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リアクション
4.
薔薇の学舎の喫茶室には、午後になるにつれ生徒たちの姿も増え、賑やかながら穏やかな時間が流れていた。
「注文は、なににする?」
三井 静(みつい・せい)と三井 藍(みつい・あお)をテーブルに招くと、皆川 陽(みなかわ・よう)がメニューを差し出した。
「えっと……コーヒーのほうが、いいんですよね……?」
静がメニューを見ながら呟く。たしかにタシガンは、コーヒーの産地で有名ではある。しかし。
「好きなものでいいと思うな。紅茶やジュースも、美味しいよ?」
「えっと……それ、なら……」
「静、この間美味しかったと言ってたのは、これだぞ」
まだ決めあぐねている静に、藍が助け船を出す。そのときのことを思い出したのか、静ははにかんで「それにする。とっても美味しかったから……」と微笑んだ。
「じゃあ、静はアッサムのミルクティー、俺はダージリンをストレートで」
「お菓子とかは? 遠慮しないで、言ってね」
陽は穏やかな口調で、しかしはっきりと、静たちにそう促す。
二人は額を寄せて相談し、サンドウィッチと、スコーンを頼んだ。
「美味そうだね。俺も食べようっと」
テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)が一緒にスコーンを追加する傍らで、ユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)はカップを傾けている。
「陽は?」
「ボクは、おかわりを頼むね」
するりと、陽はそう口にできた。テディもまた、それを受け止め、「じゃあスコーンは俺の分だけね」と笑った。
何が欲しくて、なにが要らないのか。それをはっきり口にするのが、陽はずっと苦手だった。そう示してしまうことで、壊れてしまう関係もある。それが怖かった。
今は、どんな些細なことであっても、きちんと欲しいものは欲しいと言わなければ、決して手に入らないのだとわかっている。
だから……。
「どうしたの? 陽。俺に見とれちゃった?」
そう明るく笑うテディに、陽は穏やかに苦笑する。そう、できる。
「テディ先輩、素敵だから」
仲よさそうな二人に目を細め、嬉しそうに静が言う。
「ボクの嫁だけどね」
「そう!」
陽がそう答えると、テディはそう胸をはった。
テディとしては、一応それなりには、『男なのに嫁』ということにひっかかりはする。だが、それ以上に、陽も男である以上、同じように嫁と言われれば複雑だろうということもわかる。となると、自分がそれを譲れば一緒にいてもらえるというのなら、受け入れようと思った。
今も、陽は隣にいてくれる。楽しそうに、微笑んでいてくれる。一番大切なのは、そのことだけなのだから。
「そうだ。だからね、藍くんに聞きたかったんだ」
「俺に?」
不意に話をふられ、運ばれてきたスコーンにブルーベリージャムを塗っていた藍は、その手をとめた。
「そう。『嫁の心得』っていうの、教えてほしいなって」
「……そう言われてもな。俺は嫁じゃないぜ?」
「だって、アリスって、嫁みたいなものでしょ?」
「いや……」
苦笑しながら、「ほら」ときれいにジャムを塗りおえた藍が、スコーンを静の前にあるお皿に置く。
「ああ、そういうことをしてあげるのが嫁なんだね!」
テディが納得するのに、藍は苦笑する。
「え、……でも、その……藍は、すごくかっこいいから、お嫁さんっていうか……あ、いえ、テディ先輩もかっこいいんですけど、その」
藍に助け船を出したいものの、どう言えばいいのかわからず、静はしどろもどろになっている。そんな静の背中を、大丈夫、と藍が手を置いて落ち着かせた。
「……まぁ、嫁の心得かどうかはともかく、静を手助けするのが俺も楽しいんだ。それだけだぜ」
藍の言葉と手のひらの温度に、静もほっとして、微笑んで藍を見上げる。
なんというか、本当に睦まじい感じだ。
(良いなぁ……)
そんな二人の姿に、陽はぼんやりと思う。
色々と二人の間にも齟齬はあったとは聞いている。それでも、それほど派手にもめることもなく収まるべきところに収まっている静たちを見ていると、それに比べて……と陽はつい我が身を省みてしまう。 『ためてためてためて全部壊す』タイプなことは自覚しているのだ。
(失格だ。ほんと、もう駄目だ)
つい反省のあまり落ち込む陽に向かって、テディはそうとも知らず、一生懸命クロテッドクリームを塗ったスコーンを「はい!」と差し出した。
「え?」
咄嗟に何事かわからず、陽はメガネ越しに、ぱちぱちと瞬きをしてテディを見る。
「嫁の仕事だよ。ほら、あーん!」
食べて、と屈託なく笑いかけてくるテディに、陽は脱力すると同時に、どこか安堵もしていた。
……たしかに、駄目な部分もある。だけど、間に合った。そして、駄目だと反省できる以上、変われる可能性もあるはずだ。
一口だけかじったスコーンの味は、甘かった。
「静も、食べさせようか?」
藍に真顔で尋ねられ、静は照れて首を振る。
「大丈夫……」
「そうか」
藍は穏やかに頷いた。
以前であれば、拒絶されたと強く感じたかもしれない。不要がられているのでは、と。いや、それどころか、テディを『素敵だ』と褒める言葉すら、息苦しく感じただろう。
藍もまた、たしかに変化を迎えていた。
不安で怖かったから、必死に手助けをしていただけだった。でも今は、テディに告げた通りだ。そうしたいから、それが楽しいから……そう、思う。
不思議なものだ。鏡のように、自分が心穏やかになると、静もまた、不安そうな瞳をしなくなった。
そのことが、おそらくなによりも、藍には嬉しいことだった。
「そういえば……、タシガンにも、桜ってあるのかな」
「あるはずだよ。お花見するのも、いいかもね」
日本贔屓のジェイダスは、当然桜も敷地内に植えてある。
「それなら、みんなで……お花見も、楽しそう」
静は、少しドキドキしながら、そう口にした。
今までは自分のことで精一杯すぎて、他のことは目に入っていなかった。でも、これからは、薔薇の学舎のみんなのためにも、なにかできればいいと願うようになっていた。
「それは、良い考えだ」
藍もそう同意する。手伝うよ、という意味もこめて。
(よしよし、ええのぅ)
そんな風に、和やかに話す四人を、同じテーブルにいながらあまり口を挟まずに、ユウは目を細めて見守っていた。
ユウは、『こうならなかった』未来から来た人間だ。
自分は、『守ってもらう』立場でしかなくて、何も出来なかったし、何もしようとはしなかった。そのせいで、悲劇は起きた。
でも、この目の前の『今』は違う。
陽はテディを嫁にして、二人は対等に、隣に並んで生きている。
それならば、きっと違う道が、この先にはあるはずだ。
……だが、ということは。
(そろそろオレ、消えるんじゃなかろうか。タイムパラドックス的なあれやこれやで)
まぁ、そうなればなっただ、とも思うが。
もしも消えずに、自分もまた、新たな道がこの先に続いていけるのだとしたら。憧れていた小説家という夢を追ってみたいと思う。
「ユウも、行くよね?」
お花見の計画は、どうやらかなりまとまってきたようだ。
ぼんやりと聞いていたユウに、陽がそう尋ねる。それに対して、ユウはふわりと笑って、「さーのう。良いほもが見られるなら、な」といつものように答えたのだった。
「新学期、か……」
喫茶室の片隅で、あれこれと話す生徒たちを眺めて頷いているのは、久途 侘助(くず・わびすけ)だ。
「みんな、どんな目標をたててるんだろうねぇ」
「目標?」
なにやら一人でうんうん頷いていると思いきや、唐突にそう口にされ、芥 未実(あくた・みみ)はカップを持つ手を止めた。
「うん。これからの事とか」
たしかに、まわりの生徒たちは、この時期多くそんな話を口にしている。おそらくそれが、漏れ聞こえていたのだろう。
「僕は地球に帰るつもりはないし、この先はパラミタで過ごすつもりだよ」
そう答えたのは、清泉 北都(いずみ・ほくと)だった。
「北都は、そうだよねぇ」
北都は20歳まで薔薇学で過ごし、その後はソーマの家に執事として雇われる予定だった。
「うん。前々から決めてはいたんだけどね。やっぱり『大人』にならないと言えない事もあるし出来ない事もあるから。ただ、その前に……」
北都は一端言葉を切り、少し考えてから。
「一旦地球の家族に会ってきちんと話をつけないといけないなって、思ってる。中途半端は嫌いだから、きっちりけじめは付けるよ」
可愛らしい外見のわりに、気骨のある言葉を口にして、きゅっと北都は口元を引き締める。
「たしかに、そうだねぇ」
「まぁな。オトナになるってなら、ケジメはつけとかねぇと」
ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)もそう言って、まっすぐに侘助を見つめた。
わかってるだろうけど、と言わんばかりに。そして、侘助も無言のまま、微笑んで頷いてみせる。
ソーマがこの先どうするかについては、すでに侘助は聞いていた。
卒業したら、家に戻るのだという。
「元々家出といっても、別荘に住んでただけだしな。俺の手腕で勝ち取ったと思っていたが、冷静に考えれば、あのジジイなら簡単に取上げられてただろうし、わざと俺の為に残してくれてたってことだ。ジジイにとっては家出ではなく、社会勉強の一環程度の事だったんだろうぜ」
それがわかるようになっただけでも、ソーマの確かな成長だろう。
そして、戻るのは、もっと『強く』なるためだった。
「契約者の力だけでは限界がある。政治的なものや立場も時として必要になってくる場合も出てくるだろ。そんな時、タシガンの貴族として役立ちてぇからな」
――そう、いつになく赤い瞳に真剣な光を宿して、ソーマは侘助に語っていたのだ。
それが、侘助には嬉しかった。そのために、これからも力添えをし続けようと、心から思えた。
「ま、俺の場合、実際に家を出た途端にチヤホヤされなくなったからな。皆俺にではなく家柄で好きになってたんだなってよく分かった。社会勉強ではあったぜ」
「チヤホヤされなくなったからグレたの?」
「うるせー」
ソーマは顔をしかめるが、その成長は、北都としても頼もしかった。
地位を利用するということは、汚い手段ではなく、守るための力の一つにもなると考えているのだろう。
(色々、あったもんねぇ)
北都にとっても、薔薇学と、タシガンは大切なものだ。
パラミタに残ると決めたのは、そこから離れることへの危惧もあった。なにかがおきたときに、何も出来ずに見ているだけなのは嫌だった。
神様ではないから、自分の手が届く範囲は決まっている。だとしたら、その手が届く範囲は、薔薇学であり、タシガンでありたい。
(僕一人で何が出来るんだって話だけどさ。気持ちの問題なんだよね)
内心で、北都は呟く。
パラミタに残り、タシガンで生きていくことは、北都にとって初めての我が侭だ。
これまでずっと、目立たぬように、邪魔にならぬように、他の誰かの言葉に従ってきたけれども、これだけは譲れない。
この世界で、様々な人に出会い、色々なことがあって、北都にも強い欲求が生まれた。誰かと一緒にいたい。何かを守りたい。ずっと、ここに居たい……と。
(今まで我慢してたんだから、これだけは通させてもらうよ)
強く、北都はそう胸に誓っていた。
「侘助こそ、どうなんだ」
一方、今度は逆にソーマに尋ねられ、侘助はゆるりと小首を傾げながら、口を開く。
「皆が笑顔でいられるのなら、それが一番いいねぇ」
それはおそらく、万人の願いのはずだ。そして同時に、それでも、叶えきれないものでもある。皆の力でそれを成し遂げられたら、それがいい、と侘助は思う。
「そのためにも、かけがえのない人がいることを、いつまでも忘れないでいようって、思うねぇ」
愛する人に、愛されていることを信じる。
愛する人を、一途に愛し続ける。
「それが、俺のシアワセ。……なんて、照れるな!」
はにかんだ侘助に、心から愛おしげな目を向け、ソーマは微笑んだ。
「それは、オレもだぜ」
「うん。……未実は何か目標とか無いのか?」
「私?」
今度は未実に話がふられる。
「私は……そうだな、侘助や家族、皆が戻ってこれる場所に……家になりたいよ。もちろん、依頼もこなすけどね」
「そうかぁ」
ぱぁっと、侘助の表情が輝く。
未実が、家族のことを大事に思ってくれていたことが、嬉しかったのだ。
今の自分には、愛する人がいて、家族がいる。帰れる場所があり、守る人たちがいる。
(そのためにもっともっと、修行しなきゃな)
それと、侘助の目標はもう一つある。
「っくしゅん!」
突然くしゃみが出て、慌てて侘助は口元をおさえる。
「……あんた」
その途端、じろりと未実が侘助を睨んだ。そしてすぐに、その手のひらで侘助の額をおさえる。そこは、じんわりと熱を帯びていた。
「あ、あの、未実……えぇと……」
「先週引いた風邪、まだ治ってなかったんだね? まったく、あんたの悪い癖だ」
「ごめんな」
すまなそうに詫びる侘助に、未実はため息をつく。
「変に気を使う人なんだよねぇ。あんたが倒れるともっと大勢に心配かけることになるんだよ? まぁ、今はしんどそうだから、治ったらお説教だね」
「そうですねぇ。もう、部屋に戻ろうか」
北都とソーマも席を立つ。ソーマは侘助の肩に手をおいて、立ち上がるのに手を貸した。未実も、ぴたりと寄り添っている。険しい表情のまま。
(心配させたくなかっただけなんだけどねぇ)
そんな顔は、もうさせないから。そのために、強くなるから。
(そうだ、着物……)
ふと、侘助は思い出す。
先日空京で、店先の簪を熱心に見ていた未実の姿。
あれは、欲しかったのかもしれない。それに、きっとよく似合うだろう。
今度、また見に行って探してみよう。できたら、それにあう新しい着物も。北都に見立ててもらえば、きっと素敵だろう。それで、未実が笑顔になれたらいい。それが、見たい。
次第に遠くなる意識の中で、侘助はそう思っていた。
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