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 「一回休み」だったり「ひとマス戻る」だったりを経て、「ふりだしに戻る」。ルシアはシャンバラ宮殿前まで戻ってきていた。
 ルシアがここまで無事に戻ってこれた裏には、影ながら唯斗が行った、涙ぐましくも過保護気味な護衛と、笠置 生駒(かさぎ・いこま)ジョージ・ピテクス(じょーじ・ぴてくす)のおのぼりさん演技があったのだと言っておく。
「えーと、ジョージ、ここはこーいって、突き当りで左、それで空京デパートに近づいていく、はずだよね」
「うむ、いや違う。そこは右じゃ。まったく空京は広い、わしらみたいな田舎者にはつらいのう。これ生駒、どこへ行くつもりじゃ」
「え、こっちじゃないの?」
「今言ったばかりじゃろう。右じゃ右」
 とはいっても、ジョージはともかく、なんだかんだと方向音痴の節がある生駒は、演技でもなんでもなく半ば以上本気で迷いかけており、そのたびにジョージに方向を修正されていた。
 地図を広げて身振り手振り、声も大きく、わざとらしささえ感じる言動でルシアの目を引いてはそそくさと移動する。これを繰り返すうちになんとかルシアを宮殿前まで誘導していたが、その過程でルシア以外の通行人の視線も集まっていた。ことに、ジョージなどはそのチンパンジーな見た目から、着ぐるみと勘違いされ、なにかのイベントかと尋ねられること数度、生意気盛りの子供に絡まれること数度、そして今もまた子供に尻尾を引っ張られ、ジョージは辟易していた。
「むぅ、引っ張るのはよせ。蹴飛ばすのもよせ、わしは見世物ではない。さあ散れ散れ」
 子供相手ともなると強く出ることもできず、ジョージは弱り切った顔で生駒に助け求める。生駒は苦笑するばかり。
「人気者だね」
「あまり言いたくはないが、方法を誤ったのではないか?」
 ジョージがじろりと睨むが、生駒は涼しい顔で受け流した。
「ちゃんとあの子がここまで来れてたんだから、作戦は成功だよ」
 誘導されてきたルシアは「あ、戻ってきた」などと呑気そうに辺りを見回している。そこへ、
「Hello. Am I interrupting you?(こんにちは、ちょっといいかしら?)」
 パチンとウインクひとつ、ルシアを英語で呼びかけたのはローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)だった。
 ルシアが振り返る。
「I’m not busy now. What can I do for you?(私は大丈夫。なあに?)」
 そこでルシアは口調を戻し、
「でも、別にこっちでいいよね。普段はこっちなんだし」
 ローザマリアが頷く。
「ええ。あなたがそっちでよければ」
「ありがとう。気を遣ってくれたのね」
 ルシアは屈託なく笑った。無防備にすら見えるこういうところが、どうにも放っておけないところかもしれない、ローザマリアはそんな感想を抱き、スマートフォンに映しだされた地図をルシアに見せた。
「実はね、道を尋ねたいの。空京デパートの通りを挟んで真向かいにある劇場なのだけど、分かるかしら?」
 えっと、とルシアがデパートのチラシとスマートフォンの地図を見比べる。
「ここが……今いるところ?」
「そう。シャンバラ宮殿前ね」
 ルシアの指がたどたどしく地図の道をなぞっていく。二人でスマートフォンを覗きこむ様は、一見して二人で考えながら正しい道のりを探しているように見える。が、実際には時折盛大に脱線しそうになるルシアの指を、ローザマリアが「こっちじゃないかしら」というように修正しながら正しい道をたどらせていく。
「うん、こういって、こう、こうだね」
 正しい道をなぞり終えたルシアが、満足げに息をついた。
「つまり、こういうルートを通ればいいのかしら?」
 ローザマリアはおさらいと言わんばかりに、ルシアによく見えるよう今なぞった道をもう一度ゆっくりとなぞってみせる。うんうん、深々と頷くルシアがバッチリ覚えたかは果たして怪しいところだが、これ以上やるのもわざとらしい。
「ありがとう。助かっちゃったわ」
「ううん。いいの。空京って広いから道に迷ってしまうものね」
 やっぱり最後まで放っておけないものを感じるけれど、健闘を祈ってルシアにタンブラーを渡した。
「お礼よ。あなたも買い物、がんばってね」
 ルシアが受け取ったタンブラーには細工がしてあって、体温で暖められると、空京デパートまでの地図とルートが浮かび上がってくるようになっている。
「まぁ、でも必要なかったかもね」
 ローザマリアと別れたルシアが次に注目したのは、「空京デパート最後尾」と書かれたプラカードだった。やや困惑しながらも視線を転じ、持ち主へ。騎沙良 詩穂(きさら・しほ)がこれ以上なく歓迎の意を示す笑顔を、まっすぐにルシアへと向けていた。
「お客様も、空京デパートに用事?」
 ルシアにしては珍しく、少し訝しげにしながら頷く。ルシアの目には、最後尾もなにも、列なんてできている様子が見えないのだから無理もないかもしれない。
「それでは、こちらへどうぞ」
 どうぞもなにも、と思いながら詩穂が指し示す手の先を見やると、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)が、
「遅いよ〜、こんなに後ろなんだからね」
 駆け寄ってきたカムイ・マギ(かむい・まぎ)に、ほら見てよと詩穂のプラカードを示す。
「ああ、ごめん。待たせてしまいました」
 待ち合わせて空京デパートまで行く二人組、そういう風に見えるように装い、レキとカムイが手を繋ぐ。レキが、ちらりと後ろのルシアを窺う。
「それじゃ、空京デパートに行こうか」
「はい、行きましょう」
 少し大きめの声。ルシアの耳にもバッチリ届いて、空京デパートへと行くことが分かる。
「さあ、どうぞ。そちらに並んで」
 詩穂がルシアに、レキ達の後ろにつくように言う。素直に後ろについて、レキとカムイの後を追う形で進み始めた。後ろを見ると、ルシアの後をついてくる詩穂がにっこりと笑顔を見せる。
「前のお客様について進んでいってね。あ、デパートでの買い物の時もそうだけど、並んでる時に前の人に割りこんじゃだめだよ」
 前にレキとカムイ、後ろに詩穂、挟まれる形でルシアは空京デパートまでの道のりを歩んでいく。今度こそ、無事にデパートにたどり着きそうだった。


 何度もついて、もう涸れたのはでないかと思っていたため息が出た。
 高層ビルの屋上、リファニーは細く長いため息をついて、眼下のルシアを眺める。今度こそ、ルシアが問題なくデパートにたどり着く、だろう。おそらく。きっと。たぶん。
 未だ不安の色を拭えないリファニーを安心させようと火村 加夜(ひむら・かや)が声をかけた。
「そんなに心配しないでください、リファニーさん。あれだけたくさんの人が協力してくれているんです。きっともう迷いませんよ」
 だといいのですが、答えるリファニーの声はほとんどささやき声に近かったが、すぐに思い直したか、気弱なげな笑みを浮かべた。
「すみません。ルシアを信じて見守るつもりだというのに、少し落ち着きが足りませんでした」
「いえ、ドキドキしてるのは私も同じです。でも、リファニーさん、本当にルシアちゃんのこと大事に思ってるんですね」
「それは、まあ」
「なんだかルシアちゃんのお母さんみたいです」
 加夜が笑う。リファニーがむ、と考え込んだ。さっきも似たようなことを言われた。手の中のデジタルビデオカメラに視線を移しそれを思い出す。
「リファニーって、ルシアのお姉さんみたいだねぇ」
 そう言ってリファニーにビデオカメラを渡したのはミルト・グリューブルム(みると・ぐりゅーぶるむ)だ。
 はい、といきなり渡されたビデオカメラをリファニーが戸惑って見つめていると、
「あ、使い方は難しくないから平気だよ。ボクたちはルシアからちょっと離れたところから撮るから、リファニーは上から撮ってくれないかな。ほら、上からだとより面白い絵も撮れると思うんだ」
 話が見えない。ほら、と言われてもどうしたものか、リファニーが途方に暮れていると、ミルトの傍らで、ペルラ・クローネ(ぺるら・くろーね)がミルトの補足をした。
「これはルシアさんにとってはじめての買い物ですから、思い出を形に残すのもいいんじゃないか、とミルトは言いたいのですわ」
「そうそう。ほら、撮影のためにボクらがついてくから、いざっていう時にはルシアにそれとなく道を教えられるしね」
「あ、それはいいですね。ルシアちゃんのお買い物が無事に終わったら、みんなで鑑賞会をしましょう」
 加夜が手を打って提案して、ミルトは加夜の笑顔に頬を赤く染めてポーっとなっている。ペルラが目を細め、ミルトのお尻をつねった。
「痛っ。な、なにするのさ」
「知りませんわ」
 つん、とペルラが顔を逸らした。
 そして、今こうしてリファニーはビデオカメラを向けている。
 地上で、ミルトとペルラがカメラを向けているのが見える。ミルトがこちらを見上げて、右手の親指をぐいと立てた。
 そうこうしているうちに、ようやくルシアがデパートに到着しようとしている。
「ルシアちゃん、やりましたね」
 加夜がリファニーに笑いかけた。ひとつの障害を乗り越えたことを確認して、まだ買い物が終わったわけではないというのに、リファニーは肩の力がどっと抜けるのを感じた。