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想い出の花摘み

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想い出の花摘み

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第3章 見える敵、見えざる敵 1

 カッと照りつける陽光が空から降り注ぎ、中庭でいつもははしゃいでいるカーネもぐでっとバテた様子で木陰に隠れていた。太った猫のような愛くるしいその姿も、溶けた粘土のようにベタリと地に沈んでいる。
 そんなカーネが羨ましげに思う図書館の涼しげな冷房の中で、アリア・セレスティ(ありあ・せれすてぃ)は植物図鑑を広げながら唸りを上げていた。
「クラウズの花がたくさんの種をつける……ってことは分かったけど、それ以上はさっぱりだなぁ」
 彼女は図鑑を本棚に戻し、続いてどうやってクラウズを調べようかと頭を悩ませた。
「この辺で自然について詳しくて、しかも結構長生きで……」
 アリアは、クラウズをいかに育てるかということについて考えていた。もちろん、プリッツに花を手渡すことは忘れない。しかし、クラウズの花がそれだけで終わってしまうのはあんまりだ。花だって命をもっている。そこにある命を守ることも、アリアにとっては人の命を救うのと同じだ。
 だから、彼女は調べていた。そもそも、数が減少した理由はなんなのか。
 それが分かれば、きっと育て方についてもヒントが見えるに違いないと思っていた。
「自然……自然…………。あっ……あの人なら……」
 アリアは何かに思い至ったようで、図書館を後にした。



「それで――私のところに来たわけか」
「アールドさんなら……『クオルヴェルの集落』の若長なら、何か分かるかと思ったので」
 ツァンダの森の中に集落を構えるアールド=クオルヴェルは、アリアの真摯な視線に悩むよう唸った。この娘にさえも素直ではない集落の長は、本来ならそう簡単に物事を教えるような獣人ではない。
 しかし、アリア、いや、ガウルたちの仲間の中には貸しがある。自分たちの集落、そして森の危機を救ってくれたことには、どれだけの感謝の言葉でも足りないほどだ。
「クラウズの花といったか……。確かに、ここ最近のツァンダでは見かけなくなったな」
「どうして、クラウズの花は減ったんですか?」
「…………」
 アールドは言いあぐねいてる様子であった。何かまずいことでもあるのか。アリアは怪訝な目を向けるが、やがてアールドは意を決したように口を開いた。
「……理由は地球との交流が始まったことだ」
「……地球が?」
 驚きに目を見開くアリアであったが、その理由をどこかで予想していた自分もいた。
「地球のように言えば、環境汚染、とでも言うのだろうか。文化が進歩したのは素晴らしいことであったが、それは同時にゴミと呼ばれるものの大量発生を意味している。……クラウズはとても繊細な花だ。それまでパラミタで培ってきた環境が変わったことに、適応できなかったのだろう」
 アールドの語る声を、アリアはどこか悲しげな様子で聞いていた。だが、そんな彼女を安心させようと、アールドが穏やかに言った。
「君が気にする必要はない。ゴミの不法投棄は不当な蛮族たちの仕業だ。……確かに地球との繋がりが根源ではあるが、それは豊かな文化ももたらしてくれたのも事実。どれだけ素晴らしい時代であれ、所詮は使う者次第というわけだ。……地球人やパラミタ人だということは、関係ない。それに――」
 アールドの言葉に、アリアは顔を上げた。
「――今は、それを救いたいとする者もいる。それで十分だろう?」
 アリアは決意を秘めた目で頷いた。
 そう、クラウズを救いたい。地球との繋がりは悲しいが、今はその気持ちを大事にしたい。彼女はそう強く心を願った。



 山岳を登るのは何もガウルたちだけとは限らなかった。
 別ルートから侵入している毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)は、ワイバーンに乗って上空を飛びながら、パートナーのライラック・ヴォルテール(らいらっく・う゛ぉるてーる)を見下ろしていた。ライラックはと言えば、大型騎狼に乗ってその背中をもふもふしながら楽しそうに進んでいた。
 もちろん、そんな目立つ侵入行為を行っていれば、敵に見つかるのも当然である。
 とはいえ――
「…………」
 道を阻もうと現れる蛮族を何事もないかのように騎狼で蹂躪していくライラックには、そんなこと関係ないようであった。
 毒島はライラックを見守りつつ、クラウズの花を探し求めていた。
 無論――それはガウルたちを知ってのことではない。面白い研究材料になると踏んだ、完全独断行動だ。もちろん無理やり手に入れようとは思わないが、交渉次第で手に入るなら手に入れよう、といったところだろう。
 毒島は、時々ライラックの蹂躪を逃れて隙を突こうとする蛮族を上空から射撃しながら、のんびりと飛び続けた。
 己の好奇心でクラウズの花を探す者は、毒島以外にもいるものである。
 美鷺 潮(みさぎ・うしお)は日傘を軽く傾けてワイバーンと大型騎狼に乗る毒島たちを見つめていた。傘の下に隠れていた雪のような白い肌がわずかにほころび、彼女は自分たち以外にも物好きがいるものだといった目で見やるだけだった。
 小柄ではかなげなその表情は、まるで城に眠る姫のような繊細さも感じさせる。きっと、それはまるで機械かなにかのようにほとんど動かない表情も相まっているのだろう。
 潮は、隣にいるパートナーの皇 鼎(すめらぎ・かなえ)とともに再び歩き始めた。
「ねーねー、潮。散歩ってこんな山の中を歩くんだっけ?」
「……そうよ。散歩人の中でも特に上級者レベルはこうやった険しい場所をいくのよ。これが風情ってやつ」
「へー、じゃあ、私たち散歩のプロなんだねっ」
 潮の嘘八百を素直に受け止めて、鼎はわくわくとした顔で周りを眺めていた。
 潮とは違った、とても明るい表情を浮かべる鼎。赤毛は火のように神秘で情熱的に舞い上がるものの、彼女はまるで子供のように純朴だった。
 彼女にも一応花を探すことは言い聞かせてあるが、散歩という名目で連れてきたため、ほとんど散歩を楽しむような気分である。単純にもほどがあるかと思うが、鼎は散歩をまったく疑っていなかった。
 このまま花が見つかれば、護符の材料として使えるだろう。そうなれば儲けものだ。
「……でも、どこにあるかさっぱり」
 愚痴にも似たように呟いて、潮は日傘を持ち直した。
 ときどき山林で休憩も入れているから良いが、あまり日光の下に出るのは好きではない。三十分も日に晒されれば、眩暈がきているだろう。まったく、日傘がなければどうなっていることか。
 ワイバーンに乗って空を飛ぶ毒島を見上げながら、潮はどこか羨ましげな目を向けた。



 ガウルたちの呼びかけに応じた樹月 刀真(きづき・とうま)たちは、彼とは別行動をとってクラウズの花の探索に当たっていた。プリッツのロケットを探したときと同様に、彼女の気持ちを無下にすることはできないからだ。
 しかし、今回が以前と違うのは、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と、そしてもう一人の守るべき存在――封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)がいるということである。
 本来なら、華奢で運動の苦手な彼女を連れて行くつもりはなかった。しかし、どうしても付いていこうとする彼女の優しさを断るわけにもいかなかったのだ。
 きつく、険しくなってきた山道を、白花は黙ったまま必死で登る。疲れからかその目線はずっと地面を見たままであり、顔を上げる気力はなかった。すると、突然その身体が持ち上げられた。
「きゃっ……と、刀真さん?」
「白花、そういう責任感がある所も可愛いが、辛くなったら俺たちにだけは言ってくれ……。見てればわかるんだから」
 刀真は白花をお姫様抱っこで抱えたまま、山道を歩み出した。そんな彼に、白花は少しだけ身を預ける。
「刀真さん……ありがとうございます」
 乳白金のウェーブのかかった髪に白い肌。細いその身体を抱えていると、刀真はまるで本当に姫を抱く王子のようだ。と、そんな彼に背後から拗ねた目で見つめていた月夜が乗りかかった。
「む〜……えいっ! 刀真、私も疲れたから運んで」
「とっ……、月夜……重たい」
「月夜さん? ……もうっ」
 ぐっと圧し掛かった重みに立ち止まった刀真へ、月夜は仕方なく彼にパワーブレスをかけた。
「降りずにパワーブレスかよ……」
「月夜さん? ……もうっ」
 白花は呆れたように微笑を浮かべて、刀真にヒールをかけた。疲労が徐々に癒されていき、彼の足が再び動き始める。
「ん、白花ありがとう」
 そうして刀真がしばらく歩み続けた頃、彼の足がピタリと止まった。そして、それまで和やかに白花や月夜と話していた表情が険しくなる。
 がさっ――音が鳴った瞬間に、茂みから現れたのは数名の蛮族たちだった。彼らはまるで狂犬か獣かのように、尖った目で刀真を睨みつけていた。だが、刀真としては争いは出来れば避けたいところだった。
 刀真は月夜と白花を降ろして、彼らに交渉した。
「……俺たちはこの先にある花を摘みに来ただけなんです、通してもらえませんか?」
「そうはいかねえってことよ。いいから黙って身包み全部置いていって……」
「そうですか……じゃあ、死ね」
 瞬間――蛮族たちの目に映ったのは剣線の輝き、そして銃声だった。
 そのときには既に、先頭にいた蛮族の頭は消え去っていた。代わりに、壊れた噴水のようにこぽ、と噴き出す血が地面を濡らす。
「貴方達が刀真の死角を突くのは無理、私がいるから」
 横にいたもう一人の蛮族の頭は銃弾に貫かれており、放心したような顔のまま、どさ、と倒れ伏した。
 そして、先頭の蛮族の首は、刀真の足下にあった。
「これと同じ運命をたどりたく無ければ……お前ら、どけよ」
 がつんと蹴られた蛮族の頭が、サッカーボールのように転がった。それは、死の象徴だ。これから自分が辿るかもしれない未来の姿。蛮族たちは、恐怖に青ざめ、そして、
「う、うああああぁぁ……ああぁっ!」
 脱兎の如く逃げ出していった。
「白花……これも俺だ。嫌っても良いぞ」
 刀真は哀しげに目を伏せた。出来ることなら、白花たちには見せたくなかった姿だ。
「私も妹を救う為に多くの人々犠牲にしました……。刀真さんや月夜さんを責める事なんてできませんし、嫌いになんて、なれませんよ」
「うん……」
 白花に甘えるように抱きついた月夜が、消えるような声で言った。
 願わくばこうして、こんな自分のために一緒にいてくれる二人を、失いたくない。刀真は静かに心に誓った。