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リアクション
■第26章
弐ノ島に設けられた港は、活気あふれる壱ノ島と比較すれば、いささか……いや、かなり劣っていた。
設備や規模が違うのはしかたがない。島の財力が全く違っている。停泊している船も壱ノ島でよく見かけた立派な大型客船や個人所有の中型船といった物は1艘もなく、せいぜいが無骨な貨物船で、圧倒的に多いのは漁船だ。なかには壱や参のマークが入った漁船もあるが、大半は弐ノ島の漁師の物だった。
だからその点は除くにしても、活気という点で、あきらかに弐ノ島は劣っていた。壱ノ島の港は人々の明るい笑いと前向きなやる気で光に満ち溢れており、おこぼれの魚を求めて集まる猫たちにすらバイタリティを感じたものだが、弐ノ島の港の静寂に感じるのはすたれた場所特有の辛気くささだけだ。
しかしそう感じていることなどおくびにも出さず、パートナーのセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と2人、気軽な観光客を装ってはしゃぎながら――ときには船員のナンパ男に手を振ってまでみせて――軽い笑い声を響かせつつ、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は港を練り歩く。
「小さな港だと思ってたけど、こうして回ってみると結構船って泊まってるものね。
で。どう思う? セレアナ」
「そうね……漁船ってことはないんじゃないかしら。偽装してるにしても、小型船で島間の雲海を安全に越えられるとは思えないわ。せっかく捕えた大事な荷物を危険にさらすわけにはいかないでしょう」
「まあ、順当にいったら中型貨物船かな、って思うんだけど。でもそう見えて、裏をかいて漁船団ってこともあり得そうだし。
あー、分かんないっ」
がじがじ。焦れて親指の爪を噛むセレンフィリティに、セレアナはくいっと後ろの建物を指さした。
「とりあえず、事務所へ行ってみましょう。船体規模、ナンバーと所属島は頭に入れたわ。船の入港時期、整備状況、人の出入り、その船の船員の動向……記録と食い違っているものがあればその船があやしいってことよ。目星をつけて、絞り込めるわ」
「そうね」
とはいえ、窓口へ行って「そういうの見たいです」って言ったところで見せてくれるわけもなし。セレンフィリティが話術なり何なりでみんなの注目を集めているうちにセレアナが隠れ身で侵入する、という無難な作戦をたてつつ、2人はそちらへ向かった。
一方、弐ノ島太守の屋敷へ移動したコントラクターたちはサク・ヤたちに事情を話して屋敷の一室を借りると、そこでツク・ヨ・ミ奪還の作戦を練っていた。
テーブルの上には、やはりサク・ヤから提供してもらった島の地図が広げられている。
そこにカチャリとドアノブを回してナ・ムチ(な・むち)が入ってきた。
彼に集中した視線と彼との間で一瞬空気が凍りつく。会話が途絶え、しんとなったなかで、壁際に並べられた椅子でお菓子をモグモグしていたスク・ナ(すく・な)がぴょんと飛び降りて、彼に駆け寄った。
「ナ・ムチ、おばあちゃんは?」
「元気でしたよ。ミネ・イたちと別荘へ釣りに出かけるそうです」
ミネ・イとはナ・ムチの祖母にずっと仕えている護衛の1人だ。こうなった場合についてはもう何度も祖母と話し合ってきていて、算段はできている。
ナ・ムチの祖母は2年前ヒノ・コが捕まるまで何十年とヒノ・コをかくまってきた、いわばヒノ・コの支援者だった。必然的にナ・ムチはそのことを幼いころから知り、そのリスクとともに生きてきたわけだが、それをスク・ナに詳しく話して聞かせ、不安にさせる気はなかった。
「そっか。また今度、おばあちゃんに会いに行きたいなっ」
「そうしましょう。
ああ、キッチンでサク・ヤさんがお茶の用意をしていました。きみ、手伝いに行ってくれますか?」
「え? オレ?」
「ええ。それと……」
ナ・ムチは少し視線を上げ、椅子に座るティー・ティー(てぃー・てぃー)とイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)と目を合わせた。
この場にスク・ナにいてほしくないのだ。ティーとイコナはその意を汲み取って、椅子を立つ。
「スク・ナさん、私たちも一緒に行くうさ」
「ちょうどこの子たちにも、おやつをあげないといけないと思っていたところだったのですわ」
と、鉄心の肩に乗っていたミニいこにゃやミニうさティーを指さす。
「このままではまた騒ぎ出してしまいますもの。スク・ナさんも一緒におやつを食べさせてくださいですの」
「あー、うん。分かったっ。
じゃあまたあとでね、ナ・ムチ!」
スク・ナはティーやイコナと一緒に部屋を出て行った。
戸が閉まり、足音が遠ざかるのを確認してからナ・ムチはテーブルへと近づく。
ナ・ムチの登場とともに漂っていた微妙な空気はスク・ナの無邪気さである程度緩和されたものの、いまだテーブルを囲う面々にナ・ムチを歓迎するムードはなかった。
彼はここにいるコントラクターたちと違い、ツク・ヨ・ミを伍ノ島へ連れ戻そうとする追手だ。現時点において、誘拐犯の手からツク・ヨ・ミを取り戻したいということでは目的は一致しているが、最終目的は違っている。気を許せる相手ではない、と考えるのは当然で、ナ・ムチも彼らがそう考えていることを知っていた。だからナ・ムチも彼らの警戒を当然と受け止め、無表情を保っていたが、その扱いを不当と感じる者たちもいた。先はどうあれ、現時点では協力者なのだ。相応の敬意を求めるように、源 鉄心(みなもと・てっしん)や千返 かつみ(ちがえ・かつみ)たちは自然とナ・ムチの後ろに立って、ナ・ムチの援護をする。
そんな場の空気に、このままではいけないと、内心あせったのが一雫 悲哀(ひとしずく・ひあい)だった。
「悲哀、勇気出して」
そんな悲哀の心を読んだ黒蜘蛛型ギフトのカン陀多 酸塊(かんだた すぐり)が、悲哀を見上げて叱咤する。
「ボクたちいろいろ話したでしょ? きっとあの推測は間違ってないよー。でも、このままだとボクたちが頭のなかで思ってるだけだし。裏付けをとるためにも、彼から訊かなくちゃね?」
「……そう、ね」
勇気を分けてもらうように、ぎゅっと酸塊を抱きしめた悲哀はおずおずと脇から前に出て、ナ・ムチへと声をかける。
「あの……。ナ・ムチ、さん」
「なんですか」
「ツク・ヨ・ミさんを……救出するというのは、ここにいる全員、一致してると思います……。ですから、どうか私たちに教えてほしいんです……。私たち、何も知らないんです……なぜ彼女が重犯罪者として追われているのか、男の子のフリをしてまで身を隠して、彼女が何をしたがっているのかも。あのさらっていった黒い影はヤタガラスと呼ばれる死霊ということは、リネンさんに教えていただきました……。あの、しゃべるヤタガラスは、ミサキガラスと呼ばれるものだということも……。
でも、それを使役する者の正体とか、彼らがツク・ヨ・ミさんを殺さずに誘拐することで何をしようとしているのか……本当に、何も知らないんです」
言葉に出してみて、本当に自分は何も知らないのだということをあらためて実感して、悲哀は羞恥にほんのりとほおを赤くした。一方で、誠心誠意、ひたむきに話す悲哀に好感を感じつつ、ナ・ムチは答える。
「ではツク・ヨ・ミがあなたたちに何をどこまで話しているか分かりませんので、最初からお話させていただきます。
彼女が重犯罪者として追われているのは、彼女の祖父が重犯罪者だからです。正確には、彼女の犯した罪は脱走のみです。浮遊島群には死刑がありません。そのかわり、重犯罪者が処される刑罰として天津罪刑があり、この刑罰は三親等内の者にまで適用されます。額に花弁型の刺青が入れられ、そこに罪状のチップを埋め込まれて生涯動向を厳しく管理されます。また、ほかの者はこの刑に処された者を手助けすることは禁じられています。そのため各島において居住可能区域も定められており、そこを無断で離れた者は処罰されます。ツク・ヨ・ミの場合、それは伍ノ島太守の敷地内でした」
「……本人は、何も悪くないのに、ですか?」
「天津罪刑に処されるのは重犯罪者で、犯罪を犯せば全員が処されるというわけではありませんが……それが嫌なら犯罪を犯さないことです。不当に感じるのは、犯罪を犯そうと思っている者です。犯さなければ処されることもない、不満に思うこともないだろう、という考え方です」
だれをも納得させる完全な法というものはない。今この室内にいる者たちのなかでさえ、反論を口にしたがっている者はいる。だがその法を制定したのはナ・ムチではなく、ナ・ムチに言ったところで法が法でなくなるわけでもない、というのも分かりきっていたため、だれも言葉にはしなかった。
「彼女が脱走したのは、おそらく彼女の祖父ヒノ・コのせいです」
「ヒノ・コ」と口にするとき、初めてナ・ムチの声に変化が出た。淡々とした口調は変わらないが、わずかに声がとげとげしくなり、低くなる。
「彼は浮遊島全島に橋を架けたいというのが口癖で、そのための研究に没頭していました。大方、あのはなれに監禁されて脱出が困難であることから、まだ監視の目の緩いツク・ヨ・ミをそそのかしたのでしょう。
はっきり言っておきます、彼は人として最低の人間です。彼の頭にあるのは自分の目的をかなえることだけ、ほかの人間はそれをかなえるために利用するものでしかないんです」
でなかったら、なぜツク・ヨ・ミにこんな危険なことをさせるだろうか。脱走という罪を犯させ、生まれてから1度も見たことのない世界にたった1人で放り出し、起動キーを持たせて敵の眼前にさらした――無防備に。
孫娘ですら道具として扱う、この人間性をナ・ムチは心底嫌悪していた。
ツク・ヨ・ミが捕まって、殺されるかもしれない危機に陥っているのも、元をただせばあの男のせいだ。そう思うと今すぐにも殺してやりたいほどの殺意が沸いてきて。ナ・ムチは気を静めるために、深く息を吸った。
「次に彼女をさらった敵についてですが、おそらくは肆ノ島太守クク・ノ・チでしょう。確証はありませんが、2年前、コト・サカさまの部下に捕えられるまで祖母は彼の目や手からヒノ・コをかくまってきていました。彼の目的が何かは分かりません。ですが、起動キーと橋のシステムを欲しているのはうすうす分かっていました」
「じゃあツク・ヨ・ミさんに……使い道があると言ったのは……」
「橋システムについて、ヒノ・コから聞き出すつもりではないかと」ナ・ムチは頭を振る。「おれにも分かりません。証拠は何もなく、すべて推測の域を出ない。
彼はとても頭がきれて、慎重な人物です。肆ノ島の島民に限らず、すべての島民に人気がありますから、こちらもうかつな言動はできません」
それに、クク・ノ・チにはどうやら黒いうわさがあることも彼は長年の独自調査で手に入れていたが、やはり証拠は何ひとつなかったため――それにこれは「これらが指し示すのはクク・ノ・チではないか」という憶測の域を出ないということもあり――今、口に出すのはやめた。
「――やっぱり彼のツク・ヨ・ミ捕獲は、彼女を安全な場所に戻すためだったみたいだね」
ナ・ムチの話を聞いて、エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)はこっそりと千返 かつみ(ちがえ・かつみ)にだけ聞こえる声でつぶやく。
かつみは肩越しにエドゥアルトの方を向き、視線を合わせた。
2人とも、千返 ナオ(ちがえ・なお)からナ・ムチがツク・ヨ・ミの軟禁されていた館へ昔から足を運んでおり、2人は知り合いだった可能性が高いことを聞いていた。聞かされた当初、あの男が彼女の身を思って、というのには半信半疑だったが、実際ツク・ヨ・ミが誘拐されたときのナ・ムチの対応や、今の話しぶりを見ると、ナ・ムチのツク・ヨ・ミを心配する思いは心からのように思えた。
「ただ、あのときの2人の様子といい、互いに最善を探してるはずなのに、すれ違ってお互いつらい思いをしてるように見えるよ」
エドゥアルトが言っているのは、ツク・ヨ・ミがさらわれる前、ナ・ムチと2人でした会話のことだろう。かつみたちはナ・ムチの背後にいたためナ・ムチについてはよく分からなかったが、ナ・ムチを見つめてしゃべるツク・ヨ・ミの姿はよく見えていた。
ツク・ヨ・ミは一心に、彼に分かってほしいと訴えていた。彼の協力が必要だというように。だけどナ・ムチは彼女を安全に守ることだけを考えていて……。
エドゥアルトの言うとおりだ。
「2人は1度、きちんと腹を割って話せる状況に置いてやる必要があるな」
そうつぶやいたとき。
「『吹き荒れる嵐を相手に、立ち向かうばかりが対処の方法ではない』か」
同じテーブルを囲んでいた風森 巽(かぜもり・たつみ)が、かつてナ・ムチが口にした言葉を繰り返した。
「そのクク・ノ・チというのがあなたの言う『嵐』というわけか。で、あなたは逃げてすかしてばかりいたわけだ。そして彼女が軟禁されていることを選んだ」
挑発的な物言いをして、ナ・ムチの青い瞳から彼が気分を害しているのを読み取って、ニヤリと笑う。
「悪いね。こっちはだれかを助けるときは、いつだって世界全部敵にまわしたって護り抜く覚悟なもんでね。
人生いつだって向かい風、ってね。だから、せめて、肩で風切って格好良く歩きたいじゃない?」
「…………」
それは、ナ・ムチには身勝手な理想論にしか聞こえなかった。
身ひとつであれば、それもまた1つの方法ではあっただろう。ツク・ヨ・ミだけを守り、彼女のために生きる――。しかし彼には守らなくてはならない家があり、使用人たちがいて、ひいてはその家族たちもいる。親に見捨てられた自分を保護し、育ててくれた愛する祖母もいる。自分だけのことを考えるということは、彼らを犠牲にし、見捨てることにしかならない。そんなことはできなかった。
だがとうとう、自分たちが敵の邪魔をしていたことが発覚してしまった。その報復を受ける前にと、祖母は使用人たちに全員長期休暇と特別手当を出した。表向きは、半年ほど壱ノ島にある別荘で暮らすため、屋敷を閉めるのだということにして。そして自身は身を隠す。
『あなたも逃げて隠れるの、一刻も早く。コト・サカが生きていたならまだ力になってもらえたかもしれないけれど、キ・サカではとても太刀打ちできないわ』
祖母の言うとおりにすることになるだろう。けれど、それはツク・ヨ・ミを助け出してからだ。彼女は無事だと確認できるまでは、どこへも行けない。
「――おれのことはいいでしょう。今はツク・ヨ・ミを救出することだけを考えましょう」
ナ・ムチは現れたときからほとんど変わらない、全く考えの読めない表情のまま素っ気なく言うと、テーブルの地図に手をついた。
その姿に、彼から反応を引き出そうとしていた巽は、それがどんなものであれこんなものではなかったというように失望のため息をつき、軽く肩を竦めると、気持ちを切り替えて、同じように地図を覗き込んで自分の考えた案を話そうとする。
そのときだった。
「フハハハ! 我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス!」
ナ・ムチが話を終えたこのときが最も効果的に注目を集めるチャンスと見たか、ドクター・ハデス(どくたー・はです)がよく通る声で小気味よい笑声を響かせた。
「ククク、なるほどな。ようやくこの島の状況が読めてきたぞ。この浮遊島群を征服するのに必要となる『ツク・ヨ・ミ』と『起動キー』とやらを巡って、ナ・ムチと、そこのウァールとかいう少年、そしてあの黒い影を操る謎の秘密組織が対立しているというわけだな!」
「え? おれ?」
いきなり名指しされて、ウァール・サマーセット(うぁーる・さまーせっと)が地図から顔を上げて自分を指さした。
「おれ、だれと対立してるの? そりゃツク・ヨ・ミを返してほしいとは思ってるけど」
ウァールは驚いて目をぱちくりしていたが、ハデスのことをよく知るコントラクターたちは彼の脳内妄想という超展開理論にはもう慣れているのか、一様にただ黙って首を振るか手を振るかして、言外に彼の言葉はマユツバだから信じないように、とウァールに伝える。
しかし周囲の空気を読んだり察知したりといった細かいことははなから気にしない男、ハデス本人は――言葉として言い返されないこともあって――自信満々である。
「ナ・ムチよ! われら秘密結社オリュンポスは、おまえたちに全面的に協力しよう! そして、ともに浮遊島群を征服しようではないか!」
「……浮遊島群征服?」
「彼の言うことは話半分に聞き流してください。害はありません……大抵の場合」
眉を寄せたナ・ムチには、鉄心がこそっと耳打ちをした。
「ツク・ヨ・ミの救出は任せる! われらは、おまえたちがツク・ヨ・ミを救出したあとにこの島から脱出できるよう準備を進めておくとしよう!
さあ行くぞ、デメテールよ! 忙しくなってきたぞ!」
ふははははと笑いながら、デメテール・テスモポリス(でめてーる・てすもぽりす)を引き連れて部屋のドアを引き開ける。すると、ちょうどそこにはお茶とお茶受けを運んでスク・ナたちがいて、突然目の前でドアが開いたことにびっくりしていた。
「ハデスおにいちゃん。どっか行くの?」
「うむ! 心配はいらん! あとのことは全部任せておけ!」
ハデスは自分を見上げるスク・ナの頭をぽんぽんとたたいて、わははと笑って去っていく。
「って、全然意味分かんないんだけど」
「スク・ナ」
「あ、おねえちゃん。ちょっと待って、これ、おねえちゃんとおにいちゃんの分」
あわてて差し出してくるクッキーを受け取り、ぱくっと口に入れると、デメテールは言葉を継いだ。
「どうせナ・ムチにくっついて行くんだろうけど、あんたは無茶しちゃだめよ」
「……うん……?」
いまいち意味が理解できないまま、後ろ姿を見送る。その後ろでは部屋へ入ったティーとイコナがお茶とお茶受けのクッキーをそれぞれに手渡して、休憩を促していた。
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