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クロネコ通りでショッピング

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リアクション

 
 
 
 クロネコ通りで何買った?
 良い物、悪い物、大切な物、どうでもいい物。
 見せ合いましょ、笑い合いましょ。
 買い物よりも楽しいひととき。

 
 
 
 
 買い物後のお茶は格別
 
 
 以前はイルミンスール魔法学校に通っていたから、クロネコ通りの噂は耳にしたことがあった。初めて実際に足を踏み入れることが出来たからには、色々見て回りたい。
 そこかしこで知り合いの顔に出会いながら、レン・オズワルド(れん・おずわるど)はクロネコ通りの店を見ていった。
 そのうち1軒の前でメティス・ボルト(めてぃす・ぼると)が足を止めたのに気づき、レンは振り返る。
「この店に入るのか?」
 メティスは小さな古物店の扉をもう一度眺め、頷いた。
「こうした店には良い物が眠っているものです」
 自ら扉を開けて店に入っていくメティスの背を、レンは感慨深く見つめる。かけがえのない出会いを通じ、メティスは変わろうとしている。それはほんの小さな変化かも知れないが、様々なことに興味を持ち、自分自身で悩み考える。
 そうすることがメティスにとってのプラス、生きることに前向きな姿勢なのだろうとレンは思う。
「俺は向こうの店を見て来る」
 メティスがゆっくり買い物できるようにと、レンは古物店には入らずに目に付いた別の店に入っていった。
 レンを軽く会釈して見送ると、メティスは蜘蛛の巣が張った店内を見て回った。
 腰の曲がった老店主はいらっしゃいませの挨拶もなく、黙々と品物の手入れをしている。古い物に囲まれた場所の匂いと空気を楽しみながら、メティスは気兼ねなくゆっくりと品物を見ていった。
 そして……店の奥に鎮座している物にメティスの視線は釘付けになった。
 そこにあったのは『鉄の処女』。
 イルミンスールにいた頃、何かに包まれていないと落ち着かないというメティスの為に、レンは鉄の処女を用意してくれた。それは資料として保存されていたレプリカだったけれど……店の奥にあるそれは、特別な空気が感じられる。
 どのくらいそれに見入っていたのか。
 別の店でサングラスを新調してきたレンが戻ってくると、メティスはこれを買いたいと鉄の処女を指さした。
「これは良いアイアンメイデンです」
 メティスの選んだものにレンは苦笑する。
 まだまだ変な物に興味を持つ変わり者だけれど、それでも自分はメティスを見守り続けよう。彼女が幸せになるその日まで。
 その思いをこめて、レンはメティス用に鉄の処女を購入した。
 さっき見かけた皆はどうしているかと電話してみたが、ここでは携帯は使えないようだ。そのうちまた会えるだろうと、レンは再び通りを歩き出した。
 
「あ、レンさーん」
 通りがかったレンに気づいて、オープンカフェにいたミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)が呼びかける。
「今、みんなで買ってきたものを見せ合いっこしてるんだよ。レンさんも一緒にどう〜?」
 買い物は済ませたけれど、まだ帰還までには時間があるようなので、知り合いで集まってお茶をしがてらそれぞれ何を買ったのかを披露しているのだと説明すると、レンとメティスも座の中に加わった。
「私のは買ったんじゃなくて、修理してもらってたのを取りに来たの。それでね、折角だからちょっと強化してもらっちゃった」
 フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)が大切そうにテーブルに載せたのは、魔道書だった。
「何それ? 面白いものなのか?」
 興味をもったウィルネスト・アーカイヴス(うぃるねすと・あーかいう゛す)が身を乗り出してくる。
「これは私愛用の、探索用魔道書よ」
 限界距離、精度は本人の魔力次第だけれど、近くのものならばかなり詳細な探索が出来るのだとフレデリカは説明した。これで行方不明の兄もきっとすぐに見つかるに違いない。そんな期待にフレデリカの表情は輝いていた。
「面白そうだな。折角だから何か探してみてくれよ」
 ウィルネストに言われ、フレデリカは聞き返す。
「何かってたとえばどんなもの?」
「そうだなぁ……」
 ウィルネストは少し考えた後、そうだ、と提案した。
「他にもここに来てるイルミンスールの知り合いがいるんじゃないか? 一緒に茶を飲めそうな奴がいないか、探してみてくれよ」
「分かったわ。やってみるわね」
 フレデリカは魔道書を手にとって調べ……驚いたように目を見開いた。
「何だか……あっちからすごいスピードで近づいてきてるわ」
 そこにいた皆がフレデリカの示した方向を見ると、全力で箒をとばしてくる茅野 菫(ちの・すみれ)の姿。
「おーい!」
 ウィルネストが手を振って呼び止めると、菫は一旦通り過ぎた後、急角度でUターンして戻ってきた。
「みんな買い物しに来たの?」
「買い物というか、その後の休憩かな。茅野さんはもう買い物は終わった?」
 ケイラ・ジェシータ(けいら・じぇしーた)が聞くと、菫はううんと首を振る。
「買い物は元々する予定無いよ。届け物をしてきたんだけど、ちょうどそれも終わった所」
 届け物をしている最中に帰還の時が来てしまったら、品物ごとイルミンスールの森に帰ってしまう。配達を任せる店側は不安そうな顔をしていたけれど、全速力でとばしていったこともあって、何とかそういう羽目には陥らずに済んだ。
「だったら一緒にお茶しない?」
 せっかくフレデリカさんが魔道書で見つけてくれたことだしね、とケイラは勧めた。
「じゃあそうするわ。もうみんな注文した?」
 菫は早速メニューを手に取った。
「ううん、まだ。メニューは見てるんだけど、なんかよく分からないんだよね〜。ロレッタはもう決めた?」
 ミレイユに聞かれたが、ロレッタ・グラフトン(ろれった・ぐらふとん)はさっきからずっと、メニューとにらめっこ状態が続いている。
「む……悩むぞ」
 美味しそうなメニューばかりで悩む……というのではなく、何が出てくるのかよく分からなくて注文し辛いのだ。
「うーん……ワタシはこれにしようかな。『五里霧中な気分に陥ってみたい時に飲んでみる? ジュース』」
「名前に『?』が入っているメニューは怪しすぎるんだぞ」
「じゃあロレッタは何にするの?」
「まだ迷ってるんだぞ……『緑色をしてるせいで抹茶アイスクリームっぽくみえるものがのったパンケーキかもしれないもの』にするか、『たぶん蜂がとってきたんじゃないかと思われるハチミツを入れたような気がするフローズンヨーグルト』か……それにしても、名前が長すぎるぞっ」
「そこまであやふやだと、まだ『?』が1つで済んでるジュースの方がましじゃないかなぁ?」
「う……まぁいい。フローズンヨーグルトにしておくぞ」
 適当に頼んでおいて、ロレッタはクロネコ通りで買ったものを皆に見せた。
 お菓子の絵がびっしりと描かれたケースを開けると、クレヨンが並んでいる。
「これは『お菓子なクレヨン』なんだぞ。これでお菓子の絵を描くと、そのお菓子の香りが漂って不思議なんだぞ」
「ロレッタはお菓子の香りに弱いもんね」
「ち、違うんだぞ。香りにつられて買ったんじゃないんだぞ……っ」
 むきになって否定するロレッタに笑顔を向けた後、ミレイユは自分の買ったものを見せた。
「ワタシは、ロレッタがこのクレヨンを買った画材屋さんで見つけた『きまぐれな栞』を買ったよ〜。何かね、その日の気分で栞の模様が変わるんだって」
「お店の人に、きまぐれなあなたにピッタリ、って勧められてたんだぞ」
「そうなんだよね〜。なんでワタシが気まぐれなのがばれたんだろう?」
 ミレイユは不思議そうに首を傾げた。
「面白そうだな。ちょっと貸してくれよー」
「いいけど、そういうウィルネストさんは何を買ったのかな? すごい荷物だね〜」
「いやー、訳の分からないものがたくさんあったからいっぱい買い込んでみたぜ」
 魔道書、道具、置物や不気味なお面。
 大量に買ってきたもののほとんどを辺り一面に広げて、ウィルネストはもう遊び始めている。
「レンたちは何を買ったんだ? ちょっと遊ばせてくれよ」
「俺の買ったのはサングラスだから遊ぶようなものではないな。メティスのは……」
「アイアンメイデンですが、お貸しすることは出来ません」
「げ。うん、それは遊ばなくていいや」
 ウィルネストは大急ぎで首を振ると、ロレッタから借りたクレヨンで何を書こうかと考え始めた。
 
 そんなところに、今度は志位 大地(しい・だいち)ティエリーティア・シュルツ(てぃえりーてぃあ・しゅるつ)が連れだってやってきた。
 大地の持っているたくさんの袋。その1つからは、アンティークなレースが覗いている。きっとティエリーティアのした買い物を、大地が持っているのだろう。
「面白そうなものがあったから、たくさん買ってしまいました〜♪」
 椅子に座るのも待ちきれないように、ティエリーティアは袋を開けて見せた。繊細なレースのドレス、手鏡やリボン、ティーカップ等々、乙女好みの品物ばかりだ。
「ずいぶんはりきって買い物したのね」
 後から後から出てくる品物の量に驚いた後、菫は披露し終えたものをしまっている大地の手に目を留める。
「手を怪我したの?」
「ああこれは……」
 大地は手の薄いすり傷を眺めると、思い出したように口元をゆるめた。
「そちらのティーカップを見ていた時のことなんですけれど、すぐ近くにあったグラスがティエルさんの服に引っかかってしまったんです。幸い、グラスが落ちそうになっているのに俺が気づいて、無事受け止めることが出来たんですけれど……」
 大地の脳裏に、その時の様子がありありと蘇った――。
 それはこじんまりとした、けれど可愛い外観の店。
 狭い店内にはこれでもかというくらいアンティークな食器の数々が並べられていた。
 ティエリーティアが目を輝かせて食器に見入っているから、買い物に付き合っている大地までもが嬉しくなってくる。
「大地さん、このティーカップとても可愛いと思いませんか〜」
 カップを掲げてにっこりと、ティエリーティアは大地に微笑む。それに自分も笑顔で答えようとしたその目の前で、ティエリーティアの服に引っかかったグラスがぐらりと倒れた。
 棚から落ちるグラスがまるで、スローモーションのように大地の目に映る。懸命にのばした大地の手は、なんとかぎりぎりでグラスを受け止めることに成功した……のだけれど。
「うわ……っ!」
 グラスを持ったまま、大地はバランスを大きく崩した。
「大地さん!」
 危ない、とティエリーティアは大地を支えようとしたけれど、フォローというよりは、却って大地のバランスを崩す手伝いにしかならず、一緒に床に転んでしまった。
「ごっ、ごめんなさいー」
「いいえ、ありがとうございます。助けようとしてくれ……て……」
 礼を言いかけた大地の顔が、かあっと熱くなる。
 顔が近い。
 というよりこの体勢はっ……。
 倒れるときに無意識にティエリーティアを受け止めようとしたのだろう。大地は直接堅い床に転がったが、片手でグラス、片手でティエリーティアをしっかりと守っていた。その為、ティエリーティアは大地の身体の上に倒れ込む形になったのだけれど、それはまるで。
「まあお客様、いけませんわ、こんなところでそんな……」
 音に気づいてやってきた店員が、きゃっと頬に手を当てた。
「す、すみませんー。もうちょっとで大切な食器を割るところでしたー」
 慌てて身を起こすティエリーティアに、店員は何故か嬉しそうに答えた。
「いえいえ、わたくしも強引なのは嫌いではありませんのよ。でもお客様ったら、ダ・イ・タ・ンですわね、うふっ」
 大胆?
 改めて自分たちの体勢を見てみれば、床に転がった大地。その上に覆い被さるように倒れているティエリーティア。
 大地の片手は大切な人を床に落とすまいと、しっかりとティエリーティアの背に回されていて。
「きゃ、っ」
 ティエリーティアが跳ね起きた後も、大地は硬直したまま天井を見上げ続けていたのだった。
 ――「大地? 何真っ赤になってるのよ」
 買い物の思い出にひたっていた大地は、菫の呼びかける声にはっと現実に引き戻された。
「で、受け止めてそれでどうなったの?」
「えーっとそれはですね、あの……」
 大地はしどろもどろになりながら、視線をティエリーティアへと向ける。けれどその視線の先で、ティエリーティアは皆の注文したメニューに夢中になっている。あれは何、これは何と尋ねているティエリーティアに助けを求めることもできず、大地は汗をかきながら、ああ、うう、とうなり続けた。
 
「ミレイユさんのジュース、煙が出てますけど大丈夫ですかー?」
 心配そうなティエリーティアに、ミレイユはジュースの煙を手で払いながら、たぶん、と答えた。
「これ、『五里霧中な気分に陥ってみたい時に飲んでみる? ジュース』って書いてあったから、この煙が霧の代わりなんじゃないかな」
 あまりに煙が濃くて、ジュースのグラスもすぐに見えなくなってしまう。手探りでグラスを見つけて中身もよく見えないジュースを飲んでいると、確かに五里霧中な気分を味わえる。
「でも意外と美味しいよ、このジュース」
「……こっちは微妙すぎる味だぞ」
 ロレッタが食べている『たぶん蜂がとってきたんじゃないかと思われるハチミツを入れたような気がするフローズンヨーグルト』は、微妙というか曖昧というか、はっきりしなくてイラっとする味がする。
「こっちも食べてみない? 不思議なお菓子屋さんで買ってきた『食物連鎖クッキー箱』だよ」
 ケイラは蓋をしたままの青いクッキー缶をテーブルに載せた。
「このクッキーの缶はね、開けるたびにクッキーが食物連鎖のように変わっていくんだよ」
 そう言いながら蓋を開くと、中にはキノコの形をしたクッキーが詰まっていた。
「蓋を開けたり閉めたりするたびに、これがキノコ、花、虫やカエル、ウサギや鳥、ライオンやジンジャーマン、のようにどんどん変わっていくらしいんだ」
 ライオンたちになってから1回蓋を開閉すると残っていたクッキーも全部なくなって空っぽになる。けれど、日が昇る時間になると中身はリセットされて最初のキノコに戻り、クッキーの量も元通りに補充される。
 これなら毎日いっぱいクッキーが食べられるからと、ケイラはこのクッキー缶を購入したのだけれど、問題はどの時点で食べるか、だ。
 クッキーの色も味も日替わりで変化する。そして、大いに当たりはずれがある。
 虫の形をしたのが凄く美味しいかも知れないし、ジンジャーマンがとてもまずいかも知れない。
 このクッキーを食べてしまうべきか、それとももう一度箱を開け閉めして新たな味にしてから食べた方がいいか。ずっと迷い続けて食べられなかった人もいたらしい。
「ねえ、どのクッキーが一番美味しいと思う? みんなでお茶といっしょに1つずつ食べてみようよ」
 そうすればいざとなったら流し込んでしまえるだろうから、というのは口には出さずにおく。
「じゃあ俺は全種類制覇するぜ」
 ウィルネストが一番にクッキーを取って、口に入れた。
「何だか……しょっぱ苦くてぼろぼろして……うぇっ」
「味、変えようか」
 ケイラは蓋を開閉してクッキーを花に変えた。毒々しい紫のうねうねした花のクッキーをおそるおそるつまんでみれば、口の中にほんわりと甘い芋の風味が広がる。
「これ美味しいよ。みんな食べてみて」
 わいわいと皆でクッキーをつまむのを横目に、フレデリカは月雫石のロケットペンダントを握りしめ、じっとしていた。
「フレデリカさんは食べないの? 味、変えちゃうよ」
 ケイラが勧めると、羨ましそうに皆が食べる様子を見ていたフレデリカは慌てて首を振った。
「ううん、私はいいわ。お腹空いてないから……」
 言いかけたフレデリカの言葉を否定するように、ぐぅとお腹が鳴った。
 カフェで1人、飲み物も食べ物も口にせず、フレデリカがひたすら耐えているのは、太ったら好きな人に嫌われてしまうかも知れない、という危惧からだったりする。それでなくとも秋は美味しい物ばかり。ちょっと油断して食べていると、はっと気づけば……なんてことになりかねない。
「じゃあ味変えるよ。今度は何かな?」
 ケイラが開けた缶の中には、食べてしまうのがもったいないくらいキュートなカエルクッキーが出現する。
(1個くらいなら……ううん、やっぱり我慢我慢)
 缶が開け閉めされるたび、ついつい見てしまいながらもフレデリカはぐっと我慢を続けるのだった。
 
 
 その頃。
 ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)はまだどの店で買い物するともなく、ゆるゆるとクロネコ通りを歩いていた。
 買い物が終わったら皆でカフェに集まろうと誘われているのだけれど、ここまで歩いてきた中には面白い物こそあったけれど、これが買いたいと強く思うものは無かった。
 適当なものを買ってみようか、それとも手ぶらで合流しようかと思いながら歩いていたファタの目に、通りの片隅にぽつんと佇む店が映った。
 店にはただ『本』と上手くない手書きの紙がぺたりと貼り付けられているだけ。その上、中を覗いてみてもあるのは空っぽの本棚で、見える限りの場所には本は1冊も並んでいない。
 何か引っかかって、ファタはしばらくその本屋と思われる店を観察した。
 多くはないけれど時折客が入ってゆく。そして出てくる時には皆、大事そうに本を抱えていた。ここからでは見えない場所に本が置いてある棚があるのだろうか。
 けれどそれにしては客が店から出てくるのが異様に早い。本を選ぶとなれば、もっと時間がかかっても良いはずなのに。
「んふふ。何やら掘り出し物の気配がするぞえ」
 ファタはうきうきと本の店に足を踏み入れた。
 店内を見渡してみたけれど、やはり本は置いてない。
「本が見あたらぬようじゃが……どこにあるのかのう?」
 すると店主と思われる老人は、ファタの前にぬっと手を突き出し、金額を口にした。
「なんじゃ。本を見せてもらうにも金を取るのか? ずいぶんな暴利じゃの」
 強気な商売だと思いつつ、ファタは言われた金額を老人の手に載せた。
 と……。
 老人はもう片手で1冊の本をファタに差し出した。さっきまでそちらの手も空っぽだったはずなのにと思いつつも、渡された本を見てみれば。
「……!」
 ファタは短く息を引いた。
 それはまだファタが家族の一員として認められていた頃。母親がよく読み聞かせてくれた絵本だった――。
 ファタは子供の頃、ウェールズの片田舎で暮らしていた。
 優しい父と敬虔なウイッカンの母、8歳下の妹との幸せな毎日。けれど……ファタが10歳を境に成長しなくなり、魔術の素養が見え始めたこと、ちょうどその頃、父の不倫が発覚したこともあって、母の精神は不安定になった。
 そしてその不安定さは……ファタに向かって噴き出した。母の所属したカヴンは閉鎖的で、悪魔崇拝者を嫌悪していた。その為、見るからに異端なファタを母は『悪魔』と呼び、辛く当たるようになっていったのだ。
 罪の意識からか、父は母をいさめることはしなかった。
 家族の間に居場所のないファタは、独り部屋にこもって絵本を開いた。母がファタを家族と認めていてくれた頃、自分を膝に抱いて読み聞かせてくれた絵本を。
 15歳の時、ファタは家を出た。1年間ロンドンの叔母の家で暮らした後、世界中を旅し、そしてパラミタにやってきた。そうして各地を移るうち、実家から持ち出したはずの絵本はいつの間にか失われてしまった……。
 ――店主が渡したのは、その絵本だったのだ。
 絵本を渡し終わると、店主はもうファタには興味のないように椅子に輿を下ろした。ファタは絵本を胸に、皆との待ち合わせ場所へと向かいかけ……その足を止める。そして道の隅にあるベンチに腰を下ろすと、買ったばかりの絵本を開いた。