカマ口調なユウのお説教を聞きながら、テディはつらつらと視線を宙に向ける。
 今だって契約者としてあれやこれや依頼を請け負っては報酬を得ているので、生活に困ることはない。だから、それで満足しているといえばそうなのだ。
「あんま考えた事無かったなぁ」
 ぼんやりとテディが答えると、ユウはまったくもう、と立腹を露わにする。
「好きだ好きだとか言いながら、自分の望むありようだけ相手に求めてると、そのうち愛する相手が自立を願ったのを切っ掛けにして、ヤンデレになって刺し殺しちゃうようになるんだからね!」
 どこかで見てきたかのように立て板に水でまくし立てるユウに、テディは若干引いている。
「……流石にそこまでのケースはそうそう無いんじゃ」
「いいや、オレにはわかる! このままだと陽ちゃんは将来ヤンデレに刺されて死ぬ!」
 不吉な予言をされて、テディはむっと不機嫌な顔を作る。
 確かに自分達には、ユウの言う様にお互いの理想ばかり押しつけ合ってきた過去がある。だから、まるで「このままだとアンタが陽ちゃん刺し殺しちゃうわよ」と言われているような気がして。
 けれど、今の二人は違う。以前は確かにお互いがお互いに依存していたが、その関係はすったもんだの末にしっかりと断ち切った。
 友人も増えたし、陽はどうやら将来、翻訳だとかの文章に関わる仕事がしたい、と思い始めているらしい。
 テディも、いつまでも今のままでは居られないのだろう。
「そうだなぁ、僕も将来のこと、ちゃんと考えないとなぁ」
 ユウに言われて改めて考えたことではあるけれど、それでも今のテディにとって、「将来自活する方法を考えなければならない」というのはごく自然な結論だった。陽と共に歩んでいく為に、それは必要なことだから。
 だが、ユウにとっては違う。
 テディがちゃんとテディ個人の将来を考え始めたということは、未来人であるユウが本来居た、あるひとつの未来で起こってしまった最悪の結末から、確実に遠ざかっていることを意味している。
 この時間軸での二人は、きっとうまくやっていけるだろう。
 ユウはほっと、安堵の表情を浮かべる。
「ん? どうかしたの?」
 突然訪れた沈黙に、テディが首を傾げてユウを見る。
「何でも無いよ。テディちゃんがちゃんと考えてくれるならいいんだ、それで」
「話ってそれだけ?」
 じゃあ陽の所に戻るね、と言いたげなテディに苦笑して、ユウははいはいと頷いた。すると案の定、テディは一足お先に、とダイニングホールを飛びだして言った。行き先は、言わずもがなだ。
「……もう、大丈夫かな」
 その背中を見詰めながら、ユウはぽつりと呟く。
 もう、自分が元居た未来に戻る事はできない。自分もまた、この世界で彼らと共に歩んでいくのだ。
「はは……人の心配ばかりしてられないのかな、オレも」
 この時代に来た目的は、半ば達せられた。その後に残った自分がどうしていくか――考えるべき時が、来たのかも知れない。
 ユウは一人、空を見上げた。