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【金鷲党事件 一】 ~『絆』を結ぶ晩餐会~ (第1回/全2回)

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【金鷲党事件 一】 ~『絆』を結ぶ晩餐会~ (第1回/全2回)

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第二章 光と影
 同じ頃、晩餐会場の一角では、何人かの生徒達が、五十鈴宮円華を囲んで談笑していた。
「円華さん、今日は振袖なんですね。私てっきり、円華さんはマホロバの衣装を着てくるんだとばっかり……。でもこの振袖、少し変わってますよね」
 そういって円華の振袖をしげしげと眺めているのは、東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)だ。
「ごめんなさいね。楽しみにしてくれていたのに」
 円華が、済まなそうにいう。
「でも、ほら、見て下さい。この袖のところ。」
 円華は、振袖の左袖を手に取った。
「あ……これ、もしかして!マホロバの模様じゃないですか!」
 神倶鎚 エレン(かぐづち・えれん)が、わかったというように口を挟む。
「当たりです♪これは我が五十鈴宮家に伝わる意匠の一つで、『着る人がより美しくなるように』という願いが込められています。こちらの右袖の物と対になっているんですよ」
 右袖を示しながら、円華が、嬉しそうに言う。
「つまり、『マホロバの物をそのまま』と言う事ではなくて、既にある物にマホロバの要素を取り入れる、ということですか?」
橘 舞(たちばな・まい)が、興味深々と言った感じで訊ねる。
「はい。今度のオリジナルブランドではまず、日本の物にマホロバの文化を取り入れた商品を展開することになっているんです。日本の文化とマホロバの文化は、非常に似ていますからね」
「そういえば、新しいブランドの名前、決まってるんですか?」
前々から気になっていたのだろう。エレンのパートナーであるアトラ・テュランヌス(あとら・てゅらんぬす)が、身を乗り出して聞いた。
「実はまだ、決まってないんです」
 少々困ったような顔をして、マドカが答える。
「スポンサーさんからは、『マドカなんてどうですか?』ってお話を頂いてるんですけど、さすがに自分の名前を付けるというのは、少々おこがましい気がして……」
「でも、地球のブランドなんて大抵、ブランド作った人の名前ですよ?」
「そんなの当然です」といわんばかりに熊野 紫苑(くまの・しおん)が言う。
「そうですよ、いいと思うけどなー、私も」
 舞もうんうんとうなずいている。
「確かに、そうした商品展開であれば、いきなりマホロバの物を持ち込むより確実ですよね。それもスポンサーの意向ですか?」
 それまで女性陣の話を黙って聞いていたパラ実生の弐識 太郎(にしき・たろう)が、口を開いた。話がファッションからビジネスの方向に変わってきたので、俄然興味が沸いたらしい。
「もちろん、それもあります。でも、誤解なさらないで下さいね。私も、この方針には賛成なんです。 どんな形であれ、まずはマホロバに興味を持ってもらうのが大切ですから」
「でもそれって、日本の文化とマホロバの文化が混ざり合って、新しい文化が生まれるって事ですよね。なんか、すごいなー」
 眼を輝かせて、秋日子がいう。
「私も、ちょっとワクワクしてるんです。自分の生み出した物が文化となり、世の中にどう受け入れられていくのか、そしてどうその結果、どう変わっていくのか……」
「『文化の受容と変容』ですね」
 弐識が、さらりと社会文化学の知識を披露する。
「でも、もしブランド名に円華さんの名前がついたら、将来、『マドカ様式』なんていって歴史の教科書に載るかもしれないですね」
 アトラが、楽しそうにいった。
「そうだ!ねぇ、円華さん。円華さんは、もしアトラに着せるなら、どんな服がいいと思います?」
「え?ボク!?」
 突然紫苑に話を振られて、ギョっとするアトラ。
「そうよー、アトラ。あんた、いつも男の子みたいな格好ばっかりしてるでしょう?その上、下手に女物の服着せると今度は女装した美少年みたいになっちゃうし。円華さんに服見立ててもらいなさいよ」
「え、いや、でも……。そりゃ、ボクだって円華さんに服を選んでもらえたら嬉しいけど、でもそんなの、円華さんに迷惑じゃあ……」
 チラチラと円華の方を見ながら、力なく反論するアトラ。どうやら、本心では相当選んで欲しいらしい。
「ズルい!ボクだって、円華おねえちゃんに服選んで欲しいです!!」
 突然、そんな声が一同の後ろから上がった。
 皆がいっせいに振り返ると、小学校5〜6年生位の、可愛らしい格好をした女の子が立っていた。ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと) である。
「ボクも、円華おねえちゃんに服を選んで欲しい!」
 自分より高い目線から一斉に見つめられ、一瞬気圧されたものの、ヴァーナーは、すぐに立ち直ってそう主張する。
 「え、そんな……」
 あからさまに落ち込むアトラ。
 その場に、気まずい空気が流れる。
「そうですわね……。それじゃ、二人にモデルになってもらうというのはどうかしら?」
 少しの間思案していた円華は、にっこり微笑むと、そう提案した。
「うん!」
「は、はいっ!」
 たちまち、場に明るい空気が戻った。



「はぁ……まいったな……」
 華やかな晩餐会場の隅にある花壇に腰掛けて、御上真之介は途方に暮れていた。森下をまいた所まではよかったが、五十鈴宮家の家令ともはぐれてしまったのである。
「あのー、失礼ですけどぉー、御上先生じゃありませんかぁ?」
 そんな御上に、間延びした調子で話し掛けてきた女生徒がいる。オリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん) である。
「はい。御上ですけど……君は?」
「よかったぁ。私はオリヴィア。それでこっちはぁ、パートナーの円でぇす」
桐生 円(きりゅう・まどか) です。少しいいかな?暇でしょ?」
「あ、あぁ。いいけど……」
 ズケズケと物を言う円にたじろく御上。
「オリヴィアはですねぇー、法律研究所の所長をやってますのぉー。ですから法律関係には詳しいんですけど、先生はどうですかぁー?」
「ほ、法律?いゃ、まぁ人並み位なら……」
「あ、先生はマホロバの歴史がご専門でしたよねぇ。オリヴィア、マホロバにも興味があるんですけどぉ、教えて下さいませんかぁー?」
 「なんだか変わった子達だな」と思いつつも、自分の専門分野について聞かれたことが嬉しかったのが、御上は饒舌に語り始めた。聞き手が退屈しないよう、マホロバの神話を人物に主眼を置いて、ドラマチックなエピソード選んで話をする。
 やがて、話が金鷲彦の下りになったとき、それまで黙って話を聞いていた円かおもむろに口を開いた。
「すごいねぇ、五十鈴宮円華嬢は。たいした自信家だよ、金鷲党の声明が出てるのに、晩餐会を強硬するなんて。ボクには、とても出来ない」
「そうか、君も『まどか』っていうんだったね」
 円の口調から何かを感じ取ったのか、御上はいたわる様に言った。
「確かにスゴイ人だよ、五十鈴宮さんは。でも、それだけじゃない。これは、彼女がしなければならない事なんだ」
 厳しい顔で、御上はそう呟いた。
「御上様、こちらにいらっしゃましたか!」
 向こうから、はぐれてしまった家令が走ってくる。
「ご、ごめん、君達。ちょっと人と会う約束があるから。また今度ね」
 御上は、そういってそそくさと立ち上がると、家令と共に去っていった。
 一体御上は彼女について何を知っているのか。円は、もう少し聞いてみたいと思った。



 落ち着いた雰囲気の調度で調えられた部屋の中。御上は、小さなテーブルを挟んで、円華と差し向かいに座っていた。
 二人の間には、古ぼけた小箱が1つ。
「これが、例の『鏡』ですか?」
「ええ、『結び』を司る我が五十鈴宮家の、門外不出の品。貴方がお探しの物です」
「開けても?」
「はい、もちろん。そのためにお持ちしたのですから」
 御上は、タキシードの胸ポケットから白手袋を取り出して嵌めると、幾重にも施された封印を慣れた手付きで外していく。
 程なくして、金属製の小さな鏡が現れた。部屋の明かりを受けて、鈍い光を放っている。
「手にとっても、よろしいですよ」
 促されるままに鏡を手に取る御上。そのまま、しばらくの間ためつすがめつしていたが、困惑したような表情で円華に話しかけた。
「これ……本物ですよね?」
「もちろん」
 力強く肯定する円華。
「でも……」
「碑文のことですか?」
「はい。この鏡には、本来刻まれているはずの『それ』がない」
 御上がそういうと、不意に円華がくすくすと笑い出した。
「な、なんです?」
 突然笑われて、ややムッとした様子で御上がいう。
「ごめんなさい、からかった訳ではないのですけれど」
 そういって、円華は御上に歩み寄った。
「この鏡には、ある『仕掛け』があるんです」
「仕掛け?」
「というか、『呪文がかけられている』といった方がいいかもしれませんね。この鏡に刻まれた碑文は、選ばれた人間だけなのです。悪用されることを防ぐために」
「そ、そうなんですか……」
 ガックリと肩を落とす御上。
「御上先生」
 突然、すぐ近くで円華の声が聞こえたのに驚いて、御上は顔を上げた。いつの間にか、円華の顔がすぐ側にあった。『咲き誇る芙蓉よりも尚美しい』と形容される美貌が、目の前にあるのである。知らず知らずのうちに、御上の顔が赤くなっていく。
「眼を……、つぶって下さい」
 ドキン!という音が耳にはっきりと聞こえる位、心臓が跳ね上がるのがわかった。
 何か言おうとするのだが、ノドがからからに乾いて声が出ない。
「さぁ、早く……。あまり時間がありません」
 まるで魔法にかけられたように、御上はゆっくりと眼を閉じた。
 ほとんど聞き取れないような声で二言三言、円華が囁いたかと思うと、不意に、すっと眼鏡を外された。両のまぶたに何かがそっと触れたかと思うと、ふぅと生暖かい息が顔にかかる。
「もういいですよ」
 そういわれて、御上がゆっくりと眼を開けると、そこには、優しげに微笑む円華の姿があった。
「い、今のは一体……」
「鏡を、見て下さい」
 そういわれて鏡に眼を落とした御上は、「あっ」と息を呑んだ。
 先ほどまで何もなかった鏡の表面に、びっしりと細かい文字が浮かんでいるのだ。
「先生に、呪文を掛けました。人によって個人差がありますが、しばらくは、その字が読めるはずです」
「こんなことが……」
「私も、五十鈴宮の女ですから」
 円華は事も無げにそういうが、御上はまだ驚き覚めやらぬといった感じだ。
「鏡は、お預けします。先生、くれぐれも、よろしくお願いしますね」
 円華は、真剣な表情でそういうと、深々と頭を下げた。
「わかりました」
 御上も厳しい顔で頷く。
「ところで先生、何か気が付かれません?」
 そういって、円華は頭を上げた。その口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「え……?あれ!見えてる!?」
「私からの、もう1つのプレゼントです♪」
 そういう円華の指の先には、先ほど外された御上のメガネがある。
「ちょ、ちょっと円華君、それを返して!それがないと……」
「イ、ヤ、で、す」
 きっぱりと断言する円華。
「先生は、その方がステキですよ。それに先生も、いつまでも自分を偽っていてはダメです。ズルいですよ、先生ばっかり……」
「ま、円華君……」
 その一瞬のスキを、円華は見逃さなかった。
「それじゃ、晩餐会を楽しんで下さいね!御上センセイ♪」
 円華はそういうと、ドレスを翻してドアの向こうへと消えた。
「まどかくんっ!」
 慌ててドアを開ける御上。しかし、既に廊下には円華の姿はなかった。
「やられた……」
 御上は、天を仰いで嘆息するしかなかった。



 どこをどう探しても円華は見つからず、結局御上はメガネのないまま晩餐会場に戻る事になった。
 だがその途端、女生徒達に幾重にも取り囲まれてしまう。
 普段はビン底眼鏡で隠していて分からないが、実は御上は、ギリシャ彫刻にも比せられる程の美形なのである。
「御上先生、ここにいたんですか?」
 女生徒にもみくちゃにされながら御上が声のした方を振り返ると、そこには、見覚えのない男子生徒が立っていた。
「いや、探しましたよー。先生、さ、こっちに来て下さい。先生としたい話が、いっぱいあるんですから」
 その生徒は器用に女生徒の間をすり抜けると、これまた器用に、御上を連れて女生徒の輪を抜け出した。女生徒達のブーイングを他所に、御上を物陰へと連れて行く。
「あ、ありがとう。誰だか知らないが、助かったよ」
 女生徒達が追ってこないことにホッとして、御上はいった。
「誰だか知らないなんて、ひどいなぁ……って言っても、わからないですよね。ごめんなさい。先生、ボクです。キルティス・フェリーノ(きるてぃす・ふぇりーの)です」
「え?キルティス……?キルティス君って、女の子だったよね……」
 怪訝そうな表情をする御上。
「そういうヤツなんですよ。そいつは」
その声に振り向くと、そこには生徒が2人、立っていた。1人は、見覚えがある。
「ご無沙汰してます、先生。相変わらずモテますね♪」
「初めまして、先生。秋日子くんのパートナーの、要・ハーヴェンスです」
「あ、あぁ。よろしく……」
 あまりの展開の早さに、御上は今一つ事態が飲み込めていない様子だ。
「セ・ン・セ・イ(はぁと)」
「うわぁ!!」
 突然、首筋に熱い吐息を感じて飛び退く御上。
 そこには、可愛らしい見た目の中に、どこか艶かしさ感じさせる少女が立っていた。
「き、キルティス君……か?」
「よかったー!先生!ボクのこと、覚えててくれたんですね♪」
 嬉しそうに御上に駆け寄るキルティス。
「ボク、ずっとさみしかったんですよ?先生、あれからちっとも会ってくれないから……」
「さっきのと、今の。どっちがホントの君なんだ?」
 しなを作るキルティスを、じとっとした眼で御上が睨む。
「どうでもいいじゃないですか、そんなこと。それよりも、ボクと踊ってくれませんか、先生」
「えぇ!」
「この間のお礼もまだしてもらってないですし……。今だって、助けてあげたじゃないですか。それに、特定の相手がいた方が、先生に寄って来る女の子も減りますよ?」
「う、うーん……」
 なんだか上手く騙されてる様な気がするが、確かにキルティスのいうことにも一理ある。しばらく悩んだ後、御上は首を縦に振った。
「ホント!?先生、ありがとう!!」
 キルティスは、歓声を上げて御上の首に抱きついた。



「ふふ、何だか私、少し酔っちゃったみたい」
雷霆 リナリエッタ(らいてい・りなりえった)は、傍らの少しウブそうな男にもたれかかりながら、耳元でそう囁いた。
「ねぇ、少し風に当たりたいの。静かなところに、連れてってくれない?」
 男のたくましい二の腕に指を滑らせながら、そう懇願する。
 リナリエッタは、男に抱きかかえられるようにして、建物の影へと消えて行った。

「ふふ、これで貴方と2人きり」
 男の首に両手を回し、ゆっくりと顔を近づける。
「ねぇ、知ってる?赤毛の女って、とっても情熱的なのよ……」
 コツン、と額を額が触れる。
「私の言いたい事、分かるでしょぉ?…それともこんなコト、大和撫子とはした事ない?……なら、教えてあげる」
 リナリエッタは、薔薇の様に真っ赤なルージュの引かれた唇を薄く開くと、男に口付けた。そのまま、舌を割り入れ、男の咥内をねぶる。
 初めて味わう、濃厚なディープキスの感触。
 それを最後に、男の意識は途切れた。

「どう?上手く行った?」
 コンパクト片手に、取れてしまったルージュを塗り直しながら、リナリエッタはベファーナ・ディ・カルボーネ(べふぁーな・でぃかるぼーね)に訊ねた。
「もちろんだ。抜かりはないよ、リナ」
 そういって、ニヤリと笑みを浮かべる彼の後ろには、先ほどリナと口付けを交わした男が立っていた。しかし、ぼぉとした表情をしたのまま身じろぎ一つしない。

 『金鷲党による一連のテロ事件の黒幕こそ、五十鈴宮家なのではないか』そう目星をつけると、リナリエッタは、五十鈴宮家と懇意にしているという明倫館生をたらし込み、ベファーナに襲わせた。
 吸血鬼であるベファーナは、血を吸った者を意のままに操る能力を持っている。この能力を使い、情報を聞き出そうというのだ。
 ところが、だ。
「本当に、間違いないのね?」
 リナリエッタは、もう一度ベファーナに問いただした。
「あぁ、私に血を吸われて、嘘をつけるヤツはいない。それはリナ、君もわかっているだろう?」
「わかってるわよ、そんなこと!」
 リナリエッタは、いらだちを隠そうともしない。
「五十鈴宮円華は、心の底からマホロバとシャンバラの平和と繁栄を願っている。少なくとも、この男はそう思っている」
「信じられないわね。そんなお人良しがこの世の中にいるなんて。あの円華っていう子、きっと早死にするわよ」
 リナリエッタは、吐き捨てる様にそういうと、不機嫌そうにヒールを鳴らして去って行った。



「景信さん、テロの予告が出てるのに晩餐会を強行するなんて、いくらなんでも、少し無用心すぎるんじゃないですか?」
 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる) は、目当ての自分を発見するや否や、挨拶も無しにそう詰め寄った。
 晩餐会の実質的な責任者である由比景信の態度に不審な物を感じていたブリジットは、何としても直接本人に問いただそうと、晩餐会が始まってからずっと、景信を探し続けていた。
 それで、やっと目当ての人物を見つけた嬉しさのあまり、いきなり直球勝負に出てしまったのである。
「君。名前は?」
「ブ、ブリジット。ブリジット・パウエルです」
 てっきり非礼を咎めるものとばかり思っていたブリジットは、やや拍子抜けして答えた。
「パウエル君。では何故、君はこの晩餐会に出席したのかね?」
「は?」
「君は、この晩餐会が危険だと思っていたのだろう。では何故、その危険を冒してまで出席したのかね?」
「そ、それは、どうしても貴方にあって確かめたいことがあったから……」
「なるほど。つまり君には、命を危険にさらしても成し遂げたい『信念』があった。そうだね?」
「『信念』……」
 いつの間にか、ブリジットは景信の話に引き込まれてしまっている。
「私も同じだよ」
「あなたも……」
「そうだ。誇りある人間には、決して譲ることの出来ない『信念』がある。そう、今の君のように。それは、私も同じだ。私は自分の『信念』の為には努力は惜しまぬ。だから、君も頑張りたまえ。君の『信念』の為に」
「は、はい……」
「君のようなまっすぐな若者に会うのは、本当に嬉しいことだ」
 景信は、最後にブリジットの手を握り締めると、ゆっくりと歩み去っていった。
「信念……」
 景信の言葉を、ゆっくりと反芻するブリジット。
 彼女が、実は自分の聞きたかったことを何一つ聞けていないのに気づくのは、この後しばらく経ってからの事である。



 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん) は、目の前の華奢な少年を頭から足の先まで嘗め回すように見つめると、相手がおびえるように、わざと不気味な笑いを浮かべた。その途端、少年の瞳は不安気な色を帯びる。
 しかし、モーガンは、少年のこの反応が、演技であることを知っている。いや、「見抜いている」といった方が正しいかもしれない。豊富な経験によって培われたモーガンの勘が、この少年が自分と同じ『嗜好』の持ち主であって、しかも真性のマゾ気質であると告げているのだ。
「どうしたんだい、君?何を、そんなにおびえているんだい?」
 傷一つない、清らかな手に触れる。
 少年は、まるで焼け火箸で触られたかのように、手を引っ込めた。
 その反応も、モーガンの予想の通りだ。
 この少年は少しもおびえてなどいない。それどころか、期待に胸躍らせているに違いない。
 ほんのりと上気した肌。浅く繰り返す呼吸。潤んだ瞳。そして先ほど一瞬触れた、しっとりと塗れた指。
 その全てが、彼の勘の正しさを証明していた。
(今夜は、楽しい夜になりそうだ)
 モーガンがそう考えた、その時。
「ここにいたのかね。探したよ、遼(りょう)」
 聞く者を陶然とさせずには置かない、艶のあるバリトンが、モーガンの耳を打った。
 仕立ての良いタキシードに身を包んだロマンスグレーの紳士が、こちらに歩いてくる。
 モーガンは、その紳士に見覚えがあった。五十鈴宮家の内向きの一切を取り仕切る家宰、由比景信である。
「初めまして。お嬢さん。私の連れが、世話をかけたようだね」
 景信は遼と呼ばれた少年の肩に手を置くと、何かを見透かすように、じっとモーガンを見つめた。少年は、肩に置かれた手に、そっと自分の手を重ねる。その途端、少年の中のモーガンが消えた。一瞬で、少年の全てが景信一色になる。
「ボクは、男です」
 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)は、そう答えるのがやっとだった。
 背中を、冷や汗が伝うのがわかる。
「これは失礼。君があまりに綺麗な顔立ちをしているものだから、つい間違えてしまったようだ」
 悪びれた風もなく言うと、景信は少年を促した。少年は、景信から一時たりとも眼を離さずに立ち上がる。
「君の様な美しい青年と出会えたのに残念だが、今夜は少々立て込んでいてね。ではまた。いずれ改めて」
 景信は鷹揚にそう挨拶すると、少年を連れて去って行った。



 閃崎 静麻(せんざき・しずま) は、1人庭園の外壁にもたれかかりながら、先ほどの少女との会話を思い出していた。
 五十鈴宮家にの内偵を進めていた閃崎にとって、由比家の親戚で、五十鈴宮家に侍女として出入りしているという少女を見つけることが出来たのは、まさに幸運だった。
 少女は屋敷勤めの女に良くある噂好きなタイプで、五十鈴宮家の内情についてよく知っていた。
 さらに閃崎にとって都合が良い事に、円華とも年の近い彼女は、友人の様な付き合いをしているという。
 閃崎は、もう一度彼女との会話を思い出して見た。

「円華様は、本当に、マホロバとシャンバラのことを気にかけていらっしゃるんです。それに、今回の晩餐会には、何か使命感みたいなものを感じていらっしゃるみたいで、時々、すごい思いつめた顔をなさるんです。私、それが痛々しくて……」

 どうやら、五十鈴宮円華が心の底から交流による平和を望んでいるというのは、確かなようだ。
 閃崎が気になったのは、円華よりもむしろ、五十鈴宮家の家令、由比景信の方である。

「元々、景信様はハイナ様の政策には批判的なんです。それに、他国の方もお嫌いみたいで。前なんか、ハイナ様のことを『あの夷狄の女狐』なんて言ってたんですよ」
「それで、円華様にも今回の晩餐会を思いとどまるよう何度も説得なさってたみたいで……。景信様が、円華様に声を荒げる所を見た子、1人や2人じゃないんですよ。景信様って、円華様には叔父様にあたる方ですから、円華様も強く出れないみたいなんです。ひどい話だと思いません?」

「どうやら、まず由比景信を探す必要がありそうだな……」
 得られた情報を一通り頭の中で整理し終えた閃崎は、景信の姿を求めて再び華やかな会場へと戻っていった。



「えー、お兄ちゃん、もう行っちゃうのー!もっとお話してよー!」
「ごめんな。俺、あっちのお兄さんとちょっと話があるんだ。すぐに戻るから、ここで待っててくれないかな?」
 会場の隅で退屈そうにしていたマホロバの少年を見つけた高村 朗(たかむら・あきら)は、「少しでも退屈しのぎになれば」と軽い気持ちで少年に話し掛けたのだが、自分の冒険譚を、よほど気に入ったのだろう。すっかり懐かれてしまった。
「……うん。わかった」
 恨みがましい眼で自分のことをじっと見つめる男の子を気にしながら、朗はパートナー戴 宗(たい・そう)の元へと急いだ。タキシード姿の男性がほとんどの中で、袍服姿の戴宗は良く目立つ。
 戴宗は、朗を人気のない場所に連れて行くと、おもむろに話し始めた。
「残念ながら、金鷲党の動きは掴めなかった。ただのテロ集団だと思っていたが、どっこい相当なもんだ。ありゃ」
「まるで手がかり無し?まいったな……」
 予想外の報告に、ガリガリと頭をかく高村。
「代わりといっちゃ何だが、1つ気がかりな情報がある」
 そういって、戴宗は話を続ける。
「どうも、最近空京がキナくさい」
「キナくさいって……」
「ここ数週間、何人もの軍隊経験者が、地球から空京に入国してる。これまでに数倍する数だ」
 契約者には敵わないが、科学の進歩が遅れているパラミタにおいて、近代兵器の威力は驚異的だ。しかも契約者の能力と違って、兵器は訓練さえ受ければ誰でも使える。
 このため軍隊経験者は、シャンバラでは教官として厚遇される。自ずと、シャンバラにやってくる元軍人も多かった。ただ、それが一度に沢山となると、話は違う。
「軍隊経験者って……傭兵ってこと?」
「たぶんな。しかもそいつらのほとんどが、入国後の数日で所在不明になっている。怪しいなんてもんじゃない」
「まさか、金鷲党が?」
「わからん。ただ、これまで金鷲党がテロで銃器を使用したという話は聞かない。とはいえ、油断は禁物だ」
「わかった。戴宗は、もう少し情報を集めてみて」
「あぁ。お前も、くれぐれも気をつけてな」
 それだけいうと、戴宗はあっという間に姿を消した。神行法を使ったのだろう。
「俺も、気を引き締めないとな……」
 そう独りごちる高村の脳裏に、先ほどの少年の笑顔が浮かんだ。



「お初にお目にかかる。俺の名は、ヴァル・ゴライオン(う゛ぁる・ごらいおん) 。貴女と少し話がしたいのだが、よろしいか?」
運よく1人でいる円華を見つけたゴライオンは、そう声を掛けると、返事を待たずに円華と同じテーブルについた。
「私にお話って?」
 円華は顔色1つ変えずに、ゴライオンが口を開くのを待っている。
「俺は、貴女の言葉に感銘を受けた。自説にしがみつき、他者を省みようとしない輩の多い中、貴女は、自ら率先して範を垂れようとしている。まさに、王の器だ」
「王の器だなんて……。私は、自分が正しいと信じる道を選んだだけですわ」
 ゴライオンの言い廻しが余程面白かったのか、円華は口元に笑みを浮かべながら、そう答えた。
「でも、そうしてはっきり褒めて頂けると、嬉しいです」
 そう言って、にっこりと微笑む円華。見る者を陶然とさせずには置かない笑顔だ。
「円華殿。俺は、貴女に聞きたいことがある。貴女は何故、あえて自分の身を危険に晒すような真似をするのだ?貴女ほど聡明な方ならば、他にやり方は幾らでもあるはずだ。一体何が、貴女を危険に駆り立てるのだ?」
 瞳に焼き付いた円華の笑顔を振り払うように、ゴライオンは一気に語った。
「そうですね……。確かに、そうなのかもしれません」
 どこか、自嘲気味に呟く円華。
「でも、今の私には力も、そして時間もありません。この方法以外、他に選択肢はないんです。例えそこに危険が待っていたとしても、私は進むより他ありません。それに、これは私の罪滅ぼしなのです」
「罪滅ぼし……?」
「失礼致します。円華様。景信様がお会いになりたいとおっしゃっておられます」
 その言葉の真意を問いただそうと、ヴァルが口を開こうとしたその時、侍女の良く通る声が、この邂逅の終わりを告げた。



「今の総奉行のやり方は、強引過ぎる。お筆咲きお筆先って言っちゃあいるが、それだって本物かどうか、怪しいもんだ。アイツのやり方は、あれじゃまるで独裁者だ。そうは思わんか、おまえら」
 酔っ払った振りをして、明倫館の生徒達にそう大声で主張しながら、ジャジラッド・ボゴル(じゃじらっど・ぼごる)は周囲の動きに眼を光らせていた。
 ジャジラッドが、こんな不穏な行動を取っているのには訳があった。彼は、金鷲党と接触するチャンスを窺っているのだ。
 といっても、別に彼らの主義主張に共感した訳ではない。
 生来ジャジラッドは、残虐な行為を好む所があり、これまでにも度々問題を起こしてきた。戦場での残虐行為で、軍事裁判に掛けられたこともある。
 ジャジラッドは、単に、自分の破壊衝動と残虐性向を満足させたいがために、金鷲党への入党を決意したのである。
 そして、彼の目論見は当たった。
 不審人物として警備本部へと連行されたジャジラッドに、接触してきた男がいたのである。
「率直に聴こう。『我々は』君の発言の真意を知りたい」
 男は、あえて『我々』の部分に力を込めて、そう訊ねた。
「何故、あんな真似をした?一体、何が狙いだ?」
 矢継ぎ早に、そう尋ねる男。
 だがジャジラッドは、そんな男の言葉など、まるで聞いてはいなかった。
 目の前の男から発せられる、自分と同じ“匂い”を敏感に感じ取り、狂喜していたからである。
「なぁ、アンタ。オレは金鷲党に入りたい。オレを連れて行ってくれ」
 それで、十分だった。
「いいだろう。付いて来い」
そういって男は、ジャジラッドを伴い、闇の中へと消えた。