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そんな、一日。~三月、某日。~

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そんな、一日。~三月、某日。~

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11


「みーちゃん、蒼くんの出発、今日だってさ」
「そう」
 東條 カガチ(とうじょう・かがち)柳尾 みわ(やなお・みわ)に声をかけると、つっけんどんな答えが返ってきた。
 蒼くんこと彼方 蒼(かなた・そう)は、この春地球の工業高校へ進学することが決まった。入学式等は他の学校と同じで四月なのだが、手続きの関係やこれから暮らす場所に慣れておくため、三月下旬である今日から東京へ移住することになっていた。
「俺とルーシーさんは若人の旅立ちを見送りに行くけど……みーちゃんも、行く?」
「なんであたしが行かなきゃいけないのよ」
 やはり、つっけんどんな答えだった。そうだよなあ、とカガチは内心で頷く。素直に行くたあ言わないわなあ。
 でも、今日会わなかったら次はいつになるかわからない。それにこんな風に別れてしまうのはお互い良くないんじゃないか、と老婆心ながら思うのだ。
 とはいえカガチが下手なことを言えば余計に頑なになりそうで、はてさてどうするか、と頭を掻いた時だった。
「菓子のお礼のついでに今までの不満ぶちまけちゃえ」
 成り行きを見守っていたルーシー・ドロップス(るーしー・どろっぷす)が、さらりとした口調で言った。
「お菓子のお礼……」
「そ。お礼」
「……そうね。お菓子のお礼は言わなきゃだわ」
 すっとみわは立ち上がった。支度してくる、と呟くように言って部屋に戻る。
 みわが部屋を出て行った後、カガチはルーシーの方を見た。
「さすが」
「何も言わなかったのは評価してやるよ」
「下手言ってこじらせちゃったらアレですから」
「もうこじらせてるけどな」
「ええほんとその節は申し訳ありませんでした」
 それもあって、みわが行くと言ってくれてほっとした。
 だってあの子は、本当に蒼に会いたがっていたから。
 支度にはきっと、そう時間はかからないだろう。出発時間にもまだ余裕はある。
 きちんと伝えたいことを伝えられますように、と柄にもなく願ったりして、みわを待った。


 今日が、蒼がパラミタにいられる最後の日だ。
 そのことはみわに伝えてあったけれど、みわはどう受け止めただろうか。
 怒っただろうか。
 それとも、少しでも寂しく思ってくれただろうか。
 みわとはクリスマス以来あまり会えずにいた。だから、お喋りもできていない。
 ホワイトデーに作ったお菓子も、結局直接渡せなかった。会って渡して伝えたいことはたくさんあったのに。
 今日、みわは来てくれるだろうか。
 そのことを考えると不安で、心配で、苦しくなって、大事なぬいぐるみをぎゅっと抱いた。みわからもらったストラップもぎゅっと握る。
 地球への進学は、自分で選んで決めたことだ。受かるために勉強に励んだし、獣人と知られないよう耳と尻尾を出さないようにすることだって頑張った。
 後悔はしていない、けど。
「みーちゃん……きてくれるかなー……」
 このまま離れることになるのは、すごく、嫌だった。
「あ」
 隣に立っていた椎名 真(しいな・まこと)が、不意に声を上げた。次いで、「カガチ」と友人を呼ぶ声を発する。蒼も、ぱっと顔を上げた。
 少し先に、カガチの姿が見える。ルーシーも、カガチの少し後ろを歩いている。みわは? みわはいるだろうか。きょろきょろと頭と目を動かして、大好きなあの子の姿を探す。
 銀色のウェーブヘアが見えて初めて、蒼は笑った。
「みーちゃん!」


 本当は、ずっと今日のことを気にしていた。
 蒼が乗る電車が何時に発つのか時刻表で調べた。
 見送るための服も選んだ。
 蒼からもらったコサージュが一番合う綺麗めな服はハンガーにかけて、いつでも着られるようにしておいた。
 だけど、自分から見送りに行くなんて言えなかった。意地になっているのかも、と思っても、それでも。
 だからルーシーが上手いこと誘ってくれたのはありがたかった。お礼はしなきゃいけないものね。そうよ。見送りなんて、そのついでにするだけよ。
 自分に言い聞かせるように心の中で呟いたけれど、なぜかそわそわした。変な格好じゃないかしら。何から話せばいいかしら。着替え終わって家を出て、駅に着くまでの道中ずっと考えていた。
 駅に着いてすぐ、蒼を見つけた。蒼も、みわを見つけたようだ。駅のホームに響く大きな声で、「みーちゃん!」とみわの名を呼んだ。
 カガチと真はお互いの近況を話し始め、その間にルーシーは少し離れたところへ行き、みわは蒼と対面することになった。
 なんとなく目を合わせ辛くて斜め下の方を向いた。蒼が何か先に言うだろうか、と思って少し待つ。心の中で十秒数えても発言する様子はなかったので、みわから話しかけることにした。時間は、限られている。
「クッキーありがと」
「えっ」
「……えって何よ。くれたでしょ。ホワイトデーに」
 カガチから渡されたボックスクッキーは、可愛くて、最初食べてもいいかどうか迷ったくらいで、食べなきゃくれた蒼くんに悪いよと促されて食べてみるとびっくりするくらい美味しくて、それに蒼がみわのことを想ってくれたことまで伝わってきて。
「蒼にしては上出来だわ」
 こんな風にしか言えないけれど、本当に、本当に嬉しくて。 
 でも、違う。これじゃない。言いたいことは、これじゃない。伝えたいことは。伝えなきゃいけないことは。みわが一番、伝えたいのは。
「……あたし、蒼なんか大嫌いよ」
「えっ? ……えぇっ!?」
「バカでアホでガサツでうるさいしいつの間にかあたしより大きくなってるし」
「あれ? え、えっとその、ごめんなさい……?」
「大体蒼の癖に生意気なのよ、何よあたしに何も言わないで!」
 進学のことは、蒼の口から聞きたかった。もし、彼から直接聞けていたら、こんな風にはなっていなかったかもしれない。もしかしたら、もう少しだけ思い出を作れていたかもしれない。……過ぎたことだけど。
 それから、気付けなかった自分自身にも腹が立つ。蒼の近くにいたのに。蒼を見ていたのに。ちっとも気付かなかった。
 悔しいじゃないか、こんなの。
 蒼ばかりが先に行ってしまうみたいで。
 自分が立ち止まっているみたいで。
「……蒼がいない間に、あたし蒼より大きくなるんだから」
 だから絶対、立ち止まってやらない。
 蒼より、身体も器も大きな人になってやる。
「そしたら、蒼なんか見下ろしてあげる。身分の違いってやつをわからせてあげるんだから」
「みーちゃ、」
「だから……ちゃんと帰ってくるのよ。あたしが待っててあげるんだから」
 言いたいことを言ったらすっきりした。蒼の顔を見ていられなかったので、みわはくるりと背を向ける。
「がんばってくる!」
 向けた背に、蒼の声がかけられた。
「おやすみの時は帰ってくる! だからみーちゃんけがとかびょうきとかしないでげんきにしてて! じぶんもげんきでがんばってくる!」
 何か言おうと思ったが、上手く声が出なかった。なぜか、鼻の奥がつんとする。ぎゅっと唇を引き結んでただ、蒼の言葉を聴いた。
 待っていてくれたかのようなタイミングで、電車がホームへやってくる。話し込んでいた真が戻ってきて、「蒼」と声をかけていた。
 この電車に蒼は乗る。
 乗って、行ってしまう。
「みーちゃん、みおくりきてくれてありがとぉ! だいすきぃ!」
 という声を残して、電車の扉が閉まった。
 ようやくみわが振り返ると、電車は加速していくところで、電車に乗った蒼はだんだんと離れていって。
 けれど蒼は、ずっとみわの方を見ていて、手を振っていて、もう見えなくなってしまったけれど、たぶんきっと今でもまだ振っているはずで、
「……馬鹿じゃないの」
 ぼそりと低く、呟いた。
 みわもまた、見えなくなった蒼に向けて、手を振っていた。


 みわの姿が見えなくなってだいぶ経って、ようやく蒼は扉から離れた。心の中には色々な気持ちがぐるぐると渦を巻いている。
 ごちゃごちゃした気持ちの中で、それでもはっきりしていることがふたつあった。
 みわに会えて嬉しかったこと。
 それから。
「真にーちゃん、じぶんがんばる。がんばって、勉強してくる!」
 帰ってきた時、胸を張って会えるように。
 どんなに大変でも、頑張ろう。
 決意を新たにした蒼を、電車は黙々と運んでいった。