  | 
      | 
  
リアクション
18
「魔法少女の力ってすごいよね。この人形が依り代になってくれるっていうんだから」
 五月葉 終夏(さつきば・おりが)は、人形を手にぽつりと呟く。
 お盆祭りの日。
 本当はもう二度と逢うことのできない人に、逢える日。
 終夏には、逢わせたい人がいた。
 五月葉 冬子。
 終夏の祖母であり、ニコラ・フラメル(にこら・ふらめる)の契約者であり妻である人。
 最近知ったことでまだ実感が湧かないけれど、ニコラは終夏の祖父だという。記憶は一切ないけれど。
 というのも、冬子が亡くなるその時まで、彼は契約を解除しなかったから。
 ずっと、冬子の傍で、冬子のパートナーとして、天寿を全うするその時まで。
 結果、パートナーロストの影響を受けてしまった。
 英霊となった後の思い出の全てを消失。
 当然、冬子と過ごした日々のことも忘れてしまっているのだろうけど。
 ――せめて、一目逢わせてあげたいな。
 ニコラのために、何かしたいと強く思っていた。
 ――だって私は、英霊ニコラ・フラメルの孫だもん。
 ちらり、隣に立つニコラを見た。いつもと同じ、涼しげな顔。けれど、眼鏡越しに見えた瞳はどこか遠くを見ていた。
「そういえばさ。フラメルの眼鏡、冬子おばあちゃんからの贈り物なんだって」
 覚えていないだろうけど。
「そうなのか?」
 ニコラの答えは案の定で。
 でも、だけど、終夏は知っている。
 ニコラがこの眼鏡を、いつだって大事にしていたこと。丁寧に扱っていたこと。
 ――それって、つまり、記憶を失くしても覚えていたってことじゃないのかな。
 心のどこか、深いところで。
 ふと気付けば、人形がなくなっていた。
「おばあちゃん、もうすぐ来るのかも」
 なんとなくそう感じて、ニコラの背を押した。
「終夏」
「いいから。フラメル、先に行ってよ」
 ね、と微笑んで促すと、一拍躊躇ってからニコラが歩き出した。
 さて、次の問題に移ろうか。
「…………」
 問題というのは、セオドア・ファルメル(せおどあ・ふぁるめる)のことである。
「セオもおばあちゃんに逢いたいんでしょ?」
 ニュースを観てそわそわしたりしていたくせに。
「僕は冬子さんに逢う資格がないから」
 そう言って、寂しそうに微笑むんだ。
「それに冬子さんとニコラくんの時間を邪魔したらいけないし」
 セオドアが、冬子に逢いたがっていることは終夏にもわかるくらいわかりやすくて。
 なのに、こんな風に意地を張って。
「いいから行ってきなさい」
 有無を言わせず、背中を押した。
「ちょ、ちょっと終夏君」
「いいから」
「えー」
「えーじゃないの。……逢いたいんでしょ? 逢っておいでよ。そうそうある機会じゃないんだよ」
「……終夏君は、ずるいなあ」
 セオドアが困ったような、でも嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「それに、自分は遅れてくるつもりでいるくせに、人のことは急かすなんて」
「私はいいんだよ。三人の水入らずを見てからで」
 それに、セオドアと違って意地を張っているわけではないし。
 ほらほら、ともう一度背中を押したら、セオドアはついに一人で歩いていった。
「まったくもう、世話が焼けるんだから」
 やれやれと一息吐いてから、祭りの屋台を見て回ろうと二人が向かった方向とは逆に歩き出す。
 お盆祭りの規模はそれなりに大きく、比例して屋台の数も多い。
 ――何かお土産に持って行ったら、おばあちゃん喜ぶかな?
 どれがいいだろうかと物色していると、
「オリバー!」
 大声で呼ばれた。終夏のことをその愛称で呼ぶ相手は一人しか居ない。
 周りを見回すと、お好み焼きの屋台を開いている社が手を振っていた。
「やっしー! 屋台出してたんだね」
「おう! 俺のお好み焼きは美味いでぇ〜♪」
「じゃあ買っていこうかな。持ち帰りできるようにお願いします」
「まいどあり♪ いくつ包む?」
「んーと……」
 一人一個じゃ多いだろうか? でも、社が美味しいと太鼓判を押しているのだし、きっとぺろりと食べられるだろう。
「私のも合わせて四つお願い」
 社が頷き、ひょいひょいとお好み焼きを包んだ。ビニール袋に入れて手渡してくる。
「お代はええで」
「え、でも」
「だってオリバー、気付いとる? 今めっちゃイイ笑顔しとるで」
 言われて頬に手を当てた。本当だ、頬が緩んでる。
「きっとこれから逢いたい人に逢いに行けるんやろ?」
「うん。その通り」
「せやから、門出っちゅーかなんちゅーか。それから笑顔の源に、やな」
 プレゼントや、と差し出してくる袋を、終夏は微笑んで受け取った。
「ありがと、やっしー」
「ええって。オリバーには笑顔が似合うんやから。これ食べてまた笑ってくれな♪」
 優しい友人にありがとうと手を振って。
 お土産も手に入れたし、時間的にもいい塩梅だろう。
 終夏は三人のところへ戻るため、歩き始めた。
 ニコラには冬子の記憶がない。
「こうして逢えたのに、お前のことを覚えていなくてすまない」
 だから、冬子に逢ってまずしたことは謝罪だった。申し訳なさもあり、頭を下げたまま上げる気になれない。
「知ってるよ」
 はっきりとした芯のある声で、冬子が言った。
「記憶があろうがなかろうが、あんたはあんただ。だから顔を上げなさいな。……いいえ。顔を見せて、ニコラ」
「…………」
 言われ、ニコラは顔を上げる。冬子の、意思の強そうな黒い瞳と目が合った。なんだか懐かしい気持ちになって、何も言えなくなる。
 冬子の手が、ニコラの頬に伸びてきた。そっと撫でるように頬を包み、にこりと微笑む。
「変わってなくて嬉しいよ、ニコラ」
 ――冬子もな。
 と、言葉が出そうになって。
 ――?
 どうしてそんな言葉が浮かんだのか、疑問に思う。
 だって、忘れてしまっているのに。変わっているかいないか、比較できるものは自分の中にないはずなのに。
「どうしたんだい、黙っちゃって」
「……うむ。いろいろあってな。
 それから、何を話すかも考えてきたのだが……こうして逢ってみると、考えてきたものが吹っ飛んでしまった」
 私らしくない、と頭を掻いた。こんなことくらいで焦っている自分も、らしくない。
 何を話そう。時間は限られている。何を話せばいい?
 考えた末に、
「ナラカでの生活はどうだ?」
 そう問うた。
「あちらでも幸せであってくれると良いのだが」
「そうさねぇ……少し退屈だけれど、悪いところではないよ。茶飲み友達くらいなら出来たしね」
「上手くやっていけているのだな」
「おや? あたしを誰だと思ってるんだい、ニコラ」
 くすくすと笑う顔が、歳不相応に明るく若かったので、既視感を覚えた。
「冬子さん」
 と、そこにセオドアの声。
 普段の彼らしくない、おずおずとした声だった。
「お久しぶりです。……それじゃ」
「って、セオ! それはないだろう? せっかく逢えたっていうのに、一言声をかけて終わりかい? あんたがそんな薄情な子だとは思わなかったよ」
「え、やっそういうわけじゃっ」
「なら、もう少しここで話しをしようじゃないか。終夏は? あの子のことだから、気を遣って少し遅れてくるつもりなのかね?」
 だろうな、とニコラは頷く。セオドアも頷いていた。
 そこまで気を遣わなくてもいいのに、とも。
「ありがたかったけどさ」
「ああ」
 ぽそりと言われたセオドアの言葉に、ニコラも同意した。
 と、噂をしていたら終夏がこちらへやってきた。何か手にしている。祭りを見てきて、お土産を買ってきたのかもしれない。
「終夏も大きくなったねぇ……」
 感慨深そうに冬子が言い、手を振る終夏へと手を振り返す。
 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
 話は弾み、日は暮れて。
 気がつけば、もう花火が上がるような時間。
 ――こんなに楽しいと別れるのが少しばかり寂しいね。
 だけど、そんなときこそ笑ってやろうというのが冬子の信条である。
 にっ、と強気そうな笑顔を浮かべ、
「あたしはそろそろ行くよ」
 立ち上がった。ニコラと目が合う。
「またな」
 真っ直ぐに目を見て言われた言葉に、思わず苦笑。
「いやだね。そんなに早く来なくていいよ。長生きしとくれ。それこそ一世紀くらい。
 なあに、待つのは苦じゃないさ。それより終夏をよろしく頼むね」
 ニコラの返事を待たず、今度はセオドアに向き直る。
「負けんじゃないよ」
 何に、とは言わなかったけれど。
 彼にはしっかり伝わっただろう。力強く頷かれた。
 最後に終夏の手を取って。
「しっかりおやり」
 優しく、声をかけた。
「うん。おばあちゃんも元気でね。……って、元気でっていうのは変かな?」
「いいやそんなことはないさ。だってあたしは元気だからね。見てわかるだろう?
 お好み焼きだって、一人前をぺろりと食べたし。
「そういえばあれは美味しかったね。今度また来ることがあったらご馳走になりたいねぇ」
「じゃあ頼んでおくね。あれ作ったの、私の親友なんだ」
「そうかいそうかい。ならお礼を言っておいておくれ。……っと」
 こうして雑談を続けていたら、いつまでもここに留まってしまいそうだ。
「今度こそ帰るよ。それじゃあね」
 一歩一歩、歩き出す。
 ああ、今日は、本当にいい日だった。
 自分を好いてくれた子に逢えた。夫に逢えた。孫に逢えた。
 みんな、楽しそうに幸せそうにしてくれた。
 ――それが何よりじゃないか。
 ――まったく、あたしまで幸せな気分になっちまったよ。
 充足感に口角を上げながら、背筋を伸ばしてナラカへの道を冬子は歩いた。