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願いが架ける天の川

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願いが架ける天の川

リアクション

 パートナーであり、最愛の人。そして今は、最愛の配偶者。
 ……新婚ほやほやの綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)
 しかし、二人は同時に現役アイドルでもあった。
 結婚の事実は世間には内緒、勿論人前でいちゃつくこともできず、隠し通さなくてはならない。
(盛大に悲鳴を上げて、ストレス解消したい!)
 さゆみがそんな風に思ったのも、当然だろう。
 それが絶叫系コースターでもロッククライミングでもなく肝試しになったのは、彼女がお化けやホラーが苦手だからこそ、だったのだが……。
「こ、こ、こわくなんて……ないわよ……」
 アデリーヌの腕をぎゅっと掴んで震えている訳で、どきどきコースの入り口で、既に二人の秘密を公開しかかっているさゆみだった。
「わたくしが先頭に立ちますわ」
 アデリーヌは先日の古城でのさゆみの様子を思い出し、彼女の手をしっかりと繋ぐと――というのも、さゆみがパニックを起こして走り出さないため――先に立ち、引っ張るように、視界を塞ぐように歩き始めた。
 普段は元気なさゆみと、繊細なアデリーヌと、エスコートが逆である。
 しかしさゆみは怖がりの上に、絶望的方向音痴なのだ。もしこんな夜の森でパニックでも起こしたら、どこに行ってしまうか。屋内の古城の比ではない。
(……それにこうしていれば、手を繋いでいることができますものね……)
 地球人のさゆみと、吸血鬼のアデリーヌ。二人にはいつか寿命の差で必ず別れの時が来る。だからこそ、『生きている限りはずっとずっと、いや死んでからもずっと最愛の人とともにあり続けたい』。
 ずっと、手を繋いでいたい。……その願いを、短冊に書きに行く。
(これも試練ですわ。そんな大した試練ではありませんけれど……)
 震えるさゆみを何とかなだめながら、アデリーヌは暗い道を慎重に歩いていった。
 風の音、風にそよぐ葉の鳴る音。自分の足音。他の生徒も歩いているのか小さく聞こえる枝を踏む音……。昼間ならなんてこともない、むしろ楽しげにすら聞こえる音のひとつひとつが、さゆみにとっては妄想と恐怖をかき立てる。
 怖がれば怖がるほど敏感な感覚はハリネズミの針のようなもので、妄想は膨らんだ風船になってあちこちに浮かんでいた。ちょっと深くでも刺さってしまったらパンと破裂してしまう。
「ひゃっ!」
 突然、さゆみが大声をあげてびくっと仰け反った。
「どうしたの?」
「何か冷たくて細長いものが……背中に、背中に!」
「……蛇? まさか蛭ではありませんわよね?」
「どっちも嫌よ、早く取ってー!」
 大丈夫ですわ、とアデリーヌはジタバタするさゆみを片手で抑えつつ、背中に手を入れた。……何もない。しかしふと顔を上げた時、確かに冷たくてぬるぬるしたものがさゆみの首筋辺りをぶらんぶらんと振り子のように揺れていた。
「ありましたわさゆみ。細くて冷たくて、細長くて…………煮るとおいしいものですわよね。おでんの定番の……白滝」
 ぎゅっと目を瞑っていたさゆみが、へ? と、頭上を見上げると、糸で程よく束ねられた白滝がぷらんぷらんと宙に釣り下がっていた。アデリーヌが触れようとすると、糸を垂らしていた黒い釣竿がさっと引かれて、引っ込んでしまう。
「よ、良かったわ……」
 涙目のさゆみの頭をアデリーヌは優しく撫でつつ、励ましてまた歩き始める。
 ……が、どこかから「ぎゃー!」っという声が聞こえてきて、さゆみはまた足を止めた。
「い、今の何……?」
「脅かされた方ですわ」
「ううん、そうじゃなくて、何か起きたんじゃ……ってきゃーーー!!!」
 さゆみは絶叫した。
 さゆみは見た。林の奥に。とんでもなく怖いものを。白い天使がすうっと平行移動していくのを。その足取りはよたよたと死者のようで、口から悲鳴が迸っているのを。そしてよくよく見れば。小さな、怪力の何者かが天使を羽交い絞めにしたまま、地獄へと引きずり込もうとしているのだ!
 そしてアデリーヌもまた悲鳴を上げた。
 そっくり返ったさゆみが道を外れて斜面から足を踏み外して転がり落ちていくので……自分を道連れに!
 二人はごろごろともつれ合うように斜面を転がって、茂みに引っかかってようやく止まった。
 さゆみはそうしてちっとも痛くないことに気付いた――アデリーヌが包み込むように自分を抱きしめてくれていたのだ。
 草の葉にまみれながら、二人は見詰め合った。



「また悲鳴だね……」
「……うん」
 風馬 弾(ふうま・だん)の普通調子で言った素直な感想、というより状況確認――ほんのちょっぴりだけ期待のような感情がこもっていないでもなかった――に、アゾート・ワルプルギス(あぞーと・わるぷるぎす)もまた、ごく普通に返した。
(アゾートさんは「キャー、こわ〜い」なんて抱きついてくるタイプじゃないよね……多分)
 遠い目をする弾。
「どうしたの? 疲れた?」
「え? ……ううんっ、何ともないよ! さあ、行こうよ!」
 ……逆に心配させてしまった。
 アゾートは普段通りに落ち着いている。自分ばかり怖がっているように見えたら恥ずかしいかも、と思う。
(う、ううん。まだまだ、始まったばかり……これからだよ)
 弾は気を取り直して、手を差し伸べた。
「暗くて危ないから……」
「……うん」
 自然にできた、と思う。アゾートも、自然に弾の手を取った、と思う。
 今まで何度も、手を繋ぐだけでもどきどきしながら、勇気を出して来たことを思えば、これってすごい進歩じゃないかな……と、弾は思った。
 二人は恋人だけど、よく街中で見るカップルのようには自然にいちゃいちゃできなくて……もっと、仲良くなりたい。
(い、いちゃいちゃしたいとかそういうんじゃなくって! したくないわけじゃないけど……そうだ、折角の七夕での願い事。本当は短冊で「アゾートさんともっと仲良くなりたい」とか書くべきなんだろうな。
 でも。そういうのは自力で叶えるべきと思うから……そう。吊り橋効果で! 仲良くなれないかなぁ。うーん、これって他力本願……?)
 いい具合の揺れ、いい具合の深さになるかは脅かす人次第……だけど。
 あちこちから聞こえてくる悲鳴からすると、かなり怖そうだ(主に脅かされる側の問題だったが、彼らは知る由もない)。
「そういえば……キミは何の願い事をするの?」
 ふいに話しかけられて。
 弾は跳ね上がりそうだった。見つめてくるアゾートのきれいな緑色の瞳に見透かされたような気がして、余計にどきどきする。
「え? えーっと……そうだなぁ……まだ考え中なんだ」
 アゾートと仲良くなりたい、ということばかり考えてて、書くための願い事をすることはすっかり忘れていた。
 書かなくてもいいんだろうけど、こういう時はイベントした方がいいし……日本出身の弾と違って、きっとスイス出身のアゾートには七夕も珍しく映るだろう。
「……アゾートさんは、もう決めたの?」
「うん。ボクは『賢者の石を作れますように』、ってお願いするつもりだよ」



「ふふ、恋のキューピット役は何とか果たせそうですわね」
 エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)は、息を吐くように言うと、岩陰に入ってベルフラマントを脱いだ。
 夜になって気温が下がってきたが、マントをきっちり着込んで平然とできる気温ではない。さっぱりした夜風で少しの間涼みながら、ポケットから取り出した地図を“ダークビジョン”で確認する。
 百合園から渡された肝試しのコースの地図。そこに蛍光ペンで幾つか丸が付いている。エリシアが自身で吟味して選定した「おどかしポイント」だ。
 恋人たちの為に一肌脱ぐのもやぶさかではない、といいつつその表情は真剣だった。
「エリシアおねーちゃん、戻ったよー」
 家族の声がした、かと思うとベルフラマントに風をぱたぱた送り込んでいるノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)が目の前に座り込んでいた。
「ふふふ、うまくいったねー。他の人も、もっと仲良しさんになれるよーに、いっぱい脅かすよ!」
 二人は顔を見合わせて、悪戯っぽく笑った。
 なお、二人のパートナー御神楽 陽太(みかぐら・ようた)は今日も家で妻と子育て奮闘中である。
「次はB地点に移動するわよ。行くわよ、ノーン」
「うん」
 二人はまたマントを着こんで、闇の中を走って移動する。そこは細い道がカーブを描く場所で、いい具合に木々が両側からせり出し、アーチをつくっている薄暗い場所だった。
 二人は木の陰に隠れて、訪れるのを待つ。
 二つの足音。一つはより軽い。
 程なくして、暗がりの中手を繋ぐ二人の姿が見えた。身長差から言って、男女のカップルに間違いない。
 ……それは、弾とアゾートだった。遠慮がちに手を繋ぎ、半歩だけ前を気遣いながらエスコートする姿が初々しい。
 脅かし甲斐(くっつけ甲斐)があるというものだ、とエリシアは思った。
(今ですわ)
 二人がカーブに差し掛かったところで、エリシアが指で合図を出す。
 ノーンは応じて、“恐れの歌”を口から紡ぎだした。
 ……二人が耳を澄ませ、きょろきょろと見回している。やがて心なしか不安げな表情になる。
 そこに再びの合図。
 ノーンは“夢想の宴”で二人の怖がりそうなもの……ドラゴンの影を作り出した。
 びっくりして、弾がアゾートを背中に庇う。そこにエリシアが加減した“その身を蝕む妄執”を打ち出した。本当に怖がり過ぎるといけないから、今度はノーンが“ソウルヴィジュアライズ”で二人の感情を見ながら合図を出す側に回る。
 脅かしながらも、二人の物理的な距離が縮まるのを見て、二人の顔には笑顔が浮かぶ。
(もっと仲良しさんになれたかな?)
 ――そして、最後の肝試し参加者が行ってしまってから、エリシアたちはジュースで脅かし役の打ち上げをするのだった。

 闇でできたドラゴンは、こちらを襲ってこそ来ないものの、顎を大きく開けて威嚇してきた。アゾートがきゅっと指を握りしめる。
(僕自身一応男の子だしオバケとか平気だから、アゾートさんが怖さを逸らせるように……)
 ……そうだ、と。弾はわざと七夕の由来などを話はじめ、そして他に話題がないか、考えを巡らせた。そのうちに彼自身の気持ちが落ち着いてくる。
「星々を川に見立てて天の川って言ったり、大切な人が隣にいるだけで幸せだったり。見方によって世界を変えられるのは人間の強さだと思う」
「見方……?」
「うん。織姫と彦星も、見方によっては幸せなカップルなのかも」
「……どうして? 望んでないのに、一年に一回だけしか会えないんだよ」
「神様だからきっと何千年も生きてる、その間に何千回も会ってるんだから」
(……う〜ん、あまりロマンチックな話ができないなぁ……)
 周囲に気を付けながら、トラップがあればアゾートの気を引きながら避けてたから当然かもしれない。
(大人の男なら、盛り上げるために、もっとわざとらしくても、女の子が好きそうな話をしたのかなぁ)
「あの」
 声を掛けられて注意をアゾートに向けると、彼女は微笑していた。弾の話につられて、緊張も解けてきているようだった。
「ボクたちも毎日会っているわけじゃないけど、もう何回も会ってるよね。これからも、そうだといいね」
 彼女の微笑みで、弾の心は一気に明るくなる。
 ――いいんだ、短冊に書いたりしなくても『アゾートさんと一緒にいられる』っていう一番の願い事が叶ってる今があるんだから!