|
|
リアクション
■ 香菜の……家族 ■
焼けたアスファルトから陽炎が立ち上っている。
閉口したように片手で扇ぐ仕草をして、夏來 香菜(なつき・かな)は里帰りに同行している早川 呼雪(はやかわ・こゆき)たちに言う。
「ほんっと暑いわね。でもあともうちょっとだから」
「ああ。東京は毎年暑くなるような気がするな」
呼雪も実家は東京だ。今年の夏は猛暑、と聞かない年が無いほどのこの暑さもお馴染みのものだ。
「へぇ、家まではもうすぐかぁ。ねぇねぇ、香菜ちゃんの弟って可愛いの? 香菜ちゃんに似……おっと」
うっかり言いかけてヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)はその先の言葉を呑み込んだ。
香菜は家族とは血の繋がりのない養女なのだから、弟と似ているかどうかを聞くのは憚られた。代わりに尋ねてみる。
「弟くん、どんな感じ? 小中学生くらい?」
「私と2歳違いの中学生、って言ってもまだまだ子供よ」
「そっかー、仲良くなれると良いなー。あ、変な意味じゃないよ?」
「ヘル……そうやって付け加えると、却って変な意味があるように聞こえると思います」
「じゃあさっきの無しってことでよろしくー」
ユニコルノ・ディセッテ(ゆにこるの・でぃせって)の指摘に悪びれずに言うヘルに、香菜はため息と笑いが混じった息を吐いた。
香菜の家はよくあるような一戸建てだった。
庭には緑が目立ち、玄関先にもたくさんプランターが並べられている。
玄関の扉にも、手作りらしき細い花のウェルカムリースがかかっていた。
ただいまと香菜が呼びかけると、ばたばたと派手な足音と共に中学生の男子が出てきた。
「姉ちゃんお帰り!」
嬉しくてたまらないように言ってから、弟は呼雪たちを見てちょっと目を見開き、それからああと思いだしたように1つ頷く。
「友達ってそいつら?」
「こら悠一! そいつなんて失礼なこと言わないの」
香菜が注意したところに、奥から笑いながら母親が出てきた。
「お帰りなさい、香菜。お友達の皆さん、よく来てくれたわね。暑かったでしょう?」
優しそうな笑顔に柔らかな面差し。やはり香菜には似ていない。
「初めまして、早川ユノと申します。本日は訪問を許してくださってありがとうございます。甘いものがお好きだとお聞きしたので、よろしければこちらをどうぞ。ツァンダ名物のお菓子です」
母親の挨拶を受け、最初に名乗ったのはユノだった。
実は香菜をよく知っているのは呼雪たちの方で、ユノは実質この同行が初対面だったりする。けれど男2人で女の子の家に行くのもちょっと憚られる、ということで今回の訪問は、ユノを前に立てそのパートナーとして呼雪たちが付き添う形をとっているのだ。
ユノに続いて呼雪も名乗り、手土産として持ってきたタシガン名物のコーヒー豆を手渡した。
「香菜さんとは通う学校は違いますが、ニルヴァーナの探索ではお世話になっています」
「お世話になってるのは、私の方だけどね」
「あら、それはありがとうございます」
娘が世話になっている相手に頭を下げる姿はまさに母親だけれど、実際は養母と養女。その様子を呼雪はつい自分と重ね見る。呼雪が今の両親の許に来たのは、結構大きくなってからだったけれど。
「僕もお土産持って来たんだよ。じゃーん!」
ヘルが出したのは花火セットだった。
「お、花火じゃん」
目を輝かせる弟に、日が暮れたらやろうねとヘルは笑った。
玄関での挨拶が終わると、リビングに通された。
パラミタでの話は、家族が心配するからほどほどにしておいてと香菜に頼まれていたから、出来るだけ当たり障りの無い部分をさらりと説明するだけに留めておいた。
それでも弟はすげぇすげぇと感嘆し、香菜は照れた様子で視線を上げる。
「パラミタに来る前は、香菜さんはどんな感じだったのでしょうか?」
ユノが逆に聞いてみると、香菜は別に普通よと肩をすくめた。
すると横から悠一が身を乗り出してくる。
「普通じゃねぇよ。姉ちゃんはすげー真面目な委員長をずっとやってて、家でもゆーしゅーだったんだからな」
「ちょっと。恥ずかしいこと言わないでよね」
こつんと軽く香菜は悠一の額を指で弾いた。
「ってーなー」
仲の良い姉弟のやりとりは微笑ましい。
「真面目な委員長さんですか。折角ですから、もし差し支えないようでしたら、進学前はどんな風に暮らしていたのか、香菜様のお部屋を拝見させて頂けませんか?」
「いいけど、大したものは無いわよ」
ユノの頼みに快く立ち上がった香菜に、俺もと弟もついてゆく。
「僕も見せてもらおうかな。呼雪は?」
「俺はいい」
「じゃあ行ってくるね」
呼雪をリビングに残して、ヘルも香菜たちの後についていった。
パラミタに行く前のままだという香菜の部屋はあまり物が無く、シンプルだった。
必要最小限の物しか置いていない中、大きな本棚が目立つ。本棚に並んでいるのは小説や雑誌ではなく、参考書や図鑑、事典などの勉強に関する書籍だ。
弟は優秀だと香菜のことを自慢していたけれど、その優秀さの裏には努力があることを示しているような生真面目な部屋だ。
それでも殺風景な印象を受けないのは、パステルカラーのカーテンやベッドカバーがいかにも女の子女の子していたり、置いてある小物が可愛かったりする為だろう。
「なんか改めて見られると恥ずかしいわね。もういい?」
香菜は幾分照れたように、部屋のドアを閉めた。
「仲の良い兄弟ですね」
リビングに残った呼雪は、香菜の母親に話しかけた。
「いえ、悠一がお姉ちゃんに甘えっぱなしで」
少し恥ずかしそうに、けれど優しい笑顔で母親は答えた。
それとなく、香菜がこの家に来た経緯のこと、あるいは香菜の本当の両親や兄弟について知りたいことはないかと水を向けてみたが、それに対しては曖昧な微笑ではぐらかされた。家庭の事情を余所の人に話したくはないのだろう。
けれどそれ以外は、香菜のことも話してくれたし、向こうでの様子も聞きたがった。
良い母親なのだろう。たとえ血の繋がりはないとしても。
そのことに呼雪は安堵する思いだった。
日が暮れると庭に出て皆で花火をする。
その頃には父親も帰ってきて、家の中から皆が花火に興じる姿を眺めた。
「次、これ行こうかー」
「それ俺に火をつけさせて!」
騒ぎの中心はヘルと悠一だ。香菜とユノは手持ち花火を選んでは火をつける。
また1つ、花火を選んだ香菜の隣に立ち、呼雪は話しかけた。
「良い家族だな」
「うん……凄く良い家族よ」
花火の光が香菜の横顔を照らす。
「俺は……あのニルヴァーナの地下遺跡で逢った時から、お前の『本当』を探して、いた。そして見付けることが出来たと思う。けれどそれは、お前の今を壊す為じゃない」
「呼雪、香菜ちゃんと何話してるのー?」
さっきまで向こうで大騒ぎしていたヘルがふらっとやってきて、呼雪はちょっと苦笑した。
地獄耳なのか、それだけこちらを見ているということなのか。
「秘められた力はインテグラルに奪われてしまったかも知れないけれど……本当に大切なものは、皆お前のところにある。これから何が待ち受けているか分からないが……俺は出来る限りお前に協力させて貰うよ。またこの家に、元気に帰ってこられるように」
「ありがとう……」
花火が燃え尽き、闇に沈んだ表情は見えないけれど……香菜が微笑する気配が伝わってくる。
香菜が本当のことをどれだけ受け止め、受け入れられるかは分からないけれど、いつか良い形で兄たちと会えると良い。呼雪は心からそう願うのだった。