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リアクション
第3章 猫たちは動き出す
猫と人間が入れ代わっている――
ルームの猫たちと、ルームの外の従業員たちを見比べるように眺めていて、ガラス壁の近くに座る綾瀬はその結論に至った。
そして、その事実を知っただけで、当座は満足だ。
別に誰かに言おうとも思わないし、ましてや声高に周りに知らせてアクションを起こそうなどと。
(猫の気持ちを味あわせたかったのか、それとも人間の気持ちを味わいたかったのか……)
何が起こっているのかは分かった。でも、どうしてそれが起こったのかはまだ、分からない。
だからといって焦って動く綾瀬ではない。
(まぁ、それもいずれ、“当事者”に教えて頂ける時が来ましょう)
その時までまだしばらく、『傍観者』としてこの状況を楽しめそうだ。
同じ結論に至ったのは、やはり猫になっているルカルカ・ルー(るかるか・るー)であるが、こちらは聞き込みの結果を経てそこに至ったものだった。
聞き込んだ相手は、契約者ではないという猫の一団である。
『あいつの言うことが本当なら、あんまり喋りすぎると却って術が解けなくなってしまうかも……』
などと、茶猫のリネンが言っていたことを重く受け止めすぎて無闇やたらに怖がり、基本情報すら話すのをためらう一団を、「事を起こした元凶が分かれば、きっと呪術は根本から解除することができるから心配ない」などと辛抱強く説得して何とか重い口を開かせた。それでも彼らは時々話しながら、ちらっちらっと、座り込んで眠そうな目をしているリネンの顔を窺うように見る。「この話はしても大丈夫なのか」と問うかのように。リネンはこれといった反応を示さない。ということは、話しても大丈夫なのだろう、と解釈して、それでようやくルカルカの問いに答えるといった具合である。非常にまどろっこしいテンポだが、これに合わせるしかないと諦めて、ルカルカは彼らの話を根気強く聞いた。
その結果、彼らは店の元々の従業員であると分かった。
『開店準備をしていたら変な鳴き声が聞こえてきて、気が付いたら猫になってたんだ』
それは、多くの契約者たちと同じである。そして彼らが猫ルームで目覚めた時、元々いた猫は室内にいなかったのだ。――リネンを除いて。
『猫の方が、人間の従業員になっちゃったのね』
それで、肝心の呪術を施した主は、ということだが……
『猫の誰か、だろう。だが誰なのかは分からない』
多くの者は、聞いたのは「鳴き声」だけだった。鳴いたのがどの猫かは分からないという。
『そんなことをしそうな猫!? 知るはずないだろう。そんな化け物じみた猫がいたら、店に出す前に処分している!』
ルカルカの問いに声を荒げて返したのは、ひどい胴間声のぶち猫だった。
『店長……!』
ショックを受けたようなルカルカの様子に、慌てて隣にいた別の猫が小声で窘めるように囁く。我に返ったぶち猫の「店長」は、『……すまん、ついイライラしてしまって大声を』と言い訳がましく呟いた。
もっともルカルカは、ただ単に大声に驚いたというわけではなかったのだが。
多くの猫を預かる猫カフェ店長にしては何か……その猫たちに対して、いささか情のない響きを感じたからだ。
『リネンが特別な立場にいるのは何故なんだろう』
年若いスタッフらしい痩せた猫が、ぽつりと独り言のように口にする。
『リネンは何か、特別な力を持った猫なんだろうか。だったら、シルクも……』
『シルク?』
『リネンとは血縁関係にある猫で、うちに引き取ったのも2匹同時になんだ。黒猫なんだけど、左の前脚の肩にだけ、三日月みたいな形の白い模様がある』
喋りながら、やはり彼も不安そうにリネンの方を見る。
リネンはこちらを一瞥し、いきなりふいっと立ちあがって、別のクッションの上に飛び乗ってしまった。
『!!』
それが不興を買ったと取ったのか、痩せた猫も他の猫も、シルクの話をそれ以上はしてくれなかった。わぁ、猫ちゃんが来てくれたぁ、と嬉しそうな、ルーム内の客のはしゃいだ声が聞こえてきた。
『猫たちはみんな、怒ってたのよ、私たちに……』
誰かがぽつりと呟いたのを、ルカルカは聞いた。
客はどんどんやってきて、猫を構ったり撫でたりして楽しんでいる。
その客たちに窮状を訴えようにも訴えられない契約者たちだが、人によってこの状況の受け止め方は違うようで……
(あぁ、どうしよう、どうすればいいんだろ……)
部屋の隅で、三毛猫の桜月 綾乃(さくらづき・あやの)は途方に暮れ、しょんぼり尻尾を垂れている。
パートナーが来て気付いてくれることが救いの綱になるというが、この状況でそれをいかにして望むべきかも分からない。
かと思えば、
(面倒なことに巻き込まれているのは分かってるんだけど……うん、なじむ……実になじむ……)
同じ三毛猫でも、佐々良 縁(ささら・よすが)は、考えることを放棄して小柄な体をカーペットの上にごろーんと伸ばして、如何にも猫らしくあくびをしている。
(なんか……面白いかもしれない……)
猫になるなんてざらにあることではない(あったら大変)ので、どうせならこの状況を満喫してやろうなどと考えていた。
「にゃーにゃー、にゃああ(なんで、こんなことに)……」
猫にされたユーリ・ユリン(ゆーり・ゆりん)は、あてどなく鳴きつつ、くるくると所在なさげに歩き回っている。
他にも猫にされた契約者及び非契約者がいる。皆、不安げで、それを見ているとこちらも不安になってくる。取るべき手段も、今のところは分からない。
ただ、パートナーが助けてくれるという可能性はあるというが……
一方。
「お父さん……どこ……?」
ユーリを探すパートナーのユゥノ・ユリン(ゆぅの・ゆりん)は、すぐそばまで来ていた。
昨夜から帰ってこない父を探すユゥノは、闇雲な不安に駆られ始めていた。
――彼を喪う“未来”を知っているために、否が上にも膨らむ悪い予感。
「おとぉさあぁぁん」
顔を青くし必死になって歩き回っているうちに、いつの間にか『キトゥン・ベル』の前に立っていた。
「ん……? 猫カフェ?」
何かを感じて足を止める。直感、だろうか?
(あれ? 何だろう、この店……何となく、ここにお父さんがいる気が……?)
半信半疑ながら、店に入り、猫ルームに案内された。
(! ユゥノ!?)
入ってきたユゥノの姿にユーリは驚いた。
(もしかして、僕を助けに来たの?)
特にこの店に行くと言ったわけでもなく、捜す手がかりなどほとんどなかったはずなのに……何に導かれてここに辿りついたのだろう。あの猫が言っていた「契約者の絆は特別なもの」とはこのことなのだろうか。いや、それとも……
「に、にゃあ(親子の絆)……?」
ユゥノは、部屋中にいる猫の様子に、居ても立っても居られないほどに胸に溢れていた不安が少しだけ和らいだ様子で、
「ちょっとだけなら、いいよね? ふふ……もふもふ……」
足元にいる猫を撫でて、小さく微笑んでいた。
「にゃああ、にゃ、にゃー(ユゥノ、ユゥノ! 僕だよー!)」
鳴きながら傍に寄っていくと、ユゥノは気付いて、猫のユーリをまじまじと見た。
「……? この子……」
何かを感じて、ユゥノはユーリを持ち上げた。
(なんだか、お父さんみたい……)
「にゃっ(気付いてくれたっ!?)」
引き寄せられたようなユゥノの所作に、ユーリは一筋の希望の光明を見た。――が。
「……うふふ、もふもふー!!」
ユーリの毛並みの手触りに目を細め、ユゥノはユーリをもふもふ触り出した。
「にゃにゃ!?にゃにゃにゃんー!?(もふもふ!?全然気づいてないぃー!?)」
ユーリの焦りに気付かず、ユゥノは座り込んでユーリをさらにもふもふ撫でる。
「猫さんあったかくってふわふわ……肉球ぷにぷに……お腹ももふもふー!!」
仰向けでお腹の毛をもふられ、
「にゃにゃにゃあ、にゃにゃあー!(お願いだから、気付いてぇー!)」
必死に鳴き続けるユーリであった。
今から数時間前、『キトゥン・ベル』の前で息を飲んだのは、桜月 舞香(さくらづき・まいか)である。
「この店……あたしの野生の勘…もとい、歴戦の女の勘がここが怪しいって告げてるわ!」
いなくなったパートナーの綾乃を探して空京の街を歩いていて、偶然辿りついたこの猫カフェ。
何か感じるものがあった。
幸い、スタッフの人手が足りていないと言うので、ホールで猫耳ウェイトレスとして働くことにして潜入を決めた。
「猫カフェだし、猫耳、ちょうどいいでしょ」
だが、その猫耳に対して、店員が妙な視線を送っている。嫌悪する目つきではないが、むしろ羨望というか、変な馴れ馴れしさというか……
(変なの。皆にゃんにゃん言ってるし。猫カフェってこんなもん?
若い女の子ならともかく、いい年した男が言ってるのは気持ち悪い……)
こっそりそう思いながら、ふと、ポケットの中の物が落ちそうになっているのに気付き、入れ直す。
“鉄子”である綾乃のために買った、新作のパラレールだ。失くさないように、ちゃんと傍に持っておきたい。
(これをちゃんと渡してあげるから、待っててね、綾乃!!)
そうして、不慣れにも程がある店員たちのフォローをしながらホールで忙しく働く舞香は、猫ルームの隅でしょんぼりしている綾乃にはまだ気づいていない。
『マスター、私達猫さんになっちゃいましたねー!
でも皆さんご一緒で、何だか楽しいですー』
金の毛並みの猫になったフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)は、その言葉通り悩みも焦りもない様子で、長い尻尾をゆるゆる振りながら猫タワーに『おおっ、この身の軽やかさはまさしくにゃーですねっ』と俊敏に飛び乗って自分で感心し、頂上に寝転んでいた樹に『場違いなまでに元気だな、芦原の忍び娘……』とやや呆れ混じりに言われて『えへへですー』と笑ったりしている。
『なんで俺まで猫なんだ……
つーかフレイ? 頼むからもーちょい危機感を抱いてくれ……』
対照的に、この状況に悩みまくっているのは黒猫姿のパートナーのベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)。
パートナーに気付いてもらえれば元に戻れる……とはいっても、パートナーと一緒に猫になってしまっている場合はどうすればいいのか。フレンディスにはもちろん他にパートナー、つまり契約で結ばれた仲間はいるが、自分の場合はどうなるのか。「見破らないといけない」ということは、現時点で自分が猫であると知っているフレンディスには、自分を元に戻す手段はないのではないか。いや、フレンディスにしたって、パートナーはいても彼女を見抜けるとは限らない……考えれば考えるほど悩みの要素ばかりが増えていき、解決策が見えてこない。
そういえば、今日は待ち合わせをしていたはずなのだが……と、その相手を思う浮かべるが、彼女が自分たちの助けになるかどうかと言われると……望みは薄い、気がする。
(まずこの店……猫カフェに来なきゃ始まらないもんなぁ……)
――「む……っ!? 猫カフェ……だとっ!?」
そのベルクが考えている相手、レティシア・トワイニング(れてぃしあ・とわいにんぐ)が、猫カフェ『キトゥン・ベル』の存在に気付いたのは、まさにその時だった。
買い物の用事で待ち合わせをしているフレンディスとベルクが一向に現れないことに苛立ち、「後でベルクは斬って捨てるべきかもしれぬな」などとまで考えて、やむを得ず近くに暇を潰せるような店でもないかと見回していた時に見つけたのだ。
戦いを愛する、いつも仏頂面で不機嫌そう、視線もドSな戦乙女、レティシア・トワイニング。
そんな彼女が、パートナーにさえ決して明かさぬ裏の(?)顔。
それは――【隠れ猫デレ】である。
こほん、とレティシアは一度咳払いして、
「……、モミジにサクラよ……主らも、もう少し猫の友達が欲しいとは思わぬか?
うむ、どうやらあのカフェに沢山いるようでな。
我としては大して興味はないのだが、時間潰しに行こうではないか」
従者のニャンルー兄妹に(やや一方的に)話しかけると、やや早足で店に向かった。
『あ! マスター、レティシアさんがお見えになりましたよ?』
フレンディスが能天気なまでに明るい声でそう言った時、ベルクは『マジか!?』と叫びそうになった。
「いや、我は別に、猫を触りたいだとか腹をもふりたいだとか肉球をぷにぷにしたいだとか思っているわけではないぞ。
言っておくが、我はただ、我の従者にだな、近しい種族の友ができれば、なんというか奴らの精神衛生的にも望ましい、などと」
誰に伝えているとも知れない言い訳を盛大に並べ立てながら、本当に猫ルームに入ってきたレティシアにベルクは絶句した。
『レティシアさん、レティシアさーん! 私はここですよー!』
そんなベルクには構わず、フレンディスはレティシアに向かってぶんぶんと手を……振るわけにはいかないので尻尾を振って、元気いっぱいに飛びついていく。
「お!? おぉ、随分と懐こ……威勢の良い子だな。
……か、構ってほしいのか? そうか、そんなにどうしてもという態度で示されては仕方がないな。無下に放り捨てては後で夢見が悪いしな、うん」
レティシアは気付いていないらしく、目をわずかに細めてフレンディスに手を伸ばす。
『? きゃー、レティシアさん、むにゅむにゅくすぐったいですー』
喉元をくすぐられてはしゃいでいるフレンディスと、満面の笑みでそれを見ているレティシアの微笑ましい姿に。
『…………怖ぇ!?』
ベルクは金縛りにあったように一歩も動けなくなった。
あのレティシアが、フレンディスや、傍に寄ってきた他の猫たちに「主らは可愛いな……うむ、いい子達だ」と微笑みかけ、丸い背中をなでなで、ピンクの肉球をぷにぷに……
「? ふむ、主は随分目つきの悪い黒猫だな」
そんなベルクに、レティシアが気付いた。固まっている黒猫に、少しぎこちなくだが手を差し伸べ、
「我に警戒しているのか? ……ほら、恐くないぞ……?」
そう言って手招きするが、彼女なりの優しげな眼差しも込みで、ベルクにはただただ恐怖でしかない。
(……これってまずくないか!? もし今、俺たちの正体に気付かれたら……!!)
彼女が自分たちに気付くことだけが頼みの綱だったのに。
今彼女が見せている表情を自分たちが見てしまったと知れたら、彼女はどうするだろうか……?
(! 斬って捨てられる……っ!)
思わず、顔を伏せて、震えながらうずくまってしまった。まるで土下座するような格好で。
それを見てレティシアは、ハッとした。思わず目を瞠った。
(あれは……まさか……!?
…………、間違いない!
前に出した前脚の上に顔を伏せたまま眠る……これは……っ!
一部の愛好家たちの心をワイヤークローのように掴んで離さないと伝えられる、猫の『ごめん寝』……!!)
「そうか、これが……確かにワイヤークロー……恐るべし……!!」
胸を(きゅんっと)突かれて、息を飲むレティシアだった。
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