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あなたが綴る物語

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●中世ヨーロッパ 5

「――そう。何か事情がありそうだとは思ったけど、レスター伯とそんなことが」
 真っ青になって震えているフランス娘を引っ張り込んだ空き部屋で、フリーゼ家令嬢フレデリカは深々とため息をついた。
「は、はい……あの……それで…」
 あかりを最低限に落としたうす闇のなか、すっかり血の気の失せた顔で震えているばかりの小さな体を見る。
 フランス貴族の娘というのは本当だろう。話し方も歩き方も、教育を受けた者特有のものだ。それが従者のような格好をして、しかもあんなに薄汚れて、やつれて……ここにたどり着くまでの苦労は並大抵のものでなかったはず。
 それを思うと、フレデリカは味方をしてあげてたまらなくなった。
「ちょっと待ってて。そこから出ちゃ駄目よ!」
 自室へ駆け込み、召使いを連れて現れる。途中で説明済みか彼女たちは理知を見ても驚いた顔ひとつ見せず、黙々と理知を囲って従者の服を引きはがし始めた。
「えっ?」
「その格好で苦労をアピールするっていう手もあるけど、その格好じゃ彼の元へたどり着く前につまみ出されちゃうわ。それに、やっぱり好きな人にはきれいな姿を見てもらいたいでしょ」
 フレデリカが説明をする間にも召使いたちはてきぱきと仕事をこなし、理知はあっという間に貴族の令嬢らしい姿に変わった。そして、化粧をほどこされている間にそっと部屋を抜けたフレデリカはフロアで翔を捜す。
 1度も話したことのないフレデリカに突然話しかけられ、ついて来いと言われていぶかしみつつもついて行った翔は、案内された部屋で理知の姿を見た瞬間、はっと目を瞠った。
「理知、これは…」
「翔くん、会いたかった…!」
 翔はまだ彼女を見た驚きから抜け切れていなかったが、しがみついてくる理知をしっかりと抱き止めた。
「どうしてここに?」
「もう1度だけ、ひと目でいいから会いたいと思ったの。会って、翔くんの気持ちが聞きたいって…。そうしたらきっとあきらめもつくから、って…。
 でもやっぱりだめだよ、翔くん。私には翔くんしかいないの」
「理知……俺だって…」
 そのとき、急に階上が騒がしくなった。
 ドアの向こうでざわめきが起きている。廊下をバタバタと走る複数の足音。
「一体何事なの?」
 ドアの影で気配を殺して見守っていたフレデリカが召使いに情報収集にあたらせる。ほどなくして戻ってきた召使いは、事のあらましを伝えた。
「賊が城に侵入し、ランカスター公女の暗殺を謀ったようです。幸い公女さまはおそばにおつきのソールズベリー伯によって無事けがもなくすんだようですが、賊は逃走し、まだ捕まっておりません」
「まあ」
 ランカスター公女を襲うなんて大胆な。賊が捕まって相手が判明すれば、これだけで戦争が起きるかもしれない。
 フレデリカは驚き、その可能性をおそれたが、翔はこれをチャンスと見た。
「一緒に行こう、理知。今なら騒ぎを理由におまえを連れて出てもあやしまれない」
「でも私が賊と思われない?」
「その格好で思うやつはいないよ。それに、俺が連れているんだ。少々おかしく思っても「この貴婦人はだれか?」なんて面と向かって訊いたりはしないさ」
「でも…」
「理知。よく聞いてくれ。女の身ひとつで敵国のなかをここまで来てくれたおまえを見て、俺も決心した。見たこともない婚約者など知ったことか。ここに来ていないところを見ると、向こうもそのつもりなんだろう。
 俺のために何もかも捨ててくれたおまえのように、俺も全てを捨てよう。一緒に来てくれるか?」
「……うん。うん、翔くん…。翔くんとならどこへだって行く。連れてって」
 理知は翔に導かれるまま、部屋を出て行った。ドアをくぐるときに一度だけ振り返り、フレデリカに感謝の会釈をする。フレデリカは手を振って、2人を見送った。
「駆け落ちかぁ。ロマンチックねえ」
 ほうっとため息をついたときだった。
「そんな簡単なものじゃありませんよ。ノーサンバランド伯はすぐに追手をかけるでしょう。彼らを引き裂くためにね。彼は連れ戻され、あの娘さんはフランスの両親の元へ送り返される……おそらくですが。
 まあ、ヘンリーも今はフランスを刺激したくないでしょうから、フランス貴族の娘を殺しはしないでしょう」
 背後から、そんな言葉がかかる。
「だれ!?」
 振り返った先、窓のそばに人影があった。月明かりが半身を照らしているのは、彼女に見せるためか。
「あなた、一体いつから…」
「実は最初から」
 にっこり笑うと、たちまち青年は人好きのする顔になった。首を傾げた拍子に目の横でチカッと何かが光を反射して、それが眼鏡だと分かる。
「あ、言っておきますけどここには僕が先に来てたんですからね。ここで待ち合わせした相手を待っていたら、あなたたちが入ってきたんです」
「そ、そう。ごめんなさい。お邪魔しちゃったわね…」
 そそくさと出て行こうとしたフレデリカを、彼は引き止めた。
「そう警戒しないでください。僕はさっき話していた賊じゃありませんよ。ずっとこの部屋にいたんですから」
「それは……だけど、どなたかと待ち合わせているんでしょ。邪魔――」
「それが、どうやらふられたようです」
 素っ気なく肩をすくめると、全く気落ちした様子も見せずフレデリカの方へ近付いてきた。
「こんな騒ぎになってしまっては、多分もう無理でしょう。よかったらあなたが僕の話し相手になってくれませんか?」
 カッとフレデリカのほおが上気した。
「ば、ばか言わないでくださいっ! どうして私が名前も知らないあなたの情事のお相手なんかに――」
 早口でまくしたてる彼女の言葉を最後まで聞かずに彼はプッと吹き出した。
「ああ、ごめんなさい。違います。あなたにそんなふうに思われていたとは思ってもみなくて…。
 待ち合わせていたのは男性です」
「あ…」
 そっと青年の手がフレデリカの手を持ち上げてあいさつのキスをする。
「僕はフィリップ・ベレッタ(ふぃりっぷ・べれった)といいます。以後、お見知りおきください」
 その名に、フレデリカは聞き覚えがあった。
 一気に頭のなかで警報が鳴り始める。
「おや? 僕を知っていたのですか?」
「……ヨーク公の…」
 口のなかがカラカラに乾いて、それ以上言葉が続けられなかった。
 敵、というわけではない。まだ。だがランカスター家の者たちがいる場所にヨーク家の者がいるというのは穏やかではないというぐらいには両家の緊張が高まっていることは知っている。そして彼女たちを招いたことからも分かるようにカーライル伯はランカスター側で、フリーゼ家もまたランカスター側だ。
「何もしません」
 フレデリカの顔に浮かんで消えた疑念を読み取って、フィリップはにっこり笑った。
「ですが、あなたに出て行かれてここで1人でいるのを見つかりますと、僕が賊ではないかと思われてしまいます。あなたは僕がここにずっといて、出られなかったことを知っていますよね?」
「ええ…」
 それはそう。窓が開閉した音もなかった。ドア近くには理知がいて、彼女に気付かれずに出入りはできない。彼はずっとこの部屋にいたのだ。
「ですからぜひ僕と一緒にいたことを証明するためにも、ここにいて僕の話し相手になってください。もう名前も知ってますよね――って、あ、そうだ。あなたのお名前をぜひ教えてください、赤い髪のレディ」
「フレデリカ……フレーゼ…」
「フレデリカさん。ね? これで僕たち友達ですね」
 フレデリカはあらためて目の前の男を見た。
 にこにこ笑っている姿は無邪気で呑気。とても悪意ある人物には見えない。それに……彼を見つめているうち、フレデリカは自分がこの部屋から出て行きたくなくなっていることに気付いた。
 もう少し、彼と話していたい…。
「……付き添いの、メイドを……入れてもいいなら…」
「はい。もちろんです。ありがとうございます」
 フィリップは丁寧に頭を下げる。
 ドアの前で待っていた召使いを手招きして入れると、あらためて椅子に腰かけてフィリップと向き合う。大きめの緑の瞳にやさしく見つめられて、フレデリカの胸は先の警報とは全く別の意味で鼓動を少し早めていった。




「……リル……ダリル……ダリル兄様!」
 自分の名を呼ぶルカルカの声が聞こえて、ダリルは目を開いた。
 一瞬自分を覗き込むルカルカの顔が、少女だったころの彼女の顔と重なった。半べそ顔で彼の後追いばかりしていた幼い女の子。
「ダリル兄様!」
「……その名で呼ぶなと……言っただろう…」
 口を開くと同時に激しい痛みが右腕で起きた。その痛みに、気絶する寸前の記憶をよみがえらせる。
「……淵は?」
「ここにいるぞ」
 足元の方からルカルカの近衛夏侯 淵(かこう・えん)の答えが聞こえた。上半身を起こしてそちらを見ると、淵が周囲を警戒して立っていた。剣が収められているところを見ると、賊は去ったのか。
「俺が気を失っていたのはどれくらいだ」
「長くても1分程度だ」
「そうか」
 ふっと息を吐く。
 ベランダのどこにも賊のものらしい気配はなかった。もっとも、あったとしてもほかの者たちと区別がつかないだろうが…。
 賊の襲撃に早くもカーライル伯は兵を出して庭の捜索を行っていた。城内の招待客もざわついていて、ベランダの彼らの元までも聞こえてくる騒々しさだ。
「傷の具合はどうだ?」
 薬師が来るまでの応急手当と傷口を縛っていたら、淵が覗き込んできた。
「指は問題なく動く」
 軽く曲げて見せる。と、ルカルカの目からたまった涙がこぼれた。
「ルカのせいね…」
 違うとは言えなかった。賊ははっきりと言い切ったからだ。
「おい。ランカスター家のルカルカってのはあんただな?」
「そうですけれど……あなたは?」
「俺のこたぁどうでもいい。あんたはここで俺に殺されるんだから、聞いたって意味ねーだろ」
 そう言って、男――カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)はベルトに挿してあった短剣を抜いた。
 草葉の陰に隠れてよく見えなかったが、がっしりとした体格の持ち主だ。
「俺の依頼主は、あんたにヘンリーの子を産まれちゃ困るらしいぜ」
 懐妊中のマーガレット王妃の子が息子とは限らない。ヨーク家に継承権を奪われないためにも、だめ押しのように近々ルカルカがヘンリー国王の元へ嫁ぐことが内定していた。それを一体だれが漏らしたのか?
 疑惑を問い詰める間もなく、男は斬りかかってきた。
「ルカ! 淵の元へ行け!」
 ルカルカを窓の方に突き飛ばし、盾となって立ちふさがった。
 普段であればダリルも剣を持っているが、パーティーのため今はから手だ。とにかくしのいで淵が来るまでの時間を稼ぐしかない。紙一重で切っ先をかわしていたダリルに、そのとき男がつぶやいた。
「まさか息子が邪魔するたぁな」
「なに?」
 驚く一瞬をついて、カルキノスは剣を振り下ろした。かわすのが遅れたダリルは右腕を深く傷つけられる。よろめいたところに蹴りを受け、壁に激突したダリルは意識を失った――。
(あの言葉……ソールズベリー侯が?)
 泣くルカルカを肩に抱き寄せ、あやしながら、ダリルはその可能性を探った。
(――いや、それはない。父はルカを娘のようにかわいがっている)
 だがそれが野心、政治というものだ。ランカスターを捨て、ヨークを取ることにしたのかもしれない。ここである男に会えという父の指示は、もしかして…?
 もしルカをねらったのが父だとしたら……自分はどうすればいいのか。父に、家名に対する忠誠か。それとも…。
 ダリルはそっと目を伏せ、苦悩を内に隠した。




 エオリアとリリアの苦労が功を奏してようやく城内が落ち着きを取り戻すと、フロアに集まった人々の話題は謎の賊と、そして勇敢に公女を守ったソールズベリー伯へと移った。
 男性客はともかく女性客の方は想像が過ぎて少々ゴシップじみた会話になっていたが、恐怖が薄れてくれたなら何よりだ。ホステス役のリリアも捕まってロマンチックな空想話の相手をさせられそうになったが、適当にあいづちを打ってすり抜けた。
 リリアの気にかけていた人物は、フロアのどこにもいなかった。あちこちを捜して、人に聞いて。ようやく見つけたとき、彼は中庭に面した回廊の途中で、月を見上げていた。
「ヒューヴェリアル修道士、こちらにおいででしたか」
 声をかけた直後、こちらを向いた彼の沈んだ目を見て、しなければよかったと思った。が、もう遅い。覚悟を決めて横へ歩を進める。
「せっかくあなた方を歓迎するパーティーの席であのような事が起きてしまい、大変申し訳ありません」
「いや。ねらわれたのは公女で、供をしてきたソールズベリー伯がけがを負ったと聞いたが」
「はい。ですが薬師によりますと見た目ほどひどくはなく、大事には至らないという話です」
「そうか」
 そこでいったん会話は途切れた。
 多分、頭を下げて立ち去るべきなのよ。こんな失礼な男のそばにいる必要はないんだから。そうは思うものの、そうする気になれなくて、リリアは彼の横で庭を見つめる。
「あそこだ」突然メシエは庭のしげみの1つを指差した。「あそこにきみがいて、庭にいる私たちの様子をうかがっていた」
「……そうです」
 ああやっぱり気付かれていたのか、とリリアは赤面しつつ肯定した。否定しても始まらない。
 9年前。先代カーライル伯と合流しにきたノーサンバランド伯の軍は中庭に駐留した。父やカーライル伯たちのあとをこっそりつけたリリアは、しげみからノーサンバランド伯と一緒にいたメシエを見ていたのだった。そのあと、彼女の存在に気付きそうになった父たちの注意をわざとほかへそらしてくれて…。
「ほんの数分の事でしたのに、よく覚えていらっしゃいましたね」
「あなたは妻にとてもよく似ていた。だから覚えていた」
 残酷なことを平然と言う。
 リリアは胸に重苦しい痛みを覚えつつも、どうにか息を吸って吐いた。
「そうですか。……奥さまについてお聞きしました。お悔やみを申し上げます」
 メシエは頭を下げるかわりに静かに目を伏せた。その横顔は、祈りを捧げているようにも見える。事実そうなのかもしれない。
 その姿に、思うより早くするりと言葉がすべり出た。
「私は……あなたが小院長になるのかと…」
「その予定だった。しかし、還俗せよとノーサンバランド伯から使いが来た」
 リリアははっとした。
「わが主君は、3年もいれば十分だろうとお考えだ」
「それは――」
「また戦争が起きる」メシエが言葉の先を奪った。「公女の事件は、その先ぶれだろう」
「それで、あなたは?」
「…………」
 メシエは答えなかった。迷っている間は偽りになるかもしれない言葉を口にする気にはなれないということか。
 なら。そのひと押しをして、何が悪いだろう?
「……今でも……私を見て、彼女を思い起こしますか」
 その言葉に、メシエはリリアへと向き直った。
 何もかも見通すような赤い瞳でまっすぐに見つめる。
「いや。私のなかの彼女は無邪気で幼い少女だ。純真な瞳で私を見つめ、まるで世界の王になったような気分にさせてくれた少女として、いつまでも私のなかにあり続けるだろう。だがきみは違う。大人の女性だ」
「そうよ」
 彼の答えに勇気を得て。リリアは一歩、距離を詰めた。互いの服がすれ合うくらい近く。ほおに手をすべらせ、その感触を楽しむように触れたあと、軽く頭を引き寄せる。
 月の光のような、静かな情熱の口づけだった。どちらともなく唇を離したあと、リリアはそっと彼の手を取って自室へと導く。
 背後でドアが閉まっても、メシエは何の異議も唱えようとはしなかった。




 波乱の一夜が開けて。
 翌朝、北アイルランド行きの船が嵐にあって遭難したとの一報がカーライル城に入った。
 海に投げ出されて行方不明となった乗客名簿には、アルスター伯子女、レスター伯理知の名前が記されていた……。