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リアクション



19


 人形劇を手伝いに行こうと能天気に誘いを持ちかけてきたのは、宿主――もとい、七枷 陣(ななかせ・じん)であるはずなのに。
 ――おい、宿主サマ。死者を悼みすぎだろ。
 ――『…………』
 七誌乃 刹貴(ななしの・さつき)が軽い調子で茶化すように言ってみても反応はなし。
 事は、病院へ行く直前の電話にあった。
 深く関わりを持っていた人が死んだらしい。
 嘘だろ、といった意味合いの言葉を数回呟いてから、以降陣はずっと黙っている。
 ――意気消沈にもほどがあるんじゃないか。
 せっかくの劇も陣には見えているのか。それすら怪しい。
 ――手伝うこともなかったし。来た意味はあったのかね……。
 悪者系の役があれば任せてもらおうか、と思っていたら、生憎悪者のいないストーリー。朗読役も既に揃っているし、操り手も演奏家もいる。というわけで、来た理由のほとんどがなくなった。そのまま帰るのもアレだったので観客席に座ったが。
 ――宿主サマ? 見えてる?
 ――『……見てるよ』
 初めて返答があった。しかし、暗く沈んだ声である。
 ――落ち込みすぎだろ。
 ――『いつか刹貴にもわかる時がくるさ』
 ――わかる? 宿主サマの今の気持ちを?
 親しい人が死んだだけで、ここまで落ち込む理由を?
 それはなんて『人間らしい』ことなのだろう。ありえないよと笑ってやった。
 ――『わかるよ。今はまだ、こんな気持ち理解できないかもしれんけど。いつかは』
 ――…………。
 ――『それまで、悔いのないように過ごすんやぞ』
 なんだそりゃ。思ったけれど、言えなかった。とはいえ憑依中なので伝わってしまっただろうけれど。
 ――『オレは今……今は、何も考えられない。悔いだけしか思い浮かばない。……それは、しんどいことやで』
 ――それくらい、見ていてわかる。
 わかる、のか。自分で思っておきながら、驚いた。
 ――『……な? だから、いつかわかるって。……刹貴。オマエは、こんな風にならんようにな。悔いなく、生きるんや』
 それきり陣は、また黙ってしまった。
 刹貴は考える。
 陣が大切にしていたという、相手も縁も。
 いつかは失う時期が来ていたはずだ。
 それがたまたま今だった。
 ――……それだけだろ?
 確かに、早かったのだろう。割り切れるものでもないのかもしれない。
 だけど、そこまで落ち込むほどのものなのだろうか。
 ――わからないな。
 リンスやクロエなら、わかるのだろうか。
 丁度、劇も終わったことだし。
「クロエ」
 席を立ち、刹貴はクロエを呼び止めた。クロエの傍にはリンスもいる。都合が良い。
「大切な相手を失うことは辛いことなのか?」
 リンスが、息を飲んだようだった。表面的な変化はほとんどないが、刹貴の目は誤魔化されない。
 じっ、と見ると、「……辛いよ」とだけ返された。
「どれくらい」
「世界が壊れたんじゃないかって錯覚するくらい」
「そんなに? どうして」
「自分にとって、その人がとても大切だったから。その人が自分の世界であったから。大袈裟に言えば、あの時俺の世界は死んだ」
「いつかは失うものなのに?」
「そんな覚悟をする前に事が起こったら、不意打ち過ぎるでしょ? 人に限らず、不意打ちには弱いものだよ」
 淡々と、つらつらと説明されて、少しだけわかった気がした。あくまで知識として、だけれど。
「餓――クロエはどう思う?」
「わたしは、いやだわ」
「嫌って」
 答えになってないぞと見つめると、クロエは小さくかぶりを振った。
「いやなの」
「…………」
 一度、クロエは死んでいる。
 自らの死を以って、親しい相手や縁から断たれた。
 その時と同じ気持ちを味わうのは、もう嫌だと?
 ――そうか。それほど辛いのか。
 陣だけでなく、あのクロエまで黙ってしまうほど。そしてリンスの言葉。先に加えて、また少しわかった気になった。
「七誌乃には、そういう相手。いない?」
 クロエの頭を撫でながら、リンスが言った。
「俺の場合はそういうのは特にいな――」
 いない。言い切りかけて、リンスにしがみついているクロエを見た。そして、彼女のことを思った。
 ――こいつがいなくなったら、俺は。
 少しくらいなら、悲しいと思うのではないか。
「……いや、なんでもないよ」
 いない、とは言えなかった。一瞬とはいえ思い浮かべてしまったから。
「劇、お疲れさん。俺たちはもう帰ることにするよ」
 身を翻す。またね、とリンスが言ったのに続いて、またね、とクロエも言った。振り返らないまま、ひらり、手を振る。
 それにしても、どうしてクロエのことを見たのだろう。見て、あんな風に思ったのだろう。
 ――宿主サマの精神にあてられたって?
 そういうことにしておこう。
 第一刹貴は、クロエのことが苦手なのだから。
 ――いなくなって悲しむなんて、あるはずがない。


*...***...*


 劇も無事に終わりを迎え。
「お疲れ」
 舞台裏にいたクロエに、音穏は声をかけた。
「ねおんおねぇちゃん」
「頑張ったな、今日は」
 観客席で、ぐずる子供の相手をしながら観ていた劇は。
 前半の、リンスとクロエの出会いのものも、後半の物語調のものも、どちらもよく出来ていて。
「楽しかったぞ」
 もちろん、楽しんだのは音穏だけではない。
 始まるまで、つまらないとかなんだとかぶーたれていた子供たちだって、劇が進むにつれて黙っていたし、最後には大きな拍手もしていた。
 皆が頑張って、楽しめた人がたくさん居る。
 楽しいを、共有できた。
 楽しませる側と、楽しむ側と、離れても。
「よかった! わたしも、たのしかったの!」
 そして、こうして彼女も頷いてくれて。
 考えも共有できていたことが嬉しくて、微笑う。
「誇らしかったな」
「え?」
「あそこで頑張っている娘は、我の友達、」
 ――……いや。
「……親友なんだぞ。とな」
 きょとん、とした顔でクロエが音穏を見つめていた。
 恥ずかしい。どうしよう。言ってみたものの、ああ。顔から火でも噴けそうだ。
「ねおんおねぇちゃん」
 しかも、クロエは音穏のことを真っ直ぐ見つめてくるものだから余計に。
「……なんでもない」
「なんでもなくないもん。すっごくうれしかったんだから!」
「……む。そうか」
「そうよ!」
 と笑うクロエの顔は、劇を終えたときと同じか、それ以上に明るい笑みだったから。
 ああ、不思議と恥ずかしさが吹き飛んだ。
「……クロエが嬉しいと、喜んでくれるなら。それは我も嬉しいよ」


*...***...*


 終わってしまった。
 がらんとした観客席を見て、衿栖は思う。
 終わってしまった。
 思い出に変わってしまった。
 練習を見ていたことも。
 本番前の合わせも。
 終わった瞬間の笑顔も。
 今から過去に変わってしまった。
 舞台の片付けをしながら、急に緩んだ涙腺に戸惑う。
 時間は、誰にでも平等に過ぎていく。
 わかってはいるけれど。
 工房で、リンスと過ごす時もいつかは『過去』になるのだな、と。
 良い思い出のひとつになるのだな、と。
「…………」
 静かなホール。片付けの音。遠くに聞こえる、患者を呼び出す声。
「……ねえ、リンス」
 静寂を破って、話しかけた。「ん」とリンスが振り返る。
「今日、楽しかったわね!」
 衿栖は、最高の笑顔を浮かべてみせた。
 未来の自分が今日を思い出したとき、『良かった』と思えるように。
 未来のリンスが今日を思い出したとき、この笑顔を思い浮かべてくれるように。
 二人にとって、良い過去になるように。
「うん」
 ふっと笑ったリンスの顔も、柔らかなもので。
 ああ。
 ――きっと私はずっと、この表情を忘れないだろうな。


*...***...*


 くすくすと、笑い声がマナの耳元で聞こえた。振り返る。が、誰もいない。ホールを出た。外の廊下。端の方に、彼女は佇んでいた。
 いつものように黒いドレスを身に纏って、いつものように口元には笑みを浮かべて。
「いらしてくれたのですね」
 今日の劇のことを魔女にも伝えるように、マナはフィルに頼んでおいたのだ。来てくれるかどうかは半々だったが。
 劇の最中、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。けれどまあ不思議ではない。彼女は魔女だ。姿も気配も消すことなど容易いのだろう。
「前にも言った気がするけれど。長く生きていると、暇なのよねェ」
「暇潰しは如何でしたか?」
「中々有意義だったわね。お疲れ様」
「それは重畳」