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リアクション
第35章 ニャンルーの生態
2月16日、金曜日。
朝食の後、カルキノスと淵はピノにドルイドの心構えや、動物達と心を通わせる大切さについて話をしていた。自らの体験談を交えての2人の話を、ピノはうんうん、と真面目に聞き入っている。
「カルキちゃん達は、動物さんのことも良く知ってるんだね!」
「まあ、俺らは大抵の職を極めてるからな」
「すごいねー。じゃあ、試験の間は先生だね!」
窓の向こうに見える区画では、ジャイアントポメラニアン達が朝から元気にはしゃぎまわっている。
「ピノちゃん」
もふもふ同士がじゃれあってますますもふもふになっている様を眺めながら話していると、そこでエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)とエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が声を掛けてきた。エースは、手にしていたプチブーケをピノに差し出す。
「はい、ピノちゃんにプレゼントだよ」
「わぁ、かわいいねー! ありがとう!」
ブーケを受け取ると、ピノは無邪気に喜んだ。彼女のイメージに合った意味を考えながら選んだその花々は、意味を知らなくても良く似合うと自然に思える可愛らしさを持っていた。
「デイジーと、鈴蘭と……これは何だろう?」
「それはクレマチスというんですよ。『高潔』とか『美しい心』などの意味があるんです」
「へー……うん、なんかきれいって感じのお花だね!」
エオリアの言葉に、それが自分と結びついているのだとは気付かないままピノは素直に感心する。デパート事件時、エースは彼女を見てそう感じたのだ。
「いよいよ今日からだね。自分の時は、こんな楽しそうな試験じゃなかったな」
エースは自身がドルイドの資格を得た時の事を思い出しながら、窓の外を平然と通過していくクジャクを見送る。セイントの彼は試験を受ける訳にいかないが、雰囲気を味わいたいしピノの試験も見届けたかった。
「俺もお手伝いするよ。色々な動物達と、仲良く過ごしたいね」
「うん、どんな子が当たるのかなー!」
時間が迫り、ピノ達は外へと移動する。
そうして、ドルイド試験は始まった。
◇◇◇◇◇◇
その日過ごす生物は、ボールくじによって決められた。試験者はエイダーの前に置かれた箱に腕を突っ込み、掴んだカラーボールに書かれた生物の所へと案内される。
風馬 弾(ふうま・だん)がノエル・ニムラヴス(のえる・にむらゔす)、アゾート・ワルプルギス(あぞーと・わるぷるぎす)と共にスタッフに案内されたのは、宿泊施設とはまた別にある建屋の中にある一部屋だった。小さめの部屋にふかふかのカーペットが敷かれ、ベビー用品や子供用のおもちゃが置いてある。
――そして。
「……わあ、かわいい……」
「かわいいですね」
「……………………」
弾の両脇で、アゾートがふわふわとした笑みを浮かべ、ノエルもまた自然と顔を綻ばせている。しかし、当の弾だけは、腕の中でにゃぶみゃぶと声を漏らす小さな生き物に、崖の上に立つ自分の姿を想像していた。未知の存在過ぎて、抱きかかえたまま硬直する。
(にゃ、ニャンルーの赤ちゃん!? 確かに獣人も『生物』だけど……赤ちゃんってすごい大変なんじゃないかなっ!?)
――パラミタに来てから1年半、弾はずっと剣一筋を貫いてきた。それ故か(?)勉強はさっぱりであり、実を言えば、彼はドルイドになる前に必要な前提職であるビーストマスターもミンストレルも一切経験していない。それで試験後ドルイドになれるのかと言えばまずクラスチェンジのページで選択肢が出ないわけだが、それはともかくとして魔法職の中でも挑めそうな(気がする)この試験から、と今回放牧場を訪れた。
『そんな脳筋では、アゾートさんの彼氏を名乗るには釣り合いが取れないです』
とノエルにストレートに指摘されたのも大きく、脳筋のイメージを払拭しようと無謀を承知の挑戦である。
合格すれば、転職は出来ないにしても黄金の枝くらいはもらえるだろう――多分。
と、思っていたのだが――
「この子は、エイダーさんの知人のニャンルーから預かっている子なんですよ。親のニャンルーは狩りが忙しくて育てている時間が取れないということで……もし事故があったらアイテムを盗みに来る、とも言われていますので気をつけてくださいね」
スタッフが赤ちゃんについて説明する。
「……は、はい……」
何となく試験以外の部分でのプレッシャーが増えた気もするが、弾はとにかく前向きに赤ちゃんと対することにした。
「と、とりあえず、できるだけ頑張ってお世話してみよう」
ノエルはもとより、生物の世話や魔法的なことについて相談できるかもしれない、とアゾートに協力をお願いしたが、赤ちゃんの世話なら彼女達には色々と助けてもらうことになりそうだ。
第三者からの手伝いが許可されているだけあって、部屋には子育ての本も置いてあった。
(ちゃんと試験に取り組んでるところを見せて、脳筋じゃない姿もアピールしとかなくてはねっ)
哺乳瓶と2種類の粉ミルクを前に、子育て本を真剣に読む。ニャンルー用のものはないようで、人用と猫用の本、それにニャンルーとの付き合い方、みたいな3種類だ。
「うーん、この子はこっちの猫用なのかな、それともこの、人用なのかな……」
何故2種類置いてあるのかといえば、それは勿論、受験者がどちらを選ぶのかを見るためなのだろう。施設側としても、試験だからといって赤ちゃんの体調を崩させるわけにもいかないし間違えたら病気になる、ということはないだろう。
恐らく、栄養面や味覚の問題だとは思うのだが――
「……おお……人懐っこいね……」
「よく馴れてますね。大切に育てられているんでしょうね」
弾が本の内容に頭を悩ませている中、アゾートとノエルはカーペットの上に寝そべって足をぱたぱたさせながらニャンルーとちょこちょこ遊んでいた。愛くるしい姿の赤ちゃんとの時間を、純粋に楽しんでいるようだ。
「ねえ、アゾートさんとノエルはミルクどっちだと思う?」
「……? 分からないな。ニャンルーは育てたことないから……」
「ミルクを作るのは手伝えますけど、どっちかと聞かれると分かりませんね」
遊びながら顔だけをこちらに向けて答えると、2人はまた遊び始めた。改めて2種類の粉ミルク缶の前で「うーん」と唸った弾は、悩んだ末に人用のミルクを選択する。
「こっちにしてみよう。大人のニャンルーの食事って僕達と変わらなかった気がするし」
ミルクの近くには電気ポットのお湯とペットボトルの水が置いてあった。どの割合で使うと人肌温度になるんだろうと考えていると、ニャンルーを抱いたアゾートとノエルが近付いてきた。
「私が作りますね。アゾートさんと弾さんは見ていてください」
語学の数値17、家庭11というほぼ壊滅的な学力の弾では、正解如何に関わらず美味しいミルクを作るのは難しい。だが、一応メイドクラス経験者であるノエルはこういうのは得意分野だ。
出来上がったミルクを飲ませてみると、ニャンルーは何ともいえない顔をした。そして「ふみゃ……」と泣き顔になる。「わっわっ!」と弾は慌てて赤ちゃんをあやそうと変顔を作ったり声を掛けたりとし始めた。その間に、ノエルは猫用のミルクを作り直す。結局泣き止まなかったニャンルーだったが、そのミルクを一口飲むとぴたりと泣き止み、哺乳瓶を自分で持ってこくこくと飲みだす。
「おなかがすいていたんですね」
「全部飲んじゃった……おいしかったみたいだね。かわいいなあ……」
アゾートの腕の中でニャンルーは満足そうにみゃーみゃーじゃれつき、弾達3人としばらく遊んでからうとうとし始めた。部屋の隅に畳まれていた小さな布団を「これで良いのかな……?」と戸惑いながら敷いて枕に頭を乗せて掛け布団をかぶせる。すると、赤ちゃんはそのまますやすやと眠り始めた。普通の猫の多くが布団を好むように、ニャンルーも布団は好きなようだ。
「ボク達も寝ようか」
「う、うん……そうだね」
アゾートがその隣に横になり、弾も布団を挟んで寝転がる。
(将来、アゾートさんと子育てとかすることになればこんな感じになるのかな……?)
川の字になって赤ちゃんと一緒にお昼の時間を過ごしていると、そんな幸せ過ぎる妄想もしてしまうというものだ。
はっとなって、弾は頭をぶんぶん振る。ニャンルーが寝ている間に子育ての勉強をしようと本を開くが、つい、また妄想が浮かんでくる。
(……でも、いつかアゾートさんから『赤ちゃんの名前は、何にする?』とか『そろそろ2人目が欲しいわね、あ・な・た』とか言われる日が来たら……。だ、ダメだダメだ、試験に集中しなくちゃ)
またぶんぶんと頭を振る。アゾートを見ると、彼女はニャンルーと同じく静かな寝息を立てている。
(えーと……)
暖房は効いているが、肩の出たセーターを着ているアゾートが風邪を引かないか少し心配になった。隅にもう一式あった布団から掛け布団を取り、彼女に掛ける。それから再度本を開くと、今度は妄想しないように極力努めて本を読み始めた。
ニャンルーが声の限りに泣き始めたのは、それから暫くのことだった。
「あれ、向きはこっちで良いのかな。ここを合わせて……」
2本足で歩いて人語を話す猫というどこか中途半端な獣人、という感じのニャンルーはまだトイレのしつけがされていなかった。故に、おむつだった。何となく、成長してからも猫砂派ではなく水洗トイレ派のような気がする。
(何だかこれって、擬似子育てみたいだなあ……)
紙おむつを四苦八苦して取り替えながらそう考えていたら、ノエルがアゾートに言う大声が聞こえた。
「アゾートさん。今後も弾さんとお付き合いし続けて大丈夫なものか、擬似子育てと思ってじっくり吟味してくださいね」
「!!!」
擬似子育てという言葉を思い浮かべた矢先のその台詞に、そしてドルイドとしての適正だけではなく彼氏としての適正まで見られるのかという驚きで、弾はどきりとして手を止めた。
「うん。よく見ておくよ。将来のためだよね」
そのまま作業を中断していると、アゾートは思いのほか真剣な顔で頷いた。弾はぴん、と背筋を伸ばして手を早く動かしておむつを穿かせる。
「!!!!!! あ、アゾートさん……!? ノエルも変なこと言わないでよ!」
「いえ、わざと弾さんをドギマギさせて反応を見て楽しんでいるわけでは……」
小さく舌をぺろりと出したノエルは、「つまり楽しんでるんだね!」と半泣きで言う弾にニャンルーを示した。
「あら、まだ泣き止みませんよ。弾さんの大きな声にびっくりしたのでは?」
「え、ええっ、どうしよう……どうあやしたら泣きやむかな?」
「どうでしょう……。アゾートさんと相談してみたらどうですか?」
「そ、そうだね。アゾートさん、どうしよう? 僕の変顔じゃ笑わなかったし……」
「……抱っこしてみたらいいんじゃないかな」
泣くニャンルーをじっと見ていたアゾートの提案で、弾は赤ちゃんを抱っこした。揺り籠代わりに体を揺らしてみる。
(何だか、これは相手に振り回されながらも受け入れていく練習になりそうだなあ)
これさえ乗り越えれば、今後どんな生物が来ても何とかなりそうな気がする。
ガラガラや積み木、ボールなどのおもちゃを見せたりして、弾はアゾートと一生懸命に赤ちゃんをあやしにかかった。それを見ながら、ノエルは思う。
(……正直、他人の新婚生活を覗いているようで面白いんですよね)
口元に手を当ててウフ、とこっそり彼女は笑った。
そして、弾は何とか黄金の枝だけは贈られることになる。転職は(略)であるわけだが――