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ホスピタル・ナイトメア

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ホスピタル・ナイトメア

リアクション


【目覚め】

――地上一階に設置されている男女のトイレの横にある自販機に数人の男女が集まっていた。
 トイレで目を覚ました者達が出た所で遭遇し、お互い同じ境遇だという事がわかり情報交換を行っていたのである。
 電気は通っているのだろうが、何処か頼りない蛍光灯と自販機の光がそれぞれを照らしている。
「何で便所なんかで倒れてたんだろうな……」
 柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)がポツリと呟く。
「オレにもわからん。誰かわかる奴いるか?」
 国頭 武尊(くにがみ・たける)が問うが、
「さあ……私もわかんない」
「ごめんなさい、私も」
 布袋 佳奈子(ほてい・かなこ)エレノア・グランクルス(えれのあ・ぐらんくるす)が首を横に振る。「同じく」と佐々布 牡丹(さそう・ぼたん)レナリィ・クエーサー(れなりぃ・くえーさー)も溜息を吐いた。
 目を覚ますと、彼らは其々男女トイレの冷たい床に寝そべっていたのである。
 何故こんな状況なのか。どうして自分達はこんな所にいるのか。一切解らずトイレから出た所で同じ境遇の者達と出会い、情報交換を行っていたのである。
「倒れてたのに加えて、こんな格好させられてるってのも不可解ですね」
 牡丹が自分の身体を見回す。普段の格好ではなく、身に纏っていたのは入院患者が身に纏う寝間着であった。
 彼女だけではない。この場にいる者達全員が同じ格好をしている。この格好のせいで、誰も彼も入院患者のように見える。
「うーん……私寝る時下着だけだから、寝間着ってのにどうも違和感ありますねぇ……」
 牡丹が寝間着をつまんでみたりと何処か落ちつかない様子を見せた。
「その話詳しく聞かせてもらおうか。ああいや決して変な意味はない。これでもオレはある下着メーカーで丁稚奉公する身でね。これも仕事の内なんだ。というわけでできれば具体的に詳しく説明を可能であれば見せてもらえるとオレとしては嬉しごふんげふんありがたいわけなんだが」
 武尊が紳士と化した。決して変態ではない。この場にいるのは紳士である。ただ変態と言う名であるだけだ。
「どんなのかはご想像にお任せですー」
 牡丹が誤魔化すように笑った。
「僕も普段着ぐるみだからなぁ」
 レナリィも自身の寝巻を落ちつかない、というより珍しい物の様に見ている。
「ああそれはどうでもいいです」
 流石紳士。対応の仕方もばっちりだ。勿論悪い意味で。
「……いや今そんな事してる場合じゃなくね?」
 脱線する話を恭也が止める。この話をするのは今じゃない。
「ねえ、ところで……アレ、ハデスさんだよね?」
 佳奈子が指さした先に居たのは、体育座りで壁に寄り添っているドクター・ハデス(どくたー・はです)であった。彼も例外ではなく、普段の白衣ではなく寝間着を纏っている。
「……どうしたの彼?」
 エレノアがハデスを見て武尊と恭也に問う。
 ハデスは全身を震わせていた。歯の根は合わず、ガチガチと音を鳴らし、目は瞬き一つせず見開いている。その表情から読み取れるものは、恐怖である。
「いや……オレ達が目を覚ました時にトイレに飛び込んできたんだが、それからずっとあんな感じだ」
 武尊がハデスを見てそう答えた。
「ほっとくのもどうかって事で無理矢理引っ張ってきたんだが……おーい?」
 恭也がハデスに呼びかける。
「わ、我が名は世界征服を企む悪の秘密結社オリュンポスの大幹部、天才科学者ドクターハデス!」
 突如、ハデスが立ち上がる。その様子に「うぉっと!?」と皆が驚いた。
「い、一体この病院は何なのだ!?」
 立ち上がったハデスは据わった眼で全員を見回す。冷静さ、というより正気を欠いたその様に全員動きを止めた。
「目が覚めるとこんな格好であるわ、変な奴がうろついているわ……一体なんだというのだ!?」
「変な奴?」
「どんな奴だ?」
 武尊と恭也が問う。
「そ、そうだ! 見ていないのか? 巨大で暗闇から突然現れて……ああ思い出すだけでも恐ろしい……! もう少しで首を折られるところだったのだ!」
 ハデスの言葉に全員が首を見る。そこは大きな手形がくっきりと残っていた。
「電灯が着いたら消えていたが……や、奴は一体なんなのだ!? えぇいこの状況を説明できる者はおらんのか!?」
 そうハデスが目を据わらせて一人一人に詰め寄る。その形相に押され、誰もが首を横に振る事しかできない。
「そこのモップはどうなのだ!?」
 そう言ってハデスが誰もいない方向に指さす。
「モップ?」
「モップって……誰の事?」
 佳奈子とエレノアが首を傾げて指さす方を振り向く。それに続いて他の面々も振り返った。

「んー、私もわかんないなぁ」

 そこには、モップを抱えた少女が立っていた。
「だっ誰!?」
「いつからそこに!?」
 牡丹とレナリィが飛びのく。すると少女は首を傾げた。
「いつからって、トイレの中からずっと一緒にいたよ? あ、そういや名乗ってなかったね」
 そう少女は言うと、自分を天野 空(あまの くう)と名乗った。
「馬車の中で貴方達見かけたの覚えてたの。だから同じように事故でここに運ばれたんだと思って」
「馬車……事故……? そ、そうだ思い出してきたぞ!」
 空の言葉に、恭也がある事を想い出す。

 それは頭に残る最後の記憶。各々が其々の目的で馬車に乗っており、それが起こした事故。
 一瞬何が起こったか解らなかった。それが事故だと理解した時には遅かった。
 襲い掛かる衝撃が体を貫く。響き渡る轟音に悲鳴を耳にしながら、意識を手放した。
 そこで記憶は終わり。次の瞬間、この病院で目を覚ましたのである。

 その事を恭也が話すと、皆も同じ記憶が蘇った。全員が同じ馬車に乗っており、同じ事故に遭遇していたのである。
 事故の事を思い出し、顔を青ざめさせた一同に、空はモップを差し出した。
「ああそうそう。役に立つかわからないけど、持っておいた方がいいかも」
 そう言って空がモップを配る。トイレで使う清掃用のモップだ。
「ところで、そのモップはどうしたんですか?」
 差し出されたモップを受け取りつつ牡丹が空に問う。
「私も目を覚ましてちょっと辺りを歩いてみたんだけど……どうもこの病院、普通じゃない。病院の人もうろうろしてるけど、まともじゃない。だから何か身を守る様な道具があった方がいいと思って……でもトイレだとこれくらいしかなくって」
「あ、アイツ以外にもいるだと……!? こ、こんな所! こんな所居られるか! 俺は死にたくない! 死にたくないんだぁッ!」
 ハデスは突如、そう叫ぶとモップをひったくる様にして走り出す。張りつめていた緊張の糸が限界を迎えたのだろう。
 皆止めるのも間に合わず、走り出したハデスは売店前の扉に飛びつく様にして開けようとする。ガラス張りの扉は鍵がかかっているのか、それとも正気を欠いたハデスが開けられないのか閉じたままであった。
「こんな病院! 出てやるんだぁッ!」
 だがそれでもハデスは止まらなかった。持っていたモップを構えると、ブラシ部分をガラスに叩きつける。
 一撃、更に一撃、と叩きつけ、扉のガラスが音を立てて砕け散る。するとハデスは開いた箇所から飛び出してしまった。
 その様子を、他の者達は止める事も出来ず、ただ見ているだけしかできなかった。

「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」
 中庭のシンボルツリーを背にし、ハデスは座り込む。全力で走り、身体が限界を訴えてきたのである。扉からツリーまで大した距離ではないが、運動不足のハデスが体力の限界を迎えるには充分であったようだ。
「ぜぇ……ッ! ぜぇ……ッ!」
 乱れた息で必死に酸素を取り入れようと呼吸を繰り返す。全身は汗だくで足は早くも痛みが出始めている。ふと気づくと、ガラスで切ったような傷が所々に存在する。
 だがその痛みも、呼吸の苦しさも今のハデスには些細な事であった。
「もっ……もっと……もとッ……もっと……とぉ……遠くへ逃げ……ッ! ゲフッ! ゴホッ!」
 咽つつも立ち上がろうとするハデス。今の彼の頭には逃げる事しかない。
 ふと、ハデスは病院を見る。随分と全体的に暗い、という印象を抱く。外には所々明かりはあるが、数が足りないのだろう。
 今ハデスがいる場所も、明かりが届いているが暗さの方が勝っている。しかも切れかかっているのか、ちらちらと点灯したかと思うと消えてしまった。
「と……遠く……逃げ……え?」
 ふらつく足に無理を言い、立ち上がろうとしたところであった。
 地面を見ていたハデスの目に、影が映った。今まで存在してなかったその影は、突然現れた。

――それは人の形をしていた。

「は……はは……」
 ハデスは笑った。今自分の身に起きている事を、彼の脳は咄嗟に理解していたのである。
 だが認めたくないのだ。認めてしまうと、この後自分がどうなるかまでわかってしまうから。
 だから笑った。こんなバカな事があるわけがない、と。
 ゆっくりと、ハデスは頭を上げる。

――そこには、認めざるを得ない現実が立っていた。

 白い長方体頭の巨体がゆっくりと動く。
 恐怖に駆られ、笑う事も、動く事も出来ないハデスの目に映ったのは、巨体の怪人が手に持っている物――薄汚れた頭くらいの物が納まりそうなずた袋であった。

――首を掴れ、そのずた袋を被せられるまでの間、ハデスにできた事は悲鳴を上げる事だけであった。

「今の声……聞こえたか!?」
 外からのハデスの悲鳴は、中にいた武尊達の耳にも聞こえた。
 だがその悲鳴は途中でスイッチを切ったかのようにぷっつりと途切れてしまう。
 それで皆理解した。『ハデスを助けに行くにはもう手遅れ』という事と『驚異的な何かが存在する』という事を。
「……ここに居ても仕方ない、逃げる方法を探そう」
 武尊の言葉に、恭也や佳奈子、牡丹達が頷いた。