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リアクション
■ 妹背の桜 ■
「桜を見に行かないか? ……2人で」
カイン・セフィト(かいん・せふぃと)に誘われて、クロス・クロノス(くろす・くろのす)は即座に頷いた。
自宅には常に誰かが居て――もちろんその賑やかさは嬉しいものなのだけれど、カインと2人きりになる機会があまりない。だからカインからの誘いはとても嬉しかった。
こうして2人きりで出掛けるのは久しぶりだ。
桜で有名な公園に向かう間も、クロスの心は躍る。
「桜の時期になるとよく聞くけど、実際に行くのは初めてなんだよね。すごく綺麗だって噂だけど、どのくらい桜があるのかな」
浮き立つ気分のままにカインに話しかけたけれど。
「……カイン?」
「あ……すまん、歩くのが速かったか?」
「ううん、そうじゃなくて……」
道中ずっと、カインが心ここにあらずな様子なのが気になる。
(緊張してるのかな?)
実はクロスも久しぶりの2人っきりに、少し緊張している。
カインもそうなのか、いやそれにしても……。
聞いてみたいけれど、切り出す前に目的の公園に到着してしまった。
ちょっとカインの態度が気になるけれど、せっかくの桜見物、楽しまなければもったいない。
緊張しているなら、桜を見ているうちに解けるだろうし、そうでなければ後で聞いてみればいい。
(うん、今は楽しもう。だって久しぶりの……デート、なんだから)
浮かんだ単語に照れながらも、クロスはうきうきと公園に入っていった。
桜、ときいてまっさきにソメイヨシノを思う人は多いだろう。
ほんのりとピンクを含んだ白の花びらで、一面の景色を埋め尽くす。
けれどそれ以外にも美しい桜は数多い。
淡紅色の八重咲きの花をいっぱいにつける花染衣。
花と葉が同時にでる、ひっそりとした咲きぶりが清楚な山桜。
優雅に花をさしかけるような枝垂れ桜。
「すごい! 満開だね」
「ああ、これは見事だ」
答えてくれるカインの声にも感嘆がこもっていて、さっきは緊張していただけなのかと、クロスはこっそり胸をなで下した。
あの桜、この桜と指さしながらカインと歩いていると、クロスの心の中まで春色に染められていくかのようだ。
そうして桜見物をしながら公園の半ばほどまでやってくると、カインは少し休まないかとベンチを示した。
桜見物の通りの裏にあたる場所だから、座ると桜に遮られて他の人の姿は目に入らなくなる。
「評判通り、ここの桜綺麗だねー。種類もいろいろあって、いろいろ見れて楽しいね!」
ね、と同意を求めたけれど、カインはまた上の空になっていて、クロスの声が届いているのかどうかさえ定かでない。これはやっぱり聞いてみないとと、クロスはカインに向き直った。
「カイン、ねえ、聞いてる? 来るときもそうだったけど、何かあったの?」
「ああ……ちょっとな」
カインは詰まる喉をほぐそうというように、小さく咳払いをしてから話し出した。
「あのさ、俺達5年以上一緒に居ただろ」
「うん、そうだね。長かったような、短かったような。何とも言えない期間だね。パラミタに来た頃には、こんな風になるだなんて、思ってもなかったけど……それがどうかしたの?」
「いや、俺が話したいのはそのことじゃなくて」
「ちがうの? それなら何?」
まったく分からないクロスは首を傾げた。
このままでは埒があかない。悟ったカインは覚悟を決めると、それまで桜の花に据えていた目をクロスへと移した。
「クロス……聞いて欲しいことがある」
そう言えば、今日こうしてカインとしっかり目を合わせるのは初めてだ、と思いながらクロスは聞く。
「改まってどうしたの?」
「記憶のないクロスにこんなことを言うのは、間違っているかも知れない。それに、記憶を無くし雛鳥みたいな状態だったときから一緒にいたせいで、まるですり込みのように、クロスに俺以外の選択肢を見せることもなかったと思う。だからずっと言えずにいた」
手を伸ばせば触れられるところにいる。なのに……その近さこそが妨げとなることもある。
「けど、俺はクロスを他の誰かに渡したくないんだ。いつからかなんて自分でも分からない。でも、大切なんだ、護りたいしずっと傍にいて欲しいし傍にいたい。……だから」
カインは小さく息を吸う。
そして――これまで胸に溜めていた想いを解放する。
「俺と結婚して欲しい」
「えっ! あの、その……」
カインからの突然で真っ直ぐなプロポーズ。
驚きはしたけれど、嫌じゃない、ううん、むしろ嬉しい。
けれどクロスはそれに即答できなかった。
答える前に、カインに聞いておかなければならないことがある。
――ずっとずっと聞きたくて、けれど怖くて聞けなかったこと。それを聞くまでは、カインのプロポーズに答えられない。
「私ね、ずっと聞きたくて聞けなかったことがあるの。返事はそれを聞いてからでもいいかな?」
「ああ、構わない」
カインの返事には迷いがなかった。
だからクロスも、不安を抱えながらも話し出すことができた。
「私は私自身のことを何も知らない。どんな人生を歩んでいたのかも、なにもかも分からない」
クロスは全生活史の記憶を失っている。
それを悲観したことはないけれど、時々不安になる。
「どんな人間だったのかもわからないし、もしかしたら、なにか人には言えないことをした過去があるかもしれない。……それでもいいの? 自分ですら自分の過去が分からない私で」
カインの視線を受け止めているのが辛くて、クロスは膝の上で組み合わせた自分の指に視線を落とす。
「ずっとね、なんでこの人は私と居てくれるんだろうと思ってた。パートナーだから? でもどうして私と?」
クロスのその気持ちは、龍杜の秘術を見てから余計に大きくなった。
「カインは私を助けるために契約してくれたけど、本当によかったの? わたしの存在は邪魔じゃないの? 私はカインと一緒にいていいの?」
立て続けに湧く疑問に上擦りかけた声を、クロスは一旦口を閉ざして鎮め。
「そう思ってたけど、怖くて聞けなかった。答えを知るのが怖かった。でも、これを聞かないと、カインに答えることは出来ない、から」
白くなるほど力を入れて組み合わせた指。
その上に、カインの手が重ねられる。クロスとの契約の証、青い蝶の刺青のある左手が。
「過去なんて関係ない。クロスの過去がどんな過去であろうと一緒に居たいんだ。もしクロスがそれを望むなら、調べても良い。どんな過去が判明しても、俺の気持ちは変わらない。だから、俺と一緒にいてくれ、俺を置いていかないでくれ」
カインの言葉からだけではなく、重ねた手からもそれが真実の気持ちなのが伝わってきて、クロスは微笑む。
「ありがとう。ごめんねこんなタイミングで聞いて。怖がってないでさっさと聞いておけば良かったね」
でも恐らく、こういう機会でもなければ聞けなかったのだとも思う。
だからきっと、これで良かったのだろう。
クロスは晴れ晴れとした顔で、カインに向き直った。
「返事だけど、私でよかったら喜んで。幸せになろうね!」
近すぎて言えなかったことを抱えていたけれど、
それを言えたらもっと近くなった。
幸せになろう。
幸せになれる。
2人でいられたならきっと。
大輪の八重咲きの美しい――妹背と名付けられた桜の下、2人は寄り添い合うのだった。