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リアクション
第四章 乗せる想い 3
普段は後ろで一つに結わえている髪をおろし、鬼崎 朔(きざき・さく)は鋭い目で船の向こう側を見据えていた。ブラッドクロス・カリン(ぶらっどくろす・かりん)がそっと梳かしつけながら確認をとる。
「朔ッチ、ホントにいいの?」
「いい。バッサリお願いします」
――アラブ人で優しい「正義のヒーロー」の父さん、日本人で優しい「ヒーローオタク」な母さん、臆病だけれど優しい妹の花琳。何もなかったけれど、優しさと活気にあふれていた私の家族。
それが、全部ひっくり返された。
『許さない……私の大事なものを奪ったやつはみんな!』
何を怨めばいいのか。発端になったドージェの滞在?裏で軍を操っていた塵殺寺院?それとも、世界そのものか……?
「仇を取る。何としてでも」
朔の決意に、揺らぎはない。カリンは傍でうなずきながら、その視線をしかと受け止めた。
「カリンや、大事な人が居てくれるから、もう迷わない。これからも一緒に戦ってください……仇を討つその時まで」
「うん!……もちろんだよ?」
きっと朔はためらわないだろう。仇を討つために、これからもがむしゃらに走り続けるだろう。復讐鬼で激情家で、それでいて誰より優しい彼女は家族を奪った相手を仕留めるまで止まらないだろう。
――それがニセモノの仇だったとしても。
もし真実を知ったら、彼女は少しは迷ってくれるのかな。
「きっと仇をとって、また一緒に家族のみんなに報告しに来ようね?
(ごめんね、朔ッチ。ホントはボクが朔ッチの家族を死に追いやったうちの一人なんだ)」
話しながら、心の中ではまるで別のことを思っている。朔は、自分のことを穢れているというけれど、それはむしろ、カリンが思っていることでもあった。
「うん」
「そしたら、こんどこそみんなで幸せになろうね?
(朔ッチは妹の花琳の魂が今もボクに囚われてるって知ったらどうするのかな)」
「うん」
「髪……せっかくきれいなのに、ちょっともったいないね?
(朔ッチには幸せになってほしい。例えそれが朔ッチを裏切り続けることになっても。
…………だから、ボクはこの偽りの復讐を、何としても完遂させてみせる)」
「いいんだ。私はきっともう家族と同じところには行けないから。唯一の形見であるこの髪留めの白布と一緒に、もう決意が揺らがないことを誓って自分の髪を流します。……カリン、やってください」
「うん……いくよ?」
バサ……
長かった朔の髪を、肩のあたりまでバッサリと落としてしまう。量をすいて整えると、肩に当たって襟足が外向きにピョンとはねた。
「長いのもよかったけど、短いのも可愛いね」
すっかり軽くなった頭を不思議そうに触ると、朔は親しい人にしかわからないくらいの……彼女なりの最上級の笑顔で礼を言った。
「ありがとう、カリン」
一緒になって笑いながら、カリンの心の底で何かがツキンと痛んだ。
大切な人がいた……らしい。もしかしたら、いなかったのかもしれない。でも、……覚えていない。リース・アルフィン(りーす・あるふぃん)は痛む頭を押さえながら、月をかたどったブローチを見ていた。
「(懐かしいな……でも、なんでこんなの持ってるんだろう?いつから?…………わからないや)」
「リース、どうしたんだ?」
顔を覗き込むレイス・アズライト(れいす・あずらいと)に、手のひらに乗ったブローチを見てもらう。
「うん……これ……。……何か知ってる?よく思い出せなくて」
「……ううん、僕は知らないよ」
「そっかー……」
素知らぬ顔で答えてから、レイスは冷や汗が背筋を伝っていくのを感じた。
「(……びっくりした。思い出したのかと思った)」
それは、リースの恋人がかつて彼女にプレゼントしたものだった。十二星華の戦乱のさなか、敵同士となって別れることになった相手。あの時、傷ついて狂わんばかりに戦いに飛び込んでいった彼女を止めるためには、その記憶を封じ込めるしかなかった。
リースを振った恋人など、いなかったことにしたのだ。
「(術が解ける可能性がないわけじゃないし、魔力への負担も馬鹿にならない。……騙しているようで心も痛い。このまま、本当に忘れてくれればいいのだけれど)」
リースには何としても幸せになってほしい。
「これ……流そうと思うの。きっと悲しい思い出が詰まってる気がする
……ねぇ、どう思う?」
「……ああ、いいんじゃないかな」
「そうだよね……うん、そうしよう」
うなずくと、リースはブローチを持って船へと走って行った。温かい風が流れ、どこかで誰かが演奏しているのだろう、かすかなメロディーが耳に入る。
「(……。
…………遅いな)」
なかなか帰ってこないリースが心配になり、レイスが船の方へと急ぐと彼女はぼんやりと船を眺めていた。
「リース? ……!」
リースは船にブローチを積んだ後、その場に立ち尽くしたまま音もなく涙をこぼしていた。慌てて彼女の前に駆け寄ると、リースは不思議そうな顔で自分の頬を拭っていた。
「なんで私、泣いてるんだろう……」
「……っ。…………ごめんね」
「? なんで謝るの……」
レイスはリースに幸せが訪れるように祈りながら、彼女を抱きしめて謝ることしかできなかった。
――私はいつも、今日だけを生きている。
「こーんにちは。私もいいですか?」
分厚い日記を片手にラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)がフラフラと掴みどころのない足取りでやってきた。チェシャネは彼の姿を見ると、くりくりと目を丸くした。
「きみ……。うん、もちろん。コ、案内して」
「うん」
「? ありがとう」
ニコニコと笑いながら船にあがると、ラムズは日記を開く。そこには、これまであった出来事や出会った人のことが詳細に書き込まれている。
「(うん、なるほど。昨日はこんなことがあったんですね)」
「ねぇ、お兄さんは記憶がないの?」
「!」
髪に隠れた下で、コが何を考えているのかはわからない。けれど、悪意は感じられなかった。むしろ、生徒が先生に質問をするような様子のように思えて、ラムズはそっと座って目線を合わせてからゆっくり丁寧に説明した。
「そうです。私は、その日にあったことしか記憶にとどめておけません。だから、こうして書き留めておかないと大事なものがなんなのか忘れてしまうんですよ」
後天性解離性健忘症。ある日突然、すべてを失った。大切なものも、そうでないものも、自分自身も、全てが指をすりぬけて零れ落ちていく恐怖感で気がおかしくなりそうな日もある「みたい」だけれど。自分を織りなす過去は、この分厚い日記でしか確認できないけれど。
「悲しい?」
そっと袖をひくコは不安げで、年相応の子供か小動物のようにも見えた。
「いいえ。最近では楽しすぎて、自分が日々失っていることも忘れてしまいそうなくらいなんですよ。……今日は改めて自分のことを振り返れてよかったって思っています」
明日にはまた忘れてしまうけれど。
明るく言うラムズの頭を、コが不器用に撫でる。何だかネコさんみたいな子だなぁ……そう思って、少し嬉しくなる。
「今日のことも、ちゃんと書いておきますよ。小さな葬儀屋さんと、こうしてお話できたこともね?」
コは何も答えなかったけれど、こくりと素直にうなずいた。
「あなたは何も流さなくていいの?」
船から少し離れていたところで、軍服を着たクレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)が姿勢よく儀式を見守っていた。あなたも失ったんじゃないのかい?とでも聞きそうな様子でチェシャネが首をかしげる。
なぜそう思われたのかはわからないが、きっと同類はわかるのだろう。クレアはきっぱりと答えた。
「お心遣い感謝する。しかし、私はここで、失われたものを見送ろう」
「うん。わかった」
思っていることはうまく伝わったらしい。チェシャネはあっさり納得すると、クレアに敬礼して去って行った。クレアも敬礼を返す。
……大切なものなら、失いもしたし、奪いもした。そのことを、自分は忘れてはいけない。
それは戦い続ける自分が失ってはいけない、心がけと誇りなのだ。
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