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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に

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切なくて、胸が。 ~去りゆく夏に
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SCENE 03

 橘 恭司(たちばな・きょうじ)がクレープ店に挨拶にきた。
「繁盛してるか? これは差し入れだぜ」 
 そう、蒼空学園校長御神楽 環菜(みかぐら・かんな)の開いた店である。
「ぼちぼちじゃない?」
 環菜は平然と答えると、長い脚を投げ出すようにしてソファに身を沈め、恭司から受け取ったドリンクを口にするのである。頭上にはビーチパラソル、目の前にはクリスタルのテーブル、専用の休息所といったところだろうか。
「……って、なんか変じゃないか?」
「そうね、屋外にソファというのはどうも落ち着かないわね」
「いや、そうじゃなくて」
 恭司は静かに首を振って、
「校長の店だろ? 働かなくていいのか?」
 環菜は、サングラスの位置を人差し指で直した。
「働いたわよ、最初だけ。張り切って……」
 少々むくれているようである。

 アナスタシア・ボールドウィン(あなすたしあ・ぼーるどうぃん)は激昂していた。興奮のあまり手がぷるぷると震えていた。浴衣姿、背の帯には団扇をさしている。下駄履きの涼しそうな装いだが頭はカッカと熱い。
「このクレープを作ったのは誰ですか!」
 ほんの一口、食べただけでアナスタシアは動揺してしまったのである。余りにも予想外だった。
 御神楽環菜が出す店だというから、校長がその不器用さを惜しげもなく発揮(?)して酷いものを作るアナスタシアは思っていたのだが、クレープ屋台『KANNA』で出されたものはその真逆であった。焼き加減も具材のチョイスも香も、ほぼ理想的といっていい。なぜなのか!?
「あの……私ですが」
 それはベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)の姿であった。『腕の良い料理人』と称される実績は本物だ。素晴らしいクレープなのであった。
「確かに、こいつは美味いよな」
 棗 絃弥(なつめ・げんや)が一つを食べつつ頷いた。ベアトリーチェは、チョコ、イチゴ、カスタード、生クリームといったスイーツ系から、ツナ、チーズ、レタス、焼きトマトといった軽食系まで、多彩な食材を活かした様々なクレープを提供してくれるのである。
 ところが絃弥の称賛が逆に、アナスタシアを刺激してしまったらしい。鞄からエプロンを取り出して腰に巻くや、
「私ならもっと上手に作ってみせます! 私にもクレープを作らせなさい!」
 といって猛然、屋台内に乗り込んできたのである。対抗心丸出しだ。
 瞬時、アナスタシアはベアトリーチェの胸元を見た。
(「意外とある……! いや、すごくある!」)
 何があるのか知らないが、どうやらその決定的な事実が、ますますアナスタシアの闘争本能に火をつけたらしい! 腕を捲ってクレープのボウルをかき混ぜ始めた。
 ベアトリーチェは目をぱちくりとして、
「これから忙しくなりそうです。手伝ってくれるのは大歓迎ですが……お連れの方たちは?」
 絃弥と源 義経(みなもと・よしつね)の方を見る。
「いや、気にしないでいいぜ。存分にこき使ってくれ。ああなるとあいつ止まらねぇからな〜」
 絃弥は軽く肩をすくめ、くるり方向転換して屋台の密集地へ向かう。
「巻き込まれても面倒だ、しばらく一人で涼むとするか」
「一人で!? 棗、私を置いてどこへ……って、アナさん何を!?」
 かわすタイミングを逃したのが義経だ。アナスタシアにがっちりと首根っこを押さえられ、
「九郎も手伝いなさい!」
「そんな殺生な」
 ほぼ強制的にクレープ人員にされてしまうのだった。
 如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)もせっせと店を手伝っていた。彼は一風変わった食材を調達して特別メニューの開発に余念がない。
「夏といえば……ということでスイカに注目してみたんだ。果汁を混ぜ込んだ生クリームやアイスを入れて、果肉も沢山包んだスイカクレープなんてどうかな? 他にも季節を先取りして、芋餡と栗を包んだクレープとか……あ、これ選んでくれるならちょっとは増量するよ」
 と接客しながらも、佑也はちらちらと店の裏に目をやっていた。
(「さて、あとはみんなが上手くやって、環菜校長をはっちゃけさせることができればいいんだけど……」)

 場面は、環菜と恭司のいる店裏に戻る。
「最初に一枚焼いたら、皆がやんわりと『会長は別のお役目を』なんて言ってここに追いやってしまったの。私のクレープの完成度が高すぎて怖れをなしたのかしら……ふん」
 強がってはいるが環菜も、自分の焼いたクレープが悪い意味で完成度が高すぎた(具体的に言うと、)だったことは自覚している。口調こそ普段通りだが、結構傷ついているように恭司には思えた。
「か、会長……」
 そこに現れ、環菜の前にかしずいたのは影野 陽太(かげの・ようた)だ。
「今こそ会長の出番です。用意は調っております」
 ちなみに本日、材料調達から屋台の設営、会長用休息所(このソファ)まで一手に引き受けたのは陽太だった。彼がその持てる技能をフル動員したこともあって、屋台はとても上品に仕上がっている。
「何が出番よ。私のやることなんてもうないでしょ」
 環菜はやっぱりむくれているようで、言葉尻が厳しい。すると陽太は声に熱を込めた。
「そんなことはありません! 会長だから……いえ、会長でないと絶対に務まらない役目です!」
「追加の資金でも出せっての? どうせ私にできることなんてそれくらいよ」
 いささか拗ね気味の環菜に、それはそれで新たな魅力を発見して胸がどきどきする陽太である。けれども今は悶えている暇はない。即座に言う。叫ぶように。
「か、環菜様の美しさが求められているんですっ!
「え……?」
 さすがの御神楽環菜も、面と向かって美しいと言われると照れるようだ。言葉を失ったところに畳みかけるように、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が滑り込んできて告げた。
「役目それは呼び込みよ! あの御神楽環菜様がこの格好でクレープ屋の呼び込みをやったら、商売繁盛間違いなし!」
 じゃーん、と美羽はモデルのようなポーズを取った。キュートなメイド服といったイメージだ。ピンクのブラウス、超絶ミニのスカート、フリル付きのエプロンの特製衣装である。もちろん環菜の分も用意している。手渡そうとするも環菜は首を振った。
「いくら何でもその格好は可愛すぎるわ、私はそういうのは……」
「ダメだよ環菜様、そんなことじゃ負けちゃうよ! これもイルミンスールに勝つためよ!」
 美羽は食い下がる。引いては、イルミンスール校長のエリザベートに超ミニスカ蒼空学園制服を着せるためよ――という主張は心の中にしまっておいた。
 そのとき、
「大丈夫、会長だけに負担はかけません」
 ラグナ アイン(らぐな・あいん)も姿を見せた。やはり同じ服装、刺激的なメイドコスチュームなのだ。
「メイド姿も似合ってらっしゃる。さすが姉上……」
 と恍惚の表情を浮かべるのは、続けて現れたラグナ ツヴァイ(らぐな・つう゛ぁい)だ。両手を胸の前で組み、瞳をキラキラさせている。しかしツヴァイは、涅槃に到達しそうになる意識を無理に引っ張り戻して、
「……はっ。姉上のメイド姿は確かに素晴らしいですが、見惚れてる場合ではありません。ボクも呼び込みのお手伝いをします」
 この姿で、と断言するツヴァイが、メイドコスチュームなのは言うまでもないだろう。
「皆様お忘れなきよう、ボクがメイド長です。こればっかりは姉上にも譲れません」
 そこだけは念を押すツヴァイなのだ。胸元につけたリボンがメイド長の印らしい。
「えへへ〜。似合ってるかな?」
 照れ笑いしながらアルマ・アレフ(あるま・あれふ)もメイド扮装でやってきた。可愛い系の美羽、アイン、ツヴァイと違って、クールビューティ系のアルマが着ると、ミスマッチどころか相乗効果で大人っぽく色っぽい。
「校長センセもメイド服着て出店運営するといいと思うよ? きっとお客さん大喜びで、みんなクレープ屋に来てくれるわよっ!」
 アルマも強く勧めるのである。
 ここで改めて、片膝付いて深々と頭を垂れ、陽太は環菜に願い出た。
「ダメ……ですか?」
 メイド姿の環菜が見たい、という気持ちがあるのも事実だったが、それ以上に、環菜にも祭に参加してほしい、楽しい思い出を作ってもらいたい、という切実な願いが陽太の心に燃えていた。なぜなら環菜が幸せであることが、陽太にとって一番の幸せだから。
 彼の願いは……。
「もうっ、そこまで言われたら断れないじゃない。しょうがないわね、今夜は特別よ!」
 彼の願いは、叶えられた。

 ルミーナ・レバレッジ(るみーな・ればれっじ)は忙しく材料を運び入れている。まだ客はまばらだが、そろそろ本格的に忙しくなりそうな雰囲気だ。
「え、会長ですか? 確か裏手に……」
 環菜を訪ねてきた星渡智宏と時禰凜に答えていたルミーナは絶句する。
 あの環菜が、ピンクかつフリフリのメイド服を着て姿を現したからだ。
「いらっしゃい……ませ」
 しかもこの言葉! 何かの見間違いではないか、とルミーナは目を擦った。
「佑也さん! 環菜校長先生もやって下さいました。私も呼び込みをがんばります!」
 アインが佑也に一礼し、
「如月家メイド三姉妹の実力、見せてやるわよっ!」
 と、アルマも佑也にVサインを作って見せた。さらに彼女は、
「ルミーナさんもせっかくだからやってみない? 実はルミーナさんの衣装も用意してあるのっ!」
 ルミーナに耳打ちするのである。
「おいしいクレープが、たっくさんありますよー! 皆さん、食べていってくださいねー!」
 さっそくアインは客寄せをはじめるのだが、それを見てツヴァイは大慌てしていた。
「……いけない。あんなに可愛らしい姉上が呼び込みをすれば、変な虫がついてしまうかも! そうなったら、ボクの使命は害虫退治ですね」
 もしもにそなえてショットガン、抜いて背負うツヴァイなのである。物騒なメイド長もあったものだ。

 まだクレープ店『KANNA』に客の姿は少ないが、ここでノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)がそそくさと両手一杯にクレープを持って店先から出てくるのが見えた。
(「おにーちゃんはわたしに、『サクラ』になってほしいと言ったよね。とりあえずクレープをたっくさん買って人の見ているところで食べればいい、って話だけど……それのどこが桜の花になるのかなぁ?」)
 ノーンの『おにーちゃん』とは陽太のこと、クレープの料金は全部陽太持ちだったりする。
(「まあ悩んでもしょうがないかな−? おいしく食べればいいってことだもんね、喜んでそーさせてもらうよー!」)
「いっただきまーす!」
 さっそくぱくぱくと、ふんわりクレープをいただくノーンなのだった。
「すっごく甘ーい! ほっぺが落ちるー♪」
 思わず声に出てしまう。顔がほてるのがわかる。きっと頬は紅潮しているに違いない……ここでノーンはハタと悟った。
(「わかった! 嬉しくておいしてくほっぺが桜色になっちゃうから『サクラ』なんだねっ♪」)

 彼らの読みに間違いはなかったようで、メイド隊が勧誘を始めるや、たちまちのうちにクレープ店は大人気となった。こうなるといくら人手があっても足りない。
「ほら、コンロ、足りないだろ」
 いつの間にか絃弥が戻って、店内に新たな設備を作ってくれていた。
「棗、手伝ってくれるのですね。助かりました。さっきからアナさんが私をこき使うので困っていたのです」
 伝説の英雄義経も、クレープ焼き作業で汗だくである。救いの神を見たような目を絃弥に向けるも、
「悪い。俺、コンロ増やしに来ただけだから。後は茂みのそばで涼む予定だ」
 たちまちのうちに彼は姿を消してしまった。
「そ、そんな……」
 呆然となる九郎義経に、アナスタシアの声が飛ぶ。
「九郎! 材料を早く運んできなさい!」
「なんで……こんな事に……」
 がっくり肩を落としながら義経は、その命に従うのである。