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壊獣へ至る系譜:共鳴竜が祈り歌う子守唄

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壊獣へ至る系譜:共鳴竜が祈り歌う子守唄

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■ 子守唄 愛する子供達へ ■



 乾いた風が吹き渡る荒野には激しい戦闘音も風景を構成させる要素の一つでしかないように思えた。
 否、思えたのではなく菊花 みのり(きくばな・みのり)にとってはそれは風景も同然なのかもしれない。
 眺めている争いは彼女の世界にまで遠く及ばず、届かない。
 知性を失っている為か共鳴竜は目の前の契約者達に夢中で、僅かばかり距離を置いたみのり達には全く気づく気配もなかった。
「みのり」
 アルマー・ジェフェリア(あるまー・じぇふぇりあ)はパートナーの名前を呼んだ。
 共鳴竜の攻撃対象にはならない安全圏ではあるが、先ほどから竜が咆哮する度、周囲に古代文字が出現し始めていた。それはみのりの肩の横に現れたり、何事にもすぐに対処できるよう警戒を怠らないグレン・フォルカニアス(ぐれん・ふぉるかにあす)の眼前に現れたりと場所を選ばず、増殖していく。
 それでも、そんなことは意に介さず、みのりは共鳴竜を眺めている。
「君は……誰に、歌っている……のでしょうか」
 彼女に竜の子守唄が聞こえているわけではない。
 そもそも連絡を受けて駆けつけたわけでもないのだ。
「……何に、嘆くのでしょうか……」
 感情の無い少女はエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)の出現をその瞳に認めても、ただ囁くだけだった。



 共鳴竜の遥か頭上空高く、災の形は無貌の仮面の下で含むように笑った。
「ふふふ……疫病の如き狂おしい歌、ですか。聞こえないのが残念ですが、いやはや、素晴らしい。素晴らしいですねぇ」
 異形の手が、体の横で右と左に広げられる。
 彼が愉悦に体を震わせる度、エッツェルと共にいるクルーエル・ウルティメイタム(くるーえる・うるてぃめいたむ)は犇めいた軋みをあげ、不協和音を奏でていた。
「この調子で影響を広げてくだされば……」
 エッツェルの指が見かけとは裏腹に繊細な動きで空に円陣を描いた。
「竜の血族に大きな絶望を与えられる」
 一瞬ルーン空間結界が色めき、クライオクラズムが大地に向かって迸った。
「ふふふ……ふふふ……」
 エッツェルの愉悦は止まらない。
 まだある。まだ、あるのだ。
 この身には暴走を促すだろうフールパペットや身を守る術すら奪うことができるだろうシーリングランスがある。
 次の手はどれか、どうやって契約者達を阻もうか、考えるだけで現状が最悪になればいいと悪意が膨らむ。



「ダーくん、助けに来たよ!」
 いつもの明るく賑々しい声で小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は自分達の到着を告げた。
「おう、助かる。だが、気をつけろよ」
「うん。じゃぁ、行ってくるよ」
 ぐっと親指を大鋸に向かって立てて美羽は小型飛空艇ヴォルケーノの先を共鳴竜の方へと向けた。大鋸に小さく会釈したベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)もパートナーに続いてディオニウスブルームを飛ばす。
「って、厄介なのがいるなあ」
「高みの見物と言ったところですね」
 契約者達の奮闘の甲斐あって共鳴竜と大鋸達が隠れている岩陰や要救助者が居る場所へはそれなりの距離が保たれている。状況はこちらに有利と見て確かだろうが、上空の異形が嫌な予感を駆り立てた。
 共鳴竜が首を激しく左右に振り、捩れた体勢から無理遣りの咆哮をがなりあげる。
 まるで、悲鳴の様に。
「やっぱり何かしてるよ!」
「追い払いましょう」
 言葉を選んだが怒りを隠せないベアトリーチェの表情を見て、美羽は同感と頷いた。



『(……和輝?)』
 魔鎧スノー・クライム(すのー・くらいむ)を纏い素性を隠し、気配を殺し、人知れず現場に留まっている人物の耳元で囁きが漏れた。獅子の面の下で佐野 和輝(さの・かずき)は軽く顔色を変える。
「(破名か。ずいぶんと遅い連絡だな)」
『(……三時間経って戻らなかったら帰ってくれても構わないと言っただろ)』
「(あのな、二時間後に竜の出現。そしてあっという間にこの状況、しかも今頃生存報告か)」
『(状況が……知りたい)』
 ふざけている場合かと詰問する和輝を破名は無視した。
『(誰かが酒をぶち込んだのと、誰かが嫌がらせしてるのしかわかなくて、参っている。ああ、あと移動してるのと。これくらいか)』
 それは共鳴竜の状態だ。それがわかって他がわからいとはどういう事か。
 ドラゴニュートを脅かす病。集まってきた約者達。異形の到来。数秒の黙考を経て和輝は全ての状況を説明した。
 が、返事が返ってこない。
「(おい?)」
『(あ、ああ、悪い。意識が飛びかけた。嫌がらせの元はその空の上の奴なのか? ――飛ばしたいな)』
「(飛ばす?)」
『(正直しんどいんだよ。これ以上他に接続先無いし。だからって更に精神攻撃受けるわけにもいかないし、折角誰かの歌で少しは楽になったと思った矢先だってのに、ああ、距離がわかればな。それより飛ばす余力があるかって話なんだが……そうだ、和輝、測定とかできたりしないか?)』
 テレパシーと独り言が混ざっている。一体何がどうなっているのだろうか。
 聞かれたのでディメンションサイトなら可能かもしれないと答える和輝は未だ姿が見えない相手に眼を細めた。
「(…………破名、おまえどこに居る?)」
『(ちちゅうー)』
 自嘲に笑ったようなふざけた返答だった。



 ノイズ混じりの場面。
 外だ。
 夜なのか暗い。
「さて、逃げ――前に確認――ど」
 割れた音声。残念なくらい掠れた声。
 そう言えばトラブルで一週間程寝ていないとか言っていた。
「――は制御――施術は受け――なかった――よな?」
 頷いた。五つある工程の内、最初の一つしか受けていない。
「じ――約束だ」
 破名が念を押す。顔は暗すぎて見ない。
「絶対――を、起動させるなよ」
 不思議なことを言う。起動には条件があると説明を受けた。
 破名が首を横に振ったらしい。
「おま――いずれ竜になるだろ? ――絶対じゃな――んだ。そも――竜に関――研究サンプ――少な――、竜でも起動しない確証がない」
 他の種族はいざ知らず、成体に関しての検証が成されていないからと念を押された。
 肩に手を置かれた。トラブルに追われて疲れ切った冷たい手の感触。
「いいか、竜でありたかったら起動させようなんてするなよ」
 鮮明になった忠告。酷く掠れた声の警告。
 もしかして、彼の、視点だろうか。



「ブルーズ? ブルーズ、大丈夫かい?」
 黒崎 天音(くろさき・あまね)に右肩を揺さぶられブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は瞬きを繰り返し、深く息を吐いた。鱗が共鳴にさわさわと鳴いている様で落ち着かない。
 止まっていた、子守唄の歌詞を書き出していた手を再び動かす。
「竜の子守唄ってのはそういう呼び名なんだよね? それが本当に子守唄を歌っていたとは」
 不思議な光景を目にしていると感心してしまった天音にブルーズが頷いた。
「竜の子守唄の他に、導く囁き、音無き声、悪意のない真実と実際は様々だ。もしかしたらドラゴニュートの数だけ呼び名があるかもしれん。なんせ我らしか認知できない事象だからだ。しかし、竜が子守唄を歌うのはもっと珍しい」
 名称の統一など、無意味に等しい。ただ、それが一番近いかもと感覚だけで、竜の子守唄と呼ばれているのが多いというだけだ。
「へぇ、そうなんだ。 ……うん、古代語だ。見たことのある文字もあるね」
 書きだされた子守唄の歌詞を眺め天音は頷く。文字と意味を照らし合わしながら、こんな形で解読の手がかりが得られた事に天音は自然と共鳴竜を見た。
「子守唄を歌っているだけなのに、こんな影響があるなんて性質の悪い呪いみたいだね」
「竜でありたかったら起動させようなんてするな」
「え?」
「「破名」から忠告を受けた。共鳴のその影響で視た情景だ。歌の内容もそう。何も悪いことばかりではないようだ」
「全部話して」
 何が起こっているのか知ることができれば、事態は理想的な形で収束するかもしれない。



 一見して老竜とわかるほど老いているのに振り回される脚は空気を裂くほどにも鋭く、咆哮は耳に痛いし頭に響く。ただ、それでもブレスは吐かないし空を飛ぶわけでも何か特殊な能力があるわけでもない。
 それでも苦戦してしまうのは、誰もが皆助けたいと思っているからだ。
 できるだけ無傷に鎮めて、元に戻って欲しいと願っているからだ。
 こんな狂った眼は相応しくないと、自然に感じさせるくらいはこの砂色の竜はその品格を秘めている。
 だから、その竜を利用しようとする輩を許す事ができない。
「素直に撃ち落とされてよね!」
 美羽が操る小型飛空艇ヴォルケーノから発射されたミサイルポッドがエッツェルに向かって軌跡を描く。
 その美羽の真隣で氷が砕け散った。氷術に阻まれて軌道がずれた竜の尾が大地に落ちる。
 離れた場所で美羽に向かった共鳴竜の攻撃を防いだみのりに気づいたエッツェルは邪魔はさせないとその両腕を動かした。
 クライオクラズムの闇色が大地に突き刺さる。エッツェルの攻撃の手は緩まない。休まない。止まらない。ドラゴニュートを苛む病。それが大陸全土に広がればドラゴニュートが、強いては全ての竜族を根絶やしにできるかもしれない。その可能性をどうして放おっておけるだろうか。
 たったこの一時、契約者を排除するだけで、それが叶うと知れるなら、この身が快感に震えないはずがない。
 指先が次の標的を示す。
 アルマーとグレンの二人がそれに気づき迎撃に身構えるのと同時に、空が輝いた。
 ベアトリーチェの呼び声に応えて現れた無数の天使が輝く雨となってエッツェルに降り注いだ。
 いつもより、量の多い、白く輝き、銀の軌跡の尾を引いて光の雨が禍々しい色の厄災に命中する。
「え?」
 光が収束したと同時にエッツェルの姿が消えていることにベアトリーチェは小さく疑問の声をあげた。
「手伝いに行こう」
「あ、はい」
 呆気無く消えた厄災に戸惑うベアトリーチェを問題はまだ終わっていないと美羽は彼女を手招く。
 エッツェルが去ったのを確認し天音は集まった情報を軽くまとめ誘導組に加わる為に岩陰を後にした。



 かなり離れた場所。
 人影は三人。
「あー、はなちゃんの転移魔術ぅ。しかもあんだけ光ってるのを見ると和輝ちゃん手伝ったんじゃないぃ? あの黒いのちょっと遠くに飛ばされでもしたわねぇ」
 裁きの光に乗じて膨らんだ銀色の光にルシェード・サファイスは、ふぅんと鼻を鳴らした。多少つまらなそうにしているのは破名からずっと待機を言い渡されていたせいである。
「転移魔術? 手伝うとは?」
 禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)の問いかけに、和輝が手伝ったという単語に反応したアニス・パラス(あにす・ぱらす)に気づいたルシェードは実に嫌らしく微笑む。
「あとで和輝ちゃんの手当してあげるといいわぁ。許可されたからっていっても直接はなちゃんの楔を触るなんてあたしには出来ないぃ」
 軽傷だといいわねぇ、とルシェードはアニスをせっついた。
「楔とはなんなのだ?」
「はなちゃんだけが使える古代魔術文字。原理なんてさっぱりよぉ。だからそれ以上あたしに突っ込まないでぇ。ふぅん? 余程嫌がらせでもされたのかしらねぇ」
 許可制にするほど他者に触られたくない文字を使わせてリスクの高い転移を行った破名にルシェードは、その嫌がらせあたしも乗りたかったと心の底から悔しがった。
「アニスちゃんは顔に出るのぉ? 大丈夫よ死にはしないしぃ、せいぜい火傷程度じゃないぃ? ていうか、和輝ちゃん正確に座標測れるのねぇ。測れないと転移できないって言ってたからなぁ」
「ルシェード、そもそもあの男の目的はなんなのだ?」
 待たされた挙句本人は行方不明。竜の出現に気づけばこの現状。振り回されて、『ダンタリオンの書』はうんざりしている。
「知らなあいぃ。さっきからリオンちゃんは、はなちゃんの質問ばっかりぃ。まぁ、わからないでもないわぁ、この時代誰も知らない技術だものぉ。でもねぇ、あんな研究してる男より、あたしのほうがとおっても素敵な事してるわよぉ。だからもっとあたしに教えてよぉ」
 笑いながらもルシェードの目は獲物を前にした獣の光を宿していた。彼女には彼女の目的がある。