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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~2009年~

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【蒼フロ3周年記念】蒼空・零 ~2009年~
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リアクション


第1章 13日の魔物 9

 昨晩は遅くまで飲み歩いていた。
 新宿で終電を逃し、結局漫画喫茶で朝を迎えることになったのだ。
(万代姉さんだったら、なんて言うかなぁ)
 大きめのリクライニングチェアに深く身を預けながら、御茶ノ水 千代(おちゃのみず・ちよ)はそんなことを思った。
 御茶ノ水万代(おちゃのみず・まよ)。千代の姉に当たる人物である。彼女が亡くなって、もうすぐ一年になろうとしている。
 高校時代、何を思ったかやさぐれてしまい、武闘派でならした千代を、一生懸命更正の道に導いてくれた姉。千代のことを表面しか見ない教師や周りの大人たちから、彼女を庇ってくれた姉。
 姉がいなければ、千代は大学に進学し、東京で秘書職に就けるなんてありえなかったのだ。
(…………秘書が飲みで終電逃してたら訳ないけどね)
 自嘲的な笑みを浮かべながら、千代はようやく立ち上がった。
 そろそろ時間である。設定時間を過ぎては延滞料金を払わねばならない。
 彼女は漫画喫茶を出て、駅に行こうと歩きだした。
 そのとき――
「は……?」
 目の前で巨大な爆発と衝撃が起こった。
 粉塵が消えると、ビルの壁が大きく穿たれ、そこから異形の化け物が姿を現す。翼の生えた人型の化け物は、千代を見つけると獰猛な奇声をあげた。
「何アレ、羽の生えたオバケ……? はっ! カメラ何処? あたし、メイク大丈夫? 崩れていない?」
 思わず何かの撮影かと思ってカメラを探すが、化け物が襲いかかってきたことでそれが現実だと知る。
 千代はとっさにその爪を避けて、化け物と向き直った。
「はん……ドッキリか何か知らないけど、あたしに攻撃を仕掛けるたあ、いい度胸じゃん!」
 落ちていた鉄パイプを拾い上げる。それをびゅんっと振るって、彼女は化け物に言ってのける。
「ダホがっ、返り討ちにしてくれるわ!」
 鉄パイプをしなるように振るって、彼女はガーゴイルに果敢に立ち向かっていった。


 その日、ミーナ・リンドバーグ(みーな・りんどばーぐ)は新宿の片隅で震えながらうずくまっていた。両手で頭を抱えるようにして、周りの景色や音から遠ざかり、自分を隔絶している。
 怖いのだ。
 幼い彼女には、何が起こっているのかすら分からない。
 ただ、何か事件が起こった。魔物が暴れ出し、街中がパニックになって、気付けばミーナはこうして車の影に隠れるようにして、身を潜めるしかなかった。
 助けて――と、そう願う。爆発音が聞こえる。人の悲鳴、騒ぎ立つ声。炎上する店。窓ガラスが割れる。
 ミーナは独りぼっちだった。
 誰か……誰か助けてっ。
「ミーナちゃーん」
 迷子を捜している母親のような声が聞こえたのは、その時だった。
 はっとなって顔をあげた幼いミーナの視界に映ったのは、長い黒髪を靡かせる、母性を感じさせるような少女だった。
 彼女が、ミーナの名を呼んでいる。
 そして少女は幼いミーナの姿を見つけると、花開いたような満面の笑みを浮かべて、彼女のところへと駆け寄ってきた。
「ミーナちゃん……ようやく見つけた……」
 幼いミーナには、それが誰かは分からなかった。
 高島 恵美(たかしま・えみ)――いつか、ミーナが未来で契約するヴァルキリーの娘である。母性豊かな優しげな笑みを絶えず浮かべる恵美は、ミーナの頭に手を乗せて、包み込むように撫でてあげた。
 あっ――と、ミーナは気付く。
 彼女のもとに駆け寄ってきたのは一人ではなかったのだ。
「きゅ? きゅきゅっ?」
 恵美の足下には、ミーナよりもさらに小さい男の子がいた。なぜか、頭から獣の耳が生えている。それだけではない。くるっと巻かれたもふもふの尻尾が、お尻の付け根から生えていた。
「きゅ?」
 首を傾げながら、不思議な男の子は持参していたホワイトボードに『触る?』と書いた。よく見れば、恵美の背中からは白い羽が生えているし、男の子は獣みたいだし――ミーナには彼女たちのことがよく分からない。
 しかし、悪い人たちでないのはよく分かった。
 お言葉に甘えて、ミーナはリスの獣人――立木 胡桃(たつき・くるみ)の尻尾に触れる。しばらくは手の先に触るだけだったが、やがて彼女は徐々に慣れてきたのか、それに包まれるように抱きつくようになってきた。
 気付けば、ミーナの涙は止まっていた。怖さはもうない。一人の女の子の笑みと、男の子の尻尾に包まれていると、いつしかミーナは眠りの世界に落ちていった。
「よいしょっと……」
 眠ってしまったミーナを、笑みが背中に背負う。
「女の子と……男の子ですってね」
「きゅー」
 くすっと笑いかけた恵美に対して、胡桃はホワイトボードに『ボクは女の子です!』と書いてみせた。
 くー、と背中で寝ているミーナがそれを知るのは、まだまだ先のことだった。


 神速と言うにふさわしい速度で駆けつけたスレイプニルの背中にまたがっていたのは、一人の青年である。速度を落とさずして、彼はその勢いのままスレイプニルから飛び降りる。
 刹那、青白い炎を思わせる刀身はガーゴイルを斬り裂いた。
 すかさず、青年は身を翻して返す剣でもう一匹を斬り伏せる。数体のガーゴイルが周囲を囲んでいるが、青年はひるまなかった。大剣をくるっと片手で回して、その刀身に付着していた体液を振り払う。
「大丈夫か?」
 青年――十文字 宵一(じゅうもんじ・よいいち)は背後にいた少年に声をかけた。
 ガーゴイルに襲われかけていた少年である。少年は気丈にも、泣くこともなければひるむこともしていなかった。度胸があるのか、はたまた愚鈍なのか。
 宵一は興味に駆られてその少年の顔を見た――そして、愕然となった。
「…………あなた、誰?」
 眉をひそめながら宵一に言いのけた少年の顔を、宵一は昔の写真で幾度となく見たことがあった。
 つまり――少年もまた十文字宵一その人なのだ。
 ただし、13年前の宵一自身に当たるわけであるが。
 同一人物だとバレてはややこしいことになると、宵一は冷や汗を隠しながら顔を背けた。それが少年の興味をそそる結果になる。幼い宵一は訝しみつつ、現在の宵一の顔をのぞき込もうとする。
「あなたって、まさか……」
「違う。断じて違う。いまのお前の想像は推考する価値もない」
「未来の僕っ!?」
 幼い宵一少年は輝くような顔で宵一に詰め寄った。
「そうでしょっ! さっきの剣を回す癖も、僕と一緒だもん!」
「…………」
 さすがにここまでバレてしまっては、もはや誤魔化すこともままならない。宵一は諦めたようにため息をついて、頷いた。
「……そうだよ」
「うわーっ! やっぱり! すごいなぁ! 僕って未来人と会ってるんだ!」
 過剰なぐらいに大仰な手振りで喜ぶ宵一少年を見やりながら、宵一は昔の自分がここまで健気で無邪気だったかと怪訝な顔になった。
 そんな宵一の気持ちを知らずに、宵一少年は彼に尋ねる。
「あ、あのっ……自分は、師匠のような一流の賞金稼ぎになっているんですか?」
 期待に満ちた目をしている。宵一は思わず目を逸らしたくなるのを我慢して、ぼそぼそと答えた。
「……なってない」
「じゃ、じゃあ……師匠のように、テレポートしてから音速で敵を切りつける秘奥義は使えますか?」
「……使えない」
「それじゃっ……師匠の話みたく、世界を救った事はありますか?」
「……まったく」
「…………」
「…………」
 宵一の答えを聞く度に肩を落としていた少年は、ついには哀しげな顔で黙り込んでしまった。沈んだような顔になっているのは宵一も同じである。答えるたびに、自分がかつて信じていた理想とどれだけ離れた場所にいるのかを、実感させられた気分なのだ。
 悪いことをした――そんな顔で、宵一は少年を見る。
 すると、少年は突然顔をあげた。
「…………これからだよ!」
「え?」
「まだまだこれからさ、僕! 頑張ってよ! いつか……きっと夢は叶うからさ!」
 自信に満ちたような顔で、少年は宵一の胸に軽く拳を突きつけた。どこかその瞳には、輝けるようなパワーがある。未来を信じている。そんな瞳である。
 過去の自分が励ましているというのに、今の自分がくよくよしててどうする。
 宵一は力強くうなずく。
「…………ああ。必ずな!」
「うん、頑張ってね! 僕も……師匠との修業を頑張るよ!」
 少年はそう言って、その場を立ち去った。
 背中にからったリュックからは木刀が飛び出ている。
 このときになって、宵一は、このときの自分が師匠との修業に明け暮れていたことを思い出した。それも、今となっては思い出であるが――思い出との邂逅は、励ましに終わった。
「さぁて……いっちょやるか」
 大剣をくるっと片手で回して、宵一はガーゴイルたちに向き直った。
 13年の刻を越えて出会った少年と青年は、こうしてまた、お互いの道を歩み始めた。