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あの頃の君の物語

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自分を取り戻すまで〜橘 舞〜

 京都にある大きな旧家。
 ここは関西を代表する巨大企業・橘グループ総帥の邸宅で、総帥とその妻、そして、娘が住んでいた。
 娘の名は橘 舞(たちばな・まい)
 神奈川にある名門・百合園女学院に通う生徒だった。
 だった、というのは数ヶ月前から舞は学校を休学し、この京都に戻っているからだ。


 ぼやっと座っていた舞の耳にちりんちりんと鈴の音が聞こえる。
 横を向くとそこには白い猫がいた。
「おいで……」
 舞の言葉に応じて猫がやってくる。
 猫を撫でてあげながら、舞はまたぼうっとした。
 東京の別邸から百合園女学院に通っていた舞は、完璧なお嬢様として百合園女学院で振る舞っていた。
 気位の高い完璧主義のお嬢様。
 それが同級生や後輩の抱く舞の印象だった。
 やっぱり橘グループの一人娘だなと先生たちもそういう印象を抱いていた。
 勉強も素行も完璧。
 茶道や華道などのお嬢様としての習い事も完璧で、授業の時も全員のお手本になるほどだった。
 他校との交流の際にも、舞を出しておけば間違いないと、先生も周囲も思っていた。
 舞はその期待を当然のことかのように受け、橘家の娘として尊敬される振る舞いをと心がけてきた。
 しかし、中等部の卒業を目前にしたある日。
 舞の緊張の糸がぷっつりと切れた。
 キッカケはなんだっただろう。
 進学のことを考えたせいか。
 あるいは卒業生代表に選ばれたからか。
 どのことがキッカケかは分からないし、どのこともきっかけだったのかもしれない。
 舞はそれまでの輝きを無くし、急に無気力になった。
 学校に行かなくなり、心配した東京の別邸から連絡が入り、舞は京都に帰された。
 それからはずっと前に自分が使っていた部屋で、ただ漠然と一日を過ごしている。


「舞さん」
 ふと、外から声が聞こえてきた。
 舞は少し顔を上げたが、返事はしなかった。
 障子の向こうの影がゆっくり動く。
「お加減どうですか」
 気遣う声。
 でも、それすら煩わしくて。
 自分も華道や茶道などのお稽古事を全部やめていたらどうなったのかしら。
 百合園女学院でない学校に行っていたら……。
 いくつかの「もしも」が舞の頭の中を駆け巡る。
 空想に心を飛ばした舞は、流れる沈黙を気にしなかったが、障子の向こうの相手はその長い長い沈黙が耐えられなかったようだ。
「……また来ます」
 人の気配が無くなって、舞はどこかホッとした。
 そして、再び猫に手を伸ばした。
「あなたは……変わらないわね」
 猫を優しく、抱く。
「変わらずにいてね」
 舞はそれからしばらく部屋に引きこもる日を続ける。
 ふらりと一人で外に出て、ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)と出会うその日まで。