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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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それを弱さと名付けた(第3回/全3回)

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chapter.7 なんてことのない未来のために 


 大学で幕を開けた講演会会場に向かっていたのは、アクリトだけではなかった。
 講演を行うタガザを追いかけていた小谷 愛美(こたに・まなみ)、彼女もまた、講堂へと足を運んでいたのだ。しかし彼女は、講演会の開演時間になっても講堂に姿を現していない。と言っても、時間に間に合わなかったのではない。生徒や警備員など、多くの人がいる場所に入っていくことが躊躇われたのだ。言うまでもなくその理由は、彼女の荒んだ肌にあった。
「……ここまで来たんだから。ここまで来たんだけど……」
 講堂のある棟の近くで、愛美は立ちすくんでいた。よく見れば、その膝は少し震えている。生徒たちからこれまで勇気を与えてもらったとはいえ、さすがにこの人の多さを目の当たりにして恐怖心が出てきてしまったのだろう。彼女はまだ、恐れていた。人に会うことを。人に、変わり果てた自分を見られることを。
 恐い。行かなきゃ。恐い。行かなきゃ。
 愛美の心の中は、その体よりも大きく、繊細に揺れていた。そんな彼女に、優しく声をかける者がいた。
「小谷さん、落ち着いて」
 彼女の斜め前から近づき、そう話しかけたのは九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)だった。
「小谷さんのことや、被害者について聞いたよ。肌荒れが酷いんだってね……」
 どうやら他の生徒から噂を聞きつけ、九条は居ても立ってもいられず愛美の元を訪れたようである。愛美は九条の言葉に、ただ黙って頷いた。その様子を見て九条は心配そうに眉尻を下げる。
 九条は、愛美に対してのケアは言葉だけでは足りないのだと感じていた。もちろん、元凶を取り除ければそれに越したことはない。しかし、それはあくまで可能性の話であり、原因を突き止め犯人を捕まえても、元通りにならないかもしれない、ということも充分に想定していた。
「お風呂から上がると、皮膚がボロボロって崩れてくるの。夜パックをしても、朝にはもうカサカサになってるの。もう、何をしてても恐くて……」
 九条に声をかけられ張りつめていたものが緩んだのか、愛美はぽつぽつと自分の置かれた辛さを語り出した。今にも泣き出しそうな愛美に向かって声をかけたのは、九条のパートナー、シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)だった。
「おい、メソメソしてねーで、とりあえずこれでも食ってろよ」
 シンが乱暴な口調と共に差し出したのは、綺麗に包装されたクッキーだった。包装を開けるとシンは、雑な手つきで愛美にそれを渡す。愛美が戸惑いつつも口にすると、中に広がった甘い味でそれが豆乳で出来たものだと分かる。
「おいしい……」
「フン、言っとくけどロゼがどうしても作ってくれって頼んできて、しかも丁度その時オレが暇だったから作っただけだからな!」
 憎まれ口を叩きつつも、自分の手料理を褒められ満更でもなさそうなシン。なにせ口ではこう言っているが、「どうせロゼは適当に美容に良さそうなもの言っただけだ」と思いわざわざ美肌成分のあるものを調べ配合するなど相当な手間をかけて作った代物なのだ。
「シン、もう少し言葉は柔らかくね」
 九条にたしなめられ、シンは渋々引き下がった。クッキーをひとつ食べ終えた愛美に、再び九条が話しかける。
「お洒落に気を遣う女の子にとって、肌荒れは大事な問題だよね。顔色だとか、化粧の乗りにも関わってくるし。それだけじゃなく、荒れた肌から雑菌が入り込んでしまったら大変だと思うから……」
 そう言って、九条が取り出したのは小瓶に入った飲み薬だった。医学や薬学の知識を結集させ作った、美肌効果のある薬のようだ。
「あ、ありがと……」
 申し訳なさそうに、愛美が受け取る。どれほどの効果が、また信憑性があるのか彼女には分からない。それでも愛美は、現状が少しでも改善されるかもしれないなら、と薬を口にした。当然だが効果がすぐに現れることはない。そもそも、どれほど効果が期待できるかも分からない。が、仮に気休めだとしても九条のその行為が、愛美の心を幾分落ち着かせたのも事実だった。
 そのお陰か、愛美の足は棟の出入り口へと向かう。けれど、無音で開いた自動ドアを彼女はくぐらない。まだそこから先には進めないのか、開いたままのドアの前で愛美は足を止めていた。その後ろ姿を押すように、彼女の名前を呼ぶ声が響いた。
「マナ!」
 大きな声で、彼女の愛称を呼んだのは朝野 未沙(あさの・みさ)だった。驚いた愛美が振り返ると、そこには真剣な顔をした未沙がいる。
「あ……」
 未沙の姿を認め、愛美も小さく声を上げた。未沙はそのまま一歩ずつ近づくと、じっと彼女を見据えて言った。
「マナ、またひとりで行こうとしてる。タガザさんのとこなんて、危ないに決まってるじゃん。だってきっと、あの人がマナを傷つけた魔女なんだよ?」
「でも、私は確かめないと……!」
 動かない体を恨むように、愛美は声を振り絞った。そんな彼女の様子を見て、未沙は少しだけ悲しそうな顔をした後、何かを決意したような目で愛美を見た。
「なら、あたしもついてくよ。もうマナがこれ以上泣くなんて、見たくない。マナのこと大好きで、愛してるから」
「……そんなこと言わないで。私、頼っちゃうから」
「頼ってほしくて、言ってるの」
 力強く言う未沙を見て、愛美はつい涙を流しそうになる。貰った気持ちが大きすぎて、どこに収めて良いか分からなかったのだ。
「ごめん、ありがと」
 どうにか涙を堪え、代わりにそう言葉を外に出した。
 手を取り合う未沙と愛美を横目に、九条は先程未沙が発した単語について思いを巡らせる。
「魔女……確かに、その可能性もあると思うけど……」
 未沙、そして愛美もタガザを魔女だと思い動いている。しかし九条は、別の可能性もあるのでは、と考えていた。それは、彼女が魔道書なのでは? という推理だ。正確に言えば、スマートフォンの魔道書が正体であり、機体をバージョンアップさせることで機能を追加したり見た目を変えているのでは、と思ったのだ。そしてスマートフォンの魔道書といえば、真っ先に浮かぶのはパルメーラである。
 ただ、その考えはあるところで行き詰まった。仮にパルメーラがタガザだったとして、動機がまったく見つからないのだ。
「正体がどうあれ、動機が分からないのは不気味だね……」
 無意識のうちに考えが口から出ていた九条。そこに、朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)と彼女のパートナーイルマ・レスト(いるま・れすと)がやってきて話しかけてきた。
「動機や行動に不明点があろうと、すべきことは明白だろう」
 凛とした口調でそう告げる千歳。さらに彼女は続ける。
「状況証拠は、タガザが一連の事件に関与していることを立派に示している。小谷愛美の監禁及び傷害の容疑で、タガザ・ネヴェスタの身柄を確保する……それがジャスティシアとして私がすべきことだ」
 そう言った千歳の瞳には、揺るがぬ決意と確固たる信念が込められていた。判官なのだという誇りが、タガザを逮捕するべく彼女をここに向かわせたようだ。
「み、身柄を確保!?」
 その物騒とも言える言葉に、愛美が反応した。千歳はこくり、と頷き自身の考えを主張する。
「人気モデルだろうが誰であろうが、法は等しくあるべきだ。それが、私の責務だと思う」
 しかし、千歳の思いとは裏腹に、彼女が口にしていたほど状況証拠は現時点で残念ながら出揃ってはいない。目の前に被害者である愛美がいるとはいえ、一般生徒ひとりの主張と人気モデルの主張、どちらが世間に受け入れられるのかは明らかだった。
 さらに、千歳に待ったをかけたのは、他でもないパートナーのイルマだった。
「千歳……タガザの身柄確保に反対はしませんが、この状況がどうも都合良く揃いすぎてる気がしますわ」
「都合良く……言われてみれば」
「モデルという、顔の売れる仕事をしていて、生き証人を放っておくのは不自然です。そして、疑惑があるにも関わらずこの表立った行動。まるで、自分が犯人だ、大学まで捕まえに来いとでも言ってるようです」
「確かに、一連の行動には不可解な点が残るな」
 イルマの推理に頷く千歳。イルマはそれに、と付け加えて別な要素を持ち出す。
「蒼空学園を危機に陥らせているというウイルスの件も、失踪事件とタガザを繋ぐ線がセンピだったから起きたことです。つまりその情報がなければウイルスに感染することはなかったかもしれない……」
「必然的な偶然、というわけか」
「もしかすると、彼女の本当の狙いは、山葉校長をセンピにアクセスさせ、蒼空学園にウイルスを送り込むことだったのでは?」
 イルマは千歳との会話の中で、持論を展開していく。九条の言っていた「動機」は、それなのではないか。千歳がそこでさらに、イルマの予測を発展させた。
「単に魔女の類が、己の美貌の維持と妬みで起こした犯行と考えるにはスケールが大きすぎるからな。そもそもそれなら蒼学よりも百合園あたりを狙うだろう。蒼学、あるいは山葉に個人的な恨みでもあったか……?」
 短絡的だとは思いつつも、自分の頭に浮かんだ考えを千歳は口にした。
「ねえみんな、ここでタガザさんのことをいくら考えても仕方ないよ。でしょ? マナ」
 彼女らの話が行き詰まったところで、未沙が愛美に話を振った。
「う、うん」
 まだ不安を抱えた愛美の瞳は、微かに揺れている。千歳が、それを聞いて開かれた自動ドアに目を向ける。
「迂闊に動けば相手の思う壷かもしれない……が、乗ってやるしかあるまい」
「それで、何もかも元通りになるかもしれないしね」
 九条も、周りと同じ方向へと視線をやった。ならないかもしれない。先程そう想定してはいたものの、それはなるかもしれないということでもあるのだ。ならば、被害を受けた人の心の傷が癒えてほしい。そう九条は思っていた。
「元通りに……」
 愛美が、九条の言葉を聞いてそれを反芻する。そんな彼女の肩に優しく手を回し、未沙が尋ねた。
「ねえ、マナ。すべてを取り戻したら、何をしたい?」
「私、私はっ……みんなに会って、一緒に恋の話とかしたりして、それでっ……!」
 叶うかどうかも分からない未来。それを想像した愛美の声に涙が混じる。
「また、運命の人を探したい……!」
 乾ききった彼女の頬に、つう、と流れたそれを、未沙はそっと拭った。
「うん、その方がマナらしくて、あたしは良いと思う」
 本当に運命の人というものがいるのなら。きっと、どんな彼女でも愛してくれると未沙は信じていた。それがたとえ、このまま肌を老いさせていくだけだとしても。けれど、それでも未沙も願わずにはいられなかった。
 どうか、彼女になんてことのない、普通の女子高生としての未来が訪れますようにと。
「……みんな、ありがと」
 赤くなった顔を手でこすり、愛美は前を向いた。もうそこには、さっき彼女自身が開けたドアがある。
「私、どんな場所だって行く!」
 愛美が、強く一歩を踏み出しドアを越えた。