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2023春のSSシナリオ

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2023春のSSシナリオ
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リアクション

 1.

「ここ、ですね……」
 ツァンダにて、ルイ・フリード(るい・ふりーど)はとあるマンションの部屋の前に立っていた。何度か現在地が分からなくなったりもしたが、詳細な写真地図を持っていたことで何とか辿り着くことができた。インターホンを押すと、1人の時には潜められていた笑顔が自然と浮かぶ。それは太陽のように明るく朗らかなスマイルだったが――
「こんにちはラスさん、お元気でしたか?」
 ドアを開けた{SNM9998931#ラス・リージュン}が一瞬ぎょっとするくらいには、謎の迫力も湛えていた。
「!? な、何だ? 何の用……」
 身の危険を悟ったのか、ラスは一歩後退った。片手で支えていたドアが閉まりかけ、ルイはそれを素早く掴んで引き開ける。そして――
「なっ……!」
 ひょい、と彼を肩に担ぎ上げた。にこやかな笑みを絶やさぬまま、エレベーターは使わずに階段を降りる。
「ちょっ……! おい、どういうつもり……!」
「少し、つきあってもらいますよ。私のわがままというものに」
「…………」
 何とか逃れようと抵抗していたラスは、その声音の底にある深い怒気を感じ取ってルイの顔を見返した。
(……何か、生きて帰れる気がしねーんだけど……俺、こいつに何かしたか……?)
 記憶を辿ってみるがいくら考えても分からない。ルイに限って言えば、全くもって覚えが無かった。

(ルイがあそこまで悩む姿ははじめて見ましたよ。……なら、影からこっそりと応援してあげたくもなります)
 その頃、シュリュズベリィ著 セラエノ断章(しゅりゅずべりぃちょ・せらえのだんしょう)――セラは{SNL9998769#アクア・ベリル}と2人でツァンダの街を歩いていた。中心街からは外れた、郊外に近い静かな場所だ。
(恋愛感情というものは、複雑ですね)
 そう思いながらアクアの横顔をちらりと見る。“こちらは”周到な用意をしたわけではない。彼女についてはルイが自宅を出たのを確認した後、場当たり的に寮まで行って連れ出した。行動パターンは大体把握しているから何とかなると思っていたし、実際、こうして何とかなった。大仰な理由をつけずとも、『出掛けよう』と言えばアクアはまず断らない。
 渋るような発言をしても、結局はついてくる――
 それが、アクア・ベリルという機晶姫なのだ。
 全く、お節介も大変だ。
「まさか、この時間になってツァンダに来るとは思いませんでした……」
 疲れたような調子で、アクアは言う。だが、本気で嫌がっているようでもない。
「行きたい場所があると言っていましたね? それは、この辺りなんですか? 店らしき建物も減ってきたように思いますが……」
「ああ、それは……」
 セラは意味ありげな表情をアクアに向けた。怪訝そうな瞳を受け流して軽くうそぶく。
「もう少ししたら、分かりますよ」

「……この辺りでいいでしょうか」
 花火大会で使用する川が近くを流れる、広い場所だった。何度か行ったことのある公園は遠目に見える程度であり、周囲には民家の一軒も無い。そして時刻は夕方近く、太陽は地平線に沈む真っ只中だ。
 ――素晴らしいくらい、いかにもなシチュエーションだった。
 土手を降りたところでやっとのことで解放されて、慌ててラスはルイから距離を取った。
「……お前が何をしたいかは何となくは分かる。けど……どういうことだ?」
「……もちろん、理由は説明します」
 ルイの笑顔に、初めて翳りが見えた。怒りというよりも、寂しさにも似た笑みが浮かぶ。
「まず始めに言っておきます。これはただの八つ当たりです」
「は……はあ!?」
 つい、素っ頓狂な声が出た。八つ当たりで物騒な目に遭うのはまっぴらごめんだ。
「帰る」
「ちょっと待ってください!」
 迷わず踵を返すと当然の如くルイの制止が掛かった。煩わしさを感じながら振り返ると、彼は笑みを収めて話し出す。
「私には、アクアさんに惚れたという自覚があります」
「……………………」
 言葉の把握に、随分と時間を要した。意味が解った後も、俄かには信じられなかった。アクアに惚れる男が居るなど、想定外もいいところだ。
「正気か? あ、いや……。! まさか……」
 正気かと訊いた途端に怒りの増幅を感じ、口ごもった後に思い至る。ルイが本当にアクアが好きだというのなら、一つだけ、心当たりがあった。視線で問い掛けると、それだけで伝わったのか、ルイは頷く。
「あのクリスマスの夜の一件……そして送られてきた動画を見て、私自身の気持ちがはっきりと解りました。……私はアクアさんに惹かれており、好意を抱いていると」
「…………。あー……、そういうことか……」
 全てを理解して、ラスは脱力した。思わずその場に座り込む。クリスマスに、彼はとある人物の悪戯に嵌ってホレグスリを摂取した。薬を飲んだのは自分だけではなかったが、その時たまたま惚れてしまったのがアクアだったのだ。ホレグスリは、効きはじめの時に見合っていた相手に対して作用する。アクアもまた素面ではなく、お互いに幻惑された結果として何が起こったかといえば――
 どこまでいったのかは、覚えていない。後日、薬を仕込んだ人物からその時の動画が送られてきたが、殆ど真っ暗で目を皿のようにして観ても真実は分からなかった。
 だが、それが“どこまで”であっても、全く何も無かったとは言えないわけで。
 しかも自分は我に返った後、近くにいたルイに『俺はアクアに何かしたか』と言ったのだ。よりによって、このルイに。今なら分かる。それが、どれだけ無神経な問いであったか。彼は『知らない』と答えていたが。
「もしかして……本当は、知ってるのか?」
 彼に訊くべきことではない。そう思う。それが無神経の上塗りであることは自覚している。それでも、訊かずにはいられない。
「……いいえ、知りません。ですが、クリスマスのその……桃色な空気のアレは、ラスさんに非が無いとはいえ……」
 ルイはそこで、視線に力を込めた。
「気持ちがはっきりとしてから生じる負の感情が、御しがたいのです」
 ――例え、あれが事故のようなものだとしても。
 今日、ルイはセラと簡単な話をした。否、正しく言うと、セラが話しかけてきた。ファーシーが新居を買って、新しい生活を始めたこと。その一足先に、ラスとピノも引っ越したこと。ラスは大体、夕方18時前後に出掛けることが多いらしいこと――そしてセラは、こう言った。
『ああそうそう、ファーシーさんとピノちゃんから転居の手紙が来ていましたよ。ルイが方向音痴であることを承知しているのか、こっちには詳細な地図が入っていました』
 ピノが送ってきた、という封筒は若干分厚く、中には大きな写真地図が入っていた。駅を起点に、どう歩けばいいのか赤ペンで線まで引いてある。
 ここまで材料が揃ってしまったら、もう爆発寸前であった感情を抑えるのは――ルイには無理な話だった。
「子供のような八つ当たりだと理解してます。自分が、十分な大人であることも。それでも、私はラスさんを殴らずにはいられない」
「…………」
「私が悪いということは、嫌というほど分かっています。理不尽ですよね。……でも『事故』で納得いくほど、私は人間出来てないのですよ」
「……そんなに人間出来てたら、逆に気持ちわりーだろ……」
 ラスは溜息を吐いて、立ち上がる。ここまで話をしたのだ。ルイには、一方的に力を振るう気は無いのだろう。第三者視点から考えれば問答無用でもいいくらいだが、あくまでも、フェアに決着をつけるつもりらしい。だが、彼の望む“決闘”を受けるかといえば、それは迷うところだった。こちらには彼を害する理由が無いし、そもそも、自分には……対抗するだけの権利があるのか?
 勿論、殴られたくはない。ルイに殴られれば、下手したら半殺しでは済まない。それが嫌なら、戦うしかないのだが――
 何となく気詰まりを感じ、土手の上に視線を逃がす。だがそこで、彼は目を見開いた。そこにはルイのパートナー、セラの姿と。
「アクア……」
「え……?」
 呆然と呟くと、ルイも驚いたように顔を上げた。アクアを認めると、微動だにしないままに言葉を失う。驚きすぎて、頭が対応出来ていないのかもしれない。
 夕日に照らされていてもそれと判る程、アクアは顔を赤らめていた。眉間に皺を寄せて、泣くのを堪えるような表情をしている。これはもう、ほぼ全部聞かれていたとみて間違いないだろう。惚れただの惹かれただの、その辺りから全て。彼女は胸元に下がるペンダントを、ぎゅっと握った。初めて、その意味を知ったかのように。
「ルイ、私は……、私は……こ、このペンダントは……」
 混乱を来した様子の彼女を、ルイは棒立ちになったまま見詰めていた。その表情が、ふいに柔らかなものに変わる。どこか吹っ切れた、優しさの篭った笑みに。
 それから、彼はラスに向き直った。
「さぁ、喧嘩しましょうか……」
「ちょ、ちょっと待て! 俺は……」
「私の力はある程度抑えます。ラスさんは全力できてください」
「…………」
 反射的に制止しようと出した手を、ラスは真顔で引っ込めた。そうだ、抵抗するかどうかはともかく、ルイが殴りかかってくることはもう、止められないのだ。
「でないと不公平でしょう? 私と貴方の力量じゃ」
 言いながら、ルイは自分が嫌な人間であると自嘲する。何と傲慢な言葉だろうか。自己嫌悪で、笑顔の内側が暗く塗りつぶされていく。だがその代わり、殴らせてもらう――それ以上の事を、彼に求めるつもりはない。悪いのは、あくまでも自分なのだ。
「私が倒れたとしても放置して結構です。ラスさんが倒れた時は病院まで運びますよ。ピノさんにも迷惑かけちゃってますね……ははは」
「お前……」
 ルイは空虚に、明るく笑う。ピノに影響が出る、という結果が前提になった彼の台詞は、どこか消極的だったラスの気分を一変させた。僅かに顰めていた顔を、引き締める。
 力の差に関してはルイの認識が現実だ。多少不愉快だろうが上から目線だろうが仕方がない部分はある。だが、ピノに関するその言葉だけは――無性に、ラスの心を刺激した。自分でも、想定していなかったわけではないのに。
「よく分かってんじゃねーか。んじゃ、せいぜい手加減してくれよ?」
 ラスは静かな動きで光条兵器――ハンガーと呼ばれる刀剣状のもの――を取り出した。権利がどうとか考えている場合ではない。身を守る機会が与えられるのならそれに甘え、返り討ちにするだけだ。

「どうしますか? アクアさん」
「どうしますって……」
 土手の上で成り行きの一部始終を見ていたアクアは、セラに問われても何も答えを返すことが出来なかった。あまりにも突然の事態に、どう受け止めていいのか分からず、受け入れることもままならずに混乱する。何故こんな事になっているのか、流れとしては理解出来てもそれは上辺だけの理解で、頭の中に浸透しない。
 でも、これは止めるべきなのかもしれない。ルイの行為は、本人が言っているようにただの八つ当たりだ。確かにあの時、アクアはラスと一歩先へ進みかけた。だがそれは、ホレグスリに負けた自分が誘ったのが切欠で……
「ルイ、止めてください! 私は、私はあの時……!」
 彼だけに非を押し付けるのはずるい気がした。どれだけ恥ずかしくても、これだけは、これだけは言っておかないと――そう思うのに、次の言葉が出てこない。彼女の必死な気持ちが伝わったのか、ルイは動きを止めて顔を上げる。
「……解っていますよ、アクアさん。全て、解っています。それでも……駄目なんです」
「…………!」
 その目を見た瞬間、アクアは何も言えなくなって立ち尽くす。気の逸れたルイの胴に向けて、水平に振られた剣が迫る。それを避けると、ルイは攻撃直後のラスの背に拳を繰り出す。ぎりぎりで振り返って地を蹴ったラスは、直前まで自分が居た場所が広範囲に抉れるのを見て顔を引き攣らせた。
(……これ、マジで死ぬかもな……)

「30メートルくらいは吹っ飛んでましたよね。よく生きてたというか何というか」
 決着がつくまで、5分と掛からなかっただろう。
(てめぇ……これ仕組んだのてめぇだろ……)
 どこか楽しそうに言うセラに、ラスはルイに背負われた状態で内心で毒づく。彼女から地図を渡されたのだと聞いて、彼はそれを確信した。何故かというと、ピノはルイの家に転居の手紙など出していない。ピノが転居の連絡をしていたのは事実だがそれは一部例外を除き大方が女子宛てで、電子メールを使ってのものだった。ちらりと見た限り、メールは文章のみで構成されていて写真地図のURLも載せていなかったように思う。
 しかし、状況が状況とはいえ自分の行動予定を調べてお膳立てをし、ルイが家に来るように誘導するとは――
 何とも、油断のならない少女である。
「……んなことより……ピノがどうなったか見てこいよ……家、知ってんだろ……?」
「分かりました。それじゃあ、行ってきますね。アクアさん、行きましょう」
「えっ……、私も、ですか?」
 にこにことした笑顔を浮かべ、セラはアクアを連れて別の路地に入っていった。今の言葉で企みがバレたことに気付いただろうに、けろりとしている。
 彼女達が居なくなって沈黙が落ちる中、ルイが言いにくそうに口を開く。
「ラスさん、今更ですが本当に申し訳ありません」
「…………」
「それでも、自分を抑え切れなかった。想い、我慢出来なかった。……アクアさん……」
 藍に染まり始めた夜の空気に、悔恨と切迫感の混じった感情の塊が吐き出される。それは擦り切れるような痛みを伴っていて、おススメできる女とは思えないし多分応援は出来ないが、まあ頑張れよという気にはなった。もう、怒るにも怒れない。
(……俺よりは人間出来てるよ、お前は)
 だが、そう伝える気力も体力も既に無く、ラスは静かに瞼を閉じた。