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【四州島記 巻ノニ】 東野藩 ~擾乱編~

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【四州島記 巻ノニ】 東野藩 ~擾乱編~
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第十章  キャンプ・コートニー

「たらいま〜。セレンちゃんのお帰りれすよ〜」
「ちょ……、ちょっとセレン!あなたどうしちゃったの!?」

 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は、すっかりへべれけになっているセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)に、慌てて駆け寄った。
 千鳥足で危うく椅子を引っ掛けそうになっているセレンをすんでのところで抱えると、椅子に座らせる。

「ん〜……。ちょっと飲み過ぎた〜」
「の、飲み過ぎたって……うわ!お酒臭い!」
「セレアナ〜、おみずちょ〜ら〜い!」
「ハイハイちょっと待って――ほら、水!」
「さ〜んきゅ〜……ゴク……ゴク……プアァ!」
「もう一杯、飲む?」
「うん、おねが〜い」

「それで、どうしたの今日は?ただの商談じゃなかったの?」

 セレアナの持ってきた水をもう一杯飲んで、人心地ついたらしいセレンに、セレアナが訊ねる。
 セレンは今日、チェース・インターナショナルの四州島担当者と会ってきたはずだ。

「いや〜、それがね〜。チェース・インターナショナルの担当者と会ってさ〜。仕事の話が終わったら、何か食事に誘われてさ〜。それで言ったら〜、相手の男が下心アリアリでさ〜。メンドくさいから、どんどん酒飲ませて酔っ払わせて、聞くことだけ聞いて潰す気だったのよ。そしたらね、何かその担当者の顔見知りとかいう海兵隊のマッチョなに〜ちゃんが声かけて来てさ〜。そしたら今度はそいつも下心アリアリでさ〜。流石に二人潰すのは大変だったわ〜」

「まいったまいった」という顔で、手をヒラヒラさせるセレン。

「呆れた……。それで、こんなに遅くなった訳。なんで、私の事呼ばなかったの?」
「いや〜。なんか、セレアナが嫌いなタイプの典型みたいなヤツだったから、呼んだら可哀想かな〜とか思って」
「もう、そんなこと気使わなくていいのに……。あなたと私はチームなんだから」
「え……!そんな!セレアナ迷惑だった!」

 酷くショックを受けた顔で、目をうるうるさせるセレン。

「べ、別にショックだった訳じゃ……」
「それじゃ、嬉しい?」
「……ウン」
「やったー!えへへ〜。褒めて褒めて〜」

 セレンはおもむろに立ち上がると、椅子に座るセレアナの太ももに抱きつき、頬をスリスリとこすりつける。

「もう……しょうがないわね……。ハイハイ、えらいえらい……」
「へへー……」

 頭をなでられて目を細めている様子は、まるで猫のようだ。

「それでセレン、苦労の甲斐はあった?……セレン、ちょっとセレン!?」
「スー……スー……」

 いつの間にか、セレンは寝息を立てている。
 余程太ももの感触が気持ちよかったのか、ほんの数秒頭を撫でている内に、寝てしまったようだ。

「あらあら……。しょうがないわね……本当に……。よいっ、しょっ……と」

 セレアナはセレンを担ぎあげると、ソファーに寝かせた。
 風邪を引かないよう、肌掛けをかけるのを忘れない。

「さて……。確か、この辺りに……あ、あった」

 セレアナは、セレンのジャケットの内ポケットから、ボイスレコーダーを取り出した。
 外部の人間とのやり取りは、全て録音する事にしている。

「どーせ、明日になったら綺麗サッパリと忘れてるんだし……。『備えあれば、憂いなし』ってね」

 セレアナはコーヒーメーカーに新しい豆をセットすると、ボイスレコーダーの解析に取り掛かった。


「あー、頭痛い……」
「二日酔い、セレン?」
「んー……」
「ハイこれ、頭痛薬」
「あ、ありがと……。アタシ、昨日なんか言ってた?」
「えぇ。それはもう、色々とね」

 セレンにボイスレコーダーを示すセレアナ。

「あ、そっか……。そんなのあったっけね……。それで、なにか分かった?」

 セレアナは、大きくため息を一つ吐くと、昨夜まとめたデータを開いた。

「まず、チェース・インターナショナルが密輸を行なっているのは間違いないようね。駅渡屋は、そのパートナーよ。――四州で需要のある外国製品を駅渡屋が調べ、チェース・インターナショナルに発注する。チェース・インターナショナルはその品を揃える代わりに、欲しい四州の品を駅渡屋に伝え、用意させる――こんな感じの物々交換が、この二者間で成り立ってるみたい。エリックはどうも、この両者の仲介をしてるみたいね」
「ふーん……そこでエリックが出てくる訳だ……」
「……あなた、本当に何も覚えてないのね……」
「まーねー。照れるにゃー」
「褒めてないわよ」

 セレアナの口から、またため息が漏れる。

「もう一つ、エリック・グッドールだけれど、彼についても少しだけ分かったわ。階級は大尉。キャンプ・コートニーに出入りしているのは確からしいけど、どうも特殊任務についてるらしくて、基地の指揮系統には属していないらしいわ」
「特殊任務って?」
「さあね。少なくとも、一生懸命あなたを口説いてた上等兵さんは、知らなかったわ」
「あー、なんかいたなー。そんなヤツ。なんかミョーにマッチョだったのだけは覚えてるんだけどな……」
「あんな酷い目に遭わさせて顔も覚えてもらってないなんて……不憫ね」
「え……!何したの、アタシ?」
「覚えてないなら、その方がいいわよ」
「……ウン、わかった……」

 セレンは、大人しくセレアナの言う事に従うことにした。
 過去の経験に鑑みるに、セレンがこういう時は、確実に自己嫌悪に陥るようなことをしでかしている時なのだ。

「ねー、セレアナ?」
「なぁに?」
「……ありがとね、色々と」
「いいわよ。お礼なら、もうもらってるから」
「……そうなの?」
「そうよ」

 したり顔のセレアナに、セレンはキョトンとするばかりだった。



「単刀直入に聞くわ。今回の印田での騒ぎ、海兵隊が出撃する可能性はあるの?」

 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、エリック・グッドールに訊ねた。
 ランチタイムは既に過ぎ、会合の場所に指定されたキャンプ・コートニー近くのアメリカンレストランは、客もまばらだ。

 それでもエリックは横目で見回し、誰も見ていないのを確認する。

「随分とやぶから棒だな、ええ?まるで『明日雨が降るの?』みたいな聞き方しやがって……まあいい。勿論、可能性はある
。在留邦人に危害が及ぶ危険性があれば、海兵隊は出動せざるを得ない」

「でしょうね。ところで、あの工場の警備をしているのは、やっぱりSMS(セキュリティ・マネジメント・サービス)?」
「そうだ。よく知ってるな」
「色々と調べたのよ。私たちなりにね。ねぇ、チェース・インターナショナルって聞いたこと無い?」
「チェース……?さあな。なんかの会社の名前か?」

 エリックは、顔色一つ変えずに言った。

「そう。それじゃ質問を変えるわ――」
「おいおい、まるで尋問されてるみたいだな」
「『まるで』じゃないわよ。オーバスクラフト社って、もしかして『カンパニー』の末端会社なのかしら?」

 カンパニーは、時にCIAを指す隠語として使われる。

「ラングレーの親会社は合衆国五軍に内通者を持つと聞くけど――私にとって、ラングレーの親会社は、敵よ」
「敵?」
「私は、元NSA(国家安全保障局)よ」

 NSAと聞いて、エリックの表情が途端に厳しいものに変わる。

「今回の暴動には、親会社が関わってるんじゃないのか?」

 エリックの顔色が変わったのを見て、ホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)が問い質す。

「表向きは合法に、しかし水面下では地元住民に不満を蓄積させ、暴動が起きる土壌を醸成させる。そして暴動は起き、『哀れな無辜の』合衆国国民は絶体絶命。しかし此処で我らが騎兵隊――そう、USマリーンが颯爽と登場だ!

『危機に瀕した合衆国国民を護る為!星条旗よ永遠になれ!』

その揺るがぬ正義と大儀の名の下に橋頭堡は確保され、後詰のUSネイヴィーも出動する――。如何にも、ラングレーの親会社が好みそうなシナリオではないか」

 ここぞとばかりに、一気にまくし立てるネルソン。
 エリックは、それを黙って聞いていた。

「なるほど――。確かに、よくある筋書きだな。それで?もし俺が『そうだ』と言ったら、どうする気だ?東野の殿様に『恐れながら』と注進でもするつもりか?おっと、殿様はとっくのとうに死んでるんだったか?」

 人を小馬鹿にしたように言うエリックに内心怒りを覚えながら、ローザはあくまで冷静に言った。

「ここは地球じゃない、パラミタなのよ。親会社の思う通りになんて、行くはずがないわ。今なら、まだ取り返しがつく――貴方から計画の中止を訴えてくれない?」
「本気で言ってるのか?」
「勿論、本気よ」

 ローザは、エリックの目を正面から見据えていった。

「ハッ!とんだ楽天家だな!いいか、計画はもう動き出してるんだ。今更、止めようたって無駄だ」
「なら、計画の責任者の名前を教えて。私のルートから、手を回してみるわ」
「バカを言え。俺に、国を売れというのか?」
「国じゃないわ、親会社よ」
「なら、アンタの国はNSAって訳だ。それともパラミタか?それとも四州島か、東野か?――なんだっていい。とにかく、アンタの国と俺の国は違うって事だ」
「私は、アメリカ人よ!」
「なら、何故邪魔しようとする?」
「危険すぎるわ。太平洋艦隊が壊滅したのを、忘れた訳じゃないでしょう?」
「それを判断するのは、俺じゃない。ましてや、アンタでもない。アンタの言っていることは、祖国への裏切りだ!」

 エリックは怒りに任せて席を立つ。

「いいか、アンタとはもうこれまでだ。二度と、俺の前に顔を見せるな――そっちの、エラそうな髭面のオッサンもだ。今回は、アンタのこれまでの軍歴に免じて見逃してやる。今度また姿を見せたら、その時は容赦しないぞ」

 吐き捨てる様にそう言って、エリックは大股で店を出て行く。
 店のドアを荒っぽく閉め、歩き出そうとした時、黒塗りの車が自分の目の前で停まった。
 運転席の窓ガラスがスッと開くと、若い男が顔を出す。

「エリック・グッドール大尉ですね?お話があります。駅渡屋の事……といえばお分かりになりますか?」
「さぁ、乗るのだエリック!お前に選択の余地はない!」

 後部座席からは、高圧的な声がする。

「チッ!今日は余程ツイてないみたいだな……。いいだろう、乗ってやる。ただし、今の俺は少しばかり機嫌が悪いんだ。少しはマシな話を頼むぜ」

 エリックを乗せると、車は静かに走りだした。

「で、一体何なんだ、アンタらは?」
「我が名は世界征服を企む悪の秘密結社、オリュンポスの大幹部ドクター・ハデス(どくたー・はです)!」
「ハー……。正義面したNSAの次は、悪の秘密結社かよ……」

 ハデスの名乗りに、のっけから頭を抱えるエリック。

「で、その大幹部様とやらが、一体何のようだ?俺を改造人間にでもするつもりか?」
「そうではありません、エリック大尉。我々は、あなたを助けに来たのです」
「こりゃぁいい!悪の秘密結社が人助けとは、最近は悪の秘密結社も、随分手広く商売をやってるんだな!それで、お前らが俺に一体何をしてくれるんだ?」
「エリック!お前がアメリカの商社チェース・インターナショナルと、四州の駅渡屋と関係がある事は分かっている。そして藩主不在の四州に混乱をもたらすために、お前が密輸の手引きをしたこともだ!」

 ここで、ハデスの黒縁眼鏡が光を放つ。

「大方今回の印田での暴動も、お前たちが画策したものに違いない。お前たちはこの混乱に乗じて、四州を一気に征服するつもりなのであろう!」

 エリックに指を突きつけ、高らかに宣言するハデス。
 狭い車内の中で指を出すものだから、危うくエリックの顔に刺さりそうになっている。

「確かに、よく出来た作戦だ。お前も、さぞや鼻が高いだろう――だがな。このままでは、お前は死ぬことになるぞ?」
「――死ぬ?俺が?」
「エリック大尉。貴方は既に、我々を含めた複数の人物にマークされている。そして印田での武装蜂起が起こった以上、貴方の役目は終わっています。このままでは、貴方に指示を出していた人物に消されますよ?」

 運転席の天樹 十六凪(あまぎ・いざなぎ)が、冷たく言い放った。
 ハッとした顔をするエリック。 

「それに、貴方貴の命を狙う理由があるのは、他にもいます。調査団に敵対する契約者たちにとっては、
貴方やカニンガム大佐の命は、四州に混乱をもたらすための良い道具なのです」
「どうだエリック!我らに協力する気はないか?大人しく黒幕を教えるなら、我らオリュンポスが逃走の手引きをしてやるぞ?」
「大人しく我々に従ったほうが良いと思いますよ、エリック大尉」

 二人の目が、一斉にエリックに向けられる。

「悪いが、祖国は裏切れない。この話は、無かったことにしてくれ」
「バカな!このハデスの誘いを断るというのか!?これが、お前の生き残る最後のチャンスなのだぞ!!」
「残念です、エリック大尉」

 十六凪は、車を停めた。

「もし気が変わったら、ここに連絡して下さい」

 車から降りるエリックの手に、連絡先を押し付ける十六凪。
 その眼には、エリックを気遣う色が現れている。

「一応、もらっておくよ――じゃあな」

 エリックはメモをポケットに押しこむと、雑踏の中に消えた。


「なんだなんだ、みんな揃って押しかけてきて?これから、サプライズパーティーでも開いてくれようってのか?」

 ただならぬ雰囲気で部屋に入って来た宅美 浩靖(たくみ・ひろやす)源 鉄心(みなもと・てっしん)たち一行に、
マイク・カニンガム大佐は言った。

「司令、お願いがあります。印田での暴動の件――」
「わかったわかった。『出来る限り出動してくれな』と、そう言いたいんだろう」

 得意のジョークをスルーされたのか気に入らなかったのか、大佐は渋い顔をしている。

「――そ、そうです」

 完全に出鼻をくじかれた形の鉄心は、そういうのがやっとだ。

「確かに俺たちは邦人の保護が任務だが、今のところは包囲されてるだけで、人的被害が出た訳じゃない。お前さんたちが事態の収拾に当たるであろう事は予測がついてるし、下手に俺たちが出動したら、余計に話がややこしくなるであろう事もまた然りだ――という訳で、すぐに出動する様な事はない」

「よかった……」

 ティー・ティー(てぃー・てぃー)イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)は、胸をなでおろす。

「しかし、あまりゆっくりしている時間はないぞ。幾ら地球との連絡に時間がかかると言っても、いずれこの事は本国にも伝わる。そうなれば、もう俺の一存ではどうにもならん。現に今だって、南濘の海軍からは状況確認の連絡がひっきりなしに入って来てるんだ」
「海軍から?」
「そうだ。俺と違ってアイツらまともな陸上戦力は持ってない。自分たちにお鉢が回ってくる事はないとわかってるもんだから、言いたい放題だ」

 大佐の顔が、またまた渋くなる。

「そういう訳で、俺は情報が欲しい。事の成り行きを正確に把握するためにも、嘘をつかない範囲で色々と言い訳するにもだ――協力してもらえるな?」
「も、勿論です」

 鉄心は即答した。元よりこちらからの情報提供を条件に、早期の出動を思いとどまってもらおうと思っていたのだ。

「こちらから渡すだけと言うのはアンフェアだな。お前さんの握ってる情報も、少しはこっちに回せ」

 横から、宅美が口を挟む。

「わかってるよ、ヒロ。ただし、機密に触れない範囲でだ――それで、何が知りたい?」

 宅美は、鉄心たちの方を見る。

(聞きたいことがあるなら、遠慮なく聞いてみろ)――と言う顔だ。

「まずは、現地にいる邦人のリストを。それから、工場の警備体制についてわかるようであればお願いします」
「今俺の方で把握しているのは、これだけだ」

 大佐が、リストを投げてよこす。そこには、ざっと10人程の名前が記されている。

「随分、少ないですね」
「それは、一番最初に連中がやって来た時に渡されたリストだ。たぶん今は、もっと増えてる。それと、警備にあたってるSMSの分は含まれてない」
「SMSからはリストの提出は無かったのですか?」
「ついこの間現地に入ったばかりでな。リストの提出を求めてる所だったんだ。普通、こういうのは大使館に問い合わせればすぐにわかるんだが、この国にはそういうのはまるでないんでね」

 未だ国交が結ばれていない弊害が、こんな所にも出ている。

「SMSの警備体制だが、これも詳しい事は不明。理由は――同じだ」

「お手上げ」と言う感じで肩をすくめる大佐。

「他には無いか?――じゃあ、今度はこっちの番だ。さ、知ってる事は細大漏らさず話してくれ」

 それから鉄心たちは小一時間ほどかけて、大佐に自分たちが今掴んでいる情報――広城城下のならず者契約者や、御狩場で目撃されている謎の武装集団、神社荒らしに幽霊騒ぎ、エリック・グッドール駅渡屋(えきどや)チェース・インターナショナル
の関係など――を、一通り説明した。

「エリックの話、もう少し詳しくわからないか?」

 やはり大佐としては、同じ海兵隊員のエリックの事が気になるようだ。

「すみません。これ以上は、現在調査中でして……」
「お前さんの方から、問い詰める訳にはいかんのかね。海兵隊が密輸に関係してるとなれば、これは大ゴトだぞ?」

 宅美が、片眉を吊り上げながら言う。

「それが、そうもいかなくてな。彼は極秘任務に服している、バージニアの司令部直属の人間なんだ。『任務に関わる』と言われれば、それまでだ」

 大佐は、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「なんじゃと?そんな人間がいるのか?」

 宅美が、あからさまに不愉快そうな顔だ。

「いるんだ。残念ながらな」

 海兵隊という所は、極端に同族意識の強い組織であるため、人一倍隠し事を嫌う。

「あの……おじ様?」
「ん?どうしたイコナちゃん?」
「いえ……。今までの情報を整理したので、よろしければ。あとこれは、大佐の分です」
「おぉ、すまんの」
「気が利くな、お嬢ちゃん」
「それと、今まで話に出た地点に印をつけてみたんですけど――」

 皆が振り返ると、執務室の壁にかけられた東野の地図に、赤いマーカーがつけられていた。

「おじ様や大佐たちから見て、何か気がついたことがあれば、教えて頂けないかなって……」
「うーん……そうじゃなぁ……」
「今までの話を聞くに、だ――」

 大佐が何かを言おうとしたその時、デスクの電話が鳴った。

 大佐が、鬱陶しそうに電話に出る。

「どうした?」
『司令、お電話が入ってますが……』
「誰からだ?」
『は。あの、それが、その……』
「なんだ、はっきりしない奴だな?報告は正確にしろ!」
『はっ、申し訳ありません!その人物――土雲 葉莉(つちくも・はり)という女ですが――、変なことを申すもので……』
「変なこと?」

 続く受付からの報告に、大佐は顔をしかめた。
 

「エシク、テレジア、聞こえるか。目標を発見した。侍の格好をしているが、間違いない。奴だ」

 グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)は、ケータイに向かって小声でそう呼びかけた。
 彼女のいるキャンプ・コートニー周辺では、ケータイを使用することが出来る。

『やはり、来ましたね。テレジアの読み通りです。それで、ドコに?』
「今、ゲートの所だ。堂々と正門から入るらしい」
『正門から!?』

 ケータイの向こうから、エシク・ジョーザ・ボルチェ(えしくじょーざ・ぼるちぇ)の驚く声が聞こえる。

 ライザとエシク、それにテレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)の三人は、海兵隊基地に不法侵入した土雲 葉莉(つちくも・はり)を捕らえるべく行動していた。

「海兵隊基地への侵入」という、一歩間違えばアメリカとの関係を悪くしかねない行動を取った葉莉を、危険人物だと認識したのである。

「侵入者は何も取らずに逃げた――と言う事は、まだ目的を達してねぇ。なら、また侵入しようとする可能性は高いぜ」

 テレジア――実際には、彼女に憑依している奈落人のマーツェカ・ヴェーツ(まーつぇか・う゛ぇーつ)――の読みに従い、三人は基地に網を張ることに決めた。

 彼らは、ホレーショ・ネルソン(ほれーしょ・ねるそん)の立てた【防衛計画】の通りに配置に着いた。
 基地の警備に当たっている者から侵入者の人相を聞き出した上で、エシクとライザが基地の周辺を警戒。
 さらに《ブラックコート》と【光学迷彩】で姿を消したマーツェカが、侵入者が現れた情報部の前に張り込む。

 しかし流石のネルソンも、葉莉が正面から来るとは思わなかった。

『正面から殴りこみに来たってのか?ふざけやがって!』

 テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)――実際には、彼女に憑依している奈落人のマーツェカ・ヴェーツ(まーつぇか・う゛ぇーつ)だが――が怒鳴る。

「どうする?このままでは奴は、まもなくゲートに着くぞ?」
『何とか時間を稼いでくれ。すぐに駆けつけるからよ』
「ちょっと待って!中から、誰か来た……カニンガム大佐だ!」
『司令が!?』

 ゲートの警備員が、葉莉を招き入れる。
 葉莉がキョロキョロしながらゲートをくぐると、基地司令のマイク・カニンガム大佐が、彼女を笑顔で迎える。
 葉莉は、大佐と並んで、基地内へと入っていった。

(今の司令の様子、どう見ても客を迎えに来たという感じだったけど……。どういう事なの……?)

 てっきり両者が敵対していると思っていたのだが、葉莉が米軍と友好関係にあるのであれば、無理に取り押さえる必要は無いことになる。

『どうした、ライザ?』
「いえ、それが――」

 ライザは戸惑いながら、一部始終を二人に伝えた。



「まず最初に、謝っておきます。ごめんなさい」

 土雲 葉莉(つちくも・はり)は、テーブルに擦り付けんばかりに頭を下げた。文字通り「平謝り」と言う訳だ。

「なんだ一体、唐突だな?」
「実は私、隠れてこの基地や海兵隊の事を調べてました。『アメリカ軍の人が、何か悪巧みをしてるんじゃないか?』っていう先入観がどうしても拭い切れなくて……。でも、宅美さんや鉄心たちの報告を聞いて、それが間違いだったと分かりました。だから、最初に謝っておきます――ホントーに、ごめんなさい!」
「ああ、わかったわかった。取り敢えず、その土下座みたいな奴はやめてくれ。それから、不法侵入の件についても気にしなくていいぞ」
「え!どうしてそんな事まで!?」
「キミたち調査団の人間が何人か来て、色々調べていったからな。俺が迎えに行かなかったら、きっと今頃襲われてたぞ?」
「そ、そんな事になってたんですか!?こ、こわ〜……」
「その話はともかく、キミやキミのボスがどういう人間かは、ヒロや鉄心から聞いている――思い込みの激しい所はあるようだが、決して悪人ではないし、我々と敵対する立場の人間でもないようだ」

 大佐は一通の書簡を取り出すと、葉莉に差し出す。
 筆跡から見て、これが樹龍院 白姫(きりゅうりん・しろひめ)の手が書いたものであることは、ひと目で分かる。

「これは?」
「キミのボスが、ヒロに預けた詫び状だ。一通り目を通したが、『非は全て、誤った見立ての元に命令を出した自分にある。葉莉は悪くない』と延々と書いてあったぞ」
「え?これを白姫様が!?」
「そうじゃよ。『葉莉に渡しても、そのまま仕舞いこんで出さないだろうから』と、儂を頼ってきたと言う訳じゃ。中々に出来た主人のようじゃな」
「全くだ――いいボスを持ったな」
「白姫様……!」

 目をうるうるさせながら、書簡を手に取る葉莉。
 葉莉は、一度強く胸に抱くと、それを大切に仕舞い込んだ。

「まぁ、今回のことについては心配しなくてもいい。お陰で、キミを含めた調査団からは情報提供について全面的に協力してもらえることになったしな。ついでに不法侵入の件で、本国にも警備関連の予算の増額を申告出来るしで、一石二鳥だ」

 痛快そうに笑う大佐。
 どうやら、予算の件では余程不満があるらしい。

「さて、そろそろ本題に入ろうか。キミが見た『先客』とやらの事を、教えてくれないか?」
「は、ハイ。それが――」

 葉莉はできうる限り正確に、自分が見た者の事を伝えた。

「確かに、基地の人間である可能性が高そうだな。よし。ちょっと待っていてくれ」

 大佐は、スチール製のキャビネットに歩み寄ると、中から分厚いファイルを幾つも取り出した。

「このファイルには、ウチの基地に所属している隊員全ての顔写真が入ってる。確認してみてくれ」
「はい、分かりました!」

(確かに暗かったけど、男の顔が懐中電灯の灯に浮かび上がってたから、はっきりと覚えてる……。きっと、この中にいるはず――)

 葉莉は、ファイルに収められた写真の一枚一枚を、慎重に確認していく。

 しかし、皆の思惑と裏腹に、葉莉の記憶と一致する写真は一枚もなかった。

「本当に、間違いないんだな?」
「ハイ、間違いありません。あの夜私の見た人は、この中にはいません」
「……そうか。では、あともう一枚、キミに見て欲しい写真がある」

 大佐は制服の内ポケットから、一枚の写真を取り出した。

「この人物に見覚えは――?」
「あ!これです!この人です!!」

 ガバッと勢い良く立ち上がって、写真をひったくる葉莉。
 間違いなく、あの夜見た顔だ。

「ファイルに写真がなくて当然だな。彼は、私の指揮下にはない人間だ」
「なんじゃ、そのふざけた人間は?」

 宅美が、あからさまに不快そうな顔をする。

「だ、誰なんですか、この人?」
「エリック・グッドール大尉。極秘任務に服している、バージニアの司令部直属の人間だ」
「極秘任務――。夜中に同じ海兵隊員のデスクをコソコソと嗅ぎ回らなければならんとは、余程重要な任務のようじゃな」

 宅美が、吐き捨てるように言う。

「一度、本人に問い質す必要があるな。司令部直属だろうがなんだろうが、事と次第によっちゃここから叩き出してやる」

 大佐は、厳しい顔で言った。