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【DarkAge】空京動乱

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【DarkAge】空京動乱
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 夜半。
 さらに雲が出てきた。
 具合の悪い機関車が吐き出すようなどす黒い雲に月は呑まれ、濃い闇がただようばかりとなる。
 クランジ戦争時に戦場のただなかにありながら奇跡的に残った鉄塔、その頂点付近に『七番』が腰を下ろしている。夜と同じ色をした生温かい風が吹いては、はたはたと彼の前髪を揺らしていた。
 鉄骨の錆は、分厚く育って木の皮のようになっている。そこに手を付いて、彼は独り想う。
 七番が七刀 切(しちとう・きり)と呼ばれていたのは、もう随分と昔の話になる。今では彼をそう呼ぶ者はいないし、そもそもその名を覚えている者がほとんどいない。
「クランジは殺し尽くす。そうしなきゃいけない」
 七番は言葉を口にしていた。
 一方で彼の魔鎧黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)は、黒い布に包まれたような鎧状態のまま無言を貫いていた。
 七番も発言は求めない。音穏が聞いていようが聞いていまいが七番は気にすることはない。そもそも、この呟きは誰かに聞いてもらいたくて口にしたものではなかったのだから。
 呼吸するようなものだ。
 殺意がそこにあろうがなかろうが、呼吸は呼吸だ。
「だってあいつらは……」
 独言しかけて口ごもる。
「あれ、どうしてだったか?」
 刹那、七番の表情が幼子のようになる。口は、アニメーション黎明期に創られたアニメ映画の子鹿のようだ。
 けれど彼は自分で、現実を取り戻す道を心得ていた。
「そうだ。あいつらは……大事なものを奪うから」
 奔流のようにほとばしる感情ではないが、その言葉には決意がこもっていた。
 背中に結わえた大剣、その柄を無意識のうちに七番は握っている。
「大事なもの……なんだったか、本当に大切なものだったはずだけど、思い出せない」
 また霧の中に思考が向かいそうになるも、切はさらに剣の柄を握りしめ、意識を本筋に保ち続ける。
「けど、関係ない。やるべきことがわかっているなら、やることは変わらない」
 ほぼ闇夜だというのに刃は、銀色の砂を散らすように光を反射していた。
 一息で七番は、刀を抜いていたのである。
「すべてのクランジを殺す」
 それは念仏か、自己暗示か。ゆっくりともう一度、七番は繰り返した。
「すべてのクランジを殺す」
 自分の運命として、七番はその役割をまっとうすることを決めていた。
 たとえ刺し違えても。
 そればかりか返り討ちにあい斃れても、野垂れ死んでも、クランジを根絶やしにするためだけに戦う。
 ――殺す、と切は言ったな。
 音穏はやはり一言も発しなかったが、七番つまり七刀切の言葉の意味について考えている。
 ――『殺す』というのは、人に対して使う言葉だ。クランジをただの機械とみなすのであればせいぜい『壊す』とでも言っておけば済むことだろう。
 七番は非情になったようで、やはり人の心を捨てきれないということができようか。
 ――狂いきれぬか……心は捨てられぬか。
 以前から七番こと切が、クランジを激しく敵視していたのは事実だ。
 ――パイ(π)を殺したときを境に、それが更に強くなったように感じられるのは私の気のせいだろうか。
 あの時に泣いていたように見えた切。
 あの時、彼は涙と一緒に何かを喪失したのではないか――そんなことを音穏は思う。
 だがいずれにせよ、音穏は従うだけだ。
 彼が奈落へ堕ちるのなら、自分も奈落へ付き合おう。
 もしその奈落に一本だけ、蜘蛛の糸が垂らされていたなら……そのときは。
 ――その糸は、切、お前に譲る。
 音穏は心の目を閉じた。
 生温かい風に止む気配はなかった。


***********************


 音穏がクランジπ(パイ)のことを考えたちょうどそのとき、離れた別の場所で、やはりパイ、そしてクランジρ(ロー)のことを考えた者がいた。
 グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)である。
 グラキエスは今、携行ザックを枕にして横になっていた。その枕の下には、常に濡れたような質感をした漆黒の銃が隠されている。
 グラキエスは眼を閉じていた。眠っているのだ。いや正しくは、眠ろうと努力をしていた。今日も移動づくしで体は、血を拭き取った綿のように疲れ果てていた。
 エデンを出てからしばらく、就寝に苦労することはなかっただけに、あまり歓迎したくない事態だった。
 隣では、ゴルガイス・アラバンディット(ごるがいす・あらばんでぃっと)の寝息が聞こえる。きっとよく眠っているはずだ。そのことだけは、グラキエスも満足していた。
 この日、二人が野営したのは空京郊外の田園地帯だった。田園といっても牧歌的なものではなく、実際は完全にオートメーション化された食料工場とでも呼ぶべき場所だった。現在は刈入れも終わっていて量産型クランジ(食料生産タイプ)の姿もなく、こうして入り込み休息を取る余地もあるというわけだ。
 カンテラも消したのでテントの中は闇だが、外に出たとしてもそれは同じことだろう。
 どうしてもグラキエスの心はあの日、エデン陥落の日の記憶へと戻っていく。
 エデンを出た後、独自の調査でグラキエスは、あの場所で発生した出来事のあらましをつかんでいた。
 パイがどのようにして死んだか、そのことも知った。ローにとってパイが、いかに大切な存在であったかということも読み取った。
 ――ロー……彼女は俺と会ったとき、強い反応を見せた。
 できるだけ音を立てないようにして寝返りを打つ。
 ローにとってのパイ、グラキエスに同じ図式をあてはめれば、彼のパイにあたるのはゴルガイスだろう。考えるまでもないことだ。
 ――ゴルガイス、あなたは俺とずっと一緒にいてくれた……俺はあなたを失えば正気ではいられないだろう。
 自分とゴルガイスの姿が、ローとパイの姿にだぶって映っているようにも感じだ。
 ――ローはそんな人を失ったんだ。その上にあんな風に拉致された。
 拉致した主の意図はわからない、だがこれが、ローの意に反した暴挙であることは容易に想像が付く。
 ローを拉致した男は……調べによれば柚木桂輔というらしい。
 まだ少年といっていいほどの若さだが、すべきこととすべきではないことの分別くらい当然つく年齢ではあるはずだ。
 だから許せない。
 どんな理由があっても、グラキエスは認めるつもりがない。
 ――ρ。あなたを必ず見つけ出す。
「ρ……あなたをあんな人間に好きにさせるものか」
 ふと口を突いて出た言葉を、出てきた場所に押し込むようにしてグラキエスは背を丸めた。その様は、揚羽蝶に羽化する直前の繭のようである。
 ――ゴルガイスを起こしていなければいいのだが。
 グラキエスは耳を澄ませた。どうやらゴルガイスの寝息に変化はないようだ。
 そんなグラキエスの心配は、杞憂であった。
 ゴルガイスを起こさなかったからではない。ゴルガイスは最初から眠ってなどいなかったからだ。グラキエスはそれに気づいてはいなかったが。
 ゴルガイスは狸寝入りしながら、薄目を開けてグラキエスの背を見守っていた。
 グラキエスが眠れないとき、彼もまた、眠れないのだ。過保護な父親のようだと、自嘲的に思ってしまうこともある。それならそれでいい、と思い直す。
 すべての父親にとってそうであるように、ゴルガイスにとって、グラキエスはかけがえのない存在なのだった。
 ローとグラキエス……一見、似たところもなさそうな二人について考えてみる。
 ――グラキエスにとって、あのクランジの境遇には感じる物があったようだ。拉致されたのを見て怒ってはいるが、冷静になっている。
 それほどρとやらを助けたいようだ――と、結論づけてなんだか、ゴルガイスは嬉しくなる。喜んでいる場合ではないとわかっているだけに、余計そう思えるのかもしれない。
 なぜならそれは、グラキエスが他の人物に共感しているということだから。
 ――我も。
 ふっと眼の周囲の筋肉が緩むのをゴルガイスは感じた。
 ――我もあのクランジとグラキエスが笑うところが見たくなった。