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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●彼女に新たな絆を

 グレンたちのいる場所のちょうど対角線上、会場に限って言えばもっとも遠くになるその付近。
 クランジΞ(クシー)に酷似した姿が会場にあった。あるいはΟ(オミクロン)だろうか。
「これは……賭けや」
 七枷 陣(ななかせ・じん)のエスコートを受け、浴衣姿の少女が会場を訪れていた。
 シャギーの入ったダークヘア。
 黒、というよりは、闇色と表現したほうがよさそうな濃い黒さだ。
 見る人が見ればそれは、短時間で染め直した色だということだとわかるだろう。
 しかし髪質そのものは艶やかで、肩にふれる程度のセミロングは、なめらかなストレートであった。
 綺麗な眉をしており、瞳は大きく、整った顔立ちだが、どこか人形のような印象を与えていた。
 さもあらん、彼女には表情が、ない。
 マネキンが歩いているようでもある。水玉柄の浅黄の浴衣を着ているが、着ているというよりは架けているといった雰囲気だった。そもそも歩き方自体、どことなくおかしい。
 それにその目は、一見したところ特徴がないものの、時間をかけて観察すれば瞳孔が猫のように縦長で、虹彩にも機械的なものが浮かんでは消えているのがわかるかもしれない。
 機晶姫だ。それも特別な。
 パラミタにあって機晶姫は、極端なほど珍しい存在ではないが、それが塵殺寺院製の機晶姫だとすればどうだろう。
 彼女は、クランジ(The Crunge)と呼ばれる、塵殺寺院の機晶姫の一体である。
 元々双子だったオミクロンとクシー、破壊されたオミクロンの胴体に、クシーの首を縫合したのが彼女だ。
 クランジΟΞ(オングロンクス)とでも呼べようか。
 公式にはオミクロンもクシーも死んだことになっている。
 だから、オングロンクスなどという存在はない……ことになっている。
 オングロンクスは記憶を失っていた。クシーとしても、オミクロンとしても。
 それにとどまらない。喜怒哀楽のすべてがなかった。
 反射行動は取るし、与えられれば食べ、飲みもするが、感情らしい感情は持たず、話しかけても上の空である。ときおり、なにか聞こうとしているかのように、耳に手を当て、じっとしていることがあった。雨が降るとふらふらと、屋外に出てずっと雨に打たれていることもあった。
 彼女を直した機晶技師の話では、ショック状態による一時的な感情の喪失だという。
 ただ、その『一時的』がどれだけの長さになるかはわからない。数日か、数ヶ月か、それとも数年か。
 今日、陣が彼女をあえてここに連れてきたのも、外的刺激によってなんらかの変化が得られないかと考えてのことである。あえて時間をずらし、祭も過半を過ぎてから訪れたのは目立たないようにするためだ。
「ほら、お祭だよ。楽しそうだね。たくさん人がいるよ」
 リーズ・ディライド(りーず・でぃらいど)が色々話しかけるのだが、彼女は夢心地のような表情をするばかりで、まともに言葉を返さない。しかし、決して意志がないわけではないだろう。なぜなら、時折、
「ぁー」
 と、かすかな返答をすることもあるからだ。
 なお、オングロンクスの首に飾られた黒のチョーカーは、小尾田 真奈(おびた・まな)があつらえたものだった。
 真奈は手を挙げた。待ち合わせていた友人の姿を見たのだ。
「彼女が……?」
 出迎えた榊 朝斗(さかき・あさと)が言った。すでに話は聞いているが、実物を見るのは初めてだ。
「ああ」
 陣は頷いた。
 黙って、朝斗はしばし『彼女』を見ていた。
「不思議や思わんか、朝斗くん」
「なにがです?」
「基本的には、あのクシーなんやな……けど、あまりそんな感じがしない。かといって、何かをずっと背負い続けていたようなオミクロン……澪とも違う」
「ですね……穏やかで……憑き物が落ちたような」
 という朝斗の言葉を、同行するルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が継いだ。
「本当の彼女は、こういう雰囲気だったのかもしれないわね」
 少し、いい? と陣と朝斗に断って、ルシェンはオングロンクスの両肩に手を置き、その顔をのぞきこんだ。
「あなたの中には……大黒澪さんがいるのよね?」ルシェンは問いかける。「私のこと覚えてる?」
 機晶姫がか細く「ぁー」と言ったのは、肯定の意味なのか否定の意味なのか。
「聞いてる? あなたの中の澪さん。また会えたわね」
 そう話すルシェンの目は寂しげであった。
「これまでの記憶がなくなっていようとも関係ない。ただ……これだけは知っておいてほしい。いまの貴女がここにいるのは『助けたい、生きてほしい』そういった人達の願いがあったからこそなの。
 たとえ作られた命だとしても、この世界に生きる命である事は変わりないはずよ。この世界で生きて、貴女自身の道を歩んでほしい。もし分からなくなったら私達が助けてあげるから」
 聞いていたのだろうか、すっと身を引くとオングロンクスは、拍子に、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)に肩をぶつけた。
 アイビスはが少し、怯えたように朝斗には見えた。
 実際、アイビスの心には感情のさざ波が起こっていた。
 触れられたことが衝撃だったのではない。触れられたことがきっかけとなった。
「大丈夫か」
 アイビスの背を、仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)が支えた。さもなくば彼女は倒れていたかもしれない。
 いつの間に磁楠は来ていたのだろう。気配を消していたのが、異変を察して姿をあらわしたかのようである。
 しかし磁楠の出現について、アイビスは考えている余裕はなかった。
(「記憶、想い出……」)
 頭の回路内を、雷光のように思いが駆け巡る。
(「再起動した時の私とまったく同じ……いえ、違う。私は……」)
 記憶のフラッシュバックが発生する。

 アイビスはその人を見上げた。
 あまり手入れをしていない髪、風にも折れそうな体格、だけどとても頼りになる人。
 アイビスはそのことを知っていた。
 なぜならその人は……。
 見上げたその人は、その人の顔は。
 
 アイビス自身の顔だった。


(「私は、その人に似せて作られたのか……!? それとも」)
 もうひとつの可能性について考えたとき、アイビスのフラッシュバックは唐突に終わりを告げた。
「大丈夫、アイビス?」
 いつの間にかアイビスを支える者は、朝斗に変わっていた。
「大丈夫。立ちくらみがしただけです」
 アイビスは首を振り、片手で朝斗を遠ざけた。氷のように冷たい声で言う。
「それよりも、『彼女』を」
「そうだね……」
 今はそっとしておいてほしい、というアイビスのメッセージを無言で受け取って、朝斗はオングロンクスに向き直った。
 ルシェンの言葉に、かすかとはいえ反応が見えた。話せば、彼女が心を取り戻す一助になるかもしれない。
「僕も、澪さんの話をしようか。空大ではじめて会ったときのことを。
 最初なんだか冷たい雰囲気だったのが印象的だったね……。ただその後、いきなりキスされて最初何があったのか分からなかったよ」
 朝斗は照れたように笑った。あのキスの感触が、まだ肌に残っているような気がする。
「いま、きみは、迷子なんだ。ほんの少し、道を外れて迷っている。だけど、少しずつ、少しずつでもい。い。いまの自分を……明日へと繋げる自分を探し出せばいいさ。それがいずれ『自分自身』になってくれるはずだからさ。『僕達』の様に……ね」
 朝斗はわかっている。自分だって、本当は何度も、迷ったり迷いを抜けたりを繰り返しているのだと。彼は今、少しずつ自分の『闇の心』と同調する方法を見出しつつあり、パートナーのアイビスにしたって、数ヶ月前とからの進歩は驚くべきほどだ。
 いくら迷ってもいつか道を見出せる、そう信じているからこその言葉だった。
 オングロンクスは、朝斗が話している間ずっと、彼を見ていた。
 なんの反応をするでもないが、見ていた。
 声が届いたものと、彼は信じる。
 朝斗が読んだのは陣だけではなかった。
「オミクロン様!」
 スカサハ・オイフェウス(すかさは・おいふぇうす)鬼崎 朔(きざき・さく)に連れられて姿を見せ、
「お久しぶりです」
 バロウズ・セインゲールマン(ばろうず・せいんげーるまん)が一礼した。