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 第39章 後ろ向きで前向きな

 ヒラニプラの街を、1台の車が走り抜けていく。
「連絡が来たと思ったら『教導団まで送れ』って……。まぁ、久しぶりに会うのも悪くないわね」
 月摘 怜奈(るとう・れな)は、ハンドル操作をしながらひとりごちた。これから会いに行くのは鴻野 愁一警部。怜奈が警視庁刑事部捜査第一課に所属していた頃の先輩だ。新人だった怜奈に、刑事としての様々なことを教えてくれた人でもある。
「たまに連絡は取っていたけれど、会うのは久しぶりだわ……」
 愁一の事だから、教導団に用があるからついでに顔を見よう、とか軽い動機で呼んだのだろう。恋愛関係にあったわけでもないし、今もそんな気持ちはないし、怜奈が恋しくなったからというわけでもあるまい。
 ――団への用向きまでは知らないが。
 
 黒髪を極短髪にし、無精髭を生やした垂れ目の男が立っている。車を停めて運転席から降りると、飄々とした雰囲気をした愁一に、怜奈は警察式の室内敬礼で挨拶をした。
「お久しぶりです、鴻野警部」
「……よ、久しぶり。……月摘、お前は相変わらずだな」
「先輩もお変わりないようで」
 自然体で応えた愁一に部下として、後輩としての礼節を崩さぬまま、怜奈は「どうぞ」と助手席のドアを開ける。今現在そうでなくても、前は確かに警察官としての上下関係があった。当時の挨拶も、どことなく硬くなってしまう口調も、身体と精神に沁み込んでいるのだ。
 といっても、2人きりの時は彼女は愁一を『警部』ではなく『先輩』と呼ぶ。先程は挨拶だからそう呼んだだけの事で。
 気心の知れた仲だ。そこまでお堅いわけでもない。

 車を運転しながら、怜奈は愁一に話しかける。
「私がいた頃はまだ警部補でしたね……昇進おめでとうございます」
「そう、両手上げて喜べるもんでもねぇけどな」
 そう言う彼から苦笑が漏れる。当時もいろいろあったが、今も内部事情は複雑なのだろう。だがそれはもう、怜奈の伺い知れぬところの話だ。
「何故、パラミタ……教導団に?」
「今追ってるヤマのガイシャがシャンバラ出身でな。怨恨の線もあるんで、情報を仕入れに来た」
「怨恨の……?」
 少しだけ、怜奈は眉を顰める。
「国軍として管理しているデータを見に来られたということですね。……ホシが教導団に属している可能性があるのではなくて」
「もちろん、その可能性は否定できない。他の学校、都市同様にな。この大陸に住む誰もが、今んところは容疑者だ」
 愁一は、一般的な事、彼女に話しても問題の無い事しか語らなかった。捜査内容について簡単に話すほど迂闊ではない。いい加減な人物に見えても、彼は頭が切れるし刑事としてはかなり有能だ。
「だから、些細な情報でも今は欲しいんだよ。役に立とうが、立たなかろうがな。なあ、お前さ……」
 そこで、彼は一度言葉を切った。
「戻る気はないのか?」
「…………」
 ――警視庁に戻る、か。
 怜奈は、すぐには返事をしなかった。特には急かさず、愁一は窓の外を流れる景色を眺めながら答えを待つ。怜奈に送迎を頼んだのは、彼女が教導団所属だという理由もあったがそれだけではない。志半ばで警視庁を退職した怜奈を心配し、様子を見ようと思ったのだ。
 迫る曲がり角を右折したところで、怜奈は言う。
「……私に教導団を薦めた本人が何を仰るんですか。それにそう簡単に戻れるものでもないでしょう」
 そもそも、彼女がパラミタに来たのは――
 生まれ変わりたい、とか、新しい道を歩みたい、とか。
 そういう言い訳も出来るけれど、結局、過去から逃げているだけだ。
 ……それでも。
「……まだあの事件の事、気にしてんのか?」
 隣から、愁一の声が掛かる。
「……否定はしません。ですが……ここで頑張る、という選択肢を選んでも、罰は当たらないかな、と」
 それでも――
(こうして教導団にいる以上、出来る事は頑張るつもりだけれど、ね)
 教導団の入口が見えてくる。怜奈は、車の速度をゆっくりと落とした。しょうがねえな、という愁一の明るい声が聞こえてくる。
「……ま、早くイイ男見つけて結婚でもしやがれ」
「その言葉、そっくり先輩にお返ししますよ」
 門の前に一度車を停め、助手席を空ける。1人、車を降りた愁一は「じゃあな」と彼女に言ってから背を向けて歩き出した。軽く、手をひらひらと振る。
(少しでも、頑張ろうとしてんだな……)
 後ろ向きな理由が始まりでも、前を向こうとしている。車内で見た怜奈の表情を思い出しながら、愁一は少し安心した。
 教導団には、何人か知り合いがいる。駐車場へと背後で車が滑っていく中、話を聞こうと彼は建物に入っていった。