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25.大部屋お見舞い。7


 黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)が入院した。
 原因は、七刀 切(しちとう・きり)を庇ったせい。
「…………」
 そのため、切は自己嫌悪に陥っていた。
 ――ワイが油断してたせいで。
 繰り返し、同じ言葉が浮かぶ。吐く息もため息ばかりだ。
 とはいえ、まずは音穏の具合を確かめるのが先決で。
 怪我人に、辛気臭い顔を見せるわけにもいかないし。
「音穏さーん、見舞いに来たぜぃ」
 切は、いつも通りのゆるい調子で病室のドアを開けた、ら。
「……あれ?」
 見知った顔がいくつもある。
「リンスさん」
 入院してるし。
「クロエさん」
 なにやら音穏とくっついているし。
「ハンニバルさんまで」
 しかも紺侍のお見舞いらしい。
「切ちゃん……は、何殴られてるのかねぇ……」
 丁度ハンニバルに顔面パンチされる瞬間を見てしまった。
 やれやれ、なかなか騒がしい。
 こんな部屋では落ち込むこともできるまい。
 苦笑するように口元を歪めてから、切は病室に入った。音穏のベッドに向かって歩く。


 切が見舞う少し前。
「…………」
 音穏は、考えていた。
 全治一週間程度の怪我を負った。怪我の理由は気にするほどのことでもない。むしろ、鎧というしてパートナーを護れたことを誇りに思えるくらい。
 ――まあ、怪我を負うようではまだまだ力が足りんな。
 反省も忘れずに行えた。次は完璧に護ってみせようと思えた。きっと、音穏が怪我したことを切は気にしているだろうし。
 切の顔を見た時、どう接すればいいだろう。
 気にするな、と言ったところで考えを変えるということもないだろう。却って気にしてしまうかもしれない。
 ――いつも通り、いつも通り。
 だからこそ何も言わず、いつも通りにしようと心に決めた。
 が、
「……むぅ」
 気にしすぎて、落ち着かなくなってきてしまった。このままじゃヤバイ。妙な溝を生みたくない。
 と、病室にクロエが入ってきた。リンスのところへ向かおうとする彼女に、ちょいちょいと手招き。
「クロエ」
「なぁに? ねおんおねぇちゃん」
「ちょっとこっちに来てくれ」
 素直に近付いてきたクロエを、ひょいと抱き上げた。
「きゃ? なぁに、どうしたの?」
 そしてそのまま、抱きかかえるように座る。
「さみしんぼなの?」
「ちょっと違うな」
「ふあんていさん?」
「うーん。近いかもしれない」
「こうしてるとおちつくの?」
「……そうだな」
 落ち着く、と頷いた。
 こんな他愛もない触れ合いで、落ち着くのだ。事実だ。しょうがない。
「まあ、クロエだからだけどな」
「わたし?」
「なんでもないさ」
 ぎゅっと抱きしめ、クロエの肩口に顔を埋める。リンスからの視線を感じても、知らんふりだ。ツッコませてなるものか。
 と、
「音穏さん」
 聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。顔を上げる。
 病室の入り口に、ハンニバル・バルカ(はんにばる・ばるか)が立っていた。
「ハンニバル」
 名前を呼び返すと、ハンニバルがダッシュでベッドに近付いて、
「音穏さーん! ボク、超超超心配したのだ!」
 クロエものとも音穏に抱きつく。
「こ、こら。やめんか暑苦しい」
「だって! だって!」
「さんどいっちみたいね!」
 無言で抱きしめるハンニバルの頭を撫でた。ついでにきゃっきゃと楽しんでいるクロエの頭も撫でる。
「心配かけてすまん」
 それから素直に謝った。怪我が軽くても、理由がどうでも、心配をかけたことは事実だ。
「ん。元気そうだから、よかったのだ」
 言って、ハンニバルが離れる。
「ハンニバルはクドの見舞いか?」
「そうなのだ。クド公がまた入院したのだ。でもでも、奴のお見舞いじゃないのだ。クド公が入院するたびに来るのは面倒だし。音穏さんが居るから来たのだ。あとコンきち」
 ついでのように動物? の名前を呼んで、
「怪我人の傷に障るし、あまり騒いではいけないな。ので、次のお見舞いに行くのだ!」
 次にハンニバルが向かった先が、
「……居たのか写真屋」
 いつぞやかの盗撮犯だった。奴が『コンきち』らしい。
 どーもォ、とへらり笑いかけてきたので、とりあえずは睨んでおいた。
「ねおんおねぇちゃん」
「うん?」
 が、クロエに布を引っ張られたので怖い顔をやめてクロエに問いかける。
「どうした?」
「おしゃしんのやくそく、まだね」
 そういえば。
 あの日、解決したらクロエと撮ろうと言っていた写真。結局今日まで撮っていなかった。
「こんど、こんじおにぃちゃんにとってもらいましょ? やくそくー」
「……ああ、約束」
 ゆびきり、と小指を差し出すクロエを抱きしめてから、ゆびきりげんまん。
「というわけで、今度よろしく頼む」
「やー、睨みつけられながら頼まれるとか。ははは、任せてください」
 一応まだ警戒している相手なので睨んでしまったが、まあ無難に頼むこともできたし。
 あとは、切が来るのを待つばかり。


 音穏を見舞ったハンニバルは、紺侍のベッドの近くに椅子を引いて座った。
「検査入院って、大丈夫なのか?」
 それ、と頭の包帯を指差す。
「えェ。ほら、見ての通り元気でしょ?」
「フラグかもしれないのだ」
「あの窓際の木から葉が全て無くなる時、オレは……。……いやいやまっさかァ。そンな病人ごっこが似合うツラだと?」
 笑い飛ばされたので、じっと見てみる。今のセリフが似合いそうな儚さなどは、
「ないのだ」
「でしょう?」
「うむ」
 本人からの後押しに肯定。
 ともあれそんな冗談に付き合える程度には、
「コンきちも元気そうなのだ」
 それは何より、である。
「丈夫さだけが取り柄なンで」
「そのわりに入院してるのだ」
「ハイ、さっき同じツッコミを受けました。患者の身分で言う言葉じゃねェな、うん」
 一人頷く紺侍を見ていると、
「はーいみなさんこんにちは!」
 病室の入り口から底抜けに明るい声がした。クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)のものだ。
「ところでコンきち。病院食ってどうなのだ? 不味いと聞くが、真相はいかに? なのだ」
「イヤ最近の病院食はナカナカ……って無視でいいんスか。それにあちらも入院患者でしょ? 労わってあげた方が」
 視線を送るのも億劫なので無視していたら指摘された。
「しなくていいツッコミはしなくてもいいのだ」
 だって。
「ワォ、お兄さんの存在自体をスルーするつもりですねハンニバルさん!」
「こうやって寄ってくるから」
 その上紺侍が気にかけたクドの入院理由だって、女性にセクハラをして返り討ちに遭った、一言で言えばそんなことだ。しかもそれがいつものことだ。
「あー……」
 紺侍が残念なものを見るような目でクドを見た。
「コンきち、責任持って処理しろなのだ」
「見舞い品のりんごおすそ分けしますンで手伝ってくれません?」
「仕方ないな……コンきちがどうしてもって困っているなら、メロンパン一週間分で手を打ってやるのだ」
「ンじゃそれで」
 契約成立。
 ハンニバルは、クドを見た。


 ――とりあえず、お兄さん泣いてもいいでしょうか。
 病室に入ってから十数秒で、クドはそう思った。
 元気な挨拶。
 スルーでした。
 ――友人? 知り合い? 何人も居ますけど。ええ、ことごとく無視でした。
 寂しいので、心の中で喋っておく。
 ――ある意味お兄さんの扱い方をマスターしているとも言えますね。何せお兄さんってば放置されても燃えちゃうタイプだから。ええ、はい、……えっと、でも、そろそろ泣いていいでしょうか。総スルーはまだお兄さんにはご褒美とまでいきません。イケません。
 さめざめと泣き暮れる準備をしそうになったところで、不意に思い至った。
「なぜここにハンニバルさんが!?」
 ベタに驚くことをしなかったからこそのスルーだったのだと。
「…………」
 静寂だった。
「クドさん、病院ではお静かにっスよ?」
 至極まともな紺侍からのツッコミが、痛い。
「うん、あの……ごめんなさい」
 謝っておいた。かくなるうえはこの場で土下座でもしてやろうかと床に正座したところで、
「まあなぜと問われれば答えてやらないこともない。のだ」
 ハンニバルが構ってくれた。
「ボクがここに居るのは音穏さんのお見舞いと、ついでにコンきちのお見舞いなのだ」
「オレついでっスか」
「そのついで以下ですかお兄さん。名前すら挙げられないとか、そっかー! 全存在かけてスルーされていますね! あっはっはー!
 ……泣いていいでしょうか」
「そんなことよりクド公。人のお見舞いに来れるとか、他人を気遣えるハンニバルさんは出来た子だと思わないか?」
 落ち込み始めたら、ハンニバルが得意げな顔をしてきた。
 クドはすぐに察する。
 ――これは……褒めろってことですね!
 ――路傍の石と同程度かそれ以下の扱いをしておきながら褒めろと催促してくるだなんて……ハンニバルさん恐ろしい子! 飴と鞭を使いこなしていますね!
 もちろん、クド専用の飴と鞭だが。
 ともあれ、そんなことをされたら全力で褒めるしかあるまい。
「よっ! ハンニバルさんさすが! 優しい! 慈悲深い! 慈愛に満ちてる!」
 数々の賞賛する言葉に、ハンニバルの得意顔がレベルアップしていく。
 が、
「ちっちゃい! 貧乳! ぺったんグフォッ!!」
 また別のジャンルについて嘉賞したら殴られた。しかも怪我人の顔面を。グーで。
「ちょっ、怪我人の顔面にパンチするとかコレいかに! もっと労わりましょう!?」
「無理なのだ」
「即答!」
 と、騒いでいると。
 ――おや?
 いつもよりも表情の硬い切が、病室に入ってきた。
 ――何かあったんですかねぇ?
 音穏のベッドに近付く切を見守りながら、クドは思う。
 まあ、何があったかなんて音穏が入院している時点でおよそ見当はついているが。
 ――切ちゃんが何を考えているかも、ね。
 なので、声はかけない。
 本当に、ただ見守るだけだ。
「クド公?」
 クドが急に黙ったからだろうか、ハンニバルに顔を覗き込まれた。
「ん? なんですかハンニバルさん、構ってほしいんですか?」
 むにっとハンニバルの頬を摘む。と、勢いよく頭突きされた。床に沈む。
「……ハンニバルさん、そんなにお兄さんとの触れ合いが嫌ですか……」
「愚問なのだ」
 いっそこのまま泣いてやろうかと考えつつ、病室の会話に耳を傾ける。


「強く、ならんとなぁ」
 音穏と二言三言会話してから、切は呟いた。
 まずは守られなくてもいいくらいに。
 それからみんなを守れるくらいに。
 叶ったら何がしたいか考えた。みんなで出かける。それがいいなと思った。楽しそうだ。
 これからの季節なら、
「海とか楽しそうだよねぇ」
「海?」
「そう。みんなで行くの。ワイが強くなれたらそのお祝いで」
「阿呆。お祝い目当てに行動を立てるな」
 笑っていたら、叱られた。
「だが……海は、楽しそうだな」
 が、小さく音穏が微笑んだ。きっと、この先を想像して楽しんでくれている。
「でしょ?」
 その想像を、想像する未来を、守りたいと。
 思うからこそ、
 ――強くならなければ。
「じゃあ、ワイはもう帰るよ。あまり長居するのも身体に障るしねぇ」
「そうか。……なあ切、また来るか?」
「はえ? そりゃまあ、もちろん」
 なんで? と首を傾げたら、ぷいっと顔を背けられた。耳が赤い。どうしたのだろう。
「次はもっと早く来い。い、いや。待ちくたびれたとかではなく、あ、待っていたとかでもなく。ちょっと暇だからな。ああ、それだけだ。我の暇つぶしのために、次は早く来い」
「……はいはい」
 素直じゃないけど、いつもよりは素直に伝えてくれた音穏に微笑み。
 病室を去ろうとした際、
「Streng Dich an」
 クドに囁かれた。
 聞き覚えのある言葉。ドイツ語だ。意味を理解すると同時に、
「……Danke schon」
 答えていた。


 さて、そんな部屋の様子を病室に入らず眺めていた人物が一人。
 それは、アトゥ・ブランノワール(あとぅ・ぶらんのわーる)である。
 ――やはり、切くんに預けて正解だったようだ。
 音穏が笑っている姿を見て、満足げに微笑む。
 それだけわかれば十分だ。
 アトゥは病室の前から立ち去る。
 向かったのは、本来自分がお見舞いに来た場所。
 サフィール・アルジノフ(さふぃーる・あるじのふ)の病室だ。
「やあ」
 片手を挙げて挨拶すると、ぷいっとそっぽを向かれた。
「おや。歓迎されていないようだね」
 ところがそう言うと、慌てたようにアトゥを見る。わかっているさとくつくつ笑うと、サフィが顔を真っ赤にした。
 素直じゃないなと思う。本心では喜んでいるのに、つんけんした態度を取って。
 きっとさっきの態度は、転んだだけで足を骨折してしまったという事実が恥ずかしいから。それと、お見舞いに来たことを喜んでくれているから。
 わかっているから、
「わ、わ、わざわざご苦労なことね! こんなとこまでやってきて!」
 そんな風に言われても、笑っていられる。
 ――そもそもどもっている時点で、可愛げしかないよ、きみ。
 と言ったらきっと、心配になるくらい顔を赤くするだろうから言わないでおく。
「べつに、見舞いに来たからって早く治るわけでもないんだから。家で悠然と構えていればいいのよ。あと正直、ヨッシーが余計」
「ちょっ! この子ったら、せっかく来てあげたのに何て言い草!」
 サフィールに余計と言われた染井 吉野(そめい・よしの)が頬を膨らませた。
「そもそもね。アトゥには嬉しそうな顔なのに、どうしてワタシには『アンタは来なくて良かったのに……』なんて顔なのよ。そんなひどい格差存在しないわよね? 嬉しいわよね? ワタシが来たことが嬉しいのよね? ヨッシーが来てくれて嬉しい。はい、リピートアフターミー? むしろ言いなさい!」
 そしてマシンガントークである。
 ほらこれだから、と言わんばかりのサフィールの視線に苦笑していると、
「ヨッシーはヨッシーらしく、赤い帽子被ったひげオヤジでも背に乗せてどっか冒険しとけばいいのに」
 火に油を注ぐように、サフィールがつんけん態度で毒を吐く。
「むっきー!? そこまで言う!!」
 吉野が吼えて、サフィールに背を向けた。
「いいわ! アナタがその気なら、ワタシ拗ねちゃうんだから!」
「わざわざ拗ねるとか宣言する?」
「いいの! 拗ねるったら拗ねるの! もう話しかけないで!」
 さらにつんとした態度を取られたことで、本格的に拗ね始めた。もうアトゥとも目を合わせようとしない。
「めんごめんご。ほら、このバナナあげるから機嫌直しなさい」
「……バナナ? 冗談じゃないわ、結構よ」
「美味しそうなのに」
「おカマいなく! オカマなだけに!」
「え、オカマなだけにって何ソレ。面白いと思ってるの? はは、ワロチ」
「むっきー!! この子ったらこの子ったら……っ!! ていうかそのバナナ、ワタシたちが持ってきたヤツでしょう! この恩知らずー!」
 騒ぐ二人に、
「ところで二人とも。昔話を聞いてくれるかい?」
 アトゥは語りかける。
「とある病室の前で、見覚えのある名前を見かけたんだ。昔一緒に旅をしていた子でね。黒乃衣 音穏という子なのだけれど。
 寂しがり屋なのに素直になれない子でね、とてもいい子なのだけど、一人ぼっちだった。
 魔鎧として纏った事もあるし、相応の信頼関係も築けていたと思う。
 けれど契約はしなかった。
 だって、彼女にはこの先私よりも相応しいパートナーが現れる、そんな予感がしていたから。
 そして七刀 切という少年と出会い、私は彼に彼女を託した」
「……それで、どうなったの?」
 言葉を切ったアトゥへと、サフィールが問いかけた。
「うん。もう見つけていたよ」
 笑顔で語らえる友を。
 暖かい居場所を。
「私ももう少し若かったら、あの若人たちの輪に混じったかもしれないのだけど」
 今ではもう無粋だろうからしなかった。それが正しい選択なのかはわからない。
「元気そうで何よりだったな」
 ――ねえ、音穏?
 届くはずの無い微笑みを浮かべ、音穏の笑みを思い出す。
 幸せそうだった。楽しそうだった。照れくさそうだった。
「……本当に、良かった」
 それを嬉しいと思えて。
 共に、ではないけれど、喜べて。
 彼女がまた明日も笑えるように、少しだけ祈った。