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2月14日。

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2月14日。
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リアクション



19


 夜風が、寒い。
 音井 博季(おとい・ひろき)は、白くなった自分の息をかじかむ指に吹きかけた。
 一瞬だけの温かさ。とどめとばかりに強い風が吹いて、マフラーが持って行かれそうになる。
 マフラーを抑えながらちらりと周りを見る。宵闇訪れた、蒼空の花園。そこには、手と手を繋ぎ、幸せそうに微笑み合う恋人たちの姿。
「…………」
 なんとも言えない気分になって、黙った。
 ――待って、います。
 寒さに凍えながら、それでも、彼女を。


 彼女と恋人関係になって、初めてのバレンタイン。
 だから、どうしてもあの人と一緒に居たかった。
 ――本当はデートもしたかったけど。
 待っていますと告げた時間から、数時間が経ってしまった。空からは太陽が消えて、月が顔を出しているし。
 ――しょうがないよね。
 だって彼女はロイヤルガード。
 多忙な日々を送っているのだ。
 ――……しょうがないよ。
 だから、待ちぼうけでも構わない。
 会えるかも。
 そう、希望を持つだけで、ほら心が少し温かくなるんだ。
 ――会えるよ、ね。だって僕、彼女の恋人なんだから。
 不安はその言葉で打ち消して。
 雪が降りそうなほどに冷えて来た空気に、身震い一つ。
 パートナーが持たせてくれたこのマフラーは、防寒に役立ってくれた。温かい。これがなかったら、いくら火術や持ち込んだ温かな紅茶があったといえど、寒さに負けて帰っていたかもしれない。
 ただ、一人で巻くには長すぎるけど。
 ――あの人が来たら、これを一緒に巻いたりしたいなあ。
 ――彼女はいつも薄着だもの。きっと寒く感じてしまう。
 ――それから、チョコも渡したいな。
 愛する人に上げようと、初めて手作りしたお菓子。
 苦戦して苦戦して……それでもなんとか、形になった。練習の成果か、味も良かった。
 渡したら、喜んでくれるかな?
 どんな顔をするかな?
 そう思うだけで、楽しい。
 彼女のことを想って、幸せの歌を口ずさんだ。
 同時に、この場に居る人全員幸せになればいいと。
「おっ、おまたせえぇえ!!」
 遠くから、聞き慣れた彼女の声。
 振り返る前に微笑んで、
 ――ほら、会えた。
 嬉しさを噛み締めた。


*...***...*


 元々、ここ空京で行われるコンサートには学校の友達と行く予定だった。
 しかし急用ができた友人は急遽行けなくなってしまい、チケットが一枚余ってしまった。
 緋王 輝夜(ひおう・かぐや)は考える。
 誰なら一番、喜んでくれるか。
 答えはすぐに出た。音楽好きの日比谷 皐月(ひびや・さつき)のことを思い出したからだ。
 しかし、誘うのには勇気が必要だった。
 だってコンサートの日はバレンタインだし、何より片想いの相手だし……。
 けれどチケットをただの紙切れにしてしまうのも悪いし、何より皐月にも楽しんでほしいしで。
「さ、皐月?」
 輝夜は思いきって電話した。
「いきなりごめんね。あのね、今日なんだけど……空京でピアノコンサートがあるの、知ってる? 友達と一緒に行くつもりだったんだけど、友達が行けなくってさ」
 電話の向こうでは、「マジで!?」と皐月の喜ぶ声が聞こえる。
「チケットもったいないし……一緒に行く?」
『行く! すぐ行く! 空京だな、待ってろー!』
 言うが早いか切れた電話を茫然と見つめて、輝夜はくすりと笑みを零した。


 3つのサラバンド。
 3つのジムノペティ。
 3つのグノシェンヌ。
 5つの夜想曲。
 いやらしい気取り屋の3つの高雅なワルツ。
 快い絶望。
 金の粉。
 ピカデリー。
 ジュ・トゥ・ヴ。
 演目を見て、今日のコンサート内容は、エリック・サティの作品で構成されているようだと皐月は思った。
 ――クラシックとか、普段なら『柄じゃない』って言われて行くに行けねーんだよなぁ……。
 演目を眺めているだけで、既に楽しくなってくるほど音楽大好き人間だというのに。
 そう、日比谷皐月は音楽大好き人間である。
 ロックはもちろん、今日のようなクラシックも大好きで。
 聴くだけじゃなくて、演るのも好きだ。ドラム、ギター、ベース、ピアノ。メジャーで練習しやすいものなら、好きが高じて人並み以上に弾ける自信がある。
 けれど、皐月でも弾けない――たとえばティンパニとか、ハープとか、チェロだとかの音楽は、聴いている方が楽しい。
 こんな音が出るのか。こんな表現ができるのか。こんな曲にこんなアクセントを添えられるのか。
 そうやって、音を楽しむことが好きなんだ。
 その好きなものを、誰かと分かち合いたくて。
 分かち合える瞬間が心地良くて。
 そんな誰かが傍に居てくれることがありがたい。
 ……もっとも、ロックはともかくクラシックのコンサートになんて誘われたためしがないのだけれど。そして自分から行けそうにもないのだけれど。
 ――だけど、こうやって誰かから誘われれば行きやすくて助かるな。
「ホント、輝夜さまさまだ」
「え? あたしがなに?」
「感謝してます、マジで」
「??」
 輝夜が疑問符を浮かべていたけどそれで良い。ネタバレしても恥ずかしいし。
 ――しかしまあいいのかね? 
 開演のベルが鳴り、舞台以外の照明が落とされる瞬間、皐月は思う。
 ――友達の代わりがオレなんかで。
 ――ま、気にしても仕方ないことなのはわかってるけどさ。
 誘われて、音楽をこんな身近で聴けて、嬉しいことには変わりないんだ。
 だったら、野暮なことなど言いっこなし。
 折角誘ってくれたのに、ぐちぐちネガネガ言うなんて、輝夜にも失礼だ。
 とにかく楽しむしかない。
 気持ちを切り替えた瞬間、腹の底に響く音が鳴った。
 開演。


「あたし、コンサートなんて初めて聞いたよ……」
 終幕を迎えたコンサート。
 一人、また一人と観客が帰っていく中、輝夜は未だ座席に深く背を預けて口を開いた。
「いいもんだろ? 音楽」
「うん。また来たいって思ったよ」
 ――できれば、また皐月と。
 なんて思っても口にはしないけれど。
「じゃ、今日のお礼にいつか誘うわ」
「え!?」
 だからその提案は予想外すぎて、嬉しすぎて。
「? なんだよ」
 驚きすぎてしまったらしい。皐月が怪訝そうな目で見てくる。
「あ、や。……お、お腹すいたなーって」
「ああ、たしかに。どっか食べ行くか」
 そう言って、会場を出た。
 向かった先で見付けたものは、
「……屋台か。丁度良いな」
 ラーメンの屋台。
 格式高い店は二人とも苦手だし柄でもないし、
「ここでいいよね?」
「上等だろ」
 何より飾り気のない二人にはお似合いで。
 各々にラーメンを頼み、ずるずるすすって舌鼓を打って。
「じゃな。気をつけて帰れよ」
 適当なところで、バイバイ。
 手を振ってから輝夜は黙り込む。
 鞄の中には、渡せなかった手作りのチョコレート。
 綺麗にラッピングまで済ませてあるのに、どうしても渡せなかったチョコレート。
 迷惑はかけたくない。
 それが輝夜の強い気持ち。
 だから、気持ちを押し付けるなんてことしたくない。
 ――無理に振り向いてもらうなんて、嫌。
 ――傍に居られるだけで、こんなにも温かいんだよ。幸せなんだよ。
 ――それ以上望むなんて、……駄目だった時が怖すぎて、勇気が出ないよ……。
 わかっているのに、渡せなかったチョコの悲しさはどうして。痛みはどうして。
 渡さなかった。
 本当は渡したかった。
 ――……郵便受けに入れておくくらいなら、迷惑にならない、よね?
 そう思って、皐月が帰って行った道を、かなりゆっくりとした速度で歩いた。


*...***...*


「展望台に行くぞ」
 ドヴォルザーク作曲 ピアノ三重奏曲第四番(どう゛ぉるざーくさっきょく・ぴあのとりおだいよんばんほたんちょう)――通称ドゥムカがさも当然のように言い放った言葉に、マラッタ・ナイフィード(まらった・ないふぃーど)は軽く首を傾げた。
「今日か?」
「今日だ。買い物途中に見付けてな、気になった。
 ……今日がバレンタインだとかそういうのはただの偶然にすぎないからな。私が展望台に行きたいと思った日が今日だっただけだからな。いいな?」
「わかった。支度をしてくる」
 ドゥムカの気まぐれに付き合うのも悪くはない。
 ちょっと引っかかるような物言いでも、ドゥムカが偶然だと言うならそうなのだろう。深くは突っ込まない。
 しかし何の用だろうか。まったく心当たりがないし、ドゥムカ自身が普段からこういう寒い日は本を読むのがいいと言ってるのに。
 ともかく支度、とコートを羽織ったところで、ドゥムカの格好を思い出した。
 ――寒くはないのだろうか。
 ミニスカートに、膝上までの靴下。ショートのブーツでは、露になった太ももが寒そうだ。コートもお尻にかぶさる程度の長さだったし。
 目に付くところにカイロがあったので、ひとつ拝借して。
「待たせたな」
 ドゥムカに声をかけた。


 展望台から見える景色は今まで見たことがないようなものだった。思わずドゥムカは感嘆の息を吐く。
 上空から見る空京の街並み。視点が変わるだけでここまで違って見えるのか、と感動を覚えるほどだ。
 それはマラッタも同じようで、じっと眼下に広がる景色を見ていた。
「アレは……なんだ? あの丸いの」
「なんだろうな。あんな建物あったか?」
「わからない。……面白いな」
「そうだな」
 上から見ることが、こんなにも、
「人との――ドゥムカとの出会いがなくては、こんな景色を見ることもなかっただろう」
「……私か? 関係あるか?」
「あるさ。
 ドゥムカと居ると、飽きないと思うし、こうやって新しいモノもたくさん見れるし……」
「私はお前を振り回すぞ?」
「それでも構わない。見ていても楽しいしな、反応とか」
「……どういう意味だ」
 素直には喜べないが、一緒に居て楽しいと言われたのは嬉しい。
 それに、
「いつもよりお喋りだな」
 そういうことも、なんだか特別みたいで。
「……言われてみればそうかもしれないな。気のせいということにしておいてほしい」
「仕方ないな」
 ――ちょっかいをかけるのもこの辺にしておかないと言い出しづらくなるな。
 そう思って、ドゥムカは口を閉ざした。
「どうした?」
「……クリスマスの礼をしたいと思ってな」
 クリスマスにもらった人形の礼を。
「グリンカは中々の出来だ。リンスも相変わらずいい仕事をする」
「それは良かったな。……ん? それなら俺じゃなくて、リンスに言ったほうがいいんじゃないか?」
「……いや。お前にも感謝しているからな」
 グリンカとの出会いは、マラッタが居なければ成り立たなかったわけだし。
「その、何だ。……ありがとう」
 素直になるということは、思いの外難しく。
 だけど、言ってしまえばこっちまでほんのり温かくなるような、不思議な気持ちだった。
「どうだ、少しは素直になってみたぞ?」
「ああ。驚いた」
「……というわけで、お礼だ」
 ずいっと差し出したのは、ラッピングされたチョコレート。と、フライパン。
「チョコ?」
「別に世のバレンタインに便乗した訳ではないぞ?」
 だから義理チョコではないし、本命でもないのだ。……そういうことにしておく。
 じゃあ何だ、とばかりにマラッタがドゥムカを見てくるから、
「この時期は売り場がそれ一色になるからな。つられてみた」
「そういうことか」
「手作りじゃないのは、気持ちを込めてないとかではなくてだな? 私はほら、料理は……火気厳禁だし」
「このフライパンは?」
「この間焦がしていただろう」
「ふむ。つまりこれでチョコレートのお礼を作ればいいのだな? ホワイトデーとか言ったかな」
「待て。そのフライパンは製菓用ではない。三倍返しを期待しているが、それで作るな」
 ならば何で作ればいいのだろう、とマラッタが首を傾げたので、ため息。
「そんな瑣末な事に気をとられるな。
 それより見てみろ、この夜景を」
 遥か下で輝く、街の灯り。
 ひとつひとつは大きなものではないけれど、集まったそれは幻想的な世界を作り出す。
「なかなかのものだろう?」
「ああ。見れてよかった。誘ってくれてありがとう」
「お前は素直だな」
「ドゥムカが意地っ張りなだけだろう」
「……そこまで酷くはないと思うのだが」
 反論してから、身震いひとつ。
 夜も更けてくると、展望台の中とはいえ、冷気が感じられる。
「そんな格好だと風邪を引くぞ」
「馬鹿者。脚を魅せずに何を魅せろと言う?」
「気温と相談したほうがいいな。ほら」
 カイロを渡された。準備のいい奴だとドゥムカは笑う。
「笑うところか?」
「なんとなくな。……ありがとう」
 なんとなくついでに、素直二回目。
 さっきよりもいくらか言いやすかった。