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リアクション
●ナ・ムチ
「待てって! いきなりどうしたっていうんだ!」
他方、部屋を出て行ったナ・ムチ(な・むち)を追いかけた千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は、彼の呼びかけを無視して歩くナ・ムチを、2階へ続く階段の踊場でようやく捕まえることができた。
「一体どこへ行こうっていうんだよ!」
肩をとり、多少強引に自分の方を向かせる。
「部屋へ戻ります。……どうせ、パーティーに出る気分ではないし」
「なんだそれ? KYか! せっかく俺たちのこともてなそうとしてくれてる島の人たちに失礼だろ!」
彼の言う『KY』がどういう意味か分からず一瞬とまどったナ・ムチだったが、続く礼儀知らずとの言葉で、それが非難の文句だということは悟れた。
「あなたには分かりません」
ふいとそっぽを向いたナ・ムチの横顔をかつみはにらみつける。
「あー、分からねーよ。おまえ、ちっとも自分から話さないしなっ。こっちからこうやって突っ込んでいかなきゃ、まともに返事も返しゃしない!」
かつみはいったんそこで言葉を止めた。ためらうような間をあけると、唐突に止まったかつみの難癖を不思議に感じて顔を向けてきたナ・ムチに向かって正面から言う。
「あの子に対してもそうだ。ああやって、さらわれたら助けに行くくらい大事なら、ちゃんと話をしろよ……つき放そうとしたりしないでさ。
以前、俺もナオに泣いて怒られたんだよ。「俺の力は必要ないんですか」って。状況は違っても、結局そういうことだろ。おまえは1人で理解して、彼女を思いやってるつもりでも、それをまず伝えないで行動でそんなことしたって、唐突すぎて、相手には全然伝わらない」
先までのケンカ口調とはがらりと変わった、さとすような物言いだった。そんなかつみを見て、ナ・ムチは最初こそ先までのような「あなたには関係ない」という態度を続けようとする。しかし口を開いた直後、事ここに至り、それは真実ではないというのも分かってしまったために――視線をかつみからはずすと、ナ・ムチは今までとは少し違う、冷ややかな笑みを浮かべた。
それをかつみが目にしたのはこれが初めてだったが、すぐに自嘲だと分かった。
「……大事……。それすらも、俺の意思であるのかどうか……」
「どういう意味だよ?」
「これがヒノ・コによって植えつけられたものでないと、どうして分かるんです? もしかしたら彼は、あのころから俺を、今回のような場合のための一手として利用できるように配していたのかもしれない。……逃走用にいくつもの手段を確保していた、今日のときのようにね……」
持ち上がった手が、ぎゅっと心臓のある位置をわし掴んで、上着にしわを寄せる。しかし彼がそうして掴みたいのは、その奥にある、ツク・ヨ・ミへの想いなのだろう。
「一体何があったんだ、おまえとあの男との間には。相当嫌ってるようだけど、かくまってたんだろ」
はたして訊いていいものか……。かなり個人的な部分への踏み込みとなることに、ためらいがちに問う。しかしナ・ムチはかつみから目をそらしていて、かつみのためらいは視界に入ってすらいなかった。
「かくまっていたのは俺の祖母です。祖母が彼と出会ったのは、まだ16のときだったそうです」
ナ・ムチもこの話を聞いたのは祖母から直接ではなかった。母親からだ。
ナ・ムチの母親は自分の母を毛嫌いしていた。父親が出て行ったのは母のせいで、ひいては自分の男(ナ・ムチの父親)が自分を捨てたのも、母のせいだと罵っていた。
『あの女はねぇ、ずーっと昔っからヒノ・コのことが好きなのよ。父と結婚したのもそう! 見合いを止めてほしいとか、結婚をちらつかせることで自分への愛に気づいてほしいとか……ばっかみたい! 少女趣味もいいかげんにしろっていうのよね! あげく「おめでとう」とか言われてるのよ? 「おめでとう」「よかったね」「ありがとう」あの壊れた男にそれ以外、何が期待できるっていうのよ。ほんと、頭おかしいったらない。なのにあのイカレたばか女はそれからも性懲りもなく山ごと買い取った別荘を与えて研究所にしたり、あいつが欲しがる物は何でも買い与えて……そんなことしてたら、そりゃ男に愛想尽かされるのは当然ね。
父さんはあの女が結婚前からの愛人を囲っていると思って、ケンカして、出て行っちゃったのよ。それっきり。まさかそれがヒノ・コだとはさすがに思ってなかったみたいだけど』
だけど彼女は気にしなかった。すでに跡継ぎの娘はできていたから。
幼い娘はそんな母親が理解できなかった。
自分の父親でなく、ほかの男に入れ込んでいる母親の『女』の姿など見たくもなかった。
母親に幻滅し、置いて行った父親に幻滅し。反発した娘は17で家を飛び出して、数年後戻ってきたときは子どもを連れていた。
「それが俺です。ああ、父親は分かっていますよ。ただ、性質の良くない者であるのは間違いなくて、母も結婚するほどばかではなかったことが幸いでした」
そして、たとえ金銭と引き換えであれ、「跡継ぎの男子」を家に置いていってくれたことがナ・ムチにとって救いとなった。
「それ以降、母の姿は見ていません。たぶん、どこかで生きてはいるでしょう」
ナ・ムチは祖母にかわいがられて育てられ、何不自由することなく成長し――6歳のとき、祖母とともに訪れた太守の館で偶然ツク・ヨ・ミ(つく・よみ)と出会った。
太陽の下、きらきらと輝く乳白の髪と春に咲くスミレ色の瞳をした、美しい少女。
『あなた、迷ったの? ここへ入ってきてはいけないわ。見つかったらすごーく怒られちゃうわよ。
出口まで連れて行ってあげるから、お帰りなさい』
ツク・ヨ・ミは幼いナ・ムチの手を引いて、本館まで案内してくれたのだった。
帰宅後、彼女のことを夢中になって話すナ・ムチに、ヒノ・コはそれは自分の孫娘のツク・ヨ・ミだと告げて、彼に頼んだ。
『これからもあの子の話を聞かせてくれるかい? きみにあの子を見守っていてほしいんだよ、それができないわたしのかわりに』
『わたしからもお願いよ、ナ・ムチ。この人の味方になってあげてちょうだい』
大好きな祖母からもお願いされて、以後ナ・ムチは何かと館を訪れてはそこで見かけるツク・ヨ・ミや、彼女たち親子の情報を持ち帰ってヒノ・コに話して聞かせていた。
最初は祖父のように慕っていた相手。
もう顔も覚えていないが、それまでナ・ムチの知る身近な大人の男というのは、悪臭を漂わせて彼を殴りつける存在だった。しかしヒノ・コはいつも穏やかで、清潔で、言葉遣いや物腰がやわらかく、にこにこ笑って彼の話を聞いては頭をなでてくれた。彼のそばで幸せそうな祖母の姿に、彼が本当に祖父になってくれたらいいのに、と思ったこともある。
だがだんだんと、成長するにつれて周囲が見えるようになってきて――違和感に気づき始めた。
「とても小さなことからでした。学校から戻ってきて、1日の報告をしても、前に話したことを全く覚えていてくれてなかったり、「こういうのがほしいです」という言葉に「じゃあ今度つくってあげようね」と返事をしておきながら次のときは「すっかり忘れていた」と言って……結局つくってもらえたことはありませんでした」
『ああ、ごめんよ。こっちの研究にすっかり夢中になってしまってて』
些細なことだが、そういうことを幾度となく繰り返すうち、ナ・ムチは彼に期待をしなくなった。祖母は「しようのない人」ですませていたが、なぜなのかは分かりきっていたからだ。
ヒノ・コには橋システムの研究以外、何も見えていない。それ以外はすべて些事でしかなく、彼の心には届かない。
そしてその橋システムは、祖母の財力によって支えられ、着実に実現していった。ヒノ・コの書いた設計図を元につくられた柱を秘密裡に買収した島の各地に運び、あとはカガミと、それを発動させる起動キーが完成するのを待つだけという状態にまでこぎつけた。
「それが2年前です」
そのときにはもう、ナ・ムチは完全にヒノ・コを祖母というフィルターを通して見ることはなくなっていて、こういう人間なのだと割りきっていた。けれど、橋システムが完成して浮遊島群に橋が架かることで長年の夢が達成できたなら、きっと自分たちの方を――少なくとも、ほとんど一生と呼べるくらいの人生を彼に捧げてきた祖母の方を――向いてくれるのではないか、という小さな望みを捨てきれずにいたのだった。あのときまで自覚はなかったが。
それを自覚すると同時に、そんな願いはそもそもが最初から見当はずれだったということを思い知らされる事件が起きた。
祖母が突然脳梗塞を起こして倒れたのだ。
命も危ういという状況で、もはやヒノ・コが指名手配されていることなどどうでもいいと思った。
『祖母の元へ行ってあげてください、早く!!』
それくらいの義理はあるだろう、と。たとえ愛していなくても、自分の夢に一生を捧げてくれた女性に対して、それくらいの危険は負ってくれてしかるべきだ。
ヒノ・コは嬉々として言った。
『それよりナ・ムチ、これを見てくれないか! ついに完成したんだよ! 起動キーだ!』
『……そんな物……。
あなたは、祖母が心配じゃないんですか……?』
『え? もちろん心配だよ。でも彼女は今病院にいて、最高の治療を受けているんだろう? わたしがそこへ行っても、何もできることはないからねえ。
そんなことより、ほら、ちょっとそこで見ていてくれ。まだこれは試作品だけど、今作動させてみせるから――』
一体何なんだ? この人間は――ナ・ムチは愕然となり、長年の研究が完成したと有頂天になっている彼の姿に説得する気も失せて、その場を飛び出し1人手術室の前で祖母の無事を祈り続けた。
どうにか一命をとりとめ意識を回復させた病室で、その話を聞いた祖母は「しようのない人」とまた口にして、笑った。「彼を責めては駄目よ、ナ・ムチ。しようがないのよ、彼はそういう人なんだから」と。
だがあの言葉はナ・ムチには到底許せることではなく、ヒノ・コという人間を嫌悪し、憎悪すると同時に恐怖もした。
「――通報して、ヒノ・コを捕えさせたのは俺です」
そうしないと、この手で殺してしまいそうだった。
すべてを聞いたかつみが何も言えないでいるのを見て、ナ・ムチはふうと息を吐く。
「だから言ったでしょう。今の俺は、とてもじゃないですが人前に出ていい状態じゃないんです。来られた方も迷惑でしょう。その人たちが気分を害するだけです。――俺も、そういう気分でもないし……。
部屋へ戻ります」
そうして残りの階段を上がろうとしたナ・ムチの腕を、かつみははっしと掴んだ。
「……たしかに今聞かされたことに、俺はまだ何を言えばいいのか分からない。頭のなか、一度整理してからじゃないとな。
だけどいいか? おまえは知らないようだから、ひとつ教えてやる。
それはそれ、これはこれ、だ」
「――は?」
「おまえが話したことは今に始まったことじゃないし、今決着がつく問題でもない。だけど、こっちは今夜限りなんだ。だからそっちは棚上げで、こっちが優先だ」
多少の抵抗などものともせず、かつみはぐいぐい引っ張って、階段を下りようとする。
「気分なんかいくらだって変えられる。むしろそんな状態で1人部屋にこもってたっていいことなんかない」
「ですが――」
「あのな。おまえ、それだけ人のこと思いやれるんだから、分かるだろ。周りも結構いろいろ考えてるぞ。そうやっておまえが大事に思ってるのと同じくらい、周りもおまえのこと思ってたりするから」
と、そこまで口にしたあと、はたと気づいて振り返る。
「……あ。べ、べつにこれって、俺が心配してるって言ってるわけじゃないからな! おまえは気づいてないみたいだけど、おまえのこと心配してるやつはほかにもいるって話で!」
ぱっと手を放し、その手で赤くなった顔を隠して一歩後ろへ退いた。ところがここは階段だったものだから、思わず段を踏みはずしそうになってしまう。
「うわわっ」
「危ない!」
今度は逆に、ナ・ムチがかつみの手をとった。
(まったく、何をやってるんだろうね、かつみは)
聞こえてくる声と音に、階段の下、壁にもたれてエドゥアルトは必死に笑いを押し殺す。
(ぎこちないというか、発言がまだまだつっけんどんだけど……でも人間関係で一歩踏み込もうとするときは、あんな感じだよね。相手の出方をうかがって、手探りで……。
そういえば、自分たちのときもそうだったな。言葉が行動に追いついてないんだ)
「どうしたんです? エドゥアルトさん」
肩を震わせているエドゥアルトを、不思議そうな表情で、やはり壁に背中を預けるかたちで立っていた千返 ナオ(ちがえ・なお)が見上げていた。
「ああ、いや。べつに。なんでもないよ」
「……俺も、まだよく分かりませんし、理解できてるかどうかも分かりませんけど。でもナ・ムチさん、やっぱりスク・ナさんがあれだけ慕う人だなあって思います」
「そうだね」
そのときナ・ムチを連れて最後の1段を下りたかつみが角を曲がって、そこにいる2人とばったり鉢合わせをした。
「おまえら、どうしてここに?」
「あ、かつみさん。あの、これはですね……」
ナオは少しあせったが、自分たちが追いかけていたことに全く気付いていなかった様子の――あのとき、ナ・ムチしか見えていなかったのだろう――かつみにエドゥアルトはにっこりと、有無を言わせない笑顔になって
「2人とも、用事はすんだ? じゃあそろそろ外のパーティーに出かけようか」
と言ったのだった。
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