シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

一夏のアバンチュールをしませんか?

リアクション公開中!

一夏のアバンチュールをしませんか?
一夏のアバンチュールをしませんか? 一夏のアバンチュールをしませんか?

リアクション


第12章 ホール

「いたっ……まだお尻ヒリヒリする…」
 洗面器攻撃から立ち直れないまま、やっとの思いでドレスに着替え、それでもなんとかホールにたどり着き、彼女はホッと息をついた。
 まだ曲は流れている。あの人とワルツが踊れる!
 お尻が痛かろうが、部屋で寝てなんていられるものですかッ!
「どこ……どこにいるの?」
 キョロキョロ辺りを見回した。
 フロアには仮設舞台が敷かれ、テーブル席はバレエ鑑賞する人で埋まっている。照明は落とされてスポットライトは舞台を照らすだけだ。
 薄暗い中、やがて、柱の1つにもたれて腕を組み、なにやら思案している彼の姿を見つけて駆け寄った。
「遅くなってごめんなさい、すっかり待たせちゃったわね」
「やっと来たか」
「ごめんなさい。怒ってる?」
 怒らないで、と見上げてくる彼女の姿に、はーっと重いため息をつく。
 そんな彼を見て、ただ怒っているのではないと、直感した。
「あの…」
「きみが来たら、聞こうと思っていたことがある」
 タキシードの内ポケットから、例の名刺カードを取り出して彼女に見せる。
 そこには「愛の騎士(ラブリーナイト)」の飾り文字が入っていた。
「え? これって…」
「ルドルフ殿が、カードの名前を間違えたと言って交換に来たのだ。途中で変更とはどういうことかと訊いたら、きみに訊けと。
 なぜ我の名前がこのような恥ずかしいものになったのか、十分な説明がもらえるのだろうな?」
「え、えーとぉーっ」
(ああっ……おとなしく部屋に戻って寝てたらよかったかもしんないっ)
 まぼろし天狗、最大のピーンチ! だが正義の味方は絶対にだれにも正体を知られてはならないのだ。
 がんばれまぼろし天狗! 健闘を祈る!


「んっふっふー。バレエも終わって、十分休憩もとれたし。まだまだ踊るわよー」
 ユキはテーブル席を立ち、大きく伸びをした。
 最初のカドリールもポルカもワルツも踊った。あと4曲で舞踏会全曲制覇だ。
 残り4曲は、最初の3曲よりずっと激しく体力を消耗する。途中休憩を挟みながらも、4時間全力疾走するようなものなのだ。パートナー選びも重要で、全曲相手を変えるにしても、途中で息切れするような者は避けたかった。
「とすると、やっぱり上級者よねぇ」
 カドリール・ファーストやポルカ・フランセーズのように、見た目がよければ多少ヘタでもOKにはならない。
 4曲通してのパートナーを選ぶか、全曲変更するか…。
 さてどうしよう?
 悩むユキの視界を塞ぐように颯爽と現れたのは、金の縁取りをした白いタキシード姿のクロウだった。
「はじめまして、お嬢さん。あなたのダンスはずっと拝見させていただいていました。このホールにいらっしゃる女性の中でも、ひときわ美しく優雅に踊られる方だと思いました。
 ぜひ、次の曲のお相手をしていただけないでしょうか。この楽しいひとときをあなたと共有できたなら、身にあまる光栄です」
 そう言って、ユキの手を取り甲にキスをする。
(この人、たしかわりと上手に踊っていたわよね)
 ニコニコ笑って返事を待っているクロウをマジマジと見る。
 体力は十分ありそうだ。
「ポルカ・シュネルは踊れるの?」
「ええ。もちろん」
 クロウは自信たっぷりに答えた。
 実のところ彼はデビュタントで、舞踏会自体は今回が初めての参加だったが、今日のために毎日かなりの時間、練習を積んできていた。いろんな映画も見て、バッチリだ。
 ニコニコ、ニコニコ。
(……なんか、うさんくさいんだけどなー)
「カドリールは? ワルツはどう?」
「もちろん踊れます」
 ユキの質問に、ラストワルツまで彼女と踊れることが分かって、ますますクロウの笑みは強まった。
 うーん……とりあえず、この人でやってみようかしら。駄目だったらポルカでバイバイすればいいわけだし。
 途中で力尽きそうになったら、ワタシが引っ張ってやれば大丈夫でしょ。
「それでは、ありがたくお受けさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
 マナー通り、優雅におじぎをして。
 クロウを従え、ユキは決戦場たるフロアへと正面を向けた。


(どうも見られている感じがする…)
 1時間半のバレエ鑑賞が終わったあと。舞台装置の撤収で人数が倍増し、混雑するフロアで、カーディナルは、熱い視線……というか、グサグサ突き刺すような視線を感じて振り返った。
 立ったまま、グラスを手に、先ほど見たバレエについて談笑する人達のスカートの隙間から、じっと見つめる釣り上り気味の緑の目。
(……なんか、猫みたいだな…)
 思わず、ちッちッちッ、とかして呼びたくなっちゃうなー。

 あの男性には、大分前から目をつけていた。
 1.ダンスがうまいこと。(これって大事よね! だってこういう場に慣れてるってことだしぃ)
 2.金のかかってそうな服を着ていること。(お金いくら使ってもへーきってことじゃん?)
 3.そこそこ顔がいいこと。(仮面つけてたって、ブサイクはムリぃ〜)
 ダンスに誘う相手には、必ず花を手渡すのも、お金持ちであるしょーこっ!
(ロリータの今夜のターゲット、ロックオン!)
 ロリータは、人の影からこっそりと伺う消極的な少女を演出しつつ、ギラギラした視線の波を、すぐ先に立つ男性に向けて送っていた。
 自分から誘いに行けばいいと思うかもしれないが、それは違う。そんなことをすれば男はすぐ、チョーつけ上がってカンチガイするからだ。
(……んもう、さっさと気付きなさいよ、ロリータがこれだけ演出してあげてるんだからっ)
 イライラし始めたところで、ようやく彼が振り向いた。
 さっと背を正し、所在なげな風情を装う。
 近づいてくる気配をしっかり感じつつ、ここぞという距離でそちらを仰ぎ見る。しかしそこにいたのはカーディナルにあらず、黒崎天音だった。


 黒い髪、タキシード。マスクをつけていてもそこはかとなく分かる高貴さ。
「やぁきみ。僕は白崎 海音というんだ」
 あっけにとられているロリータが見られて、白崎は内心快哉を叫んでいた。
(クックックッ、完璧だ。完璧な黒崎天音だ)
 これでこそ、練習した甲斐があったというものだ。
 自分がそう名乗る姿が人にどう見えるか、部屋の鏡で何度も練習したので白崎には分かっていた。
 「マスクをつけた黒崎天音」に見える仮装。そして「黒崎天音」を連想させる名前。

「まぁ、黒崎さんだわ。黒崎さんが私に声をかけてくれたのね」
「美しいお嬢さん、この白崎海音とひと夏のアバンチュールをすごしてみないかい?」
「ああ、黒崎さん……黒崎さんとなら私、どこまでだって…」
「なんと、お嬢さん! こんな僕でもいいのかーい!」
 前をガバッとね。
「きゃーーっ変態ーーーーっ!!! まさか黒崎さんがこんな変態だったなんて〜〜〜っ超ショックーっ」
「ふっふっふ。そう、黒崎天音は実は変態だったのだよ」

 と、こんな感じで。
「黒崎天音さんの株を落としちゃうぞ作戦」のイメージトレーニングは、完璧だった。
(目の前にいる女性……少女か? ま、どっちでもいいが。彼女に役に立ってもらおう)
「ねぇきみ。ここにいるってことは、何かいいことないかなって期待して、ここに来たんだろう?
こんな所に隠れていないで、さあ僕と一緒に踊ろう」
「で、でも、ロリータ、踊れなくって…」
 しどろもどろで、視線も彼の後ろの宙を流れていて、彼を見ようとしない。
 ロリータが見ていたのはもちろん彼の背後、すぐそこまで迫っていたカーディナルである。
 しかしカーディナルは白崎が先にロリータに話しかけたことに気づいて近寄るのをやめ、別の壁の花に方向転換してしまった。
(あ〜〜、ロリータの新しいパパが行っちゃう〜〜)
「踊れない? そんなことは問題ではない」
 そわそわしているロリータを、自分に対する恥じらいととって、白崎は力強く続けた。
「それにどうせ踊れなくたって、仮面で誰だか分からないんだ。今夜のきみは普段のきみとは違う。別人なのだよ。さあ、僕とともにこのステージに立とう! 僕がきみをこの舞踏会のヒロインにしてあげるよ!」
「えっ? ちょっとっ」
 白崎はとまどうロリータを強引にフロアへ引き出した。
 ポルカ・シュネル。早いテンポでステップを踏み、半ば走るように踊る軽快なダンスである。
「ステップなんか関係ない。これは、ただ走るだけでもいいのだよ」
 そう言いながらも、白崎自身は薔薇学仕込みのダンステクニックで、完璧なステップを踏んでいた。
 ロリータははじめ、邪魔をしたこの空気読めない男を本気で腹を立てて、踊れないフリをしててこずらせてやろうと思っていたのだが、曲のリズムは楽しいし、パートナーは抜群のテクニックの持ち主だしで、クルクル回転しているうちに、なんだかどうでもいい気分になってしまった。
 さっと白崎の手の中から抜け出し、回転して距離をとる。
「あなたにこれができて?」
「おや?」
 ステップとステップの合間にオリジナルステップを入れて踊り始めたロリータに、白崎もまた、彼女が素人ではないと気付く。
「受けて立とう」
 白崎はロリータのステップを真似て踊る。そしてそれにさらにオリジナルのステップを追加する。
 輪唱のようなものだ。動きはより複雑化し、高度化する。
 2人は自然とダンスの輪からはずれ、フロアの中央で、パートナーというよりは決闘する2人のように、我を忘れてポルカの複雑なステップを踏んでいた。
 やがて曲の終わりが近づき、白崎はロリータの手をとるとクルクルとその場でターンさせ、すばやくチェンジ、リバースをかける。常人なら転んでしまう速度だ。引き戻し、情熱的なポーズをとった瞬間、バン! と音楽は消えた。
 数十分という長い時間、全力で踊り切り、肩で息をする2人。
 いつの間にか2人の見事なダンスに目を奪われていた人々から拍手が沸き起こる。
 賞賛の声の中、白崎はロリータの手を放し、おじぎをした。
「すてきな時間をありがとう。まさかこのようなダンスの名手に出会えるとは思ってもみなかったよ。
 その礼の意味も込めて、最後に、きみにすばらしい物を見せてあげよう…。
 マスカレードッ、イリューーーージョン!!」
 目にもとまらぬ早業で全裸になって、うれし恥ずかし三回転半。
 そこには、全裸にマスク、マントの男が立っていた。
 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
…………………………………………。
(あれ、なんで拍手がないんだ? すごい手品だっただろ!?)
 とまどう白崎。
 しかしホールには、拍手どころか頬を赤らめて悲鳴を上げるような女性もいなかった。(いてもパートナーがしっかり両目を塞いでいた)
 むしろ、どうせ見せるんならどこまでも見てやろうじゃないか、というつわものばかりだった。
「くっ……おまえたち…」
 じーーーっと好奇心いっぱいの猫のような目でひたすら四方から見つめられる白崎。
 とどめは、真正面にいたパートナー・ロリータの「……フッ」という嗤いだった。

 がーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。

 何が嗤われたのか? 肌か? 胸板か? 腹筋か? それとも……ああ、それとも…!
「うわーんっ見てろよーーーっ」
 おまえのかーちゃんデベソー、とか言いそうな捨てゼリフを吐いて、ベソをかいてホールを飛び出していく。
 しかし心のどこかではちょびっと、ああいうプレイもアリかも……と思わずにいられなかった。


 舞踏会もあと2曲。
 笑いあり、叫びあり、歌もあり。なんでもありの奇想天外カドリール・ファイナルが始まった。
 全員で列を作り、男達はその場で何度も足を踏み鳴らす。高く、より高く音が鳴るように、激しく。女は手拍子、笑い声を上げ、回転をし、走り出す。ステップなど、あってないようなもの。転んでもOK! 逆回転OK! 感情が高ぶるあまり、叫んでいる者もいる。
 パートナーがいつの間にか入れ替わっていることなど茶飯事で、これが何かを知らなければ、気狂い達のパーティーと思われたかもしれない。
 男女が向かいあってアーチを作り、それをくぐり抜けたカップルが後ろのアーチを作る。最後の2人がくぐれば、一目散に駆け出して、パーッとホール中に散っていく。
 狂乱と混乱と怒涛の踊り、それがカドリール・ファイナルだった。
 
 今のカドリール・ファイナルが終わればラストワルツのみになる。
 笑い声をあげながらパートナーを求めて差し出される人々の手を避けつつ、カゲは、そっと1人ベランダへ出た。
 身を寄せ合い、抱き合うように踊るラストワルツを踊りたい人は、とうとう見つけられなかった。
(やっぱり無茶だったのかも…)
 自分のエメラルドのペンダントを見る。これの対として、アメシストを送った相手は会場内のどこにもいない。
(いや、来てもらえるなんてあり得ないって分かっていたんだけどさ。でもやっぱりこれだけ落ち込むってことは、俺、どこかで期待してたんだろうなぁ…)
 ベランダの手すりにひょいと腰かけ、大きく息を吐き出してガックリ肩を落とした。
 深夜をとうに回り、どちらかというと朝に近い時刻。森の上にある別荘は、底冷えの冷気がくる。吐く息こそ白くはないが、タキシードでは少々寒い。
 この上、ラストワルツで抱き合って踊るカップルをここで見るのはあまりに自虐的すぎる。やっぱり、もう部屋に戻った方がいいかもしれない。
 そう考えて、流した視界に、1人の女性が入った。
 会場のあかりの届かない、ベランダの隅のテーブル席で、頬杖をついて座っている。
 薄く笑んだ口元、乾杯するように持ち上げられた炭酸水入りフルートグラス。
「待ち人来たらず、というところかしら?」
「あの、あなたも参加者ですか?」
 言わずもがなだ。孔雀の羽をつけた仮面と玉虫色のドレス。だが一見して、ただの学生が身につけられるものとは違う、豪奢な仕立ての衣装だった。
「中で踊らないんですか?」
「騒々しいのは嫌いなの。音楽を聞くならここからでも十分」
 そう言って、会場の方に視線を移す。
 彼女の指を見て、カゲは自分がなぜこの人にひかれたのか、分かった気がした。
 窓の隙間から、ラストワルツが流れ出す。
 先までの狂乱のダンスと180度違う、ゆったりとした、甘いチョコレートのような音楽だけが満ち、咳払いひとつ聞こえない。
「よかったら、一緒に踊っていただけませんか?」
「……ここで?」
「ここで」
 この返答で、間違っていないはず。
 ピーコックの女性は少し首を傾げて何かを考えたふうだったが、やがて応じるように立ち上がり、右手をカゲの手に預けた。
 大粒のアメシストの指輪をした、その手をそっと握って。
 カゲはテーブルから離れ、ワルツに乗った。