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●カレーにまつわるエトセトラ

 さて別の一角では、包丁の刻む音をBGMに、カレー作りが進んでいた。
 鍋は一つではない。あちこちに用意されている。軽やかに進む鍋もあれば、やや迷走気味に進む鍋もあった。けれど皆、確かにあの香りでありあの色なのである。それは香ばしく、とても豊かで空腹を刺激するものなのだった。
 シルミット姉妹は二人並んで、お揃いのエプロンで玉ねぎを刻んでいた。姉の名はイースティア、妹はウェスタル、いずれも、子ども用の刃先が丸い包丁を使っている。不慣れな手つきながら、一生懸命トントンやっている。
「玉ねぎは繊維の方向とと垂直になるよう刻むとよろしいですわよ。炒めたとき甘みが出ます」
 エイボン著 『エイボンの書』(えいぼんちょ・えいぼんのしょ)が、二人の様子を見つつ、茹でた男爵イモをマッシュしている。ジャガイモの皮を剥いて、先端が平らで、網目が入ったマッシャーという道具で押し潰すのだ。ぐっ、ぐ、と力を入れていた。
 涼介とエイボンの書、シルミット姉妹はいずれも、イルミンスールの学生だ。本日は百合園生たちにまじって、自慢のカレーを作っているところなのだ。
(「本当なら小山内様にもいらして欲しかったのですがお仕事のようなので仕方ありませんわね……」)
 エイボンの書はふと、友人の不在を寂しく思った。
「できた」
「できたー」
 姉妹が刻んだ玉ねぎは、少々いびつだがほどよい薄さだ。半透明でまな板が透けている。それを褒めつつ、
「お二人にはお料理を覚えてもらい素敵なレディになってもらいたいですわね」
 エイボンの書は、涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)を振り返った。
「そうだね。カレーは単純だけどそれだけに難しい。イースティアとウェスタルには、センスというかこつを覚えてもらいたいな」
 かつおと昆布の出汁を取り、味を見ながら涼介は言う。
 かつおと昆布の出汁……と書くと、カレーであることを考えるといささか奇妙な組み合わせかもしれない。
 しかしこれは、涼介が意図して選んだものである。
 辛口カレーに家庭風、本格インド風にそれに……謎カレー(?)、とさまざまにあるなかで、和風カレーがないことに彼は気づいた。そこで、彼は『お蕎麦屋さんの出汁の利いた優しいあのカレー』を作ることに決めたのだった。
 まずは、かつおと昆布の出汁に醤油、みりんも使って、掛け蕎麦の汁くらいの濃さの出汁を作る。
 次はに小麦粉、片栗粉、カレー粉を4:2:1の割合で混ぜて特製『カレー南蛮の素』を作るのだ。
「お蕎麦屋さんでカレー、とくれば、カレー南蛮なのは定番ですからね」
 シルミット姉妹が一生懸命薄切りにした玉ねぎ、豚ばら肉の薄切りを最初の出汁でコトコト煮る。
「肉に火が通ったら灰汁を取りますのよ。二人とも、灰汁取り上図にできますかしら?」
 エイボンの書は行動が早い。すでに、栄養バランスを考えたポテトサラダをほぼ完成させていた。マッシュした男爵芋にハム、キュウリ、人参、玉ねぎを混ぜてマヨネーズで合えたシンプルにして美味しいサラダだ。
 エイボンの書に「はーい」と鈴なりに声を合わせて、シルミット姉妹は網で鍋のアクを取っていた。
「それでは少量の出汁で溶き伸ばした先ほどのカレー粉を鍋の中に加えますよ」
 手際よく混ぜながら涼介は言った。
「この時、カレー粉を別の容器で溶き伸ばさないとダマになってしまうので注意が必要です」
 これで手順はほぼ完了。あとはとろみが付くまで煮込めば、ご飯にかけて美味しいカレーの出来上がりだ。
 くつくつカレーが煮えだした。
 色は黄色っぽく、みりんが甘い香りをほんのりと漂わせ、なんとも食欲をそそるではないか。
「いいにおい〜☆」
 妹のウェスタルはまだ十歳、青い目と青い髪、鍋をかき混ぜながらわくわくしていた。
「お腹空いてきたね〜」
 二つ年上の姉イースティアも、目をキラキラとさせていた。
 涼介特製『お蕎麦屋さんの出汁の利いた優しいあのカレー』ができるまであと十数分といったところだろうか。

 さて別の一角では、泉 美緒(いずみ・みお)が実に危険な姿勢で料理をしている。
 包丁をソードよろしく、大上段に構えているのだ。
 狙うはまな板の上の……人参!
「わ、わたくしだって包丁くらい使えますわ!」
「美緒ちゃんそれ、使えてないから! 危ないって!」
 ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)は美緒の友人だ。なんとか思いとどまらせようとするも、あまりに集中している美緒には届かないようだ。
「参ります!」
 宣告と同時、 すぱーん、と気持ちいいくらい美緒は一刀両断した。
 人参と、ついでに、まな板(木製)も。
 バイオレンスクックな美緒に半ば呆れつつ、それでも怪我人が出なかったことに安堵して、ミルディアは彼女のの腕を取った。教師が生徒に教えるようにして伝授する。
「包丁はこうやって使うの……ね? こうすれば危なくないでしょ?」
 ちゃんと利き手に握らせ、反対の手に対象物を握らせた。正しい姿勢であることもポイントだ。
「なるほど、こうやって使うと簡単に食材が切れますね……さすがはミルディ様」
「そんな感心されるほどすごいことしてないんだけどなぁ……まあ、わかってくれて嬉しいよ」
 それでは本格的に行ってみよう、と、ミルディアはここで実力を披露する。
「ま、料理なら任せなさいっ! 屋台で鍛えたこの腕を見せてあげるわ!」
 手際よく、正確丁寧に、それがミルディアの特徴、家事は派手にする必要はない。けれどリズミカルに、しかも楽しくできれば最高だ。
「やっぱりこういう時はみんなで作らないと面白くないよね?」
 と言いながらミルディアは美緒を指導し、他の百合園生や参加者の手伝いに活躍するのだった。
 その後会場のあちこちで、ミルディアの明るい声が聞こえた
「はんごうは炊きあがりの直前にわらをくべるといいんだよ」と教えてみたり、
「カレールーは最後にスパイスミックスで味を調整してみよう。仕上がりが断然違うよ!」と、ヘルプしてみたり、といった次第だ。 
「よーし、僕も手伝っちゃう!」
 松本 恵(まつもと・めぐむ)も美緒の手伝いを志願した。ポニーテールのしっぽをゆらゆらさせつつ、美緒に自己紹介して、一緒に頑張ろうよ、と告げた。
「玉葱を刻む役は任せろ!」
 恵は魔鎧状態のパートナー、アルジェンシア・レーリエル(あるじぇんしあ・れーりえる)に声をかけた
「準備OK?」
 返事するように胸が軽く揺れた。
 現在、アルジェンシアは上質なシャツの姿で恵に装備されていた。
 これがなかなか便利なもので、シャツの胸の部分がゆたかな膨らみとなり、一方でウェストは細く整う。つまり、装備することで胸があり、女体化したように見えるというわけだ。本当に肉体が変化して女性化するわけではないが、少なくともこれで、誰も恵の性別を疑わないだろう。
 しかも、巨乳を通り越した爆乳である。ちゃんと触ると弾力もあるし、揺れる。
 現実問題として巨乳以上の人は重くて肩が凝って仕方がないらしいのだが、アルジェンシアが常に絶妙のバランス感覚で主さを分散してくれるので、恵は実に快適な爆乳ライフを楽しめるというわけである。
「それでは!」
 刻む刻むどんどん刻む。恵はきっちりゴーグルを用意してきたので、どんなに玉ねぎを切っても並だが出ない。みるみる刻み玉ねぎの山ができていった。

「そういえば……?」
 小半時ほどしたところで、ふとミルディアは和泉 真奈(いずみ・まな)のことを思い出した。
 真奈のスキルには『謎料理』がある。一方、料理が下手という強烈な弱点も有していた。
 真奈のことだから、下手な料理の腕が謎料理技能と融合し、ひどくケミカルなものを作り上げる可能性があった。
「私もひそかに料理の勉強してたんですよ……?」
 ところが、ミルディアが駆けつけたとき、真奈は涼しい顔をしていた。
「実は、『料理がヘタ』って弱点を克服しようと、ずっと勉強してきましたので……そう悲惨なものはできていないと思います。いえ、自画自賛するわけではないですが、なかなかのものが……」
 でも、と真奈は眉を曇らせた。
「カレーを作っているつもりが……見事なカレールゥを作ってしまいました。なぜこうなったのでしょう……?」
 首を垂れる真奈の前には、確かにかっちりと固形物ができあがっていた。
 謎料理の技能と、下手だった料理を真奈が急速にマスターしたという事実、この二つが前代見物の奇蹟を引き起こしたのであろうか。
「どうしてこうなるの!?」
 ミルディアはこれを手に取ってみた。
 確かに、家庭用にぴったりサイズのカレールゥだ。すぐにでも商品化できそうなほどの高いクオリティではないか。
 でも、これはルゥであってカレー自体ではないのである。
「悔しいので持って帰りますわ。カレーが食べたくなったらいつでも呼んで下さい……」