シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

鏡の中のダンスパーティ

リアクション公開中!

鏡の中のダンスパーティ

リアクション

【8】

 足音が聞こえる。
 主催者――シュピーゲルは、鏡にすがるように身を寄せた。
 バレた、らしい。バレないなんて思ってなかった。だから、瀬蓮に取って代わってからはずっと鏡の傍に居た。怖かったから。
 途中で、主催者に会いたいから、と訪ねてきた参加者と、生を望む死者とを入れ替えた。こんな自分に会いに来たいだなんて言う人が居ると思わなかったから驚いて、でも、やっぱり入れ替えた。
 参加者名簿を探しに来た子も、入れ替えた。
 入れ替えるのは簡単なことで、自分と、入れ替えたい相手が同時に鏡に触れるだけ。それで、相手は鏡に吸い込まれる。吸い込まれたあと、抜け殻になった生者は水晶の像になって広間に現れる。
 どういう原理なのかわからないが、このリビングミラーはそういう能力を持っていた。

 生きたいと願ったら、鏡が話しかけてきたのだ。
 生をやろう。代わりに人を、私によこせ。
 死にたくなかった。死んでいたくなかった。だから、その言葉に乗った。
 自分が鏡を利用しているのか、あるいは鏡に利用されているのか。
 どっちなのだろうか。
 どっちもなのだろうか。

 ドアを激しく叩く音がしている。でも、ドアは破れない。
 けれど、きっと、その気になれば破られてしまう。
 このままあと、一時間。このままここに閉じこもっていれば、生き返れる。あの女の子――瀬蓮と言ったか――には悪いが、彼女に取って変わらせてもらう。彼女と違う外見は、この世界から出る時に変えてしまおう。きっとこの鏡ならそれくらいわけなくやってしまうだろう。

 生きることが楽しかった。
 生きて、友達と笑って、恋人と手をつないで、キスをして。
 毎日が来るのが、楽しくて仕方がなかった。
 それなのに死んでしまったなんて、今でも信じられない。
 死にたくないと強く思ったのは、死んでからで。
 思えば、その気持ちがいろいろなものを呼び寄せたのではないか、と思う。

 生に執着する霊を。
 生を与えようとする、この鏡を。

「いいんですか?」
 声が聞こえた。声に聴き覚えがある。皆川陽という、ぱっとしない外見の少年だった気がする。
「瀬蓮さんに代わって、瀬蓮さんの姿で会って、シュピーゲルさんのお友達は果たしてあなたのことをシュピーゲルさんだって思うの?」
 なかなか鋭いことを言われた。そんなことを言うような感じには見えなかったのだが。
「あなたのこと、もう一人の僕から聞きました。僕の軽率な発言で傷つけてしまった相手から教えてもらいました。あなたが生きたかったのは、あなたの人生で、誰かの人生を生きたかったわけじゃない。違う?」
 ああ、そうだ。わかっていたさ。
 この姿じゃ、わたしがわたしであることを誰かにわかってもらうなんて不可能だって。
 そうか、つまり。
 この考えは、一番最初から破綻していたことなのだ。
 きっとわかっていたのだ。
 じゃないと、説得になんて応じない。閉じこもったりしていない。何が何でも逃げ延びただろう。
 だけどしなかったのは、やっぱり、誰かに止めてもらいたかったのだ。
 止めて叱って欲しかった。
 そして、早く休みたいと思った。
 けれど、同時に、それでも生きたいと思った。
 だから、行動に移してしまった。
「ばか、だなあ」
 鏡を、両手で押した。
 誰かの心を乗っ取れないそれは、所詮ただの鏡にすぎない。何か語りかけられた気がしたけれど、聞こえなかった。
 重力に任せて倒れ行き、がしゃあぁぁん、と盛大に音をたてて壊れる鏡。
 これで、おしまい。
 迷惑をかけて、ごめんなさい。
 床に座って項垂れていると、肩に手を置かれた。
「……?」
 振り返ると瀬蓮が居た。像になっていたせいか、少し疲れた顔をしていた彼女だが、にっこりと微笑んでこう言った。
「主催者さん。ダンスパーティを開いてくれて、ありがとう」
 死んでいるから涙なんて流れないはずなのに、それに似たものが零れた気がする。
「ごめん、なさい……」
 泣きじゃくる彼女を抱きしめ、瀬蓮はただ静かに背中を撫でた。


 ガラスが割れたような音がして、次に水晶が人間になった。それでも変わらず踊っている者や喋っている者は少なくなかった。村雨 焔(むらさめ・ほむら)ともう一人も、そうだ。テーブル席に座り、会話をしていた。
 その会話が途切れて、一瞬の沈黙が落ちた後。
「わたし、あなたに取って代わるつもりだったの」
 焔に向けて、彼女は呟いた。
「わたし、鏡の中のあなたじゃないわ。あなたを騙して、あなたの人生を横取りしちゃうつもりだったの」
 ああ。だから、積極的にダンスに誘ってきたり、腕を組んだりしてきたのか。合点がいった。幾度となくくっついて来られたのだが、その意図がまったく理解できなかったのだ。
「でも、騙せなかった」
「まあ……」
 そのつもりの行為に、自分が気付いていなかったんだから当然だろう。
「違うの。あなたが今、わたしの行動をどう思っているのかなんて想像がつくけれど、あなたが思っている理由でわたしはあなたに、その……くっついたわけじゃないわ」
 指先でテーブルクロスに皺を作り、どことなく落ち着かなくなった彼女が言った。
 今焔が思っている理由でくっついたんじゃ、ない。つまり、騙すつもりでくっついたのではないということか。
「じゃあどうしてくっついてきたのかが全くわからないのだが」
「……全く?」
「ああ」
「女の子が男の子にくっつく理由なんて、一個しかないじゃないっ。鈍感すぎよ、もう……」
 彼女は心なしか顔を赤くし、拗ねたようにそっぽを向いた。
 やっぱり何を言っているのかよくわからなかった。
「雫」
 最初に名乗られた彼女の名前を呼ぶと、雫は焔を見る。会ってすぐ名乗られて、それまで一度も呼ばなかった、名前。呼ばれて驚いているらしい。
「踊ってやってもいいぞ」
「……わたしが誘った時は、ダンスなんてしたことがないから嫌だって断ったくせに」
「気が変わった。嫌なら構わないが?」
「…………踊るわ。でも、どうして急に」
「さあな」
 微笑むと、彼女が言った。
「まあ、いいわ。あと三十分、わたしが焔のことをどう思っているかわからせてあげる」
「それはどうも」
 強気に笑う彼女に笑い返して、二人は席を立つ。
 そのカミングアウトを聞いて、七枷 陣(ななかせ・じん)は目の前に居る鏡の中の自分――蛍をまじまじと見つめた。
「何や、人の顔じろじろ見て」
「いや〜、お前もしかしたら幽霊ちゃうんかなーって」
「幽霊やって。こんな腐りきった幽霊おったら逆に会ってみたいわ」
「だよなぁ」
「ま、だからこそありえてもおかしくないわな? うちが幽霊とか」
「いやいや。なんでその結論に行くわけ。オレ嫌やぞオタクで腐女子な幽霊とか」
「だがそれがいい」
「だが断る」
「だがそれが」
「待て。これ無限ループちゃう?」
「無限ループって、怖くね?」
 にやにやと笑う蛍を見て、溜息をついた。
「ま、オレやろな。こんなアホなはぐらかし方するヤツが他にもいるとか正直考えたくないし」
「なんやそれー」
「そのまんま。さて、アホなことやっとらんで。一曲踊りますか? お嬢さん。結局オレらオタ談義に花咲かせるばっかりで踊ってへんやん、ダンスぱーちーなのに」
「うわ……自分のことながら、『一曲踊りますか? お嬢さん』って……しかもドヤ顔だし……キメェ……」
 そう言いつつも陣の手を取る蛍。陣は人好きのしそうな柔和な笑みを浮かべ、
「ハハハ。後でコロス」
 と物騒なことを言い放ち、ステップを踏むのだった。

「もう、今日が終わるな」
「うーんっ、一日中ナンパを仕掛けてみたけど収穫ゼロか……」
「いいから。収穫なくてむしろ良かったぞ、俺は」
 如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)は、出会ってからずっと自分を振りまわしてくれた人物に対し、ぐったりとしながら言った。
 会ってすぐに辛気臭い顔をするなとお説教じみたことを言われ、笑えと頬を引っ張られ、次に女の子とダンスをするんだとナンパをしに向かい、全戦全敗。
 途中からはナンパを諦め、尋問官ごっこだと言って佑也についてをいろいろ訊いてきた。そして今、ソイツはぼんやりと時計を見ている。長針は十一を指している。
 もうすぐ、このパーティが終わる。
 結局もう一人の自分とやらはどこに居たのか、コイツは誰なのか。名前すら名乗らず、佑也につきっきりでちょっかいをかけまくっていたコイツは。
「さってっとー。そろそろ帰り仕度しなきゃなっ。結構楽しかったかな、縁があったらまた会おうぜお兄さん!」
 座っていた椅子から立ち上がり、すちゃっと右手を上げて別れの挨拶をしてくる。
「まあ、そうだな。つまらなくはなかった」
「俺と一緒なんだからつまらないはずないだろ? 楽しかったって言えよーコノコノ」
「あーあー、楽しかったですよー」
「何で一本調子なんだよ! もういいよ!」
「ウソだよ。楽しかったぞ」
「あったりまえじゃんっ。……ああ、そうだ。ひとつ言い忘れてたことがあるね」
「?」
「ハッピーバースディ!」
 今日が誕生日だなんて、いつ言っただろうか。尋問官ごっこでも誕生日なんて聞かれなかった。生い立ちや女性関係、人間関係友人関係なんかは訊かれたが。
 と、そこまで考えて一つの可能性。
「もしかして、あいつ」
 自分だったのか。
 だとしたら、ギリギリの最後まで騙されていた。やられた。
「次会ったら、今度は逆に驚かせてやる」
 小さく呟いて、佑也は笑う。
 変に不器用なところが自分っぽいな、と思った。